World10-3「十羅」
坂崎刻は優秀な退魔師だった。飲み込みも早く、類まれなる運動神経は退魔師の家系に生まれなければ別のスポーツで才能が開花したのではないかと言われるレベルで、十代前半になる頃には歴戦の退魔師である父、十郎と肩を並べて妖魔の討伐へ向かうようになっていた。彼女は、坂崎家だけではなく退魔師界隈全体から一目置かれる程の天才児だった。
しかし神は二物を与えない。坂崎刻の身体は生まれつき弱く、退魔師として妖魔と激しい戦いを続けるのは非常に困難だった。しかしそれでも退魔師として使命を燃やし、父と共に妖魔と戦い続けた彼女は、妖魔との戦闘によって負った怪我が原因で亡くなってしまう……。それが、今から三年程前の話だった。
「本当は私なんかより、刻姉がいた方がお父さんも安心出来たんですけどね……」
わざとはにかんで見せながら、篝はどこか寂しげにそう言う。
客間でお茶とお茶菓子を楽しみながら、永久と篝はかれこれ一時間近く話を続けている。十郎はまだ仕事が残っているらしく既に客間を後にしており、由愛と英輔は暇潰しに外へ散歩に出かけているため、今客間にいるのは永久と篝だけだった。
「なんかすいません、しんみりした話になっちゃって……」
「あ、ううん、気にしないで! 刻さんのこと聞きたいって言ったの、私の方だし……」
この世界、永久のいた世界と非常によく似てはいるが、やはり別物らしい。存在を知らなかっただけかも知れないが、永久のいた世界に妖魔と呼ばれる怪物は存在しなかったし、刻と篝の関係も、永久と刹那にそのまま当てはまるとも思えない。どちらかというと、妹の刹那の方がこの世界での姉である刻に近いとさえ思える。
「性格はちょっと違うけど、永久さんってホントに刻姉に似てるんです……。何だか久しぶりに、刻姉と話してるみたいで……」
ジッと。切なげな瞳で篝は永久を見つめる。こんな風に懐かしむということは、きっと篝と刻の関係は良好だったのだろう。優秀な姉はきっと篝にとっては憧れの存在で、そして刻にとっても篝は大切な存在で、二人が仲の良い姉妹だったのかと思うと、どこか嬉しくて永久は表情を綻ばせる。
永久と刹那にだって、間違いなくそんな時間があった。お互い出自も何もわからなかったけれど、ただ双子の姉妹として、日常を生きていた時間は確かにそこにあった。
何が間違っていたのか、どこからおかしかったのか、そもそも最初からこうなることは決まっていたのか。返らないモノを嘆いたって仕方がなかった。
「私なんかで良かったら、いくらでも付き合うよ。この世界の話、もっと沢山聞きたいし!」
そう言って永久が微笑むと、篝は嬉しそうに表情を明るくさせる。一時的ではあるものの、ゆっくりと流れる穏やかな時間の中に、永久は静かに身を委ねた。
場所は変わり、坂崎神社から少し離れた位置にある公園へと移る。暇潰しの散歩、と言って坂崎神社を出た由愛と英輔だったが、別に坂崎神社の外に出る必要はなく、単に十郎や篝との時間を過ごしている永久の邪魔をしたくないだけだった。
あんなに寂しそうな永久の顔を、二人は今まで知らなかった。前にいた世界で、父親にあたる存在だった十郎を前にして、別の世界の、別の人間だということを知っていながらも泣きついてしまった永久の心の内を、由愛も英輔もある程度は察している。由愛は両親がいない寂しさを知っているし、英輔だってつい先日父を亡くしたばかりだ。親にそっくりな人間がああして目の前に現れれば、取り乱してしまう気持ちも少しはわかるつもりだった。
「とは言っても……アンタと二人ってのが最高に解せないわね」
公園のベンチに腰掛け、隣に座る英輔をぶすっとした表情で見やりつつ、由愛はそう言ってため息を吐いた。
夕暮れ時ではあるものの、まだ公園では子供達が遊び回っており、迎えにきたのか、それとも最初から子供を見守っていたのか、数人の親が入り口付近や由愛達の座っているベンチとは別のベンチで話し込んでいる。
「へいへい。まったくお前はどうしてそういっつもそうなんだか……」
由愛の悪態にもだいぶ慣れてきているせいもあり、英輔はもう由愛の言葉に一々怒ったり言い返したりするようなことは減ってきている。
「……永久、嬉しそうだった」
ポツリと。不意に由愛はそう呟く。
「ん、ああ……だな」
「でもあれって、永久の本当の家族じゃないんだよね……」
顔をうつむかせた由愛のその言葉に、英輔は悲しげに目を伏せた。
「うまく言えないけど……なんか、寂しくない……?」
由愛の言う通り、十郎も篝も永久にとっては本当の家族ではない。篝は永久の妹ではなく刻の妹だし、十郎だって永久のいた世界にいた人物とよく似た人物ではあっても、決して同一人物ではない。そもそもアンリミテッドである永久の本当の家族とは何なのか、そもそもいるのかどうかすら定かではないことを考えると、それはひどく寂しくて、哀しいことだろう。だからこそ仮初であったとしても、家族という存在の中にいたい、家族がいるんだと、錯覚でも良いから感じていたい、永久がそう思っているのかと思うと、由愛も英輔もどこかいたたまれない気持ちになるし、辛かった。
午後五時を知らせる町内放送が鳴り響き、子供達が一斉に親の元へと走っていく。帰る場所があり、待っている親がいる……これ程嬉しいことはない。由愛も英輔も親のいない日々を経験しているからこそ、その光景は尊く感じられた。
「……今は、そっとしといてやろうぜ」
「……うん」
そう答えて、そろそろ公園を出ようと由愛がベンチを立った時だった。先程まで穏やかだった公園全体の雰囲気が突如として剣呑となり、子供達や親もどこか怯えたような様子を見せている。
それもそのハズだ。公園の周囲の木陰から、突如として半裸の大男が巨大な棍棒らしきものを片手にのしのしと公園の中に入ってきたのだから。
「――ッ!?」
由愛も英輔も、その異常さと危険性へすぐに気がつく。この男はただの変質者どころの話ではない。今まで永久と旅を続けながら様々なものを見てきたおかげもあって直感的に気がついた――この男は、人ではない。
「おうおう、何だか知らねえ気配の奴らがいると思ったらこんなガキ共たァなァ!」
豪快に笑いつつ、大男はのしのしと由愛達の方へ歩み寄ってくる。一般人には興味がないらしく見向きもしなかったため、既に子供達や親達は公園を後にしてしまっている。
「あんまし強そうにゃァ見えねェが……オメェさん達はハズレかい」
「……へぇ、言ってくれるじゃない……何ならアタリだって言うのよ……?」
既に身構えつつそう言う由愛だったが、大男はこちらをなめているのか油断し切った様子のまま声を上げて笑った。
「そりゃあオメェよ、アタリっつったらアンリミテッドだろうがよ」
「何――ッ!」
その言葉に、由愛も英輔も動揺を隠せない。口ぶりからして間違いなくこの大男はこの世界に元からいた住人だが、そんな彼から「アンリミテッド」という単語が出てくるのは違和感がある。元々知っていたか、或いは別のアンリミテッドや刹那と繋がりがあるか……どちらにせよ、敵と思しきこの男を、このままにしておくわけにはいかない。
「おっ、良い反応だなァ……オメェさん達、儂の捜してるクイーンについてなーんか知ってるなァ……?」
「だったらどうだってんだよ? タダで教えてもらおうって腹積もりじゃあねえだろうな……!」
既にその右手に魔力によって精製された電流を迸らせ、完全に戦闘態勢に入ったことを示す英輔を見て、ついに大男は巨大な棍棒を地面に叩きつけることで、二人への敵意を見せた。
「口のデケェガキは嫌いじゃねェが好きじゃねェ」
「そう……かよッ!」
次の瞬間には、大男の顔面目掛けて電流の伴った英輔の右拳が突き出されていたが、大男はまるで虫か何かでも払うかのように左手で英輔の右拳を払いのけると、その丸太が如き右足で英輔へ蹴りを叩き込んでいた。
「かッ……は……ッ……ッ!?」
「英輔っ!」
凄まじい勢いでもんどり打ってその場へ倒れ伏した英輔に、由愛はすぐさま駆け寄っていく。意識は保っているようだが予想以上のダメージだったらしく、英輔はその場で苦悶の声を上げる。
「ガハハハハハハッ! 鍛え方が足らんなァクソガキィ!」
「アンタっ……!」
由愛の赤い瞳が、大男を睨みつける。しかし、迂闊には近づくことが出来ない。英輔ですら一撃でこの様子なのだから、英輔より小柄な由愛があの蹴りを喰らえばひとたまりもない。それにあの棍棒……あの太い腕でアレが振り回されるのだとすれば、それは最早兵器だ。
不意に、大男の額が盛り上がったかと思うと、そこから二本の角が生え始める。身体は先程までより一回り大きくなり、肌色だった肌が赤く染まるとともに口からは凶悪な牙が顔を出す。一切手入れの行き届いていなさそうなバサバサした黒髪を風になびかせつつ、ニヤリと笑みを浮かべるその姿は、正に「鬼」という表現が当てはまっている。
「テメエは……一体……!?」
どうにか身体を起こしながら英輔が問うと、大男はもう一度ガハハと豪快に笑って見せた。
「儂は鬼羅。オメェさん達に仇なす妖魔の上位種、十羅の一人……って言やァわかるかい?」
鬼羅、そう名乗った大男が放つ威圧感は、姿が変わる前とは比べ物にならない程強大だった。
一方その頃坂崎神社では、突如として神社の正中に出現した妖魔によって混乱が巻き起こっていた。本来坂崎神社には十郎や他の退魔師による結界が張られており、妖魔は一切立ち入ることが出来ないようになっているのだが、その妖魔はいとも容易く神社の中へと侵入し、参拝客や退魔師以外の人間を怯えさせた。
坂崎神社はこの町の退魔師の拠点とも言える場所で、そこに妖魔が入り込んだとなるとかなりの一大事である。忍び込むのではなく、こうも堂々と侵入されたとなると、その強さも並ではないのだろう。実際、その妖魔を撃退するために正中へ集まった退魔師達はまるで歯が立たないまま倒されていく。
「話にならぬ」
その妖魔は、修験者のような格好をした初老の男だった。肉体や動きこそ若々しいが、その顔つきは老人のようで、声もかなりしわがれている。そこらの妖魔とは圧倒的に違うスペックと威圧感、それだけでも恐ろしかったが、退魔師達が得体の知れない恐怖を覚えたのは、妖魔そのものよりも後ろで立っている甲冑の男に対して、だった。
退魔師達はある程度妖魔の気配、というのを察知出来るし、一目見ればどのくらいの力を持った妖魔なのかくらいは察することが出来る。しかし後ろで立っている男からは妖魔の気配を一切感じないというのに、その纏うオーラは修験者の妖魔どころのものではないのだ。妖魔を倒したとて、その男とも戦わなければならないのかと思えば、自然と退魔師達が怯えてしまうのも無理はなかった。
「ふむ……やはりこちらから出向くべきか」
言うやいなや、修験者目掛けて一本の矢が駆ける。瞬時にその矢を回避して、修験者はニヤリと笑みを浮かべた。
「やはり貴様……十羅か」
そう問うた矢の主は……この神社の神主にしてこの町の退魔師の長、坂崎十郎だった。
「如何にも。この風羅、貴様を討つためにここへ参った」
「結界を破ってまで入ってくるとは……やってくれるじゃないか」
ギロリと、十郎が風羅を睨みつける。
「お父さん!」
そんな十郎の後ろから駆け寄ってきたのは、社務所の中にいたハズの篝と、永久だった。
「来るな篝、戻りなさい!」
「でも……っ!」
チラと風羅の方を見た瞬間、篝は全身に鳥肌が立つのを感じ取った。一目でわかる程に実力差のあるその妖魔に、篝はブルブルと震え始める。妖魔との戦闘を予想して刀を持ってきた篝だったが、震える手では鞘から抜くことさえ出来ない。
「篝ちゃん、落ち着いて……」
そんな篝を支えるように肩に手を置きつつ、永久は風羅の後ろでどっしりと構えている甲冑の男へと視線を向ける。
「……アンリミテッド……っ!」
永久のその言葉が聞こえたのか、甲冑の男はうっすらとだけ笑みをこぼした。