「ドラゴン・ロード」
人の歴史は、浅い。
世界ごとに違いがあるとは言え、どれも人類の歴史自体は世界全体で通して見れば比較的短いと言える。人類の有史以前、文明が発達するより前の世界において、強大な力を持っていた存在は、どの世界にも少なからず存在する。
或いは竜、或いは幻獣、或いは悪魔、或いは――神。人類を遥かに凌駕し、地上のどの生物をも超越していながら決して世界の表舞台には立とうとしない超常の存在。人はいつしかそれらを“過ぎ去りし魔”、と呼ぶようになった。
鏡子の言う「アレ」の元へ向かうために鏡子が作り出した道は、人一人通るのがやっとと言った感じで、狭い道の中、四人で縦に並んで歩く形にならざるを得なかった。
先頭を行くのは鏡子、そこから順番に永久、由愛、英輔であり、最後尾の英輔は妙にびくつきながら歩いている。
「……なっさけない。『アンリミテッドについて知りたい』だなんて自分から言い出しといて、何でアンタが一番ビビってんのよ」
「う、うるせえ! なんかここに、今にも何か不気味なものが襲いかかってきそうでこええんだよ!」
「……そうね、絶対に安全というわけではないから、各々対応は出来るように身構えておいてくれるかしら」
由愛と英輔の会話に割り込むようにして鏡子がそう言ったせいで、更に英輔は怯えた様子で周囲をキョロキョロと見回した。
「でも確かにここ、ちょっと不気味っていうか……」
「つーかあの……そこら辺に浮いてるアレらは一体何なんだよォーー!」
周囲には、人やら物やら様々なものが浮遊していた。
上空は青紫色の空間で、周囲には前述した通り生きているのか死んでいるのかもわからない人や生き物、建物や岩の欠片などが浮遊しており、中には見たこともないような不気味な生物も混じっている。下に行くにつれて段々薄黒くなっていき、永久達が歩いている一本道の下は真っ黒な闇になっている。ちょっと手を伸ばせば届きそうな位置に青白い肌をした人間が浮遊しているのだから、不気味に感じるのも当然と言えば当然だった。
そもそもこの空間には道が存在しない。あるのは青紫の上空と、何があるのかもわからない真っ黒な下の空間のみである。そこに鏡子が道を作り出して渡っているに過ぎない。上空の青紫の部分には重力が存在しないのか、何もかもが浮遊しているが、下の方には重力が働いているようで、英輔が試しに落とした髪の毛ははらはらと舞いながら落下していっていた。
「ここに浮遊しているのは、不意に開いた空間の裂け目に飲み込まれたもの……所謂神隠しの被害者ね。運良く別の世界に移動出来ることもあるみたいだけれど、大抵はこうして曖昧な世界に閉じ込められてしまう……。何人かは、意図的に世界を移動しようとした人かも知れないわね」
よく見れば、魔術師然とした容姿をした人物や、僧のような格好の人物もおり、恐らく世界を移動しようとして失敗した人物なのではないかと伺える。
しばらく歩き続けていると、前方に光が見え始める。恐らくその向こうに鏡子の言う「アレ」がいるのだろう。暗いのか明るいのかもイマイチわからない異様なこの空間に光が見えたのが嬉しかったのか、挙動不審だった英輔の様子もいくらかマシになっている。
「ねえ鏡子さん、鏡子さんの言う『アレ』って一体……」
「……形容しがたいわね。どちらかというとアンリミテッドに近い存在よ」
「アンリミテッドに……?」
そう問うた永久に、鏡子は静かに頷く。
「超常の存在、という意味ではね。霊や悪魔や、そういう部類を遥かに超越したものよ」
これまでに巡ってきた世界の中で、永久達は沢山のものを見てきた。欠片の力によってアンリミテッドに近づいてしまった者や、魔術を操る悪魔、死して霊体となった霊、神力と呼ばれる力を持った神力使い、それらも十分超常的な存在と言えるが、鏡子の言う「超常の存在」はそれらを遥かに超越したものを指している。それは勿論、永久達アンリミテッドをも含む。この先に潜んでいるのがアンリミテッド級の何かであることを考えると自然に刹那やポーン、ビショップの姿が想起され、永久は小さく身震いした。
「そいつが母さんを……境界に縛り付けているんだな」
不意に、英輔の目が鋭く光の方を睨みつける。そもそも英輔の目的は鏡子の解放だ。もしその光の向こうに元凶がいるのであれば、間違いなく英輔は戦いを挑むだろう。
「……やめなさい。アレは人の力でどうこうなるものじゃない……それに私が受けているのは理を覆した罰よ……。それにこんなことで貴方に死なれでもしたら……」
これまで気丈に振舞っていた鏡子の言葉尻が、次第にか細くなっている。境界の管理者だなんだと言っても、彼女も母親であり、境界に縛られてしまったのも彼女が子を愛する母親であったからこそだ。子を案じて不安になるのは至極当然と言えた。
「ごめん、母さん……」
そう言って、英輔が俯いた瞬間だった。
「――ッ!?」
突如、英輔の足が何者かによって掴まれる。小さく悲鳴を上げて英輔が足元へ視線を向けると、そこにいたのは異形の存在だった。
「な、な、何……だ、コイツ……ッ!?」
その場にいる全員がその異形に目を奪われる。
「……きょ、鏡子さん……下にいっぱいいるんだけど……」
見れば、永久達の左右に、英輔の足を掴んでいる異形と同じ生き物が大量に浮いており、蜂のような薄い羽根を羽ばたかせてジッとこちらの様子を伺っていた。
顔の輪郭や胴体は人間のそれだが、下半身は蜘蛛や蜂の如く膨らんでおり、何匹かはそこから針を覗かせている。腕は六本近くあり、顔には複眼のような眼がついていてこちらをギョロリと見つめており、口は蟻や蜂のようだった。
「あ、アレ見て……!」
震える声で由愛が指差した先では、空中に浮いていた人間を捕食する化け物の姿があった。恐らく麻酔効果があるのであろう針を人の腹部に深く突き刺し、その鋭い歯で食い散らかす姿が、永久達に恐怖を与える。
「ここにこんなのが生息していたなんて……!」
この不安定な空間に生息できる生物がいること自体鏡子にとって意外だったが、そもそもここには何があるのかわからない。この空間に飲み込まれた人間を捕食していることを考えると、かなり昔からいた生き物である可能性もある。太古の昔にここへ取り込まれた生き物や人間が進化したものなのか、それとも人の誕生より昔からここにいたのか……。考えてもわからないが、彼らが鏡子達を“餌”と認識しているのであろうことは理解出来る。
「ッ……離せっつーのッ!」
顔を踏みつけながら化け物を引き剥がそうとする英輔だったが、六本の腕が英輔の身体を捕らえて離さない。このままではバランスを崩して下に落ちてしまいかねない。
「ちょ、ちょっとやばくない……?」
どこか引きつった表情で周囲を見回す永久の後ろでは、怯える英輔をあれだけ叱咤していた由愛がプルプルと小刻みに震えながら永久のスカートを掴んでいる。
この狭い足場の中、この数を相手にするのはかなり厳しい。一匹一匹がそれ程戦力を持っているようには見えないが、明らかに不利なこの足場と数の差は永久達を絶望させるには十分過ぎた。
「こン……のォッ!」
ついに業を煮やした英輔が、魔術によって魔力を電流へ変換し、その全身から放出させる。英輔の電流をモロに浴びた化け物は感電したショックで一時的に動きを止め、そのまま下へと落下していく。
「っし!」
しかしそれが化け物達を刺激する結果になったのか、その場に集まっていた化け物全員が更に激しく羽根をバタつかせてこちらを威嚇し始め、ただでさえ震えていた由愛を更に怯えさせた。
「ば、馬鹿! 何刺激してんのよホント馬鹿じゃないの!? 沸いた!? アンタ頭沸いた!? やばいの!? 死ぬの!?」
「うるっせえな! ああしねえと俺があのまま死ぬだろーが!」
「ハァ!? 死ねば!? ホント死ねば!?」
「ちょっと二人共うるさい!」
鏡子が怒鳴った時には既に遅く、化け物達は一斉に永久達目掛けて飛びかかろうとし始めていた。
「やばっ……」
せめて何匹かだけでも消し飛ばさんとして甲冑姿に永久が変化した……その瞬間だった。
前方に見えていた光の中から、巨大な口が出現する。一般的に認知され、身近に存在する生物で例えるならトカゲに近い形状の口だが、その鋭い牙は、明らかに通常の生物のそれとは質のことなる頑強そうな鱗は、トカゲどころのものではない。
そうそれは正しく――龍だった。
「――私の後ろにっ!」
瞬間、永久の姿が白いロングドレス姿へと転じる。真っ白な両翼を羽ばたかせて上空を舞い、鏡子の前に降り立ったのとほぼ同時に、バックリと大きく開いた龍の口から空間全てを覆い尽くすが如き火炎が吐き出された。
永久の力でどうにか正面の火炎は相殺され、永久の後ろにいる鏡子達は無事だったが、相殺し切れなかった火炎が容赦なく左右の化け物達を焼き尽くす。そして数秒と経たない内にその場に集まっていた化け物達が焼き尽くされて落下していき、周囲に浮いていた人や物体も完全に焼き尽くされてしまっていた。
「はぁっ……はぁ……っ」
今の火炎を相殺したことでかなり力を使ったのか、相当疲労した様子で永久はその場に崩れかけると同時にいつものセーラー服姿へと戻ってしまう。どうにか背後にいた鏡子が支えたものの、しばらくはまともに戦うことも出来ないだろう程に永久は疲弊してしまっていた。
「な、何だったんだ……今の……」
何もかもが跡形もなく焼き尽くされてしまった周囲を見回し、英輔が困惑の声を上げる。由愛も同じく困惑しており、何が起こったのか理解出来ていないかのように辺りをキョロキョロと見回していた。
「鏡子っ……さん……今のって……」
永久の言葉に、鏡子はコクリと頷いて見せる。
「……ええ、“アレ”よ……」
光の向こうへ視線を向けながら鏡子がそう言った後、一瞬の間を置いて永久達はゴクリと生唾を飲み込んだ。