World11-3「女王の騎士」
「はい、今日の検査は終わり。異常はなかったけど、あまり無理しないようにね」
「……はい、ありがとうございます」
検査衣姿で淡白にそう答え、椅子から立ち上がって一礼すると、下美奈子は静かに医務室を出てロッカールームへと向かう。
月に一度の検診だが、特に異常が出たことはない。下美奈子は至って健康である。そもそも美奈子自身はこの定期検診に必要性を感じていなかった。
「あら、あらあら定期健診からお帰り? 大丈夫? 異常は出なかった?」
廊下で前方に立ちはだかり、くすくす笑いながら美奈子の顔を覗き込んだのは坂崎刹那だ。相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる彼女に、美奈子はわかりやすく不快感を示す。
「ええ、問題ありません。それよりどいてもらえませんか」
「冷たいのね、今約束の時間まで退屈してるから……少し付き合ってくれない?」
「生憎ですがあなたに構っている暇はありません」
「改造人間は心も改造されて冷たいの?」
刹那がそう言った瞬間、美奈子は強く刹那を睨みつける。それに対して刹那はどこ吹く風といった様子で、まるで美奈子の怒りを気に留めようとしていない。
「怒るのね」
「どこまで私を小馬鹿にすれば気がすむのですか。坂崎刹那、ハッキリ言ってあなたは不快です」
嫌悪感を露わにする美奈子だったが、それでも刹那はくすくすと笑い続けている。
「良いわねぇ。人間ごっこは……私もお姉ちゃんとよくやったわぁ」
お姉ちゃんとは永久のことだろうか。わざとらしく強調しながら口にするその言葉からは、どこか自嘲めいたものが感じられる。
「どんな気持ち? 人間だったハズなのに化け物になっちゃった気持ちって」
「不快だと伝えたハズです。これ以上あなたと話すことは何もない」
「リアクションがつまらないわ。相変わらず面白くないのねぇ」
努めて平静を装っていた美奈子だったが、ついに業を煮やしたのか刹那を無視するようにしてその場を後にする。その後ろ姿を、刹那はジッと見つめるだけで声をかけたり追いかけたりしようとはしなかった。
改造人間イスカリオテ。それが次元管理局によって作られた改造人間の総称である。
当然倫理的に大きな問題があり、改造に失敗したことで廃人になった者や死者が現れたため、イスカリオテ計画はすぐに中止された。そのイスカリオテ計画の、最初で最後の成功作が下美奈子だ。
美奈子はロッカールームで着替えながら、己の右腕に刻まれた番号をそっと左手で撫でる。この消えない番号は、美奈子が改造人間である証だった。
祖母の悲願を叶えるため、ただそれだけのために生きてきた。力を欲するのは当然のことだったし、美奈子は進んでイスカリオテとしての改造手術を受けた。
しかしそれでも、坂崎刹那の言葉に怒りを覚えてしまったということは、美奈子の中に「人でありたい」という願いが少なからず存在するということだ。アンリミテッドを殺すために生き、そのためなら人であることさえも捨てようとしていたというのに。
それに今は、どうすれば良いのかわからない。今まで祖母の言葉を信じ続けて、アンリミテッドを殺すために生きてきた美奈子だったが、今はその祖母の言葉に反感を覚えている。
坂崎永久は、殺すべきアンリミテッドなどではない。美奈子が今まで見てきた彼女は比較的善良で、決して自分の欲望や衝動のためだけに力を振るうような存在ではない。美奈子だって祖母を信じたかったが、それ以上に坂崎永久を信じたいと思ってしまっている。
昔の美奈子なら、祖母の言うままに永久を敵だと認識出来たハズだった。
「……私は、どうすれば……」
吐き漏らされた言葉は、どこにも届かずに床へ落ちていった。
鏡子が次元監獄への門を開く準備をしている間、英輔とブレットはベッドに座り込んで話していた。由愛は少し疲れてしまったのか眠っており、プチ鏡子は鏡子との接続が切れて動かなくなってしまっている。
ブレットは、由愛とはあまり相性が良いとは言い難かったか英輔とはすぐに馴染み、最初は警戒しがちだった英輔ももうすっかり安心したのか、これまでの旅のことや永久のことを自分から話すようになっていた。
「そういや、ブレットの会いたい人って誰なんだ?」
そう英輔が問うと、今まで笑っていたブレットが一瞬だけ切なげな表情を見せる。
「あ、いや、話したくなかったら無理にはいいよ、悪い」
「あーいや、気にすんな。そういうわけじゃねえ」
そう言いつつ、ブレットが取り出したのは小さなロケットペンダントだ。ブレットはそっとロケットペンダントを開けると、中の写真を英輔へ見せる。
写真に写っているのは、若い女性と高校生くらいの少年だ。もう随分と昔の写真なのか、どこか色あせて見える。
「もしかしてそれって……」
「おう、俺だよ。時間ってのはロックだ……こんなガキだった俺もこんなんなっちまう」
ブレットは笑いながら自分を指さした後、そのまま言葉を続ける。
「この人ァな、初恋の人さ。付き合ってたこともある。もっと後の写真もあるんだけどよ……やっぱりこの時が一番幸せだった」
懐かしそうに目を細めて、ブレットは写真を指で撫でる。その写真から何年経っているのか英輔には想像も出来ないが、きっともう遠い昔のことなのだろう。
「その人が次元管理局にいるのか?」
「……まあ、そんなところだ。べっぴんさんだろう? 今じゃもうババアだろうよ」
わざとらしく豪快に笑って見せながら、ブレットはロケットペンダントを閉じるとそっとポケットにしまい込む。英輔には気にするなと言ったものの、やはりそれ程長く話していたい話でもないらしい。
「っつーことはその人とは結婚しなかったってことだよな? ブレットって奥さんとか――」
英輔が言葉を言いかけた途端、ブレットは顔をしかめる。慌てて英輔が口をつぐんだ時には既に遅く、ブレットは少しだけ睨むような視線を英輔へ向けた。
「お前もいつかこうなる」
「ちょっと待てどういう意味だオイ!」
そんなやり取りをしている内に準備が整ったらしく、倒れた状態だったプチ鏡子が身体を起こす。
「……準備は出来たから、そちらの準備が出来次第、門は解放するわ」
「お、仕事がはええな、助かるぜ」
「おいふざけんなブレット! ちゃんと答えろ! おいってば!」
結局最後まで、ブレットは英輔の言葉には取り合おうとしなかった。
次元管理局の管理する次元監獄は、次元管理局とは別の世界に存在する。しかし入り口自体は局と直接繋がっているため、次元監獄の入り口にあたる部分は世界と世界の境界に位置している。世界として非常に不安定なその境界は、正確な座標を割り出すことがほぼ不可能に近いため、時限歪曲システムでそこに直接辿り着くことはほぼ不可能だ。そのため、基本的には次元監獄へ足を踏み入れるためには正規の手順で次元管理局本部から入る必要がある。
ただし、例外を除いて。
その男は、頭以外を薄い装甲の甲冑で覆っている。細い身体つきをしており、肩まで伸びた金髪もあいまって遠目に見れば女性のようにも見えるくらいには顔立ちも美しい。しかしその甲冑姿はこの場に不釣り合いだったし、男の美しさもあいまってかなり浮いて見える。
次元監獄への門を守るようにして、三人の警備兵達が男へ銃を構えている。三つの銃口を同時に向けられているというのに、男はそれ程動じる様子を見せなかった。
「お引取り願おう、これより先へは通せない」
警備兵の言葉は所詮建前だ。仮に男が素直に応じたとしても、この境界へ直接侵入出来るような者を生かして帰すハズがない。それがわかっているためか、男はクスリと笑みをこぼした。
「争うつもりはない。出来れば銃をおろしてくれないだろうか」
男の言葉に、警備兵達は応じない。どこか怯えるかのような様子で、銃を構えたままだった。
静かに、男が剣を抜く。緊迫感が一瞬にして高まり、警備兵達が肩を強張らせる。彼らとてこの次元監獄への入り口の警備を任されている歴戦の戦士だ。数えきれない程の修羅場をくぐり抜け、日々のたゆまぬ鍛錬によって己を高め続けてきた管理局のエリート達である。しかしそれでも、剣を抜いたこの男の威圧感には思わず恐れおののいてしまう。それ程までに男が放つオーラは異常だった。
「もう一度だけ言う、銃をおろしてくれないだろうか」
当然、警備兵達は男の要求には応じなかった。
この門を守るのが彼らの仕事であり、使命だ。セキュリティで門がロックされているとは言え、こんな規格外のオーラを放つ男を簡単に門に近づけるわけにはいかない。
先に動いたのは警備兵達だ。一斉に銃口から弾丸が放たれる。
魔弾アンチ・インフィニティ。対超常用に次元管理局が開発した最新鋭の弾丸で、その一撃はアンリミテッドクラスの超常をも蝕む。過去に美奈子が刹那に対して使用したものの改良型であるため、その威力も格段に上がっている。
しかしその魔弾を、男は放たれてから回避した。
「――ッ!?」
そこからは一瞬だ。男はすさまじい速度で警備兵達へ詰め寄ると、その全員の銃身を剣で切り裂く。音を立てて銃の残骸が地面に落ちる頃には、男は警備兵達の背後で一息ついていた。
「少しだけ静かにしておいてくれ」
そう呟いて、男は警備兵達を背後から剣の柄で気絶させると、ゆっくりと門へと近寄っていく。
巨大な、機械的な門だ。右端に操作パネルのようなものついているが、男はそれに見向きもしないで門へ近寄ると、静かに剣を構えた。
「――――ハッ!」
強く息を吐き、男は何度か門に対して剣を振り抜く。すると、本来ならあり得ない程の切れ味をもってして巨大な門は切り裂かれ、人が一人通れる程のスペースが完成してしまう。
「女王陛下、もうしばらくお待ち下さい。この騎士が向かいます」
そう言って男――アンリミテッドナイトは、悠々と次元監獄の中へと入り込んで行った。