World10-2「仮初だとしても」
そもそもこの世界は、驚く程永久が最初にいた世界……坂崎神社で暮らしていた時の世界と酷似していた。永久や刹那ではなく、坂崎篝という少女が坂崎神社にいることを除けば、ほぼ全てが永久のいた世界と同じだと言っても過言ではないくらい、坂崎神社まで向かう道中の景色は永久にとって見覚えのある景色だった。
あの後永久達は、篝に妖魔を撃破してくれたお礼がしたいと言われて坂崎神社へと案内されることになった。永久達の探している武器についても何かしらわかるかも知れないということで、永久達は篝の案内で坂崎神社へと向かうことを決めた。
「ここが、坂崎神社です」
篝に案内されて辿り着いたその場所は、間違いなくかつて永久が過ごした坂崎神社だった。その鳥居も、石段も、揺れる木々も、目に見える景色全てが永久の見知った「坂崎神社」に間違いない。
「えーっと、とりあえず社務所まで案内しますね……」
篝に案内されるがままに歩く永久だったが、永久はこの道をよく知っている。いつも歩いていた道で、隣には刹那がいて、刹那は少し無口な方だったけれど永久の話を聞いてくれて、時には一緒に笑ってくれて……。そして社務所に戻れば十郎や孝明のような家族がいて、記憶喪失で本当の子供なんかじゃなかったけれど、そこにはありふれた平凡で幸せな日々があった。まだあれからそんなに経ってないハズなのに、ひどく遠い記憶のように思えてしまう。確かにすぐそばにあったハズなのに、もう今はどうやっても届かないような遠い場所にあるようで、伸ばした手は空を掴むばかりだった。
刹那を止めたい、その思いに変わりはないけれど、本当は会いたいだけなのかも知れない。あんな刹那は嘘なんだって、夢なんだって、そう言って、微笑んで、いつもの……永久の知っている刹那なんだって言って、また一緒に社務所に帰れば、変わらずに平凡な日々があるんだと、そう言って欲しい。今までは全て夢だと、昔のように刹那と平和でいて良いと、誰かそう言ってくれればどんなにか、それが現実ならどんなにか。
届かない願いが浮かんでは消えていき、何度も何度も狂気に歪んだ刹那の顔が脳裏を過る。夢じゃない、悪夢じゃない、刹那はアンリミテッドクイーンで、永久もまた同じ、むしろ平和だった日々こそが夢だったんだと、くどいくらいに永久につきつける。
気づけば歩が止まり、身体は小さく震え始めていた。
少しでも気を緩めれば感情を抑えきれなくなってしまいそうな程、永久の目頭は熱くなっている。
「……永久?」
由愛の赤い瞳が、いつの間にかうつむいてしまった永久の顔を不安そうに覗き込む。
由愛の言葉に、答えることが出来ない。刹那の顔が、声が、頭の中を満たしてしまって他のことをまともに考えることさえ出来なかった。
何でこうなったのか、どうしてこんなことになってしまったのか、答えのない問いばかりをただただ繰り返す。
「あ、あの……どうか、しました……?」
先導していた篝が足を止め、引き返して永久の方へ歩み寄ってきたところでやっと、永久は一度顔を上げた。
「あ、うん、ごめんね……ちょっと悲しいことを思い出して……」
悲しいこと、そんな一言にまとめてしまって、永久は静かに目を伏せる。もう戻らないものを嘆いても仕方がないことを、頭では理解出来ていても心ではわかっていないのかも知れない。考えないようにしていただけで、永久はいつだって昔のように刹那と笑っていたかったし、十郎のいるあの家に帰りたかった。
「何か私、永久さんを悲しませるようなこと……」
「ううん、篝ちゃんのせいじゃないから、気にしないで」
そう言って無理に笑みを作って見せて、永久は篝を急かすかのように歩き始める。由愛や英輔はどこか気にしている様子だったが、少し察しているのかそのことについて触れようとはしなかった。
そうしてしばらく歩いて、永久達は社務所の方まで辿り着く。歪んだ世界が、血の臭いが想起されるが、先程のように目に見えて取り乱してしまってはいけないと、どうにか永久は気を張る。懐かしい家の臭いが血の臭いと混じって想起されるのは本当に嫌で、鼻をつまみかけてしまう。
「お父さん、お客さんがいるんだけど……」
玄関のドアを開け、中に向かって篝がそう声をかけると、わかった、という低い声と共に足音が響く。姿を現したのは着物姿の初老の男で、永久達を見るとすぐに一礼した。
「篝の父、坂崎十郎と申します」
そう言った後驚いたのは、永久だけでなく十郎も同じだった。
「刻……?」
目を丸くしてそう言った十郎だったが、その言葉が聞こえていなかったのか、それとも聞こえないフリをしていたのか、永久は勢い良く十郎へと飛びついた。
「え、あの、永久さんっ!?」
驚く篝や、唖然とする由愛と英輔を気にも留めず、永久はその場で十郎に泣きついた。しばらく十郎は戸惑っている様子だったが、永久の様子を見て何か察したのか、やがて静かに永久の頭に手を置いた。
着物が涙で濡れるのを気にする様子もなく、十郎はただ泣きじゃくる永久を優しく包む。いつだってどこかのほほんとしているようで、それでいて気を張っていた永久が、まるで子供のように泣きじゃくる姿に、由愛も英輔も戸惑いを隠せない。
「わたっ……私、もう、会えないって……死んじゃったって……私……っ……十郎さっ……十郎さん……っ!」
嗚咽混じりの言葉は要領を得ない。ここにいる十郎は永久の知っている十郎ではなくて、この家だって永久の家ではなくて、それがわかっていても尚、永久は嬉しいのか悲しいのかもわからないままその場で泣きじゃくる。ただただ、生きている十郎の姿を見られたのが嬉しかったのかも知れない。もしかすると、押さえ込んでいたものが一気に溢れ出してしまって、グチャグチャになったまま吐き出してしまっているに過ぎないのかも知れなかった。
永久が落ち着いてからしばらくして、永久達は客間へと通された。落ち着いた後、永久はもうこれでもかと言わんばかりに謝り続けていたが、十郎は構わないと優しく微笑むだけだったし、篝も驚いてはいたものの、十郎と同じように微笑むだけだった。
客間に通された永久達は、まず十郎から妖魔に関することを説明された。人々の邪念や悪意、負の感情が集まって化けたのが妖魔で、篝や十郎はそれを退治する「退魔師」と呼ばれる仕事をしていること。英輔のいた世界では、英輔の父である晃もまた退魔師であったが、あちらは妖魔を専門としていたわけではないため、別物なのだろう。十郎の話を一しきり聞いた後、永久達は篝に出会うまでの経緯を話し、それからすぐに、永久達の素性を明かした。基本的に永久達がよその世界で素性を明かすことはそうそうないのだが、今回探しているものがそもそもアンリミテッドに直結するものであるため、十郎を信じてプチ鏡子のことも含めて隠さず素性を明かすことになった。
永久達の予想に反して十郎は異世界の話やアンリミテッドの話に対して動揺を見せない。その代わりとでも言わんばかりに隣で篝があたふたしていたが、構わず永久達は話を続ける。
永久がアンリミテッドクイーンであり、その力と存在の中核であるコアが不完全で、欠片が世界中に飛び散ってしまっていること、封印されているハズの他のアンリミテッドが復活し始めており、倒すための手段が必要であること、刹那と言う、分かれてしまったもう一人のアンリミテッドクイーンが存在すること……。
「つまりあなた方は、アンリミテッドを破壊するための『武器』を探してここへ訪れた、そういうことですね」
十郎の言葉に、永久達は静かに頷く。
「結論から言いましょう。その『武器』はこの神社にあります」
「え――!?」
最初に驚いたのは、他でもない永久だった。
「武器……いえ、正確には腕輪です。かつてアンリミテッドクイーンが使っていたとされる腕輪は、確かにこの神社で預かっております」
「……そう、やけに話が早いわね」
どこか疑うようにそう言ったプチ鏡子に、十郎はええ、とだけ短く答えた後語を継ぐ。
「腕輪は私が生まれる前から宝物庫にて封じられておりましたので。アンリミテッドや異世界に関しては、父や祖父からある程度聞かされていましたから……」
「……お願い十郎さん、その腕輪の封印を、解かせてもらえないかな……?」
永久の言葉に、十郎は少しだけ考えるような仕草を見せたが、やがて小さくかぶりを振る。
「あなた方を疑うわけではありませんが、何しろ絶対に封印を解くなと言われていた代物ですので……少し考えさせていただけないでしょうか」
そう言った十郎に、しゅんとする永久だったが、そんな永久を見て十郎は優しく微笑みかける。
「とは言っても事が事なので、前向きに検討します。あてがないのでしたら、しばらくうちに居てはもらえないでしょうか」
「えっ……?」
思いもよらない十郎の言葉に、永久だけでなく由愛や英輔も驚いた様子を見せる。
「単純な厚意が一つ。それから、永久ちゃん……でしたか、貴女は娘に……篝の姉の刻にとてもよく似ています、まるで刻が帰ってきたかのようで、私や篝には少し嬉しいんです」
「……本当に、本当に刻姉にそっくりで……ちょっと複雑ですけど、やっぱり少しだけ嬉しいんです」
どこか懐かしげに永久を見つめながら、篝は十郎に続いてそう言った。
それは、永久だって同じだ。もういないハズの十郎がそこにいて、平和な坂崎神社がそこにあって、もし少しの間だけでもここにいられるのだとしたら、それは永久にとっても嬉しいことに他ならない。決して同じ場所ではないし、辛いことも思い出してしまう場所だけれども、それでも永久にとってこの場所は……「帰りたい場所」だった。
「あ、あの……じゃあ、敬語……やめてほしいなって……」
どこか恥ずかしそうにそう言った永久に、十郎はクスリと笑みをこぼす。
「私も何だか娘に敬語で喋っているようでね……違和感はあったんだ」
「その、そ、それから……」
一度口ごもり、しばらく永久は俯いていたが、やがて顔を真っ赤にしながらも顔を上げる。
「お、おか……おかえり、って……」
永久が言葉を言い切る前に何が言いたいのか理解出来たのか、十郎はどこか悲しそうに目を細めた。アンリミテッドだクイーンだ、コアだなんだと言っても……彼女はどう見たって、まだ十代の少女だ。
家に、帰りたいに決まっている。
「……うん、おかえり……永久」
それが仮初の言葉だなんてことは、考えなくたってわかる。ここは永久の家じゃないし、似てはいても別の「坂崎神社」だ。
それでも、その言葉が嬉しくて。
まるで家に帰れたかのようで。
気がつけばまた泣き始めてしまっていた永久を、十郎は優しく抱きしめていた。
「……辛かったね」
亡霊が出る。そんな噂もあってか誰も寄り付かない廃工場に、二つの人影があった。一人はどういうわけか頑丈そうな鉛色の、西洋の甲冑を着込んでおり、その手には大振りな大剣が握られている。大柄な体躯に、蓄えられた無精髭と強面は甲冑に似合っており、正に武人、と言った雰囲気は、周囲に人を寄せ付けなさそうだった。
もう一人は修験者だろうか。年の頃は甲冑の男より少し年上のようで、体つきは若々しく見えるが、顔や雰囲気は老人のようである。
どちらの人物も、このやや近代的な景色の中ではひどく浮いていた。
「二人はどうした」
口を開いたのは、甲冑の男だ。どこか威圧するような口調ではあったが、修験者の方は気にも留めていないかのように知らぬ、と答える。
「大方単独で行動を取っておるのだろう。それよりも聞きたい、本当に貴様は我々の味方なのか」
鋭い、猛禽類のような眼光が甲冑の男を射抜く。しかし甲冑の男は動じない。
「信じられぬのならば別行動を取れば良いだけのこと。貴公の力がどうしても必要というわけではないのだからな」
その口ぶりに、修験者は眉をひそめる。
「我ら十羅、貴様のような男に舐められる覚えはないぞ」
「ならば舐められぬよう振る舞うことだな。他の者が貴公のように『裏切られてしまうのでは』などと考えているようではかなわんぞ。目的だけを見ろ」
甲冑の男の言葉に、修験者は悔しげに歯を軋ませたが、それ以上何か言い返そうとはしなかった。
「まあ良い。貴公と私だけでも行くぞ。残りの二人は放っておけ」
甲冑の男の言葉に、修験者は渋々ああ、とだけ答えた。