七
「はいよ、薩摩の芋。占めて五文で」
黄泉は店の親父から差し出された芋を、満面の笑みで受け取ると、蒸かしたての湯気を目一杯鼻から吸い込んだ。
その横では、伊織が渋い顔で、財布の中身を勘定している。
「まったく、今日は厄日だ」
愚痴を吐く伊織とは対照的に、下町にある小さな露店を後にした黄泉は軽い足取りで伊織の先を歩いていた。
その黄泉の背中を見ながら伊織はため息混じりに苦笑した。
南蛮でこいつと初めて会った時は、まるで地獄をさまよう死人のような面してやがったのに――そう思う反面、伊織は黄泉が自分に心を開き、徐々に変わっていく姿が嬉しかった。
そう感慨に耽り、何の気なしに周囲に目を転ずる。
昔、大岡忠介と共に歌舞伎者として練り歩いていた下町は、建物といい、町並みといい、全く当時と変わっていなかった。肩に竿を乗せた威勢の良い魚売りが、火消しの羽織を纏った若い衆が、はたまた大工、買い物に向かう途上であろう婦人――下町の通りは人で溢れ、活気に満ちていた。
「考えてみりゃ、こいつと下町を歩くのは、久方ぶりだな――」
そう独り言を呟くと、初めて黄泉に下町をあないした時、人の多さと、南蛮とは異なる家屋に圧倒されたのか、黄泉は目を丸くしていたことを思いだし、伊織の口元が自然と綻んだ。
「何か言ったか?」
独り言が耳に入ったのか、黄泉は背中越しで伊織に問うた。すると、伊織りは何でもねえよと短く答えながら、先を歩く黄泉の小さな背中に微笑んだ。
と、その時、不意に黄泉の体が軽く弾かれ、その拍子に手にしていた芋が、地面に滑り落ちてしまった。
「すまねぇ!」
大きい文字で、大工と書かれた羽織を纏った男が、肩をぶつけたようだ。男は黄泉には目もくれず、後方に走り去っていった。
「い、芋――」
黄泉は地に落ちた芋を拾おうと手を伸ばした瞬間、何者かの足によって、芋は無惨に踏みつぶされてしまった。
「あぁ、ううぅぅ――」
今にもべそをかきそうな、情けない声を上げながら、黄泉は次々と現れる足によって踏みつぶされていく芋をただ見つめていた。
「待ちやがれ! この下町の往来で、一体なんの騒ぎだ!」
黄泉が涙ぐんだ眼を声の方に向けると、走り去ろうとする男達の前に立ちふさがるように、声の主、伊織が両腕を広げ立っていた。
伊織の目の前には、厳ついゴロツキ風の男達が地団太を踏んでいた。
どうやら先ほど黄泉にぶつかった男を追っているようだった。
「道を開けろ! てめぇには関わり合いのねぇこった!」
三人のごろつきの一人が威勢良く言い放つが、伊織は意に介さず、変わって口元に不適な笑みを作った。
「開けぬと言ったら?」
「やろぉぉぉ」
たちまちのうちに、三人の面が怒りで赤く染まり、懐に忍ばせていたドスを抜き放った。
むやみに光り物をチラつかせるたぁ肝の小さな輩だ――そう内心で呟くと、伊織は広げた両腕を太刀の柄に伸ばす。
そして、三人のゴロツキを順に睨み据える。
伊織は手元に意識を集め、鯉口をゆっくりと切った刹那、抜き放たれた太刀は左下から斬り上げられるように曲線を描いた。
太刀は中央に立つ男のドスを弾き、間髪入れず、右の男に向かい、上段から斬り降ろし、さらに太刀を返し、真横になぎ払う。
「――な!?」
ゴロツキ共が一斉に声を上げた瞬間、三本のドスはその白刃を光らせながら、宙に舞っていた。
そして、白刃の切っ先が、持ち主の足下の地面めがけて、右から順に突き刺さっていく。
「ひ、ひぃ!」
ゴロツキ共は短い悲鳴を漏らし、突き刺さったドスを驚愕の眼で見つめ、我に返ったのか、覚えてろと捨て台詞を残しながら、一目散に走り去っていった。
「まったく、とんだ小者だ――」
伊織はそう小さく愚痴を漏らしながら、面倒くさそうに太刀を納刀すると、なにやら周囲が騒がしくなった。
見ると、いつのまにか伊織と黄泉は多くの野次馬に囲まれ、割れんばかりの拍手喝采を受けていた。
祭りと喧嘩は江戸の華か、変わっちゃいねぇな――伊織は思わず苦笑を浮かべた。
と、不意に誰かが、伊織の肩をトントンと叩いた。
「ん?」
伊織が訝しげに後方を向くと、先ほど黄泉に肩をぶつけた大工姿の男が野次馬に紛れるように、伊織をじっと見つめていた。
「お主は先ほどの――いかがした?」
なにやら訳ありであろうことを察した伊織は、声色を改め、男に問うた。
「お侍さん、実は聞いてもらいてぇことが――」
伊織は男に向かって頷くと、黄泉に視線を向けた。
「黄泉――」
始終を見ていたであろう黄泉は、伊織の言わんとしていることを悟ったかのように、小さく頷いた。




