World10-5「堕ちる風」
風羅達が撤退した後、十郎にこっ酷く叱られた篝は神社の外を浮かない顔で散歩していた。機動隊や駆けつけた退魔師達は結局一度も戦闘を行うことなく、護衛として何人かの退魔師を坂崎神社へ残して坂崎神社を後にしており、ある程度事が落ち着いた所で、篝は十郎に呼びつけられて戦闘中に飛び出していったことについてこれでもかという程説教を食らわされたのだ。
あの時の判断を、篝は間違っていたとは思えない。あのまま放っておけば風羅の刀は間違いなく十郎を斬りつけていただろうし、目の前で父親が窮地に陥っている中で、黙って見ていられる娘などいようものだろうか。
「お父さん、やっぱり刻姉の方が良かったのかな」
そうひとりごちて、篝は深く溜息を吐く。篝と刻の実力の差は、考えなくてもわかるくらいには明確だった。もう刻が亡くなってから三年程経つし、今日に至るまで篝は鍛錬を怠ってなどいないが、それでもまだ刻の足元にも及ばないような気さえする。
もしあの時、十郎を助けるために飛び出したのが篝ではなく刻だったなら、十郎は褒めたのだろうか。そう考えるとなんだか悔しくて、寂しくて、泣き出してしまいそうになる。もっと篝に才能があれば、きっと十郎は認めてくれたのだろう。刻に負けないくらいの強さが、才能があれば、きっとこんな思いはしなくてすんだのだろう。そう考えれば考える程気分が沈んでいく。
なんだか自分が必要ない人間であるような気がしてきて、篝は俯いたまま深く溜息を吐く。妖魔だってまだ現役の十郎や、他の退魔師達が倒せば良いし、何より今は永久がいる。彼女の尋常ならざる強さは、刻や十郎のソレとは質の違うものだ。そう考えるといよいよ篝の力なんて本当に取るに足らないものであるかのように思えてきてしまう。
「……あら」
俯いたまま歩いていると、不意に前方から来た誰かにぶつかってしまう。篝は慌てて頭を上げて謝ろうとしたが、その人物の放つ異様な雰囲気に顔をしかめた。
「あの、あなた……」
「良いよ何も言わなくて。退魔師でしょキミ」
目の前にいたのは、薄い桃色の着物を着た若い女性だった。かなり童顔で、背格好は大人びているが顔立ちは少女のように見える。長いポニーテールを揺らしながら篝へ歩み寄ると、女性はニコリと笑みを浮かべた。
「――妖魔……!」
退魔師だからこそわかる、妖魔独特の雰囲気。わかりやすく「妖気」と言っても良い。それを感じ取った篝は、すぐに目の前の女性が妖魔だと判断して身構えたが、女性の方は特に警戒する様子さえ見せない。
舐められている。そう思うと、また悔しくなる。父にも認められず、妖魔からでさえこうして舐められているのかと思うと、また辛くなってきて泣き出しそうになってしまう。それを察してか察せずか、女性はクスリと笑みをこぼした。
「馬鹿にしないでください……! 妖魔の一匹や二匹、わ、私だって……!」
自分でもわかるくらい、絞り出すような声だった。目の前の女性がただの妖魔でないことくらい、篝にだってわかる。結界が張られている上に、退魔師のいる坂崎神社の周囲を悠長に歩き回れるような妖魔だ。纏っている妖気だって、抑えられてはいるものの、そこらの雑魚とは桁違いだろう。
「そんなに怯えないでよぉ。えんちゃんそういう風にされるの超寂しいんだけど!」
「え、あ、……はぁ……?」
どこかむすっとした様子でそんなことをのたまった女性に、篝は困惑して間の抜けた声を上げてしまう。
「えんちゃんは、キミと話がしたいだけで、この神社を襲おうだとか、そういう気は全然ないんだけどなぁ……。ね、ちょっとお話しない?」
“えんちゃん”を名乗る妖魔からは、確かに敵意は感じられない。人間を襲わない妖魔、というのを篝は知らないが、人間並かそれ以上の知能を持つ上級妖魔には、争いを好まない妖魔もいるということなのだろうか。
にわかには信じ難かったが、かと言って敵意のない相手に襲いかかれる程篝は非情になれない。
「お話って……どんな、話ですか……?」
「うーん……良い、話。うんとね」
その時女性の作った笑みが怪しげだったことに、篝は気がつかないまま歩き始めた彼女の後をついて行った。
鬼羅の出現した公園にも、退魔師は少々遅れて駆けつけた。退魔師達が到着した頃には既に公園に鬼羅の姿はなく、倒れて気を失っている英輔と、不安げに英輔を見つめ続ける由愛がいるだけだった。
倒れている英輔は由愛の頼みで坂崎神社へ運び込まれ、由愛自身も退魔師に保護されながら坂崎神社へと帰っていった。
普段他人を頼りたがらない由愛が、初対面の退魔師達に頼まなければならない程に、英輔の状態は悪い。鬼羅から受けたダメージもそうだし、鬼羅へ放った一撃で消費した魔力量は、いくら英輔が魔術師としてタフであるとは言え、尋常ではない。
そして坂崎神社へ戻った由愛を更に不安にさせたのは、既に気を失って布団で眠っている永久だった。
「英輔が倒れて、永久まで倒れちゃって……一体どうなってんのよ……!」
永久の方には目立った外傷はないが、英輔の方はかなり傷ついている。目を覚ましたとしても、しばらくは万全の状態で戦うことは出来ないだろう。
「……その妖魔、鬼羅、と言いましたか」
「ええ、確かにそう言ったわ」
「十羅が本格的に活動を始めている……それも、アンリミテッドと組んで――」
「ちょっと待ってよ、一体十羅って何者なの!?」
考えこむ十郎に、由愛がそう問うと十郎は小さく頷いてから口を開く。
「十羅は、妖魔の中でも強い力を持つ上級妖魔の集団です。彼らはただ人に襲いかかるだけの下級妖魔とは違って知性を持ち、更に退魔師を退ける程の力を持っています」
上級妖魔。由愛と英輔が戦った鬼羅も、十郎が戦っていた風羅も、永久が倒した蜘蛛型の下級妖魔とは比べ物にならない程の力を持っていた。
「もしかすると、アンリミテッドと協力して本陣であるココを潰すつもりなのかも知れません」
険しい表情でそう言う十郎に、由愛は不安げにうつむくことしか出来ない。プチ鏡子は英輔を不安げに見つめるばかりで、室内には重苦しい空気が漂っている。
「……させないよ……絶対」
不意にそう言ったのは、今まで眠っていた永久だった。
「――永久!」
「ごめん由愛、大丈夫だよ」
ゆっくりと身体を起こし、永久は由愛に微笑みかける。
「……永久、あなた本当に大丈夫なの?」
不安げに問うたプチ鏡子に、永久は小さく頷いた。
「大丈夫。ごめん、ちょっと意識が飛んでたみたいで……。あれから、どうなったの?」
「意識が飛んでたって……あなた――!」
永久の言葉に、プチ鏡子は驚愕を隠せなかった。永久の意識が飛んでいたということはつまり、ルークとの戦いの中で自身が豹変してしまっていたことを、永久自身は知らない、ということだ。
――――あは、だらだらと御託並べてお説教だなんて、とーっても立派な騎士様ねぇ。
あの時の永久の様子は、以前戦った坂崎刹那そのものだった。口調、態度に限らず、その相手を圧倒する戦闘スタイルまでもが、刹那と同質だった。
そもそも永久と刹那が、元々一つの存在だったことを考えればそれ程不思議なことではないが、普段の永久とはあまりにも違うその姿を思い返すと、プチ鏡子は寒気立たずにはいられない。
「大丈夫、神社は私が……絶対守ってみせる」
力強くそう言った永久だったが、プチ鏡子はその言葉にどうしても不安を覚えてしまうのだった。
例の廃工場の中で、修験者風の出で立ちをした男と、西洋甲冑に身を包んだ大柄な男が対峙していた。言うまでもなく、風羅とアンリミテッドルークである。ルークの方は悠然と佇んでいるが、風羅の方は憤懣やるかたない、と言った様子でルークを睨みつけている。
「貴様……今何と言った……!?」
「……坂崎神社に封じられている宝具は貴公ら妖魔には使えぬと、事実を言ったまでだ」
淡々とそう言ったルークに対して、風羅は更に怒りを露わにする。
「巫山戯るなッ! では貴様、最初からそのことがわかっていて我ら十羅を利用しようと考えていたのか!?」
「話をすり替えてもらっては困る。貴公らが坂崎神社の宝具を欲するというから協力関係を結んだまで――」
それが図星だったためか、風羅はルークが言葉を言い切る前に刀で斬りかかるが、ルークは大剣でそれを防ぎつつ、冷えた視線で何のつもりだ、と呟くように問うた。
「十羅を侮るなッッッ!」
「血の気の多い」
ルークが大剣を振ると同時に、風羅は弾かれるようにしてルークから距離を取り、刀を構える。
「やめておけ。貴公ではかなわん」
「この風羅……これ程までに侮辱されたのは生まれて始めてだ……ッ!」
瞬間、廃工場の中に突風が巻き起こる。恐らく風羅が巻き起こしたものだろう。ルークはまるで動じる様子を見せないが、風羅の方はニヤリと笑みを浮かべている。
「“風”の名は伊達ではない……伊達ではないぞォッ!」
吹き荒れる突風が、やがて収束して一つの巨大な竜巻へと姿を変える。台風さながらに巻き起こる竜巻は廃工場の屋根を突き抜け、天へと届かんばかりにその大きさを増して行く。
「如何にアンリミテッドと言えど、これを受ければひとたまりもあるまい! 死ね、アンリミテッドルークッ!」
風羅がルークへ手をかざすと同時に、竜巻は凄まじい勢いでルークへと向かっていく。既にそのサイズは避けれるようなサイズではなく、このまま放っておけば廃工場を丸ごと破壊しつくしかねないサイズにまで巨大化していた。
それに対してルークは、ただ静かに大剣を前に突き立てた。恐らくその大剣でガードするつもりなのだろうが、その程度で防ぎ切れるようなサイズの竜巻ではない。いくら風とは言え、あの速度と勢いは正に回転する刃物――。如何にルークの装甲が分厚く、その大剣が頑強だとしても、あの竜巻を防ぎ切れるようには思えない。
「血迷ったかッ! 今更謝罪したとてもう許さぬぞルークよッ!」
完全に勝ち誇った様子の風羅に、ルークは何も答えない。ただ静かに、大剣の影に身を隠すだけだった。
「最後まで癇に障る奴だ……ッ! 黙したまま逝くが良い……!」
接近した竜巻が、ルークの大剣に直撃する。しばらくはそのまま耐えていたが、やがて耐え切れなくなったのかルークの大剣は弾かれ、その大柄な身体は竜巻の中に飲み込まれていく。
「ハーーーーーハハハハハハッ! 愚か愚か愚か愚か愚かッ! 愚昧にして愚の骨頂! 愚かさを絵に描いたような愚鈍な男よアンリミテッドルーク!」
竜巻に巻き込まれ、甲冑に切り傷を作りながら、ルークは竜巻と共に廃工場の壁をぶち抜いてそのまま外へとふっ飛ばされていく。それを見て完全に勝利を確信したのか、風羅は更に声高に笑い声を上げた。
「土下座でもすれば許してやらんでもないぞルークよ! もっとも――今の竜巻で死んでおらねばの話だがなァーーッ!!」
上機嫌で笑う風羅だったが、竜巻によって巻き起こった砂埃の中に、ゆらりと立ち上がる人影を見て思わず絶句する。
今の竜巻は、風羅にとっては全力と言っても過言ではなかった。並大抵の退魔師や妖魔なら間違いなく即死クラスの威力だったし、同じ十羅が相手だったとしても、今の竜巻を受けてすぐに立ち上がれるような者はそういないだろう。
だと言うのに、消えた砂埃の中で、悠然と立ち上がって風羅の方を見ていたのは、他でもないアンリミテッドルークだった。
「――ッ!」
竜巻によるダメージがないわけではない。甲冑は所々傷ついているし、血も流れている。ガードに使った大剣は、壊れてこそいないもののかなり傷だらけになっており、まるで既に使い古された武器のように見える。
だがルークの表情は変わらない。竜巻を受ける前の悠然とした表情と何ら変わりがない。
「満足したか」
「貴様――――ッ!」
ここで初めて、風羅はルークから刺すような殺気を感じ、ゾクリとした寒気と共に風羅は思わず数歩退く。
何だ、コイツは。
「これが最後だ。もう一度だけ言う、貴公ではかなわん」
ルークから放たれる異様な殺気に気圧されそうになるが、ここまできてしまっては風羅も退けない。やや及び腰になりながらも、風羅は刀を構えるとルークへと勢い良く突っ込んで行く。
「死ねァァァァァァァッッ!」
最早風羅に先程までの余裕はない。その姿はさながら、外敵を前にして怯えながらも威嚇を続ける犬と大して差はなかった。
「愚の骨頂也」
静かに、そう呟くと同時にルークは大剣を一振りする。その瞬間、大剣から先程の竜巻とは比べ物にならない程の衝撃波が風羅目掛けて放たれた。
「カッ――――!」
次の瞬間には、風羅の身体は轟音と共に衝撃波に飲み込まれて粉々に弾け飛んでいた。
それと同時に廃工場も跡形もなく消し飛んでおり、そこに残ったのは何もない平地と、佇むルークのみだった。
妖魔は、死体が残れば浄化されない限りは再生出来る。そして妖魔を浄化出来るのは退魔師だけであるため、本来ならば妖魔は退魔師以外には滅することが出来ない。しかし今回の場合、ルークのあまりにも強大過ぎる力は、風羅を跡形もなく消し飛ばしてしまっているため浄化する必要さえない。死体は愚か肉片すら残っていないのであれば、いくら妖魔でも再生は不可能だ。
「……容赦ねェな」
ルークの背後から、突如声をかけたのは鬼羅だった。
「やはり見ていたか」
「おうよ。オメェさんの戦う所、一度は見てみてェと思ってたからのォ」
「貴公も十羅であろう。仇でも討つか?」
ルークの問いに、鬼羅はガハハと豪快に笑い声を上げる。
「確かにオメェさんとは戦りてェが今は良いやァ……。儂も十羅とは言えど、仲間意識みてェなモンは微塵もねェ。儂ァ強ェのと戦えりゃァそれで満足よォ」
「……そうか」
大して興味もなさそうにそう呟いて、ルークはその場を立ち去ろうと鬼羅へ背を向ける。
「どうしたィ」
「今ので位置が割れた。移動するぞ」
「……へいへい」
鬼羅はそう答えて、ルークと共に廃工場跡から立ち去って行った。