七
何十分と歩いただろうか。
街の明かりははるか後方に追いやられ、生臭い香りが祐二の鼻についた。
その生臭さは不快ではない。草の香、河のせせらぎ――生命の躍動を感じさせるものだ。
田辺は土手を下り、大きな砂利のある河原に来ると立ち止まった。
おもむろに背中のギターケースから、木刀を二本取り出すと、一本を祐二に向かって放り投げた。
「剣道を辞めるとは、どういうつもりだ」
田辺はギターケースを地に落とし、木刀を握る。
「言っただろ。俺は強くなりたい」
祐二の眼光を受け止め、田辺は冷ややかに返す。
「それがどうした」
祐二は一歩も退かず食い下がる。
「お前の剣道で強くならなきゃいけねぇんだ」
祐二の言葉に田辺の眉が一瞬動く。
しかし、田辺はすぐさま眉間に皺をつくり言い放った。
「くどい!」
恫喝するような叫びの裏には、狼狽と戸惑いの色があることを祐二は感じた。
「教えてくれねえなら勝つまで勝負してやる」
祐二は不敵に笑んだ。
「貴様、なぜそこまでして強くなりたがる。剣道ではなく、人を傷つける為の剣を振るおうとする」
それは田辺の自分へ対する自問でもあった。
努力だけでは越えることのできない壁を知ったからか。
天才と凡人の差を知ったからか。
自分への苛立ちなのか。
その答えを求めてなのか――と。
祐二は田辺の視線を真っ直ぐ受け止める。
そして、迷いもなく答えた。
「大事なものをみつけたからだ」
そのとき、黄泉の顔が祐二の脳裏に浮かんだ。
重い宿命の鎖に繋がれた黄泉。
祐二は決意する。
その鎖を断ち切り、もとの時代に帰らせてやると。
目と魂で訴えかける祐二に、田辺は大きく息をして答えた。
「いいだろう」
言うや田辺は木刀を中段に構えた。
「構えてみろ。貴様が二度と減らぬ口を叩くことができないように叩きのめしてやる」
祐二は木刀の柄を右腰辺りに置き、切っ先は後方に構えた。
脇構えだ。
途端、田辺の形相が険しさを増した。
「なんだその構えは!」
田辺の木刀は、祐二の左肩を叩いた。
「ぐぅう!」
左肩に鈍痛が突き抜ける。
見えない――ノーモーションだった。
「脇構えなど、素人の貴様には早すぎる」
苦痛に顔を歪めながらも、祐二は冷静に判断していた。面を入れられたにも関わらず、致命傷を避け、わざと肩を狙ったと。
「そんな素人をいたぶっても面白くない。少しは俺を楽しませてみたらどうだ! 中段に構えろ!」
一見すると挑発めいた言葉ではあるが、いまの田辺は剣道を教えている時の、剣道部主将、田辺 明だった。
「どうした! 腕ががら空きだ!」
田辺の木刀が、祐二の右手を叩いた。
刺し小手だ。
「ぐぅ!?」
苦痛に悲鳴を漏らすも、堪えられない痛みではない。
竹刀と違い、木刀で叩かれれば、骨などは簡単に折れてしまう。
まして、剣道熟練者の振るう木刀であればその破壊力は凄まじい。
それは祐二にもわかっていた。
だから、知っていた。田辺は折らないように手を抜いていることを。
素直じゃねぇな――気がつけば苦笑していた。
「なにを笑っている。貴様、殺されたいか!」
「まだ勝負は終わっていない。これはその余裕だ」
田辺の形相は相変わらず険しいものであるが、邪気や殺気は微塵も感じられない。
「今度こそ死ね!」
祐二は思った。
この男は、剣道が好きなのだと。
「させるか!」
祐二は田辺の大上段からの打ち込みを、木刀で受け止めた。
秘められた田辺の想い。それを全身で受け止めるかのように。
河原に小気味の良い音が響きわたった。
祐二は田辺を見上げると、一瞬笑みを漏らしているように見えた。
「小癪な!」
そこから田辺はねじ伏せるように、つばぜり合いへ持っていった。田辺の顔は再び修羅の形相に戻っていた。
祐二も渾身の力を込めて応戦するが、力任せに突き飛ばされ、体勢を崩される。
「いやぁ!」
短い気合いが迸った。
小手、面――いや、肩のコンビネーションだ。
ひるんだ隙を、田辺がさらに畳み込む。
胴を抜いた後、背後からの肩。
そして、最後は剣道を捨てた田辺にふさわしく、右股を打ち据える。
「ぐっ!?」
祐二は体力も気力も尽き果て、膝を地につけた。
クソと吐き捨て、木刀を杖替わりに立ち上がろうとする。
それを見た田辺は構えを解き、ギターケースを拾い上げた。
「それ(木刀)は俺に勝てるようになったら返してもらう」
いうと、ギターケースを担ぎ、田辺は歩きだした。
「これで勝ったと思うな! 明日こそ勝ってやる!」
そういいながらも、内心では苦笑いを隠せない祐二。
素直に、教えてやると言えばいいのにと。
「明日、もう一度だけ勝負してやる」
言い残すと、田辺は闇中へ姿を消していった。




