死神少女の初恋
三日月 慧は正式な死神になってまだ二日目の新米。
そもそも死神とはなんぞ、と驚かれた方の為に説明すると――。
寿命を迎えた人間の前に現れ、三日間観察し、そしてその魂を刈り取る人ならぬ者。
もちろん、誰もその姿を見ることは出来ない。
三日間の観察期間で何をするのか、厳密には定められていない。
魂の行先を振り分ける為の査定をするのさ、とうそぶく死神仲間もいれば、この世の未練を本人に代わって解消してやるんだ、と胸をはる死神仲間もいた。
「まあ、特に決まりはないってことよ。慧も早く、自分のやり方を見つけることねー」
慧の上司は、面倒くさげにそう言って、ほい、と名簿を渡した。
「とりあえず、あんたの担当地区の一か月分。しっかりソレで刈り取ってきて頂戴!」
慧の右手には、貰った名簿。そして左手には、小さな鋏が握られている。
体と魂を繋ぐ糸を、この特別製の鋏でパチンときればそれでお仕事終了というわけだ。
慧は、まだ13歳の少女だった。
本当ならば、85歳で亡くなるはずだった慧なのだが、死神の手違いでパチンとやられてしまった被害者でもある。慧の魂を刈り取った死神は、罰として人間に再び転生していった。
慧はその死神の代わりに、死神になったというわけだ。
ご褒美と罰の関係がよく分からない。
私を人間に転生させろ、と慧は思ったのだが、とにかくそういう決まりらしかった。
「年も取らない、病気もしない、お腹も減らないってこれ、完全ご褒美でしょうが」と慧の上司は笑ったが、永遠の牢獄に繋がれた気がしないでもない。
「美味しい思いをしたかったら、刈ったばかりの人間の体を借りて、それで遊んじゃえばいいんですよ」
マニュアルのどこにも載っていない抜け道を教えてくれた先輩死神もいたが、慧はうーんと考え込んだ。死体に入るって発想が、まず気色悪い。24時間というリミットも不気味だ。その先輩にしたって、うっかりタイムオーバーしたら、どうなるかまでは知らないようだった。
切羽詰まったら考えよう、とひとまず棚に上げ、慧は担当地区に降り立った。
「どれどれ……」
公園のベンチに腰掛け、慧は名簿の一番上の文字を見た。
78歳 癌により死去 桜沢中央病院
名前は書かれていないが、文字を見ただけでどの人なのか慧にはすぐに分かった。
おおー、便利なシステム!
シャキシャキ、と手に持った鋏を鳴らしつつ、慧は病院に向かうことにした。
まだ13歳なのだが、生前の記憶は見事にすべて奪われている。
「下手に記憶持たせたままだとさ、鬱になりやすくて困るんだよねー。労災とか言い出されても面倒でしょ」と上司は言った。遥か過去に「精神的苦痛を長期間に及び断続的に与えられた」という理由で、死神協会を訴えた猛者がいたらしい。
労働組合まで立ち上がり、結果、死神にも休暇が与えられたのだが、それはまた別の話だ。
他の仲間のように瞬間移動するわけでもなく、空をふわふわ飛ぶわけでもなく。
慧は前を通りかかった車の屋根に飛び乗ることに決めた。
研修中に見せてもらった人間世界の娯楽映像で、一番気に入ったのがアクションものだったのだ。
信号待ちしている車の上によじ登り、腹ばいでしがみつく。
刑事ごっこ乗り、と慧は名づけることにした。
「くそ、逃がさんぞ!」
慧はぷりぷりお尻をくねらせ、必死で車にしがみついた。
黒いレースのブラウスに、黒のハイウエストのジャンバースカート。黒のハイソックスに黒いベルト付き革靴。ゴスロリ、と世間で呼ばれている恰好ではないのか。
とにかく死神は「黒一色の装い」をすることが義務付けられている。
男性死神は、黒のスーツに黒のネクタイに黒のシャツ。夜の蝶のようである。
「たまーに、さ。うちらの姿が見えちゃう霊感つよし君とかつよ子ちゃんがいるわけよ」
死神訓練所の教官は、そう説明した。
黒板に「見られた時の危機管理!」とチョークで書きつける。
「死神です、って分かりやすい恰好してる方が、向こうにも親切なわけ。あ、ちなみにその仕事用具も、相手には巨大な鎌に見える仕様だから」
肉体と魂を繋ぐ線は、細くて短い。
それを巨大鎌で刈り取るのには、長く厳しい訓練が必要となるに違いない。
実用性を重視した上で鋏なのだが、いまいち人間受けはしないらしい。
「あとは、ニヤリって笑う練習ね! 相手がビビって逃げ出すように、頑張って」
微笑み訓練は、なかなかハンコが貰えなかった。
「可愛い、だめー」「上目使い、きんしー」「天使か!」などなど、数々のダメ出しを受け、ようやく慧は「まあ、いいかな。怖くないこともないし」とハンコを押してもらえたのだ。
何度か刑事ごっこを繰り返し、ようやく慧は目当ての病院に到着した。
埃だらけになったはずの服は、きれいなまま。
マメができてもおかしくない手のひらは、つるんとしたまま。
人間やめてるからなあ、と慧はしょんぼりした。
78歳のおばあさんは、病室で静かに横たわっていた。
眠ってるのか、起きてるのか、半目の顔からは判断できない。
この状態で、三日を過ごすのか。
だっるー、と慧はベッドの上に寝転んだ。
おばあさんは何も感じていないようだったので、そのままそこで昼寝をすることに決めた。
かすかに上下する薄い胸だけが、おばあさんの生きてる証拠だった。
すーっ。ふーっ。すーっ。ふーっ。
なんとなく、安心するし、気持ちいい。
慧はおばあさんの上で猫のように丸くなり、三日間をぐうたらと過ごした。
三日目、糸が白く発光し始めた。
病室があわただしくなり、子供らしき人達が集まってくる。
慧はもぞもぞと起き上がり、鋏でパチンと糸を切った。
途端に、身軽になった魂がふわりと体から抜け出し、そのまま上へと立ち上っていく。
「ばいばーい。お疲れ様」
慧は白い光の塊に、軽く手を振った。
病室に集まった人々は、一斉に泣き始めた。
抜け殻に取りすがって泣いている人までいる。
その時。
バタン、と病室の扉が開いた。
「み、みつこ……」
よぼよぼのおじいさんが、介護付き添い人らしき人に支えられ、中に入ってきた。
「うそ、だろう。まだ逝かんで、くれ」
皺だらけの枯れ木のような頬に、滂沱の涙が流れていく。
「おやじ……」「父さんっ!」
子供たちは、その老人を取り囲んだ。
慧は、うーむ、とその様子を見守った。
どうやら、糸を切るタイミングがちょっと早かったらしい。
戻せないしなー。
慧はしばらく悩んだ挙句、おじいさんの剥げあがった頭をそっと撫でてあげた。
「ごめん。さよなら言いたかった?」
「うう」
おじいさんは泣きじゃくっている。
慧は、もう一度意外にも柔らかな彼の頭を撫でて、病室を後にした。
人生って、不公平だよね。分かる、分かる。
私なんて、この年で働いてんのよ。永久就職、しちゃってんのよ。
まあでも、次から、もっとちゃんとしよう。
慧は反省して、名簿の二人目の元に向かうことにした。
二人目は、中年の男性だった。
仕事も家庭もうまくいかず、街をふらふらとさまよった挙句の自殺だった。
三日間、その様子を見守った慧は、さすがにへこんだ。
電車に向かって身を投げたおじさんが、ミンチになる寸前で、鋏を使ってあげた。
痛みも恐怖も感じる間もなく、魂はふわふわと飛んでいった。
抜け殻処理をしている鉄道の人たちを気の毒そうにチラ見して、そそくさと慧はその場を離れた。
後味、わるー。
人生の最後がああなるなんて、私の年には思ってもみなかっただろうなあ。
まあ、私もこの年で死神やるとは思ってませんでしたけど。
慧はよろよろと雑踏の中を歩いて行った。
ばいーん、ばいーんと次々に人の腰にぶつかるのだが、誰も慧には気づかない。
これ、子供にはキツイ仕事じゃないですかねー。
早くも二人目で、慧は途方に暮れていた。
三人目。
まだ15歳の少年が相手だった。
事故にあって死ぬ予定のその子を一目見て、慧は恋に落ちた。
初めて見る顔のはずなのに、「どこかで会ったことがある」と思えてならないのが不思議だった。もっと不思議なことに、彼もまた彼女をまじまじと見つめてきた。
「お前……だれ?」
魂を刈り取る対象に、姿を見られてしまった。
本来ならば、マニュアルに従いすぐさま警戒レベルを引き上げなければならないのに、慧は歓喜に体を震わせた。
少年が自分を視界に捉えてくれたことが、嬉しくて堪らない。
一応は教官に教わった通り、ニヤリ、と笑ってみたのだが、その慧の笑みに一目ぼれした、と後に少年は語った。
「私、死神なんだよ」
「だろうな。すげー鎌持ってるし」
「うん、まあね」
鋏をチョキチョキ鳴らしてみせると、少年はおお、と目を丸くした。
どうやら、巨大な鎌をぶんぶん振り回しているように見えるらしい。
「俺、なんで死ぬの?」
「何かしらの事故」
「ははっ。言っちゃっていいわけ? 俺、用心して歩くようにするけど」
「関係ない。どんなに気を付けてても、事故には合うし、私がコレで糸を切っちゃうから」
「そっかー」
三日間、彗は彼にべったりくっついた。
感触はないけど気持ちよかったし、少年も嬉しそうに頬をゆるませていた。
高校にもついていった。
資料映像で見たことはあったが、想像以上に沢山の若者が狭い箱庭に押し込められているのを目の当たりにし、慧は顔をしかめた。
「息苦しくない?」
「考えたことないな。こんなものかなあって」
少年はあっけらかんとそう答えた。
まもなく訪れる死を予告した時と同じく、全てを受け入れている風な彼に、慧は安心してくっつくことが出来た。
サッカーをする彼の隣を全力疾走してみたり、授業を受ける彼の膝の上に座ったり、自転車の後部座席に乗せてもらったりした。
「やべえ。俺、初めて彼女出来た」
彼が笑ったので、慧も笑った。
「私も、たぶん初めてだよ」
朝から夜まで。
それこそ四六時中、慧は少年の傍にいた。
1日目の夜が終わるとき、何も思わなかった。
2日目の夜が終わるとき、彼と過ごす時間があまり残ってないことに、慧は初めて胸を痛めた。お別れしたくないな、と思ってしまった。
そう思うことは、死神にとって最大の禁忌だったので、慧は自分の気持ちに厳重に蓋をした。
――誰にでも、終わりがある。
それが早いか遅いかだけの違いよ、と教官は教えてくれたのだから、悲しくなる必要はないはずだ。
死ぬまでに女の子と一度はキスしてみたかった、と彼が言うので三日目の朝、試すことした。
その時、彼は初めて泣いた。
それまで普通の顔で、日常生活を送っていたというのに。
泣きながら、何度も慧の手を掴もうと空中に手を広げた。
「触りてえ」
「うん。でも私、死神だから」
抱きしめてあげたいのに、手は彼を素通りしてしまう。
哀しい、切ない、と思うのに、慧の目は渇いたまま。
眼球の代わりに、ガラス玉でも嵌まってるのかもしれない、と慧は自嘲した。
そしてとうとう、その時がきた。
今日は一日家から出ない、という彼に付き合って、2人は家にいた。
どんな事故なんだろう、と思っていたら、電車の脱線事故だった。
昼間ほかの家は無人だったのに、彼だけが家にいて、瓦礫の下敷きになった。
潰され、苦しそうに喘ぐ彼を早く楽にしてあげたくて、慧は鋏をつかった。見ていられない。鋏を持つ手はぶるぶる震えた。
パチン。
慧の心がまだあったと仮定して。
きっとその時、心も千切れた。
空っぽになった体にしばらく覆いかぶさって、慧は冷たく固まっていく彼の名残を味わった。
とりあえず、最後まで仕事をしよう。
そう決めて、名簿の分は頑張って働いた。
よろよろと死神事務所に戻る。
ひと月働いたら、ひと月休みがもらえるシステムに心から感謝した。
もう誰の糸も、今は切れない。
「ちょっとー。慧、困るよ!」
デスクに呼ばれ、上司に怒られた。
「そんなに死神嫌だった!? それにしたって、一回目の勤務でやらかすことないでしょ。研修やらなんやらで、新人には手間暇かけてんのよー。死神一人を独り立ちさせるまでに平均10年ちょっとかかってんのよ!」
なんのことやら、意味が分からない。
首を傾げた慧の前に、上司はバインダーを差し出した。
「どうする。始末書書くなら、このまま死神続行。嫌なら、人間に転生。あ、でも前世よりランク落ちるからね。家庭とか容姿とか能力とか」
慧は、上司の差し出した資料を見て、目を疑った。
少年は、事故から無事生還するはずだったらしい。
電車に乗り合わせた別の少年と間違えて、慧は鋏を使ってしまったというのだ。
「え、でも確かに、その子でした!」
名簿を見ただけで頭に浮かんできたのは、確かにあの少年だった。
引き寄せられるように、慧は少年と出会い、恋にまで落ちてしまったのだから。
「また!? 慧の前の子も、そう言ったんだよね」
前の子、というのは、慧の魂を間違って刈り取ってしまった前任の死神のことらしい。
「男の子だったんだけどさ。間違えてない。君だった、って呆然としてたっけ」
「その子の名前……教えてもらえないですか?」
「ん? なんだったっけねー。名前は――」
慧は、あはは、と渇いた笑いを漏らした。
それは、慧が間違って鋏を使ってしまった少年の名前だ。
偶然かもしれない。
でも、もしそうでなかったら。
「死神を続ける場合、私が間違って死なせてしまった子はどうなるんですか?」
「その子にも選択権が与えられる。ランクアップしての人間への転生か、上級死神になるか。あんたの場合は、前任が『これ以上死神の仕事は出来ない』っておかしくなっちゃったからさ。あの子にはさっさと人間に転生してもらって、慧に仕事を引き継いでもらったの」
上級死神っていうのは、実際の汚れ仕事は請け負わない管理職を指す。
慧の上司も上級死神だし、研修センターの指導員も上級死神だ。
私が死神を続投した方が、少年の選択肢の幅が広がる、と聞かされ私は迷わなかった。
「始末書、書きます」
「へえ……ちなみに、一年間の減給と休みなしになるけど、いいの?」
「いいです」
慧は、始末書を書き、休む間もなく担当地区へと追いやられた。
淡々と、人の最期を刈り取っていく。
そうするうちに、慧はあることを思いついた。
糸を切った後、すぐにその亡骸に入り、生前もっとも心を残した人に「さよなら」を伝えることにしたのだ。手紙を書いたり、直接会ったり、それはいろいろだったけど、おおむね慧は満足した。
自己満足だと分かっている。
それでも、きちんとしたお別れを経て大切な人を亡くすのと、そうじゃないのとでは、残された者が喰らうダメージの量が違うと、死神稼業をやるうちに学習していた。
ところが、自殺者にはそれが出来ない。
「自殺は、いかんよ」
慧は、手首を切ってバスタブにもたれ掛った若い女性を眺めて、呟いた。
もっとも心を残した人への当てつけ自殺。
死んだ本人も、死なれた相手も堪らない。最悪の死に方だ、と慧は鋏を苦々しく入れた。
そうこうしているうちに、一年が過ぎた。
確かな足取りで慧は事務所に戻った。
さよなら代行のおかげかもしれない。
前みたいに、感情が麻痺してごわごわになることも減っていた。
「おかえりー。あ、紹介するね。私の後釜」
上司の隣には、かつて恋した少年が立っていた。
「やっと、死神同士になれたね、慧」
ニヤリ、と凄みのある仕事用の笑みを浮かべた少年の顔を見て、慧は消されたはずの前世の記憶の一部を取り戻した。
ああ、あの笑顔に一目ぼれしたんだっけ。
「よろしくお願いします」
慧もニヤリ、と仕事用の笑みで少年に応えた。
「少年との出会い~別れ部分」を加筆訂正しました。