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十五

 黄泉は視線を虚空から戻し、首をうな垂れた。

 自分の女房を手にかけ、実の娘を売り、再会した娘をまた売ろうとする――祐二は村上に対する怒りが止め処もなくわいてくるのを感じ、拳を堅く握り締めた。

 そして、以前黄泉から聞いた言葉が胸を締め付けた。

 ――わしが父と慕い、唯一惚れた男だ――

 その男が榊原 伊織だったということに祐二は衝撃を受けていた。

 まさか時代劇で馴染みのある、歴史上の人物だとは夢にも思わなかったからだ。

 しかし、今、黄泉を守れるのは俺だ――祐二は自分に強く言い聞かせ、やるせない思いを振り払う。

 今は自分の感情よりも、現状に抱える問題を解決しなくてはいけないのだ。

 祐二は深呼吸をして、こみ上げる感情を押し込んでいく。

「そう、たしかにあの時――」

 今まで沈黙していた黄泉が、不意に口を開いた。

「わしは村上の魂を斬った――それが、なぜ」

 トキオはキッチンの柱から背中を離し、人差し指を立て横に振ってみせる。

 わかっていないなといわんばかりの人を馬鹿にしたような仕草である。

「もしもそのとき黄泉、あなたに一瞬の迷いがあったとしたら――皮ひとつ繋がるくらいのね」

 トキオの言葉に黄泉ははっとする。

 あの時流した涙の意味を。

 なぜあの時、涙したのか――村上に対する、いや、父に対する情であったとしたら、と。

「その村上ってやつが、悪鬼の長だったとしてもだ――」

 その声はいままで二人の会話に聞き入っていた祐二のものだった。

 祐二の声は冷静さを取り戻していた。

「長がいればそれを守る組織もある――ということじゃないか?」

 トキオが珍しく感心した様子で肩を竦めた。

「一般人にしてはいい推理だ」

 だからてめえ、その言い方やめろ――と、喉まで出かけた言葉を飲み込み、祐二はトキオを睨み据えた。

「悪鬼の長を守る組織は三つ」

 トキオは右手の指を三本立てる。

「女の鬼で形成された組織、戦いに長けた組織、そして謀略、策略に長けた組織」

 今まで黄泉が倒してきた悪鬼達はその戦いに長けた組織の小物にあたるとトキオは語る。

「しかし、長だけを倒すにしても、長を守る組織が黙っていないだろうし、それに奴等の根城すらわからんときた」

「闇雲に突っ込んでは自害行為であるな」

 黄泉が祐二の意見に同意し、うーんと唸る。

 トキオは軽く肩を竦めると二人に背を向け、玄関に向かう。

「その為の道先案内人だ」

 疑問の答えになっていないトキオの言葉に反感を覚え、祐二がベッドから立ち上がろうとした時。

「そうそう」

 玄関に向かいかけたトキオは、何かを思い出したかのように足を止める。

「さっき言った三つの組織、いや、それをまとめる将には黄泉、あなたの存在を感づかれてはいけない。くれぐれも気をつけてくれたまえ」

 そこで黄泉の脳裏に、トキオの言葉が蘇った。

 ――悪鬼と接触したら必ず息の根を止めることだ。仲間に感づかれる前に――

 それはプリンの捜索の際、公園で聞いたトキオの言葉だった。

 妖術刀の使い手ということだけで黄泉の存在を隠すという理由に、黄泉は釈然としないものを感じていた。

 ――この男、まだ他の理由を隠しておる。

 そう腹の内で呟き、虚空に這わせていた視線を玄関に戻すと、すでにトキオの姿はなかった。



 春日通を歩く男。

 茶髪に染めた頭にはスキーで使用するゴーグルのようなものを乗せている。

 黒のTシャツ、黒のブラックジーンズで身を包んだ男は、行き交う人々を避けるように歩みを進める。

 まるで自分の存在を悟られまいとするように。

 晴れ渡る快晴の中、突如突風のような強風が通り一帯に吹きぬけた。

 木々の枝は大きく揺れ、新聞紙が舞い上がり、行き交う人々の足を止める。

 ――ついに動きだすか――

 虫の知らせの如く突如吹き荒れた突風に、男は繭を潜めた。

「僕もそろそろ役目を果たす時が――」

 呟くと、男は額のゴーグルを外し、風で乱れた髪をかき上げた。

「確実に近づいている――」

 男は不退転の決意を固めるかのように、ゴーグルを額に戻す。

「――決戦の時が」

 男――トキオは、突風に阻まれ止めていた足を再び動かし始める。

 靴底がアスファルトを叩き、乾いた音が響く。

 周囲の雑音に掻き消されることなく鳴り響いていた。

 それはまるでこの空間は、トキオしか存在しないかのように鳴り響いていた。

 


八の巻 漆黒の黄泉


 完

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