十二
江戸の町は水路が走り、堀や河川が多くみられる。これは征夷大将軍となった徳川家康が整備したものである。その河川でも一際大きい隅田川の河原に黄泉はいた。
河の上には大きな橋が掛けられ、河原の石は丸みを帯びた小石が敷き詰められている。
人の気配が感じられぬ河原に、ただ、さらさらと水が流れる音だけが心地よいほどに耳を撫でる。
時折波打つ水面には、黄金色の三日月が写り込み、河の水を澄み渡らせている。
黄泉は黙って橋下を凝視していた。ここから奴が現れる、そう思っていたからである。
一陣の風が後ろに束ねられた黄泉の黒髪を揺らした。
「大岡殿――」
黄泉は視線を外さずに呟くと、忠相は小石を草鞋で踏みしめながら歩を進め、黄泉の横に立った。
二人は一言も語ろうとはしなかった。
忠相もまた黄泉が見据える橋下をじっと凝視していた。
そろそろ刻限になろう――忠相がそう思った時、橋の下に人影らしきものがうごめいた。
「来た」
黄泉が呟くと、橋の陰から姿を現した人物は、淡い月光に照らされ、その姿を二人に晒した。
薄汚れた茶色の袴に黒の着物。腰には大小二本の太刀。無造作に乗せられた髷の下には、くっきりと十文字の刀傷が浮かび上がっている。
紛れもなく奴こそ、黄泉が捜し求めていた男、村上木三郎だった。
「捜したぞ――村上」
黄泉の表情がわかるほどの距離まで来ると、村上は立ち止まり、口元をつり上げた。
「助っ人か――亡き母の仇でも討つつもりか? お洋?」
村上の言葉に、黄泉の顔が一瞬にして怒りに染まった。
「二度とその名を出すな!」
「私は黄泉の身内で、この仇討ちの立会い人だ」
忠相が、いたって冷静な口調で村上に説明した。
「黄泉? 身内? 仇討ち?」
村上は高笑いを始める。
「何がおかしい!」
この村上の態度に忠相は眉を寄せた。
「実の父親を討つことが仇討ちだとはなぁ! なぁ、おかしいだろ! お洋!」
「黙れ! わしの父は榊原伊織だ!」
村上の言葉を耳にした忠相の目が驚きで見開かれた。
「こやつが黄泉の――まことか!?」
黄泉は拳を握りしめ、わなわなと肩を振るわせながら頷いた。
「こいつは、酒代を母上からむしり取り、用が無くなると斬り捨てた。わしは奴を殺してやりたいと思った。母が斬られた刀で斬り殺したいと、強く思った。そしてわしは気がつくと刀を手にしていた」
「あの時は驚いた。こいつが手から刀を出して俺に襲いかかってきたんだからな。しかし、その奇妙な妖術のおかげで、見せ物小屋に高く売りつけることができたがな」
再び村上は口を大きく開き、狂ったように高笑いを始めた。
「妻を殺害するだけでなく、我が子までも金の為に売るとは――ゆるさん!」
忠相は怒りに肩を振るわせ、奥歯をかみしめた。
されど、内心では伊織がこの場に居合わせなくて本当に良かったと思っていた。
伊織のことであるから、おそらく今の事を聞いていたならば、迷わず村上に斬りかかっていることは明白だった。
「始めよう」
黄泉が低い声で呟いたことで、忠相は仇討ちが始まると理解し、少し離れた土手で見守ることにした。




