World12-6「限りなく白に近い黒」
頭の中が真っ白になる。思考がまともに続けられなくなった上に真っ直ぐ立つことさえままならなくなって、永久はゆらりと揺らめいた。
ポーンの高笑いも、アリエルの悲鳴もどこか遠い。目の前の光景も何だか遠い気がして、永久はただただ首を左右に振りつづけながら後ずさった。
事態が飲み込めない、飲み込もうとしない。理解った瞬間何もかも瓦解しそうな気がして必死に理解を拒んでも、目の前の現実は微塵も変わらない。
「嘘……嘘、嘘、嘘……嘘嘘嘘嘘……これは夢だ、夢……覚めて……」
「おはようレイナちゃん、もう朝さ」
「覚めてぇっ!」
震えながら蹲って、永久は目を閉じる。開けばきっと夢は覚めて、何もかも嘘で……そう信じたかったのだろうか。否、そんなことはあり得ないとわかった上で現実を直視出来なかったのだ。状況は冷酷なまでにわかりやすく、かつ残酷だ。
「おっきろォォォ!」
すっかり回復したのか、ポーンは永久まで接近すると無理矢理永久の顎を掴み、強引に顔を倒れたヨハンへ向けさせる。それでも頑として目を開けない永久の目を、ポーンは左手で強引にこじ開ける。
「いやっ……いやぁっ!」
「おーーーはーーーーーよーーーーーーーーーあーーーさーーーだーーーよーーーーーーーーッ!! ほら朝だッ! 現実だッ! 最高だッ! 最悪だッ! 残酷だッ! 絶望だァァァァッ!」
「やめてぇぇぇぇぇぇっ!」
「やめねェェェェェェッ!」
まるで子供がいやいやするかのように拒む永久に、ポーンは強引に死を見せつける。
「ほら見ろよ見ろよ! ちゃんと見ろ! 死んだんだぜェ!? 良いか、命ってのは死ぬんだ! 俺ら化物と違って普通の命は死ぬんだッ! オラ見ろッ!」
「やめてっ! もうやめて! 見せないで!」
「やァだねェ! ほーら死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ……」
狂ったように繰り返される言葉が、壊れたラジオのように永久の中で反復される。ただ事実だけを述べ続けるその言葉が、次元監獄での数日間以上に永久の精神を蝕んでいく。今にも狂いそうな状況の中で、永久はポーンへ満足に抵抗も出来ないまま泣きじゃくり続けた。
「死・ん・だ♥ 良いかい? 君のパパは死んだんだ……殺されたんだ、誰に殺されたと思う?」
「あな、あな……たが……っ!」
ギリリと歯を軋ませながら、震える声で永久はそう呟く。そんな永久の声を聞いて、ポーンはまるで魂でも震えたかのように気持ち良さげに身震いした後、永久の鼓膜を貫くかのような大声で高笑いを上げた。
「ちッッッッッッげェェェェよバァァァァァァァカッ! オメエだよオメエ! オメエが殺したンだよこのクソ娘ェェェェェ!」
「違う! 違う違う違う! 私は!」
「お前さっきから『違う』ばっかじゃねーか! 違わねえよオメエだよオメエ! 覚えてンだろォォォ!? パパを切った感触をよォ~~~~~~~~ッ!」
「そんっ……な……!」
ヨハンをショートソードで切り裂いた瞬間が、まざまざと脳裏に蘇る。赤が舞って。父が倒れて、わけがわからなくなって。剣が肉を切り裂いた時の感触が剣を通して手に伝わってきた……それが手の中にじんわりと蘇って、父を殺したんだという事実が感覚でのしかかってくる。重くて重くて、潰れてしまいそうで、既に潰れそうだった心はもうひしゃげてしまっているのかも知れない。
だからだろうか。どこかすっきりしているのは。
「パパはお前が嫌いだったんだ。パパはお前を愛してなかったんだ。じゃあどうする? 殺しちまった方が良いだろォ? お前もよォ……親だと思ってる奴に命狙われンのは辛ェよなァ」
「ち、ちが……ちが……」
「ちが? 血がァ? あァこのくらいなんてこたァねェ、さっき俺がオッサン刻んだ時の方がよっぽど血がやばかったぜ」
「あ……あぁ……あぁ……っ!」
そこで一度間を置いて、ポーンは永久の顎から手を離す。そのまま重力に抗いもせずストンと下を向いた永久の顔を覗き込み、ポーンは永久の視界に笑顔をねじ込んだ。
「なァ? 気持ちよかったろ?」
「えっ……あっ……」
「さっぱりしたんだろ? なァどうだよ?」
違う、そんなハズはない。悲しくて苦しくて、さっぱりなんて気分とは程遠いハズだった。だけどそれなのに、永久はポーンの言葉を否定出来ない。返すことも出来ない。
ヨハンは永久を、レイナを疎んでいた。アンリミテッドでなければとっくの昔に殺されていただろう。
――――私を父と呼ぶな。
何よりも誰よりも冷たい目と、銃口だった。殺意と憎悪ばかりが向けられて、ヨハンは一度だってレイナを娘として見ていなかった。愛して欲しくて、娘として見て欲しくて、ただ微笑んで頭をなでて欲しくて、当たり前のように一緒にいたくて。
叶わない、叶えてくれない。ヨハンはレイナを化物として憎み、人々もまた、レイナを化物として恐れた。
父も誰も、愛してはくれない。それでも健気に頑張り続けたレイナの何が悪かったというのか。ただアンリミテッドだった、本当にただそれだけなのだろうか。
ただ疎まれるだけならいっそ……そう思ったことは何度もある。全て壊してしまった方が楽になるような気はしていた。
期待すればするだけ辛くなる。何をどうしたって手に入らないものは手に入らない。なのに目の前をちらつくから欲しくなる。全部壊して、殺して、諦めてしまえばその方が楽だ。欲しいものが目の前になければ諦められる。
きっとレイナは、父に消えて欲しかった。
「あっ……あ、う……あ……」
永久の目から光が消えて、全身を引きちぎりたくなるような嫌悪感と気持ち悪さが身体の芯から湧き上がる。それはもう止めどなくて、まるで身体の中身が汚水でパンパンになったかのようにさえ感じた。
この手にかけたのは、父だ。
「うっ……おっ……えええええ……っ!!」
たまらなくなってその“汚水”を吐き出す永久を見て、ポーンは更に高々と笑い声を上げる。まるでこの世にこれ以上の娯楽はないとでも言わんばかりに。
血と吐瀉物が入り交じり、悪臭が血の臭いと混じっていく。酷い不快感の中で、永久はただひたすら泣きじゃくった。
「わ、わた、私……わ……は……?」
今まで違うと思っていた。化物だとしても、心は人間だと、刹那のように心まで化物にはならないと。そう、思っていた。
だが今の永久はどうだ、親を、父を殺してすっきりするなどまともな人間の感覚ではない。親と子は愛し合うもので、どちらかがどちらかに消えて欲しいなんて思うハズがない、それが人間だと永久は思っていた。だからこそ、父を愛したし、愛して欲しかった。
しかし心のどこかで永久は父を憎んでいたのかも知れない。愛してくれない父を、自分を憎む父を。
「化物だ……私は……化物……」
「ああ、知ってたよォ。これからよろしくな」
ポーンがそう言った瞬間だった。永久の身体は一瞬で真っ黒なオーラに包み込まれ、今までとは比べ物にならない程の憎悪と殺気が放たれた。
「……なた、が……あなたみたいなのが、いる、から……」
「あァン?」
くぐもった声で呟かれた永久の声を、ポーンはハッキリと聞き取ることが出来なかった。顔をしかめてポーンが耳をすますと、今度はハッキリと聞こえる声で永久は言葉を吐いた。
「あなた達が……私達がいるから……っ!」
次の瞬間、ポーンは本能的に逃げの姿勢を取った。すぐさま別の次元へ逃げ出そうとして空間に切れ目を発生させたものの、その中にポーンが飛び込むよりも永久がポーンへ急接近する方が早い。
「――――ッッ!?」
この時、ポーンは永久を嘲笑うのに夢中で今まで逃げなかったことを心底悔やんだ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
絶叫と共に、飛ぶような速さで接近した永久はポーンの顔面を右手で掴み、壁まで移動するとそのまま乱暴に壁へポーンの頭を叩き込む。
「がッ……あッッ……!?」
抵抗するように、否、助けを求めるように両手を伸ばすポーンだったが、永久は容赦なくもう一度ポーンの頭を壁に叩き込む。
「しねっ! しねっ! はやくしねっ!」
そのまま何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も永久はポーンの頭を壁へ叩きつける。
「やッ……めェッ……」
「ああああああああああああっ!」
ポーンの声をかき消すような絶叫と共に、もう一度ポーンの頭が壁へ叩きつけられる。それと同時に壁が崩れ、その勢いでポーンの身体は外へ放り出されてしまう。
ポーンが少しだけ安堵したのも束の間、永久はすぐさまもう一度ポーンの頭を掴むと、そのまま無理矢理教会の中へもう一度ポーンを放り込む。
凄まじい勢いで放り投げられたポーンはそのまま反対側の壁に叩きつけられる。のたうつポーンが次に見たのは、黒いオーラをまとった大剣を片手で振り上げ、ポーンへ接近する永久の姿だった。
「あッ……ああ……ッ! あァァァァァ!?」
ポーンの絶叫など気に留めようともしない。永久はポーンの数メートル手前までくるとそのまま大剣を振り下ろし、ドス黒い衝撃波をポーンへ直接ぶち込んだ。
後ろの壁は崩壊したものの、ポーンはまだ生きている。数メートル手前からゆっくりと歩み寄ってくる永久を睨みつけ、ポーンは両手に短刀を出現させたが右腕がうまく上がらない。先程までの衝撃でどこかイカれたのだろうか。
ポーンとてアンリミテッド、このままやられっ放しで納得出来るわけがない。素早く立ち上がると同時に左腕を振り上げ、今の自分が出せる最速のスピードで永久へ飛びかかる。
しかし、永久はポーンの短刀を身体をひねって回避した後、右肘と膝でポーンの左腕を勢い良く挟み込んだ。
「がァァァァァァッ!」
腕があり得ない方向にひしゃげる。まるで折れた鉄パイプみたいな左腕は、激痛だけをポーンの脳へ伝えた。
「しね」
激痛を味わう暇もなく、永久の左拳がポーンの顔面へ叩き込まれる。吹っ飛んで倒れたポーンへ素早くまたがると、永久は凄まじい形相で再びポーンの顔面へ拳を叩き込んだ。
「しねっ……しねぇ! 死んじゃえ……死んでしまええええええええっ!」
ポーンの血で顔を真っ赤に染めながら、永久は狂ったようにポーンを殴り続ける。遠くで怯えたアリエルの声が聞こえた気がしたか、永久はそれを無視し続けた。
そうしてしばらく殴り続けた後、永久は唐突にその右手を開く。その瞬間、次に何をされるのか理解したポーンは小さく悲鳴を上げた。
「や、やめ――――」
原型も留めぬ程にぐちゃぐちゃになったポーンの顔はあまりにも凄惨で、人間なら生きていること自体あり得ないような状態だった。どこか泣き叫ぶようなポーンの声を無視したまま、永久は爪を立てた右手でポーンの胸をぶち抜いた。
「ああああああああああああああァァァァァァッッ!」
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!」
二つの絶叫が入り混じって教会にこだまする。ポーンの胸から引き抜かれた永久の手に握られていたのは、右手一つで収まるくらいの透き通った球体――アンリミテッドポーンのコアだった。