World12-4「愛が呼ぶ憎悪」
ややヒステリックに怒りを露わにするアリエルをどうにか落ち着かせ、永久とアリエルはパン屋の中へ戻っていた。すっかりアリエルは永久に不信感を抱いてしまったようで、永久を刺す睨むような視線が痛い。
当然だ。アリエルにとっての平穏を、父親を奪うきっかけとなったのは永久なのだから。
永久がこの世界を訪れなければポーンは現れなかったし、何よりヨハンがああして取り乱すこともなかった。
世界の害。かつて向けられた言葉が遅効性の毒のように永久を蝕んでいるような気がした。
「……あの」
沈黙に耐えられずに永久が声をかけると、アリエルは返事こそしなかったものの拒否はしなかった。
「おと……ヨハンさんのこと……。私のせいで、ごめんなさい……」
「……謝ったらお父さんは帰ってくるの?」
「…………ごめんなさい」
答えにくそうに永久がうつむきがちにそう言うと、アリエルは勢い良く机を叩くと永久の目の前まで歩いてくる。
「あなたのごめんなさいは聞き飽きた! 一体何なの!? 何も説明しないで、ただ私達のこと巻き込んで……意味がわからない! 大体、お父さんとあなたが何の関係があるっていうの!?」
「あの人は……私の、父親だから……」
永久がその言葉を口にした瞬間、アリエルの顔色が変わる。目を剥いて永久を睨みつけ、アリエルは首を左右に振った。
「違う。私のお父さん、私の……! たった一人の家族だから……!」
「……そうだとしても、私にとっても、あの人は……」
「そんなわけない! お父さん言ってたわ! 娘はお前だけだって、あなたは娘なんかじゃないって! だから私の! 私のお父さん! あなたのじゃ……ない」
――――私を父と呼ぶな。
いつだってそうだった。ヨハンは永久を、レイナを認めない。一度だって娘として扱ってくれたことはなかった。
当然なのかも知れない。事実、永久にヨハンの血など流れていないのだから。
「私聞いたわ……あなたはキングって人の娘だって。だから違う、お父さんは私のお父さん、あなたのじゃないわ!」
カタカタと身体が震える。アリエルの言葉はどうしようもなく真実で、永久の信じたくなかった、思い出したくなかった現実を厭というほどわからせてしまう。
否定したかった。アリエルの言葉を否定して、私はヨハンの娘だと言うことは簡単だったが、それは真っ赤な嘘だ。それでも永久はずっと父親がヨハンだと信じて来たし、だからこそキングのことはどのアンリミテッドよりも憎かった。
「私、私……は……」
言葉の続きが紡げない。嘘も吐けず、真実を受け入れることも出来ないで言葉も想いも淀み続ける。
そんな永久の様子に痺れを切らしたのか、アリエルは永久から視線を外すと足早にパン屋から出ようとする。
「もういい。私行くわ、お父さんを助けに」
「ま、待って!」
出ようとするアリエルの手を掴み、永久は泣きそうになりながら重い腰を上げる。
「私も……行く、行くから……! それに、私がいないと……ポーンの居場所、わからないから……!」
アンリミテッドの位置をある程度でも特定出来るのは、同じアンリミテッド同士だけだ。今までの永久はコアが不完全だったせいでうまく探知することが出来なかったが、もうかなり欠片が集まってきているおかげかもうポーンの位置は集中すればある程度特定出来る自信がある。
「勝手にして」
アリエルは鬱陶しそうに永久の手を振り払うと、すぐにパン屋の外に出て行く。その背中を追いかけるようにして永久もパン屋を後にした。
ポーンの位置をある程度特定出来るとわかっていながら、永久はすぐには動かなかった。動きたくなかった。もう一度会えば、またヨハンに拒絶される。それが恐ろしくて仕方がなかった。
親は子にとって居場所を保証してくれる存在だ。他の誰よりも、親こそが子の居場所を保証してくれる、いつだって受け入れてくれる。
なら、受け入れられなかった子はどうなってしまうのだろうか。
きっと永久は、誰よりも迷子だったのかも知れない。
ヨハンとアリエルの住んでいるパン屋からはある程度距離の離れた場所に、その教会はあった。礼拝堂にはほとんど人気がなく、内装こそ綺麗なものの最早廃墟のような雰囲気を醸し出している。
その礼拝堂の最奥、飾られているマリア像の真下にヨハンは縛り付けられていた。
「あァ~~~……やっぱ何回試してもあんましうまくねェな……」
言いつつ、ヨハンの傍でうずくまっていた男――アンリミテッドポーンは立ち上がってヨハンの元へ歩み寄る。
「……狂っている……!」
「ぺっ! 言われ飽きたぜ、そんな台詞はよ」
ポーンが吐き出したのは、人間の指だった。
まだ新しい、ついさっきまで生きていた人間の指だろう。
「昔から変わらんな……イカれた言動も、息を吸うように繰り返す殺人も!」
「お、わかってンじゃねえの。そうよ息よ呼吸よ酸素補給よ。こうしなきゃ俺は生きられねェンだよなァ」
そう言ってポーンが雑に蹴飛ばしたのは、人間の足だ。そこに転がっているのは、ポーンによって適当に刻まれた一人の男の死体だった。その見るも無残な姿からは身元すら特定出来なさそうだが、彼はこの教会の神父である。
ポーンはこの教会で永久を待つことに決めた途端、中に入り込むと瞬く間に中にいた人間を皆殺しにしてしまったのだ。
「そんな俺のことをよくわかってくれるヨハンくん! ちょっと昔話でもしようぜ、なぁ?」
「何度も言わせるな。貴様と話すことなど何一つない」
「つーれね」
「キングと同じ、アンリミテッドの貴様には必ずいつか天罰が下るだろう。精々その時を待っているんだな」
「キングキングと、テメエはキングに親でも殺されて……あァ」
そこで、ポーンははたと何かに気づいたような顔を見せた後ニヤリと笑みを浮かべる。
「当然かァ。嫁さん寝取られりゃあなァ?」
その瞬間、ヨハンの目の色が変わる。凄まじい形相でポーンを睨みつけながら、ヨハンは自身を縛る縄を引きちぎらんばかりに暴れ始めた。
「根ェに持ってンなァ~~~~~~!? まあそりゃそうかァ!」
「殺してやる……! 殺してやるぞアンリミテッドポーン!」
「最高だったぜ、あン時の顔ときたら」
「ポォォォォォォォォンッ!」
「目の前で嫁さん奪われてなァ、なーんも出来ねェで這いつくばってんの」
燃え盛る町の中、泣き叫ぶヨハンと豪炎を背にヨハンの妻を……マリアを担いで歩いて行く黒い鎧。ヨハンは今でもあの光景を鮮明に思い出す。全てが狂い、全てが奪われたあの日をだ。
妻を、平穏を、普通の人生を、一度に奪われることになったきっかけを。
「しっかしキングもまあ酔狂な奴よ。アレだけ王様しておきながらあーんな平凡な女に一目惚れたァな」
「許さん……許さんぞポーン……! 根絶やしにしてやる……貴様らアンリミテッドだけは滅ぼしてやるッ!」
「なぁどんな気持ちだったよ? 愛する嫁さんが略奪されてよォ……他人のガキを孕んだ挙句出産した気分ってェのは!」
「それ以上喋るなッ! ポォォォォォォォォォォォォンッ!」
キングによって略奪されたマリアは、どうにかキングの隙をついてヨハンの元へ逃げ帰ったものの、その身体にキングの子を宿していた。どういった経緯でそうなったかはわからなかったが、考えただけでヨハンは腸が煮えくり返るかのような思いだった。
アンリミテッドであるキングとの混血、そもそもまともに子供が生まれるかどうかすらわからなかったが、あの時マリアはお腹をさすって優しく笑ったのだ。
「産みます、この子には罪はありませんから」
あの時の笑顔が、ヨハンの脳裏に焼き付いて離れない。一体何を思ったのか想像することすら出来ない。奪われ、辱められ、それでも子に罪はないと笑った彼女の気持ちを、ヨハンは最後までわかってやることが出来なかった。
そうして生まれたのが――レイナだ。
マリアはレイナを、我が子を愛した。ヨハンとの子ではないとわかっていながら、憎きキングの娘であるとわかっていながら、それでもなお彼女はレイナを愛していた。
しかし人智を超えた存在であるアンリミテッドの子だ。それを普通の人間の母胎が孕んで、産んで、無事であるハズがない。
レイナを産んで間もなくして……マリアはこの世を去った。
「おうおう今にも血涙でも流しそうな顔しちゃってよォ……相変わらずたまらんぜェ、お前は」
「死ねェ……死ねェ……死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺して殺して殺し殺し殺し殺し殺してやる殺してやる殺してやるァァァァァァァッッ!!」
「うるっせェんだボケが!」
疎ましそうにヨハンの顔を蹴りつけるポーンだったが、それでもヨハンはもがくのをやめない。目の前にいるポーンを、どこかでのうのうと生きているキングを、殺したくて殺したくて居ても立ってもいられなかった。
「いーだろ別に誰のガキでもよォ。愛してやれよカワイソーだろォ?」
愛せるものか。
「レイナちゃんはいつも寂しそうだったぜ? なぁんでパパはあたしのこと愛してくれないのぉって」
愛せるものか。
「キングの娘だッ! アンリミテッドだッ! 化物だッ! アレが生まれなければマリアは……マリアはァッ!」
「マリアがどうした? 生きてたってかァ?」
愛することが出来なかった。マリアが愛したように、レイナを愛することがヨハンには出来なかった。アンリミテッドを、化物を、キングを憎み続けるヨハンには。
「女々しい男よ。過去の女にいつまですがるってンだァ」
「だァまれェェェェェェェェェェェェェェェッッッ!」
ヨハンの絶叫が教会中に響くと同時に、礼拝堂のドアが勢い良く開かれる。
「おっ?」
現れたのは永久だった。その後ろには泣きそうな顔でヨハンを見つめるアリエルの姿もある。
「お父さんっ!」
「アリエルッ! 来るな!」
今にもヨハンの元へ駆け寄ろうとするアリエルを制止し、永久はゆっくりと祭壇へ近づいていく。
「来たぜ、愛娘が」
「……アンリミテッドポーンっ!」
叫ぶと同時に、永久はショートソードを出現させてポーンへと駆け出していた。