十四
黄泉が大きく踏み込んだ。
同時に、黄泉の足下から水しぶきが舞い上がっていた。
村上は黄泉が踏み込むことなど予期してはいなかった。
一瞬躊躇した。
切れない太刀――妖術刀は躊躇無く、袈裟に振るわれた。
しかし所詮は偽の太刀――村上はすぐさま太刀を握る手に力を込める。
妖術刀は間合いが足らず空を斬った。
村上が身を退いたのだ。
それは度重なる斬り合いで身に染み付いた癖がそうさせたのか、恐怖を感じて身を退いたのかわからなかった。
――俺は何を恐れている。
村上は上段から袈裟に太刀を振り下ろす。
刹那、黄泉の足下から再び水しぶきが舞い上がった。
間合いは村上の懐。
「唯一斬れるのは――」
太刀を寝かせ、村上の胸を斬り上げる。
「人の魂!」
無数の水の玉が宙を漂った。
上段からの攻撃を誘い、空ぶった隙を二の太刀で斬りあげる新陰流逆風の太刀。
黄泉の鋭い太刀筋は、村上の体を右わき腹から左肩まで一閃した。
黄泉は青眼に構え残心をとる。
村上の体から太刀筋に従って白い飛沫が吹き上がった。
白い飛沫が小さくなると、村上の体は力を失い、前のめりに倒れ、大きな水しぶきを舞い上がらせた。
それを見た黄泉は、構えを解き、右手に持つ太刀を振り上げて血振りをする。
太刀は砕けたように弾け、透けるような白い粉雪のように夜空を漂い、散っていった。
「なぜ――」
気がつくと、黄泉の頬には熱い滴が流れていた。
母の無念を晴らしたからか、人の命を斬ったからか、父を殺めたからか、それは黄泉自身にもわからなかった。
わし自身への哀れみか――表現しがたい感傷に浸っていると、水をかき分ける足音が耳につき、慌てて空を仰ぎ、涙で塗れた顔を乾かした。
「見事であった!」
黄泉は振り向き、駆け寄る忠相に向かって不器用ながら笑みを作った。
「実に見事であった! 新陰流逆風の太刀!」
忠相は歓喜のあまり、黄泉の両肩を掴み、激しく黄泉の体を揺さぶった。
「大岡殿! 痛い!」
黄泉の声で我に返った忠相は、すまぬと一言こぼし、恥ずかしさの為か俯いてしまった。
すると、忠相の落とした視線の先に、水流に体を浸けた村上の亡骸が映る。
「黄泉よ、見事母上の仇を討ったが、この先はどうする?」
忠相は顔色を改め、黄泉の瞳をまっすぐ見据えた。
「江戸にはまだまだお主のように不幸な者が存在していよう。どうだ、私と共に江戸の民の為に働いてはくれぬか?」
黄泉は忠相から視線を外すと、明るみがかった空を見上げた。
「わしは――」
そこまで言うと、忠相に背を向け、言葉を継いだ。
「――わしが何なのか、それを見定めたい」
言い終えると、黄泉はそのまま歩きだす。
黄泉、お前はこの世という黄泉にさまよい、何を見、何を思うのか――忠相は小さくなっていく黄泉の背中に、そう問いかけていた。




