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World×World  作者: シクル
Floral Hearts ~忘却のローズマリー~
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World8-7「忘却のローズマリー」

 次元歪曲システムの数値の変動を確認し、美奈子はすぐさま例のアンリミテッドが戦闘行為を開始したことに気がついて、システムを操作し始める。時は一刻を争う。あの男に限らず、他のアンリミテッドまで覚醒しているかも知れない可能性を考えれば、事態はかなり深刻であると言えた。

 恐らく戦闘を行っているのは坂崎永久。彼女を援護しつつあの男に対処しなければならないが、果たしてコアが完全なアンリミテッド相手にどこまでやれるのだろうか。魔弾も改良こそされているものの、まだアンリミテッドを撃破する有効打とは言い難く、コアの不完全なアンリミテッドクイーン、刹那の動きをしばらく止めるのが精一杯だったところを考えると、あの男に対しては更に効力が薄れる可能性が高い。

 空間の裂け目をシステムによって出現させ、移動を開始しようとした瞬間、通信システムに本部から連絡が入る。何事かと思いながらも接続し、応答した瞬間、美奈子は驚愕に表情を歪める。

 通信を終え、静かに回線を切断した後、美奈子は出現させていた空間の裂け目を閉じ、困惑した表情を浮かべたままシステムをスリープさせる。

「馬鹿な……何故…!?」

 その日、下美奈子は永久とアンリミテッドの元へは向かわなかった。









「はぁっ……はぁっ……!」

 息切れを起こしながら身構える永久を前に、男は恍惚とした表情を浮かべていた。

「お前は昔っからそうだ……俺のことをたかが雑兵ポーンと侮るからそうなるんだよォ~ッ!」

 アンリミテッドポーン。確かこの男を、かつて永久はそう呼んでいたように思う。

 昔も、今のように戦っていた。このポーンと呼ばれるアンリミテッドと何度も刃を交え、一人で戦い続けた記憶がボンヤリと蘇る。それは孤独な戦い。アンリミテッドたるポーンに太刀打ち出来たのは、同じアンリミテッドであるクイーンだけで、他の人間は逆に足手まといだった。化け物同士の戦いに巻き込まれて誰かが死ぬくらいなら、戦うのは独りで良い、たった独りで構わない。元より、戦えるのは永久独りだ。

「そう、貴方はたかがポーン……。私一人で、十分片付けられる」

「言ってくれるじゃないの。今のその顔グーよグー! 大好きだぜェーッ!」

 再び、凄まじい速度で男が――ポーンが永久へと接近する。すかさず永久も二本のショーテルで応戦したものの、これまでの戦闘による疲労と、先日の傷口のせいもあってか最早防戦一方であり、最初にポーンと戦っていた時のような勢いはもうない。簡単にポーンの勢いに押し負けてしまい、弾かれた二本のショーテルは宙を舞って消え、永久の姿もいつもの制服姿へと戻ってしまう。

「しまっ――」

「その顔もGoooooooodッ!」

 奇声にも似たポーンの叫びと共に、永久のへと短剣が振り下ろされた――その時だった。

「さっ……せるかぁっ!」

 突如永久とポーンの間に割り込んだ小さな白い影が右手をかざし、そこから出現した黒い円盤状の盾がポーンの短剣を受け止めたのだ。

「何ィ……?」

 不愉快そうな表情を浮かべるポーンだったが、その腹部にすかさず少女は……由愛は左手を叩きつける。

「邪魔よこの変態っ!」

 ゼロ距離で発射された由愛の黒弾がダイレクトにポーンの身体に直撃し、そのひょろりとした体躯を数メートルふっ飛ばしたところで、由愛は息を切らせながら永久の方を振り向いた。

「由……愛……?」

「馬鹿……永久の馬鹿! 大馬鹿! 今回は英輔より馬鹿よ!」

 突然の罵倒に戸惑う永久だったが、由愛は構わず言葉を続ける。その赤い瞳にいっぱいの涙が溜め込まれていることに気がついて、永久は息を呑んだ。

「永久は大事なことを忘れてる……! あの変な男にあってから、ずっと独りで戦ってるみたいな顔しちゃって、ふざけないでよ馬鹿!」

 独り、一人で良かった。あんな化け物の相手をするのは、同じ化け物である自分だけで良い……そう思っていたし、昔はずっとそうだった。誰にも頼らないで、自分だけの力で戦い続けた。それは今も変わらない、アンリミテッドは、アンリミテッドである自分の手で滅ぼさなければならないから。

「今の永久の顔、まるで出会った時のあの女みたい……。あの女は確かに一人だったかも知れないけど、永久もそうなの!? そう思ってるの!?」

「そ、それは……」

 口ごもる永久に対して、由愛は畳み掛けるようにして言葉を続けた。

「他のアンリミテッドは確かに強くて、私じゃ敵わないかも知れない。でもだからって、永久が一人で背負い込むことないじゃない……っ!」

 言われたことのない言葉が、永久の胸を温かく満たしていく。初めての感覚に、どう反応して良いのかわからないまま永久は戸惑っていた。

 そんな永久の手を、そっと小さな手が掴んだ。それはとても力強くて、温かい。だけど儚い、そんな手だ。あれから何度も伸ばそうとしていたのかも知れない。だけど永久はそれを見ようともしないで、一人で戦うことを選んでいた。今までそうだったように、これからもそうあるのだと、思い込んでいた。

「遠くに行かないで、永久……」

 涙声でそう言いながら、由愛は永久にそっと抱きついた。ああ、きっと寂しかったんだ。そう気がついて永久は、申し訳なさそうに目を伏せた。

「頼りないけど、私がいる、鏡子もいる……馬鹿だけど、英輔だっているから……一人になんて、ならないで……。少しでも良い、もっと頼ってよ……っ!」

 頼るなんてことは、考えたこともなかった。いつも頼られることはあっても、永久から頼ろうとして頼ったことは、きっとない。それは、昔も同じだった。

 確かに頼りないかも知れないけど、こんなにも温かくて優しい手に、どうして今まで気付かなかったのだろう。居場所がどうだとか、人のことばかり言うわりに、永久自身は大切なものを見失っていたのかも知れない。

 アンリミテッドは、永久が倒さなければならない。でもそれは、永久が「一人で」倒さなければならないという意味ではない。

「うん、ごめん。ごめんね、由愛……」

 瞬間、ポーンの刃が由愛へと迫る。それを見逃さず、永久はキッとポーンを睨みつけた。

「こンのクソガキャァッ! 人の愉しみの邪魔ァしてンじゃねェぞォォォオオッ!」

 ポーンの存在に由愛が気付くと同時に、眩い光が辺りを包み込む。光が収まってすぐ、目を開けた由愛が見たのは、ポーンの短剣をショートソードで受け止める天使のように真っ白な両翼を持った永久の姿だった。

「永久……永久っ!」

「傷つけさせない……由愛は、私の大切な仲間だから……!」

 そこにいたのは、いつもの永久で。

 由愛の知っている、由愛の大好きな坂崎永久。アンリミテッドクイーンでも、一人で戦う化け物でもない。由愛を救い、一緒に居場所を探してくれようとした、一人の少女の姿だった。

「その顔はつまらねェ」

「そう? 私は今の方が気持ちが楽だし好きだよ」

 勢い良くショートソードを振り抜いてポーンを弾き飛ばして、永久は由愛の傍に寄り添うようにして立ち、優しく由愛に微笑みかけた。

「今度は“一緒に”……。それならきっと、勝てるから」

「うん……うん!」

 溢れ出す涙を何度も拭いながら、由愛は何度も頷いた。

「くだらねェ! そんな小娘にゃ何も出来ねェよォ……ッ!」

「どうかな……私はそうは思わないけどね……!」

 両翼を羽ばたかせ、永久は空中からポーンへ切りかかる。短剣で永久のショートソードを受けるポーンだったが、すぐに上昇しては別の方向から急降下して切りかかる永久を前に、ポーンは防戦一方だった。しかしかと言って圧倒されているわけではない。スピードではポーンの方が上だったし、ヒット・アンド・アウェイを繰り返す永久の戦法では、ポーンを倒すことは出来ない。

「つまんねェことしてんじゃねェぞォッ!」

 怒りを露わにしながらポーンは跳ね上がり、攻めに転じて空中の永久へと切りかかる。二人がそんなやり取りを繰り返している間に、由愛は何度も何度もポーンへと黒弾を飛ばしているが、どれも明後日の方向へ飛ぶばかりで、ポーンの身体へはかすりもしない。ポーンが早過ぎて、由愛の肉眼では捕らえることが出来ないのだ。

「あの小娘なんて糞の役にも立っちゃいねェだろうがァーッ!」

「ふぅん、そっか。気づかないんだ……!」

 強く振り抜かれたショートソードに弾かれ、ポーンは再び地面へと着地してチラリと周囲に目を向けたところで、今まで由愛が何故黒弾がポーンに当たらないとわかっていながら飛ばし続けていたのかを理解して、思わず息を呑んだ。

「空中に……設置だと……!?」

 気がつけばポーンの周囲には、由愛の飛ばした黒弾がいくつも浮遊していた。由愛の方はそれを維持するためか、震える右手を左手で抑えながら必死でかざしている。

「はぁぁっ!」

 次の瞬間、永久が勢い良く急降下し、ポーンへと切りかかる。何とかショートソードを短剣で受けるポーンだったが、そのまま鍔迫り合いへ突入する。落下時の勢いもあってか永久の一振りは強く、簡単には押し返せないまま身動きを止められたポーンは、これから由愛と永久が何をするつもりなのか理解して、その瞳に焦りの色を浮かべた。

「今だっ!」

「わかってるっ!」

 永久の合図と同時に、由愛は勢い良く開いていた右手を強く握り込む。それと同時に、設置されていた黒弾が凄まじい勢いでポーンへと飛来した。

「ま、間に合わな――」

 ポーンが言いかけた時には既に、永久は上空へと飛翔し、黒弾の射程範囲外へと移動していた。

「行っけぇぇぇぇぇっ!」

 無数の黒弾を全身に浴びて打ちのめされたポーンだったが、すぐにその身体を起こして由愛を睨みつける。やはりアンリミテッドは一筋縄ではいかないらしい。

 しかし由愛は狼狽えることも、驚くこともしていない。それどころか、薄っすらと笑みさえ浮かべていた。

「終わりだ、ポーンっ!」

 白いオーラをショートソードに纏わせ、ポーンへと急降下する永久の姿が、そこにはあった。

「貴様ら、貴様ら貴様ら貴様ら貴様らァァァァッッ!」

 絶叫も虚しく、永久のショートソードがポーンの身体を切り裂いた。

「がッ……アァッ……ッ!」

 アンリミテッドとしての力を込めた永久の渾身の一撃は流石に効いたらしく、傷口から鮮血を飛び散らせながらポーンはよろよろと後退する。既にその背後には、ポーンが生み出したのであろう空間の裂け目が現れていた。

「永久、逃げちゃう!」

 由愛の言葉に、力を使い過ぎ、疲労して制服姿に戻っていた永久は慌ててポーンへと駆け寄ったが、その頃には既にポーンは空間の裂け目の中へと入り込んでいた。

「この借りは必ず返すぜ……アンリミテッドクイーン、それにそこのクソガキィ……ッ!」

 そんな捨て台詞を残して、ポーンは裂け目の中へと消えていく。そしてその後瞬きもしない内に閉じた空間の裂け目を少しだけ見つめた後、永久は小さく息を吐いた。

「……ありがとう、由愛」

「お礼なんて良いわよ……もう」

 頬を赤らめながらそっぽを向いた由愛が、永久にはたまらなく愛おしかった。





 その双眸に怒りを湛え、英輔はゆっくりと誠也へ歩み寄る。誠也の方は怯え切った様子で先程と同じように自転車を英輔目掛けて飛ばし続けるが、掠りもしないまま自転車は地面へと落下していく。英輔が避けているのではなく、むしろ動揺している誠也のコントロールが狂っている、と言った方が正しい。現に英輔は、一度も回避行動を取っていない。

「や、やめろ来るな! 寄るんじゃあない! このッ!」

 再び飛ばした自転車も、英輔に当たることなく明後日の方向へと飛んで行く。気がつけば既に、英輔は誠也の眼前まで迫ってきていた。

「おい」

 静かな、しかしそれでいて確かな怒気の込められた英輔の声に、誠也は肩をびくつかせる。

「ま、待て……! わかった、彼女からは離れよう、とりあえず一旦離れよう! まず話をしようじゃないか! な? な? 大事なのは対話だ対話! 君の意見を聞き入れようじゃないか!」

 必死に言葉を並べ立てる誠也だったが、英輔は少しも表情を変えない。むしろその怒りのボルテージは更に高まっているようにさえ見える。

 案の定、次の瞬間には誠也の胸ぐらが英輔によって掴まれていた。

「テメエは西原の意見を一度でも聞き入れたのか!? あァ!?」

「か、彼女は……俺が好きなんだ……意見なんて聞かなくったって俺の言葉に従う、ハズだ……。そうだ、俺が彼女を好きなように彼女も俺を――」

 英輔の剣幕にびくつきながらもふざけたことをのたまう誠也に、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、英輔は右拳を振り上げた。

「歯ァ食い縛れッ!」

「ひィッ……!」

 悲鳴を上げて竦み上がった誠也の顔面へ、容赦なく英輔の拳が叩き込まれる。その勢いで派手に吹っ飛んだ誠也だったが、英輔はそれには一瞥もくれないですぐに詩帆の元へ歩み寄って行く。

「英輔君……英輔君!」

「悪い、俺だけの力じゃ西原を元には戻せねェんだ……。後は、アイツに頼まないとな」

 申し訳無さそうにそう言った後、英輔は既にポーンとの戦いを終わらせ、英輔達の元へ駆け寄って来ている永久達の方へ視線を向ける。欠片を奪い、その力を完全に無効化出来るのはアンリミテッドであり欠片の持ち主である永久だけだ。

「あっちはあっちで、一段落ついたらしいな」

 いつもと変わらない表情を浮かべる永久と、その後ろを走る由愛のどこか安心しているかのような様子を見て、英輔は安堵の溜め息を吐いた。

「こんな、こんなボロボロになっちゃって……私……本当に……」

「何を謝ることがあるンだよ。気にすんな、俺が勝手にやったことだ、恩着せがましいことなんか言わねぇよ」

 そう言ってチラリと誠也の方へ目を向け、アイツじゃあるまいし、とややおどけた様子で英輔が笑みをこぼすと、今まで泣きじゃくっていた詩帆も少しだけ微笑んだ。

「これでお前は元の生活に戻れるんだ」

「うん……うん!」

 たまらなくなったのか飛びついてきた詩帆に、どうしたら良いのかわからないでただ頬を赤らめる英輔だったが、そんな様子にイラついたのか、すぐ傍まで近づいていた由愛の蹴りが英輔の足へ容赦なく襲いかかる。

「何ニヤけてんのよこの馬鹿!」

「いってェッ! 普通そういうことやって水差すかよ今ッ! つーか怪我人だぞ俺!?」

 蹴られた部分を抑えながら喚く英輔を見てクスリと笑みをこぼした後、永久はゆっくりと倒れた誠也へと歩み寄り、そのショートソードを突き立てんとして振り上げたが、それは振り下ろされる直前でピタリと止められることになる。

「良いのかァ……? 俺から力を奪っても……!」

 不意に口を開いたのは、倒れていた誠也だった。

「確かに俺を消せば彼女は元に戻る。でもそれがどういう意味なのかお前らは……特にそこの阿呆はわかっていないらしいなァ……」

「ンだと……!?」

 ギロリと誠也を睨みつける英輔だったが、既に諦めているせいか、それとも何か策でもあるのか、誠也は怯えるどころか下卑た笑みを浮かべるばかりだった。

「元に戻った彼女に、精神体だった時の記憶があると思うか……?」

「――っ!」

 誠也のその言葉に最も強く反応を示したのは、他でもない西原詩帆だった。

「考えても見ろよ。彼女を繋ぎ止めているのは俺だ……。その意識も、記憶も全てだ」

「まさか……ッ!」

 声を上げた英輔に、そのまさかだよ、と呟くように答えると、誠也はニタリと笑みを浮かべた。

「俺を消せば、あの欠片に蓄積されているであろう今の彼女の記憶は……消える!」

「そんな……っ!」

「本当なのか、永久ッ!?」

 その場に泣き崩れる詩帆を見、誠也は声を上げて笑い始める。その不快さに苛立ちながらも、英輔が永久へそう問いかけると、永久は悲しげに目を伏せた。

「……うん。その子の記憶は多分、この男が持ってる欠片の中にある……。そもそも欠片の力で無理矢理引っ張ってきてるだけみたいだから……」

 今の詩帆は、欠片の力で精神だけが肉体から引き離されている状態で、肉体とのリンクがかなり薄まっている。そのため、経験や記憶は肉体へ蓄積されるのではなく、詩帆の精神を縛り付けている根源、欠片の方……誠也の方へ蓄積されているのだ。その欠片を誠也から奪い、誠也を完全に消滅させてしまうということは――

「私、英輔君のこと忘れちゃうの……?」

「ああ、そうだ。あの阿呆のことは忘れて、お前は事故より後の記憶を失うんだ……! ざまあみろ! 俺の言う通りにしないからだ!」

 誠也の高笑いと共に、詩帆のすすり泣きが聞こえる。やるせなく目を伏せることしか出来ない永久と由愛だったが、英輔の方はもう既に覚悟を決めているかのような表情で、ジッと永久の方を見ていた。

「永久、頼む」

「えっ……?」

「西原を、元に戻してやってくれ」

「――っ!」

 英輔の言葉に動揺する永久だったが、その瞳から決意の程を察したのか、やがて永久も表情を引き締め、小さく頷いた。

「……わかった。でも、良いの?」

「……ああ」

 英輔が頷いたのを確認し、誠也へとショートソードを突き立てようとする永久だったが、その手は詩帆の悲鳴によって止められる。

「ダメっ……やめて! そんなことしたら、私、英輔君のこと……!」

 永久を止めようとしたのか駈け出した詩帆だったが、すぐに英輔はそれを制止する。

「お前は、元に戻らなきゃダメだ。俺のことは、忘れてくれて良い」

「嫌だよそんなの……だって私今、英輔君のこと――」

 詩帆が言葉を言い切る前に、英輔は首を左右に振る。それが何を意味しているのか気が付いて、詩帆は再びその場に泣き崩れた。

「例えお前が忘れたって、俺は忘れない」

「やめてよそんなの……! だって私、もう英輔君のことわからなくなっちゃうんだよ……?」

 とても、とても短かったけれど、今日まで過ごした英輔との日々は、詩帆にとってはかけがえのない大切な「記憶」だった。たった一人で町の中を彷徨い続けた詩帆を救った、たった一つの光だった。けれど消したくない、忘れたくない、そう祈り続けたところで、詩帆の意思ではどうにもならなかった。

「英輔君は辛くないの……? 私が英輔君のこと忘れたって、どうでも良いの……?」

「良いわけ……ないだろッ……!」

 勢い良く、英輔の拳が地面に叩きつけられた。どこにもぶつけようのない怒りが声を、身体を、震わせる。そんな英輔を見て、どんな思いで英輔が決意したのかが少しわかったような気がして、詩帆はたまらずに涙を流し続けた。

「だけど、西原は、このままじゃダメだ……! 待ってる奴らがいるんだろ……!? 辛いのも、悲しいのも……ここで終わらせるって、言ったじゃねえか……ッ!」

 良いハズがなかった。英輔がいて、詩帆がいて、ほんの短い間だけでも心を通わせていたあの瞬間が、詩帆の中でなかったことになってしまうなんて、良いわけがなかった。忘れてくれて良いだなんて、少しも思っていない。けれども、それは英輔の勝手な想いだ。詩帆には待っている人がいて、元に戻った方がきっと幸せで、何より英輔は、例え詩帆が英輔のことを覚えていてくれたって、一緒にはいられない。この世界に留まっていることなど、英輔には出来ないのだ。

「頼む……永久ッ……!」

 涙をこらえるかのような英輔の言葉に、永久は強く頷いて見せた。

「ごめんね、英輔君……ありがとう」

 そう言って詩帆が英輔に抱きついたのと、永久のショートソードが誠也の身体を貫いたのは、ほとんど同時だった。

 誠也の身体から光が溢れ、やがてそれがビー玉の破片程度へ収束する。それに連れて、段々と詩帆の姿が英輔の視界から薄れていく。

「俺は、忘れないから……」

「私だって……覚えてるっ……絶対……!」

 ピンと弾き出されるようにして誠也の身体から欠片が飛び出した頃には既に、そこに詩帆の姿はなかった。

「さようなら、西原」

 呟くようにそう言って、英輔はそこに感じる彼女の残滓を抱き締めた。









 翌日、西原詩帆は目を覚ました。

 二ヶ月以上昏睡状態だったため、退院するのにはもう少し時間がかかるようだったが、命に別状はなく、リハビリや検査を終えれば無事に退院出来るとのことだった。

 撃退したポーンは既にこの世界にはいないらしく、また、欠片も誠也から回収したものだけだったようで、とりあえずこの世界での事件は一段落、という形になり、ある程度休息を取った後永久達はすぐに次の世界へ移動することを決める。そして次の世界へ移動する当日、永久達は最後の挨拶がてらに詩帆のいる病院へ見舞いに行くことを決めた。英輔は最後まで渋っていたが結局一緒に行くことになり、永久達は翔や奏と共に詩帆のいる病院へと向かった。

「あ、翔君、奏ちゃん!」

 病室のドアを翔が開けると、詩帆はすぐに身体を起こして屈託のない笑みを浮かべる。じゃれつく奏と楽しそうに話す詩帆の姿を見て、英輔は静かに安堵の溜め息を吐いた。

 そうだ、これで良い。彼女の居場所はここなのだから、ここにいるのが一番良い。

 そんな英輔の心境を知ってか知らずか、永久は心配そうに英輔へ視線を向けるが、なんでもない、と小さくかぶりを振って、英輔は手に持っている一冊の本へ視線を落とした。

 忘却のローズマリー、彼女が好きだと言っていた本だった。

「あ、そういえば翔君、そちらの方々は……?」

「ん、ああ。俺の知り合いでな。見舞いに来てくれたんだ」

 翔がそう言うと、永久はその手に抱えたフルーツの入ったバスケットを詩帆へ見せる。それを見て詩帆が嬉しそうに笑ったのを見て、永久は小さく微笑んだ。

「あ、あの……」

 不意に、詩帆の視線が英輔へと移る。正確には英輔へというよりは、英輔がその手に持っている本へだった。

「その本、好きなんですか?」

「……ああ」

 英輔が短くそう答えると、詩帆は思い出したようにベッドの傍にあるバッグの中から一冊の本を取り出して、嬉しげに英輔へ見せつけた。

「へへ……、私も持ってるんです! 趣味が合いますね!」

「そうだな。渡そうと思ってたんだけど、いらないみたいだ」

 そう言って英輔は肩をすくめて見せたが、詩帆は小さく首を振った。

「そんなことないです。それ、下さい。代わりに私の持ってる方を差し上げますから」

 笑顔で差し出された詩帆の本を、英輔はそっと受け取った後、自分の持っていた本を彼女へ手渡した。詩帆は英輔から手渡された本を愛おしげに抱き締めた後、どこか怪訝そうな表情で英輔の顔をまじまじと見つめる。

「あの、失礼かも知れませんが、私達、前にどこかで……?」

 首を傾げてそう言う彼女だったが、英輔はゆっくりと首を左右に振った。

「いいや、初対面だよ。この本、大切にするから」

 その言葉に、詩帆は少しだけ悲しそうな表情を見せたが、すぐに頷いて見せた後、屈託のない笑顔を英輔へ向けた。

「はい、大切にしてくださいね」



 詩帆達に別れを告げ、永久達は病院を後にした。英輔の気持ちを察してか、誰も一言も発さない。宿泊していたホテルからチェックアウトして、後は客室へと戻るだけだった。

 長く沈黙が続いていたが、ホテルの近くまで来た辺りで不意に口を開いたのは、他でもない英輔だった。

「なぁ、永久。良かったな……あの子、戻れて」

 静かにそう言った英輔に、永久はうん、と短く答えた後、少しだけ間を置いてから語を継ぐ。

「英輔……本当にこれで良かったの?」

 永久の問いに、英輔はしばらく何も答えなかった。その物憂げな顔で、何を考えているのかは永久にはわからなかったけれど、どこか寂しい感じがして、永久はやるせなく英輔から目を逸らした。

「良いんだ、これで。これで良い」

 静かにそう言った後、英輔はそっと持っていた本を永久へ手渡す。

「なぁこれ、読んでみてくれないか?」

「え、でもこれって――」

 本を英輔へ返そうとした永久へ本を突っ返し、英輔は微笑んだ。

「面白いんだ。読んでみてほしい」

「……うん、わかった」

 英輔から手渡された本を大事そうに抱え込んで、永久は静かにそう答えた。





 客室にてしばしの休息を取った後、永久達は鏡子に頼んですぐに次の世界へのゲートを開いてもらった。アンリミテッド故に回復の早い永久はともかく、英輔のダメージはまだ色濃かったが、英輔本人たっての願いですぐに出発することになった。もしポーンのように他のアンリミテッドが蘇っているのだとすれば、休んでいる暇はない。刹那や、欠片による異変のことも考えれば、急いだ方が良いのは明確だった。

「さあ、準備は出来ているわ」

 鏡子の言葉に、三人は強く頷く。開かれたゲートの向こうには町が広がっており、そこにはソフト帽をかぶり、ロングコートを着た男のシルエットが写っていた。


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