World9-5「その名は家綱」
ビショップと欠片が同じ場所に存在するであろうことが感覚的に永久にわかったのは翌朝のことだった。ドッペルゲンガー事件に関する調査を手伝うと言った手前、永久だけそちらへ向かうのも申し訳なかったが、理由を話せばすぐに家綱も由乃も承諾し、快く送り出してくれた。
高天原玄周という男が見つからない以上は由愛や英輔を元に戻すことが出来ないため、ひとまず二人は家綱達の元へ預け、ビショップと欠片の元へは永久とプチ鏡子だけで向かうことになる。感覚を頼りにビショップと欠片の気配を追い続ける永久が辿り着いたのは、町の外れにある薄暗い林の中だった。
「そういえば、一番最初はこうしてプチ鏡子さんと二人で行動してたっけ」
歩きながら不意に永久がそう言うと、ポケットの中にいたプチ鏡子がひょっこりと顔を覗かせる。
「そうだったかしら。でもあの時はすぐに要とか言う子と一緒に行動することになったと思うけど」
「あー、そっか。じゃあ私とプチ鏡子さんがホントに二人切りなのって、なんか珍しいね」
そう言って屈託なく笑う永久に、プチ鏡子はそうね、と短く答える。
「最初はプチ鏡子さんだけで、それで由愛が一緒に来てくれて、それでその後英輔も一緒に来るって言ってくれて……。色んな世界でも色んな人と関わって、色んな人と繋がって……」
そこで一度言葉を切った後、小さく息を吐いてから永久はもう一度口を開く。
「きっとそれが、“今”の私なんだなって、思うよ」
アンリミテッドクイーンである前に、刹那と同じ存在である前に、坂崎永久は坂崎永久だった。過去の永久が何であれ、今の永久は今の永久だ。欠片を通じて様々な人と出会い、繋がり、それを繰り返してアンリミテッドクイーンとしてではない、今の永久が続いていく。アンリミテッドクイーンとしての永久が、今の永久とまるで別人であったとしても、永久は永久で、思い出した後もきっと今の永久が続いていくんだと、そう信じたい。家綱の話を聞いて永久が出した結論は、かなり前向きなものだった。
「まだ昔のことは思い出せないし、受け入れられる自信はないけど、今の私が私なんだってことは、忘れないようにしたい」
「……そう。少し、強くなったのかも知れないわね、貴女は」
そう言って微笑んだプチ鏡子に、永久はもう一度屈託なく笑って見せた。
それからしばらく進んだ所で、永久は研究施設らしき建物を発見する。この自然の多い林の中には些か不釣り合いな建物ではあったが、ビショップと欠片の気配を強く感じるのはその建物からだった。
「なんかこの建物……変」
「……ええ、あまり普通とは言い難いわね」
確かにそこに建物は存在するのだが、どこかその存在が不安定であるように永久とプチ鏡子には感じられる。まるで本来はそこに存在しないものであるかのような異様な雰囲気を纏ったその建物に、不気味さを感じずにはいられなかった。
『よくぞ……よくぞよくぞよくぞよくぞおいで下さいました女王陛下』
「――ッ!?」
不意に永久の脳内に直接響いたのは、あのアンリミテッドビショップの声だった。
『さあ、お入りくださいませ女王陛下。このアンリミテッドビショップ、陛下のために全力でもてなして差し上げましょう……』
ビショップの声はプチ鏡子には聞こえていないらしく、プチ鏡子は何の反応も示していない。ビショップの目的があくまで永久一人だけだというのは明白だった。
「……行こう」
小さくそう呟いて、永久はゆっくりとその建物の中に入っていった。
建物の中は、どこか薄暗いことを除けば至極平凡で、特に罠か何かが仕掛けてあるようにも感じられない。しかし、どこか建物全体が異様な雰囲気を放っており、どうしても普通の建物のようにも思えない。ボンヤリとした違和感を抱いたまま、永久とプチ鏡子は無機質な廊下を歩いて行く。
ビショップの気配を頼りにしばらく進んで行くと、一際ビショップの気配を濃く感じるドアの前まで辿り着く。永久の感覚が正しければ間違いなくこの部屋にいるだろう、と予想するやいなや、再び永久の頭の中に直接ビショップの声が響く。
『流石は女王陛下。その部屋で正解でございます』
ビショップの声に、永久は反応を示さない。ただゆっくりとドアノブに手をかけ、静かにそのドアを開ける。部屋の中には特に何も置かれておらず、ビショップと、一人の中年男性がボーッと突っ立っているのみだった。それを不可解に思いながらも永久が部屋の中へ一歩踏み出すと、不意に永久の身体に電流が走った。
「――っ!?」
突然のことでわけがわからないまま、電流に身を焦がされ、呻き声を上げながら永久はその場へ膝から崩れ落ちる。共に電流を浴びたせいかプチ鏡子もポケットの中で呻き声を上げていた。
「な……にっ……!?」
「どうかしましたか? もしかして『予め仕掛けてあった魔法陣』でも踏みました?」
わざとらしくそんなことをのたまいながら、ビショップはフードの奥で笑みを浮かべたまま倒れた永久の元へ歩み寄って行く。
「変わりませんねぇ。その何も疑おうとしない愚かしさ……そういう意味では『彼女』よりも貴女の方が元のクイーンに近いかも知れませんね」
「『彼女』……? それって刹――」
永久が言葉を言い切らない内に、ビショップは永久の顔面目掛けて容赦なく蹴りが叩き込まれる。
「喧しいぞ女王の残骸めが。貴様はクイーンである『彼女』の残りカスに過ぎません。それに今は私が発言中です」
「あな……っ……た……!」
身体をどうにか起こしつつ、流石の永久もその表情に怒りを露わにするが、それには構わずビショップは嘲るような笑みを浮かべたまま勢い良く指を鳴らした。
パチン、という音と共に空中に半透明の魔法陣らしきものが出現し、更にそこから大人の拳程の岩と、子供が使うようなデザインの小さな鋏、そして永久の顔を覆い尽くす程面積を持つ紙が出現する。
「ロック、シザース、ペパー……ゴー」
ビショップがそう言うと同時に、まず岩が凄まじい速度で永久の顔面へ直撃した。
「がっ……ァ……っ!?」
永久が仰け反ると同時に、今度は鋏が永久の喉元目掛けて飛来する。なんとか回避しようとする永久だったが、避け切れずに鋏は右肩へと突き刺さり、その鮮血を周囲へ散らせる。
そして今度はその痛みに呻く余裕さえないまま、凄まじい速度で飛来した紙が永久の顔面を覆い尽くした。
「こっ……のっ……!!」
視界を奪われ何とか紙を引き剥がそうともがく永久を指差しながら、ビショップはケラケラと不愉快な笑い声を上げていた。
「たかがじゃんけんじゃないですかぁ。何をそんなに必死になってるんですぅ?」
わけがわからない。何を言われているのかも、何をされているのかもよくわからない。どうにか強引に紙を引き剥がし、永久はその瞳に激情を露わにした。
「フン、残りカスでも怒りは感じますか」
「ふざけないでっ!」
瞬時に甲冑姿に変わった永久は、勢い良く両手で大剣をビショップ目掛けて薙いだが、それはビショップに片手で止められてしまう。
「嘘っ……!?」
大剣とビショップの手の間には先程岩や鋏を出現させた魔法陣と同じような魔法陣が出現しており、どうやら永久の大剣はその魔法陣によって止められているらしかった。
「どうです? ちっとは思い出しました?」
「このっ……!」
先程岩が直撃した際に眉間に出来た傷跡から、だらりと赤い血が流れ出る。その不快さに顔をしかめながらも、永久は大剣を振り抜かんとしてその両腕に力を込めた。
だがしかし、鋏による傷も浅いわけではない。右肩に走る激痛は、ついに永久の手から大剣を取り落とさせた。それと同時に、永久の姿はいつものセーラー服へと戻っていく。
「っと。止めは刺すなと『彼女』に言われておりましてね。お遊びはこの辺にしておきましょうか」
「な、なあ……やり過ぎじゃあないのか……?」
つまらなさそうに永久から離れて行くビショップに対してそう言ったのは、今まで黙って永久とビショップの様子を見ているだけだった中年男性だった。
「いえ……いえいえいえいえ問題ありませんよ。彼女人じゃありませんし。どうです? ここは一つ、彼女で彼らの実験でもしてみては?」
「そ、そうだな……。ある程度戦闘力がなくっちゃあ売り物には出来んな……」
「でしょう!」
そう言うやいなやビショップが指を鳴らすと、今度は天井付近に六つの魔法陣が出現する。
「さ、さっきから何なんだ、その変な魔法陣は……」
「何って、魔法です」
そう答えてビショップが微笑んだのと同時に、六つの魔法陣から人型の何かが一体ずつ落下するようにして現れる。そのどれもが顔を持たず、男とも女とも取れない体格の真っ白なマネキンと言った感じで、不気味にゆらゆらと蠢いている。
「さて、鯖島間黒様の最高傑作である人造人間の力、見せていただきましょうか」
「人造人間、鯖島間黒って……まさか!」
家綱や由乃が捜しているドッペルゲンガー事件の犯人、鯖島間黒である。どうやらビショップと家綱達の追っている事件は繋がっていたらしく、おまけに六体の人造人間からは欠片の気配を感じるため、奇しくも永久は最初からずっとビショップによる事件に関わっていたことになる。
状況は一対六。加えて永久はビショップからのダメージが色濃く残っている上、人造人間は全て欠片の力を持っている。一体や二体ならまだしも、六体同時に相手するとなると今の状態では流石の永久も厳しい。
「くっ……!」
どうにかショートソードを出現させて、永久は身構えた。右肩はまだ痛むが、剣を振れない程ではない。流石にあの大剣程の重量だと先程のように取り落とすような結果になるが、このショートソードならばまだ振れないことはない。
「永久、無茶よ!」
「ダメだよプチ鏡子さん……多分、戦うしかない……!」
プチ鏡子にそう答え、永久はビショップを睨みつける。出来れば永久も一度退きたいところだったが、あのビショップがそう簡単に永久を逃がすハズがない。何か策があるかも知れないことを考えれば、それにハマるよりはここで足掻く方が幾分かマシなように思える。
しかし状況は一対六。現状を再認識し、永久の額を血と厭な汗が流れた――その時だった。
「なるほど、アンタらが黒幕ね」
不意に、廊下の方から男の声が響く。
「……誰です?」
低く、ビショップが問う。すると、男はゆっくりと部屋の中に入って来て、そっと永久の頭に手を置いた。
「あ、あなたは……」
「聞かれたんなら答えるしかねえ……よなぁ?」
男の後に続くようにして、一人の少年と小さな女の子が部屋の中へと入ってくる。その見慣れた二人の顔を見た途端、永久の表情に少しだけ光が刺した。
「まあ、答えてさし上げてもよろしいのではなくって?」
そう言った少女、由愛にだよなぁ、と軽い調子で答え、男は丈の合っていない長すぎるトレンチコートをわざとらしく翻した。
「俺の名は七重家綱……。この町の探偵で、そこにいる少女の――」
そこで一旦間を置いて、永久に微笑みかけてから男は――家綱はこう言う。
「上司の上司だ。な、助手の助手さんよ」
不敵に笑った家綱がどこか頼もしく感じて、永久は少しだけ微笑んで見せた。




