弐
時は江戸。
享保年間。
享保五年、町火消しを「いろは四七組」で組織し、享保七年、小石川養生所を開設と……南町奉行、大岡忠相は、名奉行として政の采配を振っていた。
八代将軍吉宗が唱える享保の改革と名奉行、越前守により江戸の町は実に穏やかだった。
春も近いというのに、朝はまだひんやりと肌寒い。
やっと昇り始めた日の光が、江戸の町を淡く照らしはじめた。
いまだ朝靄の残る町中を行く、一人の女子がいた。
その女子は長い黒髪を後ろで束ね、黒い着物をまとっていた。しかも、着物の袖が肩口から無く、細く白い両腕が露わになっている。
さらに着物の裾も膝下から綺麗に切り取られ、着物から覗く両足は膝上まである足袋に包まれていた。
その奇妙とも思える出で立ちは、江戸の町並とは大凡不釣り合いに思えた。
江戸の町では変わり者で名を知られる彼女は、黄泉と呼ばれていた。
黄泉はショボショボになった眼を擦ると、口から大きな欠伸を漏らす。
黄泉はなんでも屋という、人探し、不義密通の探りなどを請け負うことを生業としている。
本日までに、何が何でも不義密通の確証を掴まなくてはならなかった。三日以内に確証を掴めない場合は、通常二朱(約七千五百円)受け取る金子を三さし(約三千円)まで負けなくてはならない。
黄泉が張り込んで二日目の夜、対象が動き、やっとのことで確証を掴むことができたのだ。
黄泉は、内心で胸をなで下ろしながら、疲れきった体を引きずるように歩みを進めていた。
小石川養生所――そう書かれた看板の門に差し掛かると、黄泉は歩みを止めた。
門とはいっても大層なものではなく、薄い板を貼り付けられたような物で、敷地を囲う塀も竹を組んで造られ、その隙間からは中の様子が見て取れる。
黄泉は迷わず門を開くと、敷地内に足を踏み入れた。
敷地内には樹齢何十年であろうか、立派な松の木が空に向かって背を伸ばし、小さな池の水のせせらぎは、診察に訪れた患者達の心を癒すかのように思える。
黄泉は池には目もくれず、池に造られた小さな石橋を渡る。
やがて見えてきた小石川養生所玄関を横切り、家一軒離れた古い家屋の前に差し掛かると黄泉は足を止めた。
家屋の玄関戸の上には、「なんでも屋」と書かれた大きな木の看板が掲げられている。
これから不義密通の詳細を書面に記さなくては――黄泉は重くなった眼を必死に擦り、玄関の引き戸に手をかけた。




