World12-7「Meaningless world」
ポーンはもう、ピクリとも動かない。アンリミテッドの本体はその体内に宿されているコアだ。そのコアを喪失した時点で、もうアンリミテッドは死んだのと変わらない。コアが丸々残っているのなら復活することは十分に可能だが、そのコアを持っているのが永久である以上、もう二度とポーンが蘇ることはないのかも知れない。
真っ赤に濡れた顔で、永久はコアを握りしめたまま呆然と立ち尽くす。このまま怒りのままにコアを砕いても良かったが、完全消滅させられるのは無限破七刀だけだ。半端に破壊すれば、永久と刹那のコアのように欠片となって飛び散ることになる。
「おっ……おとっ……お父さん……」
静寂に包まれた教会の中で、声を上げたのはアリエルだ。恐怖と絶望で今まで何も出来なかったアリエルは、今やっとの思いでヨハンの元へと歩み寄り始めた。
恐る恐る、ゆっくりとアリエルはヨハンへ近づいて行く。そしてそっとその顔に触れて、それが完全に生き物としての温かさを失っていることに気がついて、アリエルはヨハンの胸に抱きついて泣いた。
そんな様子を、永久はただ黙って見つめていた。
今までのように自分のせいだと自責の念を抱くわけでもなく、ただ呆然と見つめている。そんな永久の様子に気がついたのか、アリエルは顔を上げると強く永久を睨みつけた。
「許さない……こんなのっ……絶対許せない! どうして!」
そのままアリエルは感情のままに永久へと掴みかかる。それに対して永久は一切抵抗せず、ただなされるがままにその場へ仰向けに倒れた。
「殺したっ……あなたが! どうして! 私のお父さん! あなた化物なんでしょ! あんなに強いのに、なんで助けられなかったのっ!」
アリエルの金切り声に、永久は答えない。ただ黙って、アリエルの顔を見つめていた。
「返して……! 返してよぉ……私のお父さんっ……なんで、なんで私っ……また一人っ……! どうすればいいのよっ……!」
きっとアリエルには、ヨハンしかいなかったのだろう。ヨハンだけが居場所で、ヨハンだけに寄りかかっていきてきた。
永久にはそれがたまらなく羨ましい。誰かに寄りかかって、依存して生きていられるなんて永久にはあり得なかった。いつだって永久は一人で、ほとんど誰の助けも借りないで戦い続けた。ただ愛されたくて、そこにいることを許されたくて。
けれど彼女は、最初からその存在が肯定されていた。愛されて、許されて、寄りかかることさえ当たり前だった。それがたまらなく羨ましいと永久は感じていた。
でも違う、今はもう、アリエルも永久と同じ一人ぼっちの迷子だ。
「知らないよそんなこと。私にはわからない。自分で考えてよ」
冷たく、突き放すような言葉。アリエルの気持ちを案じる余裕など今の永久には少しもなかった。
「あんたのせいでえええええええええっ!」
次の瞬間、アリエルの細い両手が永久の首を締め上げる。憎しみのままに、アリエルは涙で目を腫らしながら永久の首を絞め続ける。誰かを喜ばせるための、パン生地をこねるための手が、今は誰かを殺すために。
「あんたが来なけりゃよかったのよ! なんできたの! なんで私からお父さんを奪うの! ねえ返して! 返してったら! でなけりゃ殺してやるっ! 殺してやるぅぅぅぅぅぅっ!」
首を絞めれば人は死ぬ。しかしどれだけ絞めても、永久はただ苦しむだけで死にはしない。アリエルは少しずつそれが恐ろしくなって、永久の首からゆっくりと手を離した。
「げほっ……げほっ!」
「あ……あああ……」
ひとしきりむせた後、永久は少しだけアリエルを睨みつける。
返して? 違う。アレはアリエルのものなんかじゃない、永久のものですらなかった。奪っていない、奪えなかった、最初から持ってさえいなかった。
普通の生活も、親からの愛も、何一つ永久は持っていない。返してもらえるなら返して欲しかったが、最初から持っていないものは奪われることさえない。
返してだなんて言えるアリエルが、妬ましかった。
「――――だったら殺してよ! 私を殺して! ねえ、出来ないの!? やってみせてよ! 私だって……私だって……っ!」
もう何もかもぐちゃぐちゃだった。言葉も、感情も、何もかも滅茶苦茶で、結局残ったのはすすり泣く二人の迷子だった。
「何も出来ない癖に! あなたがお父さんに何をしたの!? 寄っかかってただけじゃないの!? 何もしない! 何も出来ない! 私みたいに戦ったことってある!? お父さんを守れたことなんて一度でもあった!? 守られて許されて助けられて救われるだけの子供が!」
もう、溢れ出した感情を抑えようともしない。何も言い返せないまま唖然とするアリエルを、永久は意味もなく睨みつけた。こんなことしたって何にもならない、アリエルを言葉で責め立てたって、傷つけたって、何も意味はない。
そんな教会の中で、不意に空間の裂け目が出現する。すぐにそれに気付いた永久が視線を向けると、そこから現れたのは永久と瓜二つの少女――刹那だった。
「刹……那」
「はぁい永久。あんまり待たせるから私の方からきてあげたわ?」
不意に現れた刹那に、アリエルは警戒心を剥き出しにする。しかし刹那が纏う異様な空気に気圧されたのか、すぐにプルプルとその場で震え始めた。
「どきなさい。今私はとっても機嫌が良いから、邪魔さえしなければ殺さないでおいてあげるわ」
その言葉が、アリエルにとってどれ程恐ろしかったか。刹那の放つ威圧感は尋常ではなく、ただそこにいることだけで恐ろしい。しばらくアリエルは困惑するように視線を泳がせていたが、やがてゆっくりと永久から離れると逃げるように教会を後にした。
そんなアリエルの背中を見つめた後、刹那はゆっくりと永久へ歩み寄る。攻撃するでもなく、今までのように挑発するでもないその行動が理解出来ず、永久はただ刹那の挙動を見守っていた。
「永久……」
小さくそう呟いた次の瞬間、刹那は優しく永久を抱きしめていた。
「えっ……?」
「辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? 私なら、私ならわかる」
「わかるの」
「わかるわ。私だもの」
永久は刹那で、刹那は永久だ。永久のことを刹那より理解出来る人なんていないし、逆もまた然りだ。永久が過去の記憶を取り戻した今、永久にだって刹那の気持ちが少しずつ分かり始めていた。
「あなたは……いえ、私達は最後の最期まであの男に受け入れられなかった……。その意味がわかる?」
刹那はそう問うたが、永久は答えない。しかし刹那は答えを待とうともしないで言葉を続けた。
「親にさえ受け入れられない。親の傍にさえ居場所がない。そんな私達を受け入れてくれる世界なんて、きっとどこにも存在しない。例え世界が無限に広がっていたとしても」
そんなことはない、そう言いたくてもそれはあまりにも願望だった。どこにも居場所がない、誰も受け入れてはくれない、刹那の言葉に反論出来ず、永久は静かに目を伏せた。
「それ、貸して?」
刹那に促されるまま、永久は持っているポーンのコアを刹那へ手渡す。そうするべきでないのは明白だったが、もうそんなことを冷静に考えることさえ今の永久には出来ない。
刹那はコアを受け取ると、そっと地面へ置いた。そしてショートソードを出現させると、素早くその剣でポーンのコアを両断する。
「――っ!」
綺麗に両断されたポーンのコアの片割れを、刹那はそっと永久へ差し出す。
「半分こよ。昔はよくしたじゃない?」
「どうして……?」
「あなたは私と同じになったわ。だから、私の半分はあなた。あなたの半分は私……ね?」
言われるがままにポーンのコアを受け取ると同時に、永久の身体の中へポーンのコアが溶け込んでいく。刹那も同じようにして、ポーンのコアを取り込んでいた。
「ねえ、見せてあげる」
そう言って微笑むと、刹那は立ち上がって永久の手を引く。それに抵抗もしないで連れられて、永久は刹那と共に出現した空間の裂け目の中へと入って行く。
「さあ、見なさい」
刹那の案内する世界に辿り着いた途端、凄まじい爆音が鳴り響く。視界に広がるのは瓦礫の山と何人もの死体、灰色の空。銃声と悲鳴、怒声が鳴り響き、永久が知りもしない言葉が激しく飛び交っていた。
ここは、紛争地帯だ。
「オオオオオオッ!」
雄叫びを上げて敵の中へ特攻していくのは、まだ中学生くらいに見える少年だ。もう既に全てを捨てているのか、ただ銃を乱射しながら敵の中へ突っ込んでいく。そして敵に撃たれながらも、身体を大の字にして飛び込んだ彼は、敵陣の中で大きく爆散する。
恐らく爆弾を持っていたのだろう。元より人間爆弾として彼は敵陣の中へ突っ込んでいったのだ。それをきっかけに更に戦闘は激化していく。それが見ていられなくて、永久が目をそらすと刹那はもう一度永久の手を引く。
「さ、次よ」
次に永久が見せられた世界では、次々に病院へ人が搬送されていた。正体不明の斑点が搬送されてきた全ての人の身体に浮き出ており、悶え苦しみながら死んでいく。治療法は存在しないのか、生きている人間のほとんどがマスクや保護メガネで身を守っていた。
「疫病よ。今のところこの世界に治療法はないわ」
それだけ告げて、刹那は永久を次の世界へ連れて行く。
次の世界で起きている争いは、最初に見た紛争と違い一方的だった。逃げ惑う人々を、見るからに人種の違う男達が一方的に銃で、剣で、虐殺していく。すぐに永久は飛び出そうとしたが、刹那はそれを制止した。
「無駄よ。ここだけ救ったって一緒」
「でも!」
「意味なんてないわ。何も」
次の世界も次の世界も次の世界も、永久は凄惨な光景を見せられた。
ガス室で殺されていく人達、爆風と共に焼かれていく人達……人間だけではない、次元管理局と似たような装備を持った兵達に一方的に傷めつけられる龍やエルフのようなファンタジックな存在達。あるものは憎みながら、あるものはただ悲しみながら、あるものは愛する人の名を叫びながら、それでも死んでいく。
そして乾いた風の吹く砂漠の町で、永久はもう一度音を上げた。
「もうやめて……こんなの見せないでっ……!」
その世界では、まるで骨と皮しかないかのように痩せ細った人々が暮らしていた。誰もが飢えており、小さな子供が道端で倒れるように眠っている。そんな光景を見つめる永久の足元に、プルプルと震えながら小さな少年が這い寄ってくる。
言葉は発さない。ただ助けを求めて、少年は木の枝のように細い腕を永久へ伸ばす。
「いやっ……いや……!」
なんとかしたくてその手を握りしめても、何も出来ない。手を握ったところで、その少年の飢えを満たすことなんて永久には出来ない。
ただ静かに温もりを失っていくその腕を、永久はずっと握りしめたまま涙した。
「ねえ永久? 世界はこんなに悲しいことで溢れてる。幸せなのはほんの一握り、私達なんて恵まれてる方かも知れないわ」
気がつけば、永久は刹那と共に教会へ戻ってきていた。
すすりなく永久に寄り添って、刹那はそっと永久の長い髪を手ですいた。
「意味があると思う?」
刹那は、永久の言葉を待たずにそのまま語を継ぐ。
「きっとないわ。ただ、死ぬだけ。意味も何もないのに、ただ悲しい」
「意味が、ない?」
問い返す永久に、刹那はゆっくりと穏やかに首肯する。
「ないわ。逆にあるの? さっきまで見てきた人達が苦しむ意味、死ぬ意味、私達がいる意味」
永久は言葉を返せない。悲しくて虚しくて、後はただ何もない。意味があるんだと思いたかったし、そう言い返したかったけれど、永久にはそれが出来なかった。
「意味なんて何もないのよ。最初から、なににも、なんにもね。悲しいだけよ」
「悲しい、だけ」
「そうよ。あの男が死ぬ意味はあった? 私達がアンリミテッドである意味は? あの人達はどうして死ななければならなかったの? ましてや子供なんて、ねぇ」
本当に、心底悲しそうに目を伏せて、刹那は首を左右に振った。
「こんなことがずっと続いていくのよ。何の意味もないのに誰かが悲しんで、誰かが死んで。そんなの、辛いだけだわ」
意味があれば救われたのだろうか。意味がないから救われないのだろうか。どちらにせよ、刹那の言う通り全ては続いていくだけだ。苦しいことが、悲しいことが、永遠に、世界のどこかで、どこかの世界で。
「だからね」
そこで一言区切って、刹那はもう一度永久を抱きしめるとその耳元で囁くようにこう言った。
「いっそ壊してしまいましょう。きっとその方が良いわ」