World10-9「今と未来」
「か、篝……!」
血を流しながら倒れ伏しても尚、十郎は篝の身ばかり案じていた。なんとか立ち上がろうともがきながら十郎は必死に篝へ手を伸ばしたが、そんな十郎の手を艶羅は容赦なく踏みつける。
「ウザ」
「篝ッ……!」
「老いぼれはちゃんと倒れてて欲しいんだケド」
なぶるように十郎の足を踏みつけ続ける艶羅に、先程までの嘲るような様子はない。既に十郎には興味を失ってしまっているらしく、大して面白くもなさそうに冷めた表情を向けていた。
「や、やめて……!」
「嫌ァよ。止めたきゃ自分で止めれば? 一人じゃ何にも出来ない、落ちこぼれ退魔師の篝ちゃんが自分でやってみたらぁ?」
「こ、この……っ!」
強く艶羅を睨みつけ、篝は勢い良く艶羅へ殴りかかったが、その右手は艶羅の手に軽々と止められてしまう。
「やる気あんの?」
「ぐ、うぅ……っ」
ギリギリと、篝の腕が折れんばかりに艶羅は篝の腕を捻り上げる。
「で、何? こんなんで十羅と渡り合おうと思ってたワケ? 退魔師というか道化師ね」
道化。艶羅の言う通りかも知れない。
艶羅の筋書き通りに踊らされ、坂崎神社全体を危険に陥れ、父を傷つけた挙句宝物庫の中の宝具まで奪われる始末だ。これを道化と言わずして何と言うのか。
父に認めて欲しかった。艶羅を逆に利用し、宝具の力で見事に艶羅を滅せば、父が認めてくれるのではないかと、姉の刻のようになれるのではないかと、そんな夢ばかり見ていた。
考えれば考える程情けなくて、思わず篝はまた涙を流した。あの錆刀は、坂崎家に古くから伝わる宝刀だ。何故あのように錆びた姿をしているのかはわからないが、父の話を思い返せばあの刀は代々坂崎家の当主が扱う刀だ。父があの刀を振るわないのは、刀よりも弓矢の扱いに長けているからに過ぎないのだろう。刻には、篝よりももっと幼い頃からあの刀を与えられることが約束されていた。刻の死後、次期当主となった篝にあの宝刀が与えられなかったのは、やはり篝の実力不足が理由だろうか。そう考えるとやっぱり悔しくて、篝は強く歯噛みする。
「あーかわいそ。誰にも認められないまま死んじゃえば?」
クスリと冷えた笑みをこぼし、艶羅が左手の刀を篝の首筋に向けた――その時だった。
「おおおおおおォォォッ!」
「――っ!?」
雄叫びと共に、先程まで倒れていた十郎が勢い良く艶羅の身体に突進する。突然のことに対応出来ず艶羅が刀を取り落としながらふらついた瞬間に、篝は艶羅から逃れて刀を拾い上げた。
「この死にぞこないっ!」
その美しい顔を激情に歪め、艶羅は十郎の頭を掴むとその手から蒼い炎を発した。
「あァァァァァッ!」
「死ねよ」
顔を焼かれて絶叫する十郎に、艶羅は冷たく言い放つ。
「お父さんっ!」
しかしそんな光景を篝が見過ごすハズがない。錆刀を振り上げて篝は素早く艶羅の右手へと振り下ろす。
「うるっせえよ小娘っ!」
艶羅はすぐさま十郎から手を離して蹴り飛ばすと、向かってきた篝の腹部に左拳を叩き込む。
「うぐっ……!」
怯んだ篝の顔面へ、篝は右足で前蹴りを入れて吹っ飛ばし、ゆっくりと篝へと歩み寄って行く。
「なめてんじゃねえわよ小娘っ! 土手っ腹ぶち抜いて臓物ぶちまけられてぇか!」
蹴り飛ばされて仰向けに倒れた篝だったが、その目から闘志は消えていない。
「か、篝……」
そんな篝の傍に、身体をひきずりながら近寄ってきたのは十郎だった。顔の節々を火傷してはいるものの、それ程無残な顔にはなっていない。早急に治療が必要ではあるが、どちらかというと火傷よりも刺し傷の方が問題なくらいだ。
「よく聞きなさい……。その刀、無双刀乱月は、ただの錆刀ではない」
「無双刀……乱月?」
「かつて数多の妖魔を切り伏せた宝刀だ……。乱月は使い手を選ぶ。その錆びた姿は……本来の姿ではない」
となるとやはり、篝が手にしても姿が変わらないのは篝が乱月の使い手として相応しくないためだろう。
「だ、だったら……お父さんが使えば、良いじゃない……。私には……」
どこかすねたような様子でそう言った篝だったが、それに対して十郎は小さくかぶりを振った。
「私は、乱月には選ばれなかった」
「――っ!」
「しかしな、篝……お前なら選ばれるハズだ」
「……嘘! そんなの嘘でしょ……! 私なんて落ちこぼれで、刻姉にも絶対叶わないし、お父さんだって、私なんかより刻姉が生きてた方が良かった、それならこんなことにはならなかったって、思ってるんでしょ!」
思わず感情を吐露してしまい、言い切ってから篝はハッと我に返る。今までずっと言わなかった本音を思わずこんな形で十郎に明かしてしまうことになってしまうとは、篝自身も思っていなかった。
怒鳴られる、そう思って怯えた篝だったが、十郎の反応は篝の予想に反していた。
どこか寂しそうに目を伏せ、十郎はそっと篝の頭の上に手を置いた。
「篝、私はお前を刻より劣っていると思ったことは一度もない」
「えっ……」
思いもよらない父の言葉に、どうしていいのかわからない。ただポカンと口を開けたまま、呆然と十郎を見つめることしか出来なかった。
「いつまでもくっちゃべってんじゃねえわよボケっ!」
艶羅は怒声と共に蒼い炎を二人に目掛けて放ったが、十郎は咄嗟に篝を庇いながら回避する。
「お前が弱いのは、いつまでも刻と比べるばかりで自分を信じないからだ。お前にはきっと、刻を越えられる程のポテンシャルがあるハズだ」
「そ、そんなのわかんない……わかんないよ……! どうしてそんなこと言えるの? 私、刻姉よりずっとずっと才能がないんだよ……?」
泣き出しそうな顔でそう言った篝を十郎は優しく抱きしめると、その頭を優しくなでた。
そういえばもう、長いこと感じていなかった気がする。十郎の、父の温かみを。
本当はあの時永久が十郎に抱きついたのを見て、篝は羨ましいと思っていた。本当は篝だって父に抱きしめて欲しかった、こうして頭をなでて欲しかった。もう年齢も年齢だし、刻と比べて劣っている自分なんて、甘えさせてもらえないんだと、ずっとそう思っていた。
でも今は、その父が篝を抱きしめていた。
しかし次の瞬間、艶羅の放った蒼い炎が篝達の方へ飛来する。
「お前が私の、娘だからだ」
「お、お父……さん……っ」
艶羅の炎に背を焼かれながら、篝を庇うようにして十郎は篝を抱きしめていた。
「信じている。乱月は必ず、篝を……選ぶ……」
蒼い炎が消えると同時に十郎は篝を放し、そのまま地面に倒れ込んで行く。艶羅の炎はあまり持続力がないのだろう。十郎が焼き尽くされるようなことはなく、かなりの重症ではあるもののまだ息はあるようだ。
それを確認して少しだけ安堵した後、篝はゆっくりと立ち上がって艶羅を睨みつける。もうその目に、涙はない。
「パパにおんぶに抱っこで恥ずかしくない? そんなんでよく生きていけるわね」
「黙って。私は絶対に、あなたを許さない」
手にしていた錆刀――乱月が、薄く光を放ち始めていた。
先程多少巻き返しはしたものの、戦いが長引けば長引く程永久は劣勢となっていった。ルークの圧倒的なパワーを前に、永久は次第に押し負けていく。
「っ……!」
そしてついに、ルークの大剣を防いでいた刀がルークのパワーに耐え切れずその場で音を立てて折れてしまう。
「先日の力を使え。さもなくばここで朽ち果てるぞクイーン」
「この……っ!」
瞬時に甲冑姿へ変化し大剣をルーク目掛けて薙ぐ永久だったが、その大剣はルークの大剣によっていとも容易く防がれる。
「先日の貴公から感じた憎悪、悲しみ、破壊衝動、それらこそその腕輪を目覚めさせる鍵であろう。見せよ、感情の奔流を、貴公の負を」
言葉と共にルークが大剣を力強く薙ぎ、その衝撃で永久は大剣ごとふっ飛ばされてしまう。これまでのダメージや疲労の蓄積もあってか、地面に倒れた頃には永久の姿はいつものセーラー服姿へと戻ってしまっていた。
「何から壊せば良い? あそこにいる小娘か、正中で戦っている友人か、それとも――」
ルークの表情は変わらない、ただ淡々と言葉を発していく。刹那やポーン、ビショップのような悪意や嘲笑はそこにはない。まるで作業か何かのように、無感情のままルークは言葉を発した。
「この世界そのものを破壊して見せれば良いか?」
ルークのその言葉に、永久の瞼がピクリと動く。ゆっくりと立ち上がり、永久はルークを睨みつけた。
「そんなことはさせない……絶対に……!」
「今のままでは止められぬ」
「うるさい……止まるまで傷めつけてやるわ……」
瞬間、永久の周囲を黒いオーラが漂い始める。今までとは一転して雰囲気が変わり、永久の全身を禍々しい空気が包む。
「――永久! やめなさい、永久!」
プチ鏡子の言葉は永久には届かない。ルークに対する憎悪が、怒りが、永久の全てを飲み込んで行く。その感情に呼応するかのように身に付けている腕輪もまた、禍々しい光を放つ。そのドス黒い光が永久を包み込み、永久の黒いオーラを更に増幅させた。
「それで良い。負の感情の奔流こそ、貴公の真の姿だ。坂崎刹那がそうであるように……。貴公を突き動かすのはやはり憎悪か」
もう、何も考えられない。ただただ目の前のルークが憎くて憎くてしょうがない。今すぐにでも首根っこを捕まえて締めあげたい程に憎しみだけが募る。この世の全てが憎らしくて、我が身に振りかかる理不尽全てを憎悪する。他の誰かを殺したい程に憎く思うのは、本当に久しぶりであるように永久は思う。
そう、久しぶりなのだ。
きっと永久は昔から、誰かを憎んで戦っていたのだと思う。何があったのかまでは思い出せないが、どうしようもなく何かが憎くて戦っていた。それがアンリミテッドのことなのか、他の何かを憎んでのことなのか、今はわからない。けれど、失われた記憶の中に激しい憎悪の感情が存在することだけは、今の永久にもハッキリと理解出来る。
「……そうよ、その通りよ。私の過去は憎悪……だから何だってのよ!」
握りしめた永久の拳に、黒いオーラが集中する。殺意と憎悪で握りしめられた拳は、自身の手のひらさえも締め付ける。誰かに差し伸べていたハズの手のひらが、今は殺意で締め付けられていた。
「……永久、例えどんなものだとしても、過去に囚われてはダメ……!」
「小うるさいのよ! アンタに何がわかるの……!」
ポケットから顔を覗かせたプチ鏡子を睨みつけ、永久は怒号を飛ばす。しかしそれでも、プチ鏡子はまっすぐに永久を見つめていた。
「過去はわからないわ。でもね、あなたの“今”がそうじゃないことはわかるわ。あなたの“今”と“未来”は、憎しみなんかじゃないハズよ」
――――今のアンタには、今のアンタの“今”と、“未来”がある。
ふと思い出したのは、あの探偵、七重家綱の言葉だった。
「この旅の中で、あなたを繋いできたもの、あなたが繋いできたものは憎しみなんかじゃなかったハズよ……! 思い出しなさい、永久!」
「私を……繋いできた、もの……」
――――悪い、そんなんしかなかったけど……記念に、な。
――――どこへ行ったって、友達だよ。
――――これはアンタが持っててくれないか?
――――これは、貴女に持っていて欲しいんです。
――――エースケもトワももう仲間じゃん?
――――面白いんだ。読んでみてほしい。
――――負けんなよ。人生の先輩からのエールだ。
――――少しでも良い、もっと頼ってよ……っ!
「あ、れ……?」
不意に脳裏を過ったのは、今まで関わってきた沢山の人々の顔と、言葉だった。
欠片集めを通して永久が繋ぎ、永久を繋いできたもの。何もわからなくて不安で、今にも折れそうだった永久を、今日まで支えてきた全てだった。
鏡子が、由愛が、英輔が、今まで関わってきた全てが、永久を支えている。それは決して、憎しみや悲しみ、怒りのような負の感情などではない。
もっと温かいもの。憎悪のような心を干上がらせるようなものとは違う、もっと優しく、心を満たし、ぬくもりをくれるものだ。
何度も何度も関わって、繋いできた。欠片を通じて、何度も巡りあってきた。
その全てが、今までの永久を突き動かしていた。
「……そう、だよ」
「……!」
永久を覆っていた黒いオーラが徐々に消えていく。纏っていた禍々しいものが消えていき、黒い光を放っていた腕輪もまた、光を失っていく。
「憎しみや、怒りなんかじゃない……!」
はらりと、永久の髪を結んでいた李那のりボンが解ける。ポケットに持っていた美奈の学生証が、羅生や月乃の写真が、腕にはめていたチリー達の腕輪が、光を放って宙に浮き上がる。そして神社においてきたハズの詩帆の本と家綱の帽子が、白い光を伴いながら凄まじい速度で永久の元へ飛来する。そして解けたリボンもまた、光を放って宙へ浮き上がっていた。
「何が起きている……?」
その様子を、ルークは固唾を呑んで見つめていた。
「あなたにはわからないよ……!」
永久の元へ集まった七つの光が、それぞれ球体へと変化する。その変化を見届けた永久は、力強く腕輪のはめられた右手を空へかざした。
「今日まで繋いできた絆が、私の力なんだっ!」
その瞬間、七つの球体が――宝玉が一斉に永久の腕輪へと収束する。七つの窪みに、七つの白い宝玉がはまると同時に、腕輪は強く光を放ち始めた。
「ムッ……!」
今まで永久が放っていた光とは一線を画す程の眩い光に、ルークは思わず腕で目を覆った。
永久が先程纏っていたオーラとは正反対の、眩いまでの白い光。全ての闇を照らし、希望へ導く輝き。
永久の右手に握られているのは、無限の希望だ。
「私は一人じゃない……“今”は、そして“未来”はっ!」
その手に握られていたのは、巨大な太刀だった。それも普通の太刀ではない、刃先が七本に枝分かれしており、既存の武器で例えるならその形は「七支刀」だった。
「起動したか……!」
しかしここでルークは初めて笑みを浮かべた。ルークの知っているものとは違うようだが、あの七支刀こそ腕輪が変化した形であり、かつてクイーンが他のアンリミテッドを封じる際に使用した武器なのだろう。
「無限破七刀……終わりだ、ルークっ!」
巨大な七支刀、無限破七刀の切っ先が、ルークへと向けられた。