八
明かりの無い祐二の部屋。
黄泉はベッドに腰を下ろし、考え耽っていた。
「なぜ、わしは二百年後の日本に――」
黄泉の家屋にいきなり現れた男、トキオ。
そのトキオが黄泉を286年後の日本に送り込んだ。
一体わしにどうしろというのだ――考えても考えても晴れない疑問に、黄泉は頭を抱えた。
目を閉じるとなぜか祐二の顔が浮かんだ。
お前の戻れる方法を探す――悲しみを含んだ祐二の声が黄泉の脳裏を掠めた。
すると不意に部屋が真昼のように明るくなった。
「電気ぐらい――」
と言いかけて、黄泉が電気のつけ方がわからない事に気づき、祐二は頭を掻いた。
手には茶色い紙で出来た袋を抱えている。
「せっかく案内してたのに、白けちまってわりぃな」
「気にするな」
祐二は紙袋の中を探り、茶色く細長い物を取り出した。
「食うか?」
甘く香ばしいにおいが鼻腔をくすぐる。それはまさしく焼き芋の香りだった。
黄泉は返答するよりも早く、芋を祐二の手から奪い取ると、真ん中から半分に割った。
中から金色に光る身が現れる。
「はぐっ」
一気にかぶりつくと、芋の甘さが広がり、身は口の中でとろけていった。
一心不乱に芋を食べる黄泉の姿をみながら、祐二は苦笑した。
「まだあるからゆっくり食べろ」
祐二の言葉に、こくりと頷くと、黄泉はまた芋にかぶりついていった。
「外で飯でもと思ったんだが、そんな気分じゃねぇしな」
祐二は椅子にどっかと座り、袋から芋を取り出すと、豪快にかぶりついた。
あのトキオって奴、気に入らねえ――そう毒づきながら、トキオが言った言葉を思い返す。
なにが道先案内人だ、ふざけやがってと、トキオという男のエゴで、一人の少女の人生が狂った事に、祐二はとてつもない怒りを覚えていた。
そして。
黄泉の惚れた男か――そのことを考えると、胸が痛んだ。
しかし、黄泉の事を考えると、惚れた男に会わせたい。
そう祐二は思った。例え自分の気持ちを殺してでも。
こんどこそトキオという男をふん捕まえて、黄泉が江戸時代に帰れる方法を聞き出してやる――そう祐二が思った時だった。
「お主が――」
ぼそりと呟く声に気づき、祐二は我に返る。
黄泉は真っ直ぐ祐二の顔を見つめていた。
「祐二が望むなら、わしは残ってもよい」
祐二は言葉を失っていた。
黄泉がその事をずっと気に掛けていたとに、祐二は驚きを隠せなかった。
なんと言って良いのか、どんな言葉を返せば良いのか全くわからない。
それってもしかして俺のことを――そんなはずはないと、激しく頭を振って机に向かう。
「だったらこの時代の事をたっぷりと、勉学してもらうからな」
そう言いながら、ノートに書き留めた物を黄泉に渡した。
「この時代について覚える事を少し書いておいた。明後日までにちゃんと答えられるようにしておくこと」
それを聞いた黄泉の眉が情けなく垂れ下がった。
「うぅ――それはないぞ」
今にも泣きそうな顔で訴える黄泉に、祐二は頑として首を縦に振らない。
「これを愛のムチという。一つ勉強になったな」
得意げに人差し指を立てる祐二に向かって、黄泉は半ば泣きベソをかいたような声で呟いた。
「そんな愛はいらぬぅ」
泣くなよ、そんな目で見ないでくれ――祐二は黄泉の視線に耐えきれず、逃げるように立ち上がった。
「あぁ、やべ、トイレ――」
言い終えないうちに、祐二はトイレに駆け込んだ。
「あぁ! なにやってんだ俺! なんであんなこと言ったんだよぉぉぉ!」
叫びながら、素直になれない自分の頭を力一杯殴りつけた。
祐二の目からは涙が溢れた。
いてぇ、情けねぇと呟き、大きく肩を落とす祐二。
トイレのドアの向こうでは、黄泉がもらったばかりのノートに視線を落としていた。
「ふむ、中二病――」
華やかだった明かりが嘘のように、静けさ、静寂が支配する後楽園。
遠間から文京シビックタワーを見つめる男の姿があった。
「運命からは逃れられない」
月の光が額のゴーグルを照らす。
小高く聳えるタワーを嘲笑するかのように、男の口元がつり上がった。
「やがて大きな闇が――」
言い捨てるように身を返し、男は歩き出す。
やがて月の光は厚い雲に遮られ、周囲は漆黒に包まれていく。
色鮮やかだった歩道のタイルは闇に塗りつぶされ、乾いた靴音だけがこだました。
まるで闇の中にとけ込むかのように、男は姿を消していった。
一の巻 カルチャーショック
完