World9-2「ようこそ七重探偵事務所」
七重探偵事務所。浮気調査にペット探し、超能力犯罪調査まで幅広く請け負っているらしい罷波町の(自称)頼れる探偵七重家綱が運営するという七重探偵事務所が、公園に現れた少女の職場だった。彼女に案内され、様子のおかしい二人を連れて事務所を訪れた永久が最初に見たのは、デスクに突っ伏して眠る一人の男の姿だった。
恐らく彼が七重家綱なる人物なのだろうが、その姿はとても探偵とは思えない程にだらしがなく、半開きになった口からはよだれまで垂れているのだからもう呆れるしかない。
「あらあら家綱君今日もお昼寝?」
口元に手をあててクスクスと笑う変な英輔をチラリと見て、今度は永久に対して熱い視線を送ってくる由愛の方へ目を向ける。二人共ガラリと人が変わってしまっているかのようで、未だに永久は困惑を隠せない。
「この……」
声を怒りで震わせつつ、肩を怒らせてデスクまで歩いていくと、少女は眠っている男の頭を右手で思い切り引っ叩く。
「アホ綱! どんだけだらしないんだよお前は!」
引っ叩かれて身体をびくつかせると、すぐに男は顔を上げて怒声を撒き散らす。
「いってェな! 何すんだよ!?」
「ハァ!? 逆ギレ!? こんな時に何呑気に寝てんだよ! ほら、お客さん!」
「あァ? 客だァ……?」
口元のよだれを拭いながら永久の方を見た途端、急に傍に置いていたソフト帽をかぶり素早い動作でソファに腰掛けると、男は気取った動作でソフト帽を抑えながら永久へ視線を向けた。
「俺はこの町の頼れる探偵、七重家綱です……どうぞ、よろしく」
「え、あ……はい」
全然説得力がなかった。
男の名は七重家綱。この罷波町で探偵をやっている男で、もう既にこの町ではいくつもの事件を解決しており、一度は町を救ったことさえあるのだとか。先程見ただらしのない姿を思えばとてもそんな風には見えないが、別に嘘を吐いているようには見えない。
そして永久をここまで連れてきてくれた少女は家綱の助手である和登由乃で、事務所での雑務はほぼ全て彼女が行っているらしく、彼女が言うには家綱が役に立つのは事件の時くらいなのだそうだ。
「なるほどね……。じゃあ坂崎さんは観光でこの町に来たんだ?」
「うん、まあそんな感じ……」
アンリミテッドだの欠片だの急に説明するわけにもいかず、適当に観光客を装う永久だったが、やはり嘘を吐くのは罪悪感があるのだろう、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。
「で、そこのオカマ少年と変な幼女の名前は?」
そう言って家綱が視線を向けたのは、相変わらずしなを作っている変な英輔と、永久に対して未だに熱烈な視線を送り続けている由愛だった。
「いや、あの、普段は全然こんなのじゃないんだけど……」
「そんなことないわ。私はいつだって貴女のような女の子が大好きよ」
そんなことをのたまいながらウインクまで飛ばしてくるのだから本当に今の由愛は何かがおかしいし、英輔は英輔で事務所の中を勝手知ったる他人の家とでも言わんばかりに歩き回り、何か食べ物はないかと漁りまくっているのだから始末におえない。正直永久にもプチ鏡子にもどうすれば良いのかわからなかった。
「特にそこのオカマ少年! 人様の事務所を勝手に漁ってんじゃねえ!」
「あらやだ家綱君冷たいじゃない……。私だってこの事務所の住人みたいなものなのに……」
「ンなわけねーだろ! お前みたいな気持ち悪いの俺は知らな――」
「あの、家綱、家綱……」
家綱が言葉を言い終わらない内に、隣で由乃が肩を叩く。
「すっごい言いにくいんだけど、その人多分葛葉さんだし、あの女の子は纏さんだよ……」
「は? お前何言って……」
言いつつも家綱はしばらく考え込むような表情を見せた後、何かに気づいたかのようにあ、と声を上げてから深く溜め息を吐いた。
「嘘だろおい……」
七重家綱は、七つの人格を持った探偵である。ミステリアスで大食いの葛葉、ロリコンのアントン、女たらしの晴義、お嬢様のロザリー、巫女の纏、そしてセドリックに加えて主人格の七重家綱、七つの人格を持ち、その人格に合わせて身体と能力を変えるのが七重家綱の持つ超能力である。
この世界では既に科学的に超能力が解明されており、人間には誰にでも潜在的に超能力が備わっているため、手術で解放することが出来るようになっている。彼らの口ぶりでは超能力はわりと一般的な存在になっており、超能力という言葉が簡単に出てきたことに驚く永久を訝しがっていた。
「それで、どうしてその七重さんの他の人格が由愛や英輔に……?」
「うん、それにはアホみたいな事情があるんだけど……」
それはなんてことのない昼下がりの七重探偵事務所でのことだった。
様々な事件を解決し、知名度が高まっていた七重探偵事務所には、連日様々な依頼が舞い込むようになっていた。当然、それに伴って家綱の能力についても認知度が高まり、挙句の果てには小さな子供が事務所まできて「変身見せてよ!」と頼み始めるくらいにまで家綱の能力は罷波町の中で認知されつつあった。そんな中、七重探偵事務所に訪れたのは、霊能者を語る奇妙な袈裟のようなものを身に纏った男だった。
「私の名は高天原玄周。しがない霊能者です。七重様、私は貴方の噂を聞きつけて此方を訪れたのです」
最初はただの依頼人かと思って中へ通した家綱達だったが、高天原玄周が事務所を訪れた理由は依頼などではなかった。
「七重様、今貴方の中には貴方を含めて七つの人格があるそうですが……よく聞いてください、いいですか、それらは全て『悪霊』です」
「……あ、『悪霊』?」
聞き返した家綱に、玄周は、はい、と重々しく答えるとすぐに言葉を続けた。
「このままでは危険です。貴方はいずれ悪霊達によってその身体を奪われることになるでしょう……。それは避けなくてはならない……そこで!」
ゴトリと音を立てて机の上に置かれたのは、透き通った水晶球だった。更に玄周の手には数珠が握られており、次に玄周が何を言い始めるのかは考えなくても想像出来た。
「この高天原玄周が責任を持って除霊致しましょう」
「いや、いい、そういうのは、いい……」
首を左右に振りながら右手で玄周を制する家綱だったが、既に玄周は経文のようなものを唱え始めてしまっており、聞く耳持たぬといった様子だった。
「あ、あの、玄周さーん……」
由乃の呼びかけにも答えず、ただひたすらに呪文めいた言葉を唱え続ける玄周の方こそ何かに取り憑かれているかの様子で、もうまるで止まる気配がない。
「オンバラバラバラオンバラバ……」
経文かどうか非常に怪しい上にまともな呪文なのかどうかさえも疑わしい言葉を羅列しながら、玄周が至って真剣な表情で数珠を振り回し始めたところでやばいと思ったのか、事務所から逃げ出そうと立ち上がった家綱の顔面目掛けて、勢い良く玄周の数珠がぶつけられた。
「破ァーーーーーッ!」
玄周の叫び声が聞こえた頃には既に、家綱がその場に倒れ込んで気絶してしまっていた。
「で、気づいた時には家綱以外の人格がどっかへ行っちゃってたみたいなんだ……。家綱が目を覚ました時にはもう玄周さんドヤ顔で帰っちゃってて……」
困り果てた様子で溜め息を吐いた由乃に同調するように、隣で家綱も深く溜め息を吐いてた。
「えっとじゃあ、その他の人格が偶然由愛と英輔に乗り移っちゃった……ってこと?」
「そうみたいだね。だけど僕はそのおかげで君という宝石を発掘することが出来た……そう考えれば、これも悪くないかなって思うんだよ」
いつの間にか他の人格に切り替わっていたらしい英輔は素早く永久の隣へ座り込むと、永久の肩に馴れ馴れしく手を置いて爽やかな笑みを浮かべていた。
「……悪いな、うちのアホ共が」
「あ、うん……ちょっと困ったかなぁ……流石にこれは……」
別の人格に切り替わったらしく、仏頂面で座り込んでいる由愛を見つつ、永久はもう一度溜め息を吐いた。
「それで玄周さんとどっか行っちゃった葛葉さん達を捜してる内に、公園で坂崎さん達に会ったってわけなんだ」
聞いた感じではどうもこの件は欠片とは関係ないようだったし、家綱や由乃からは欠片の気配を感じられない。この町に欠片があることだけはハッキリと感じられたが、とりあえず欠片探しは由愛と英輔を元に戻してから、という形になりそうだった。
「まったく……依頼も来てるってのに何でこんなことになってんだか……」
「あ、あの……」
困り果てた様子の二人に対して、おずおずと永久は声をかける。
「良ければ、依頼と玄周さん捜し、手伝わせてもらえないかな?」
「いやいや、流石にそれは悪い。この二人は責任を持って俺達がどーにかするが、アンタに手伝ってもらうのは忍びねえよ」
そう言って断る家綱だったが、永久の方も退かない。このままでは何も進展しないだろうし、欠片を探すのであれば足を使って動き回る必要がある。目的もなく町の中をただぶらつくよりは、彼らの依頼を手伝いながら欠片探しを平行して行った方が幾らかマシなように思えたし、何よりこの町に来たばかりの永久には土地勘がない。この町で長く探偵をやっているであろう彼らと共に行動した方が効率は良いハズだった。
「私、この町で探してるものがあるんだ。でも来たばかりで右も左もわかんないし、良ければついでに色々案内もしてもらえたらな……って」
「うーん……どうする?」
由乃の言葉に、家綱はしばらく考え込むような仕草を見せたが、やがて深く頷くとわかった、とだけ短く答えた。
「別の身体にいるとはいえ、葛葉達の力も借りたいしな……。アンタらには、俺の助手の助手でもお願いすっかな」
そう言って笑みを見せた家綱に、永久は嬉しげに笑みを返して見せた。