十
春日通り沿いにある東京都戦没者霊苑。
そこに袖の無い黒の着物に身を包んだ黄泉の姿があった。
後楽園駅近くの広大な敷地は霊苑と、公園が併設されている。
公園と霊苑は仕切られているが、コンクリートの壁はさほど高くはない。
春になると桜が咲き乱れ、訪れた人々の心を和ます木々は黒く、ゴツゴツとした幹と、青い葉が闇に紛れるようにして佇んでいる。
霊苑の入り口の扉は堅く閉ざされている。
黄泉は扉が閉まっていることを確認すると、壁に沿って歩きだした。
乗り越えるうえで、手頃な場所を見定めると、壁から距離を取った。
「フッ!」
息を漏らすと同時、壁に向かって駆け出す。
突進の勢いを利用し、つま先で壁を蹴り、跳躍した。
「ハッ!」
小さく息が漏れた。
壁の頂点に手を掛け、黄泉は壁をよじ登る。
黄泉は壁から飛び降り、周囲を見渡した。
月は厚い雲に覆われ、周囲は闇に飲まれていた。
嫌な夜だ――そう内心で呟くと、黄泉は神経を研ぎ澄ませた。
なま暖かい風が黄泉の肌をなで上げる。
木々の葉がざわざわと擦れ、おどろおどろしく笑っている。
嫌な気配は霊苑の中央から感じた。
いる、奴だ――黄泉は気配の方にゆっくりと歩きだした。
暫く歩くと、大広間に出た。
黄泉は微かな水の音を感じ、視線を向けた。
端の壁には窓のようなものがあり、上から絶え間無く流れる水が、風で揺らいでいた。まさに水でつくられたカーテンのようだ。
その窓に挟まれるように、しんみりと戦没者を忍ぶ慰霊碑が安置されている。
戦没者の慰霊碑か――この地でどれほどの犠牲者がでたのかは、黄泉は知らない。
恐らく多くの悲しみがここに眠っていることだろう――黄泉はそう思い、瞼を閉じ、静かに黙した。
すると、突如黄泉の背中に冷たいものが突き抜けた。
「来たか田辺、いや――」
言うと、黄泉は身を返した。
厚い雲の隙間から、月光が差し込んだ。
月光が胴着、袴姿の人のシルエットが浮かび上がらせる。
パリパリという乾いた音と共に、シルエットの背後がうごめいた。
「――悪鬼!」
暗がりの中で、田辺の目だけは赤く光り、肉が背後に引っ張られるように形の崩れた口。
そして田辺の背後から現れたのは、鬼の上半身だった。
今度は背中から生えてきたか――黄泉は両手を突き出し、構えた。
黄泉の腕を中心に、強烈な光が放たれた。
周囲が一瞬金色に染まった。
光が納まると、黄泉は太刀を青岸に構えていた。
「見つけた――妖術刀の持ち主」
口を開けたまま、鬼が呟いた。
鬼の声に答えるごとく、田辺は木刀を中段に構えた。
「ゆくぞ、新陰――」
野太い鬼の声が響く。
田辺の背後から野太い腕が横薙に振られた。
「ハッ」
黄泉は下がる。
鬼の腕は空を斬った。
間髪入れず、木刀が黄泉の手に伸びる。
「クッ――」
木刀は黄泉の手に触れる直前、軌道を変えた。
切っ先が黄泉の喉を捕らえる。
黄泉は下がり、突きを逃れる。
続けて迫る頭上からの鬼の爪。
それを横に避ける。
精神と肉体への攻撃に、黄泉の顔は戸惑いの色を隠せない。
鬼の攻撃に集中すれば木刀が、木刀をかわせば鬼の腕が黄泉を追いつめていった。
どうすればいい――その時、黄泉の背中が冷たい壁に触れた。
「終わりだぁぁぁ!」
悪鬼のものとも、田辺の声ともつかない低い声が周囲に響く。
上段からは木刀、横からは鬼の爪が黄泉の体に迫った。
黄泉は受けに備え、太刀を左に構えた。
しかし、振り降ろされた木刀は容赦なく黄泉の頭部に迫る。
右へ――そう思った瞬間だった。
木を打ち合う大きな音が響き渡った。
同時、妖術刀は鬼の爪を受け、粉々に粉砕され、粉雪のように散った。
黄泉は頭上に視線を走らせた。
「祐二!?」
目の前には祐二の背中。
祐二の頭上に掲げられたのは、木刀。
真横に掲げられた祐二の木刀は、田辺の打ち込みを受け止めていた。
「邪魔だ」
鬼の右腕が祐二に迫った。
魂を抉られたら祐二は――黄泉は祐二の前に立ちはだかろうとする。
瞬間、肩に激痛が走った。
田辺の木刀が黄泉の左肩を打っていた。
黄泉の足が止まる。
くそ――内心で吐き捨てたそのときだった。
突然、祐二の体が弾かれるように、大きく横に吹き飛んだ。
鬼の手は、祐二の体を捕らえる事無く空を斬った。
「ぐっは!?」
祐二は肩からコンクリートの床にたたきつけられるように倒れ込んだ。
「民間人は邪魔をしないでくれないか」
「お、お主は――」




