World10-4「歪み」
瞬間、永久が凄まじい速度で甲冑の男目掛けて駆け抜ける。止める篝の声は永久には届いておらず、驚く十郎と興味のなさそうな風羅の横を通り抜け、甲冑の男の一メートル手前辺りで高く跳躍すると、永久は空中でその姿を転じる。
「ほう」
どこか感心するようにそう呟いた甲冑の男へ、鈍重な鎧を身に纏った永久は身の丈程の大剣を振り下ろさんと急降下する。男は永久の持つ大剣に引けをとらない程に大振りな大剣を片手で持ち上げ、永久の大剣をいとも容易く防いで見せた。
「ココを襲わせたの貴方?」
低く、冷たく永久が問う。
「そうだとしたら?」
「許さない」
短くそう答えると、永久は不意打ち気味に男の腹部に蹴りを叩き込み、よろめいた隙にすぐさま大剣を薙ぐ。当然男はそれを防いだが、永久は二振り、三振りと立て続けに男へ猛攻をしかける。
「どうやら冷静ではないようだが」
「貴方には――関係ないっ!」
次の瞬間、男目掛けて永久の大剣から衝撃波がゼロ距離で叩き込まれる。流石にその威力を受け切ることは出来なかったらしく、男は後方へ派手にふっ飛ばされ、ガシャンと音を立てて倒れ伏した。
倒れた男を睨みつけつつ、永久はもう一度身構える。
沸々と煮えたぎる怒りが、永久の身体を直情的に動かす。永久にとってこの世界の坂崎神社は理想だった。十郎が無事でいて、姉は亡くなっているものの、仲の良かった姉妹がいて、平和な坂崎神社がそこにある。そんな、永久が求めても求めても決して届かない平穏を、アンリミテッドが壊すというのなら、永久はそれを絶対に許さない。同じことは繰り返したくない、刹那が壊してしまった平穏を、日常を見た永久だからこそ、目の前で同じことが繰り返されるのは我慢ならない。妖魔だけなら永久よりも十郎の方がプロフェッショナルで、任せておいても問題なかっただろう。しかし相手がアンリミテッドであるなら話は別である。本来この世界には存在しない、存在してはいけない脅威は、同じ脅威である自分が討つべきだ。そう思ったからこそ、永久は飛び出さずにはいられなかった。
「貴公が何に対して怒っているのかはわからんが……少なくともここが貴公にとってただの神社ではないことはわかった」
言いつつ、男はまるで何事もなかったかのように立ち上がり、甲冑についた砂を片手で適当に払う。
「我が名はアンリミテッドルーク。貴公は同胞、アンリミテッドクイーン坂崎刹那の片割れで間違いないな?」
「……やっぱり刹那なんだね」
男――ルークは、永久の言葉には答えない。肯定も否定もしないまま、ただ剣を構えて佇んでいた。
「だったら尚更――」
言葉を言い終わるよりも、永久の姿が転じる方が速い。鈍重な甲冑は姿を消し、古風な袴へと変化する。ギラリと光る抜身の刀身が、真っ直ぐにルークへと向けられた。
「許せないよ」
その双眸へ静かに怒りを湛え、永久はルークをもう一度睨みつけた。
「ガハハハハ! なーんじゃその豆鉄砲はァッ!」
由愛の放つ黒弾を本当に豆鉄砲か何かだとでも言わんばかりに、容易く片手で振り払いながら、鬼羅はもう片方の手で棍棒を振り回す。由愛も英輔も鬼羅へはまともに近づくことが出来ないまま、距離を取りつつ様子を伺うばかりだった。
「つまらん奴らよのォ……。そんなに儂に近寄りたくないか? ン?」
鬼羅の怪力は尋常ではない。あのサイズの棍棒をあの怪力で喰らえば由愛の華奢な身体は簡単に破壊されてしまうだろうし、魔力障壁のことを考えた上であっても、英輔だってあの棍棒はまともに喰らいたくない。どちらかというと手数で攻めるタイプの由愛の攻撃は少しも効いていないようだし、迂闊に近づけない以上英輔にとっても攻め手は少ない。
「そんな細っけェ身体じゃ無理ねェか……のうお前ら、日頃何食うとる?」
「そういうテメエは何食ったらそんな馬鹿力になンだよ」
問い返す英輔に、鬼羅はニヤリと笑みを浮かべる。
「そりゃオメェ、鬼が食うっつったらよォ――」
言いながら鬼羅が棍棒を大きく振り上げた瞬間、由愛と英輔の視線がピッタリと合う。由愛はすぐ様左に逃げ、英輔はその場で真っ直ぐに鬼羅の棍棒を見据えた。
「人に決まってンだろうよォォォォッ!」
凄まじい怪力によって振り下ろされた棍棒を、英輔は両腕に魔力を一気に集中させることで強引に受け止める。これは身体全体をバリアのように覆う魔力障壁を応用したもので、一点に魔力を集中させることで魔力障壁以上の強度を生み出すことが出来る。しかし一点に魔力を集中させる以上、他は完全にガラ空きになる。それ故に、チャンスはこの一瞬だった。
「由愛ェッ!」
英輔がそう叫んだ時には既に、由愛は鬼羅目掛けて飛びかかっていた。その両腕にはありったけの黒いエネルギーが込められており、由愛が通常時に放つ黒弾の三倍以上のサイズと密度である。
「喰らいなさいよ……ありったけぇっ!」
由愛の全力――その高密度のエネルギー弾を、由愛は鬼羅の顔面目掛けて思い切り放つ。予想していなかったのかエネルギー弾をモロに顔面へ喰らった鬼羅は爆音と共に煙を上げながらその場でよろめき、そのまま仰向けに倒れ込んでいく。
「や、やった……!?」
着地し、肩で息をしながら英輔の隣でそう言った由愛だったが、その期待は次の瞬間に裏切られることになる。
「やァるじゃねェかガキ共ォ……今のは意外と痛かったぜェ……」
ゆらりと。巨体が立ち上がる。
「嘘……なんてタフネスなの……!?」
「いやあ悪ィ悪ィ、ちょっとオメェさん達のこと馬鹿にし過ぎたなァ」
鬼羅は、ほぼ無傷だった。
由愛の攻撃は確かにありったけで、それも当てたのは明らかに急所である「顔面」だ。だというのに、この鬼羅という妖魔は、まるで何事もなかったかのように立ち上がり、あろうことか二人に対して笑みまで浮かべて見せるのだ。
「どォれ、そろそろ真剣にやろうかィ」
「だったらコイツでどうだッッ!」
英輔は戦闘時、好んで魔力を剣の形にして武器として扱う。単に扱いやすい、というのもあるが、それよりも英輔の中で武器のイメージに直結するのが剣である、というのが一番の理由だろう。
「――ッ!?」
今回形成したのもまた、いつもと変わらず剣である。しかし違うのは、先程の由愛と同様にその密度とサイズが通常の三倍以上だという点だ。
流石にこれには鬼羅も多少は驚いたようで、余裕綽々、と言った様子はもう見られない。振り上げられた巨大な剣――否、剣の形をしてはいるがそれはもうただの巨大な電流の塊だろう、ソレを見据えて鬼羅は微かに笑みを浮かべた。
「やるじゃねえか、坊主」
「くたばりやがれェェェェェェッッッ!」
振り下ろされた魔力の塊が、その場で派手に爆ぜた。
永久の猛攻を、ルークは大剣を巧みに操って受け流している。永久の持つ刀の切れ味は凄まじく、ちょっとやそっとの強度では簡単に切り裂かれてしまう程で、ルークの大剣や甲冑とて例外ではない。まともに刀を受ければ大剣の分厚い刀身でさえも切り裂かれてしまう……それを理解しているのか、ルークは受けるのでも弾くのでもなく、永久の刀を全て丁寧に受け流していた。
一歩も退かず、徐々に勢いを増しながら刀を繰り出す永久と、その全てを受け流し反撃の機を伺うルーク。その攻防に、篝は片時も目を離せないでいた。
「す、すごい……」
永久が刀を振るうその姿が、篝の中で姉である刻の姿と重なる。妖魔と戦う時、刻もああして鋭い太刀筋で妖魔を圧倒していて、あの時も篝は「すごい」と思わず呟いたのを覚えている。
刻に憧れて篝も刀を扱ってはいるが、刻や永久のように扱えたことはない。いつだって記憶の中の姉は遠過ぎて、一生かかっても届かないようにさえ思えてしまう。
「――くッ!」
永久とルークが互角の戦いを繰り広げる一方で、十郎は風羅を相手にかなりの苦戦を強いられていた。
十郎は本来後方支援を得意とするタイプで、それ故に武器も刀や槍ではなく弓矢だ。動きが素早い上に飛行能力を持つ風羅が相手では、いくら十郎が弓の名手と言えど掠りもしない。次々と放たれる矢を、風羅は背中の両翼で自在に飛びながら回避しつつ、十郎へと接近していく。
「貴様の命――ここでもらい受けるッ!」
腰の刀を抜き放ち、上空から十郎へ斬りかかる風羅だったが、その刀は横から割って入った別の刀によって防がれてしまう。
「――篝ッ!」
風羅の刀から十郎を守ったのは、篝だった。風羅が十郎に斬りかかる寸前、咄嗟に刀を抜いて飛び出した篝は、どうにか間に合ったことに一瞬だけ安堵するような表情を見せたが、すぐに風羅を睨みつける。
「ゆ、許しませんよ……っ!」
どこか震えた声からは、篝が必死に強がっていることがわかる。それを察してか察せずか、風羅はどこか呆れた様子で溜息を吐いた。
「震えておるぞ」
「震えて……ません……っ!」
どうにか風羅の刀を押し返そうと力を込める篝だったが、押し返すどころか徐々に押し負けるばかりで、篝の額に厭な汗が滲む。
「篝、離れなさい!」
瞬間、篝の後方から鋭く矢が射られた。風羅は篝の方に気を取られていたせいか避けることが出来ず、退魔の力が込められた矢が右肩に突き刺さり、刀を取り落としつつ篝から距離を取る。
矢を放ったのは当然、十郎だった。
「戻りなさいと言ったハズだ、篝」
父の言葉は、篝が期待していた言葉とは異なっていた。微かに怒気の込められた十郎のその言葉は、鉛のように篝の胸にのしかかる。口を開けたままどうすれば良いのかわからないでいる篝を、邪魔だとでも言わんばかりに後ろへ押しやりつつ、十郎は篝の手から刀を奪って身構えた。
「わ、私……」
「もう一度言う」
「お父さ――」
「戻りなさい」
振り向きもしないでピシャリとそう言った十郎に、篝は何も言葉を返さない。ただ今にも泣き出しそうな表情のまま、すがるように父の背中を見つめるだけだった。
「不慣れな武器で戦おうとは……この風羅も舐められたものだな」
「私が刀を扱えないといつ教えた……?」
不敵に笑みを作りつつ刀を構えた十郎の放つ威圧感は、決して不慣れな武器を手に取った人間の放つものではない。普段実戦で使わないだけで、十郎は間違いなく刀の扱いに長けている……腕の立つ者なら一目でわかるだろう。そのためか、風羅もやや表情を強張らせつつ、落ちた刀を拾い上げ、静かに身構えた。
「貴公は何故戦う」
猛攻の果て、再び対峙する永久とルーク。最初に口を開いたのはルークだった。
「私は……あの人達を守りたい」
「違うな。それは本質ではない」
「……貴方にそんなことがわかるの……?」
不快そうに眉間にしわを寄せてそう問うた永久に、ルークは短くああ、とだけ答える。
「それに私は、貴方を……アンリミテッドを、刹那を止めなくちゃいけない」
「私は何の為に剣を持つのかと聞いている」
問われ、永久は口ごもる。
「……私は……っ」
坂崎神社を守りたい。ここにいる人達を傷つけたくない。アンリミテッドや、欠片の力で被害を受けている人を助けたい。アンリミテッドを、刹那を止めたい。それ以外に理由なんてあるハズもない。何を持ってルークが「本質ではない」と言い切るのか、永久にはわからなかった。
「……じゃあ貴方はどうして――っ!」
どこか苛立った様子でそう言った永久に、ルークは静かに頷いて見せると、その大剣を見せつけるかのように地面へ突き立てる。
「無論、忠義の為」
「忠義……?」
「己が王の為に騎士は剣となる。我が剣は常に主の為に振るわれる。例えどんなことであろうとも、それが主からの命であれば全身全霊を持って応えるのみ。主が我が死を望むなら、このような命はいつでも差し出そう」
その愚直なまでの忠誠心に、恐らく嘘はない。ルークの瞳は驚く程に真っ直ぐで、言葉の一つ一つに何も迷いを感じられない。王が死ねと命ずれば必ずこの男は当然のように命を差し出すだろう。
「貴公の太刀筋を見ればわかる。あの頃と変わらぬ、我らアンリミテッドに対する常軌を逸した執着が……。何故我らに執着する、何故我らを憎悪する」
「うる……さい……!」
まるで頭の奥をかき乱されているかのような不愉快さだった。自分でも手の届かないような奥底を、他人の手で強引にかき乱され、引きずり出されている。吐き気にも似た不快感を伴って、目の前で佇むルークへの激情が刀を強く握り込ませた。
「うるっさいのよ……アンタは……っ!」
不意に、永久の姿がいつものセーラー服へと戻り、手にしていた刀が姿を消した。
「――永久っ!?」
永久の異変に気づいたプチ鏡子がポケットから顔を覗かせるが、永久の視界には入らない。永久の目はもう、ルークしか見ていない。
それも、憎悪の炎で燃え滾った瞳だ。
「ゴチャゴチャとさっきから……っ!」
「……!」
永久の周囲が黒く歪んだことに気がついて、今までほとんど表情を変えなかったルークが初めて反応を示す。
「貴女……それじゃまるで……っ!」
プチ鏡子が驚くのも無理はなかった。
永久が全身に纏ったオーラは、余りにもドス黒く、平常時の永久からは考えられない程に歪んでいた。どこか既視感のあるそのオーラに、プチ鏡子は恐怖を感じずにはいられない。
「――あは、だらだらと御託並べてお説教だなんて、とーっても立派な騎士様ねぇ」
嘲るような瞳、ぐにゃりと歪んだ表情、にやけた口から漏れる微笑がルークに不快感を与える。
その姿、仕草、口調はまるで――
「刹那」
ルークがそう呟いた時には既に、ルークの視界から永久の姿は消えていた。
「よそ見してる場合? 騎士様は余裕がおありなのね」
永久の声が聞こえた時には既に、永久はルークの眼前まで接近していた。
「禍々しいな、クイーンよ」
「どうしてだと思う? 太刀筋見ればわかるんじゃなぁい?」
ルークが防ごうとするよりも早く、永久の右手がルークの首筋を掴み、そのままルークの巨体を片手で持ち上げると、ルークの顔を見上げながら永久はクスクスと笑みをこぼす。
「ねえ教えてよ。私は何の為に戦ってるの?」
永久から逃れんとして大剣を振り上げるルークだったが、それを察知した永久はまるでゴミでも投げ捨てるかのようにルークを投げ飛ばす。
自身と甲冑の重みに妨害されながらもどうにか受け身を取り、すぐさま態勢を立て直そうと立ち上がるルークだったが、その時点で既に接近してきていた永久の回し蹴りによって今度は左にふっ飛ばされてしまう。
「くたばンなさいよデカブツっ!」
吹っ飛んだルークに向かって跳びかかり、凄まじい勢いで右拳を繰り出す永久だったが、その拳はルークの大剣によって防がれた。
「貴公は不安定だ」
「だったら何? 私が安定してたら貴方に何か良いことでもあるの?」
ルークはそのまま大剣で永久を弾き飛ばそうとするが、瞬時に反応した永久がルークから距離を取ったため、その大剣は空振りに終わる。
「二度とお説教なんて出来ないくらいに傷めつけ、て……?」
フラリと。唐突に永久の身体が揺れる。そのままドサリと音を立ててその場に倒れた永久を見、ルークは小さく息を吐く。
「坂崎さんッ!」
そうこうしている内に退魔師の援軍が到着したらしく、数十人の退魔師らしき人物と、防弾ジャケットを着込んだ機動隊が大量に坂崎神社の中に流れ込んでくる。
退魔師は各々の武器を、機動隊はシールドと銃を構えてルークと風羅を取り囲み、じりじりとにじり寄ってきていた。
機動隊に保護される永久の姿を尻目に、ルークは溜息を吐いた後足元に空間の裂け目を出現させる。
「引くぞ、風羅」
ルークの言葉に舌打ちしながらも、風羅はルークと共に裂け目の中に入っていき、数秒と経たない内にこの場から消え去った。そんな様子を眺めながら、坂崎十郎は苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。
「十羅……。何故奴らがアンリミテッドと……?」
「儂がこれまでに受けてきた攻撃の中でも五本の指に入る強さだ。見なおしたぜ坊主」
英輔の一撃を防いだのは、鬼羅の持っていた巨大な棍棒だった。英輔の強大な魔力を受けて粉々に砕け散った棍棒の欠片をやや名残惜しげに見た後、鬼羅は感心したように英輔に向かって笑みを浮かべた。
「ハァッ……ハァッ……!」
英輔の方はかなりの魔力と体力を消耗してしまったらしく、鬼羅の言葉にまともに受け答えることさえ出来ない。更にあの一撃を防がれたことへの衝撃と落胆は、英輔の表情を陰らせる。
「さて、そろそろ終いにするかィ」
バキバキとわざとらしく指の関節を鳴らしつつ、英輔達に近づく鬼羅だったが、不意に何かに気がついたかのように表情を変え、やがて心底残念そうに溜息を吐いた。
「……なんでィ、撤退か。拾ったな坊主共」
そう言い残すと、鬼羅はくるりと英輔に背を向けて歩き始める。そこに英輔達を警戒する様子はほんの少しもない。既に鬼羅には、由愛と英輔に鬼羅を追いかけて戦う程の余力が、精神的にも体力的にも存在しないことをわかりきっていた。
「待ちやが……れ……ッ」
それでも追いかけようと手を伸ばす英輔だったが、やがて限界がきたのかその場に前のめりに倒れ伏す。
「――英輔! ちょっと英輔っ!」
倒れた英輔に駆け寄り、由愛は何度もその身体を揺さぶったが、一向に起きる気配はない。呼吸はしており、気絶しているだけに過ぎなかったが、その疲労とダメージは計り知れないだろう。
「馬鹿……無茶してんじゃないわよ……!」
半泣きになりながらも、とにかく今は英輔の無事を喜ぶことしか出来なかった。