World8-4「よく知らない彼女だけど」
美奈子の次元転移システムによってホテルに戻った永久達は、沈黙を保ったまま微妙な雰囲気が漂っていた。男がアンリミテッドを名乗った途端態度を一変させた永久に対する戸惑いを、由愛は隠せていない。今はベッドに座り、美奈子によって傷の手当てを受けているが、あの得体の知れなさは消えていないように感じてしまう。
あのゾクリとした怖気を、由愛は忘れられない。あの得体の知れない、強大な力の塊を前にしてしまったかのような威圧感は、強いて言うなら刹那から感じたものと同質のものであるように思える。アンリミテッドクイーン、永久がそう呼ばれる存在であることはわかっていたし、自分や英輔、鏡子とは質の違うものだということは頭ではわかっていたが、ここまでまざまざとその異常さを永久から感じたのは初めてだった。
アンリミテッド特有の威圧感。それもあったが、更に不気味だったのはあの男を「殺さなければならない」と口にした時の永久の表情だった。あの目、何も映っていないかのような瞳が不気味だった。目の前の男を殺すこと、ただそれだけしか頭にないかのようなあの表情は、まるで予め作られた設定通りにしか動かないロボットのようで、今まで由愛が見てきた表情豊かでちょっと抜けた所のある少女とは全く異なっている。
「……あの男は」
静かな声音で、美奈子が沈黙を破る。
「アンリミテッドです。クイーンとは別の」
「……クイーン以外のアンリミテッドの封印は、解かれていないハズだけど?」
不可解そうな表情でプチ鏡子がそう言うと、美奈子は静かに首肯する。
「はい、だから今回の件は不可解なんです。何故彼の封印が解かれているのか……」
「ちょっと待ちなさいよ! アンリミテッドって、永久と刹那だけじゃないっていうの?」
「ええ、アンリミテッドは元々複数存在します。彼はその一人に過ぎない」
嘘、と由愛は息を呑んだ。
脳裏を過ったのは、ガトリング砲で撃ち抜かれても平気で立ち上がって見せた刹那の姿だった。
硝煙の臭いも、雨に濡れたアスファルトのむわっとした臭いも、血の臭いも、まざまざと蘇る。思い出すだけで身体が竦みそうになる。明らかに常軌を逸した規格外の暴力がこちらへ歩み寄ってくるその威圧感が、恐怖が、腹の底から沸き上がってきて由愛の全身を縛り付けていたあの瞬間を。
刹那級の存在が、他にも複数。
「何よそれ……しかもそいつらって、刹那と違ってコアが完全なんでしょ……?」
「……恐らく、そういうことになるでしょう」
単純に考えても、刹那の倍以上の力を持っている可能性だってある。永久と、美奈子と、英輔と由愛、あの時その場にいた全員の力を総動員してやっとの思いで撃退した刹那を凌駕する存在が、他にも複数存在する。その事実が突きつける絶望感は、由愛から言葉を失わせた。
「関係、ないよ」
黙っていた永久が、不意に口を開く。
「倒さなきゃいけないなら、倒さなきゃ。そのために歩いてるんだ私は。そんなことで、止まるわけにはいかないよ」
「そんなことって……何で躊躇いもなくそんなことが言えるの! さっきからおかしいわよ永久!」
「そう? 普通だよ、私。いつもと変わらない」
平然とそう言ってのけた永久の顔は、アンリミテッドの男を見据えた時の顔と同じだった。
「違う、違うわ……いつもの永久なんかじゃない……!」
「いつものって、何? 私にだっていつもの私なんかはっきりとはわからないのに、由愛にはわかるの?」
「それは……っ」
違う、そうじゃない。これは永久じゃない。こんな得体の知れない顔をするのは、永久なんかじゃない。永久は、永久はこんな顔をしない。こんなことを言わない。
でもそれは、由愛の定義した永久だ。
いつもの永久なんて、誰が定義出来るだろう。永久自身にもはっきりとはわからないソレを、他人の由愛が定義することなんてきっと出来ない。誰にもわからないものは、由愛にだってわからない。永久のことなんて、知っているようでその実何も知らなかった。きっとこの場にいる誰もが、永久のことなんてよく知らない。過去に何があったのかも、失われている記憶がどういったものなのかも、アンリミテッドが何なのかも。永久自身を含めて誰も、きっと知ってなどいない。
気がつけばいつの間にか、由愛はその場にへたり込んでいた。
「本部からの報告を受けてこの世界に来ましたが、どうにか間に合って良かった。鏡子、この世界に入る際何か欠片以外の異変は感じませんでしたか?」
「いいえ、感じなかったわ。恐らくあの男がこの世界に来たのは私達がこの世界に到着するより後よ」
「……我々が存在を感知したのもつい先程、正に永久とあの男が戦闘を初めてからです。だとすると、あの男は目覚めたばかりなのかそれとも……」
考えこむように右手を口元に当てた美奈子へ、永久が視線を向ける。
「アンリミテッドは、力の制御くらい出来るよ。刹那がわかりやすかったのは、私をおびき寄せるためにわざとやってたんだと思う」
「記憶は、随分と戻ったようですね」
「うん、まだまだボンヤリしてるけど、ね」
ボンヤリとした過去に思いを馳せているのか、永久はどこか遠くを見ているかのような表情を見せる。
「とにかく私、アイツを殺さなきゃ……」
何かに取り憑かれているかのようにそう呟いて、永久は強く拳を握りしめていた。それを見て由愛が微かに身震いしたことに、気づこうともせずに。
詩帆の探していた「忘却のローズマリー」という本は貸出中で、図書館の中には置いていなかった。かといって他の本でも良いというわけではないだろうし、どうせなら一番読みたい本を見せてやりたいと思った英輔は、図書館を出た後すぐに志帆の案内を受けながら本屋へと向かった。
道中でも店内でもレジで本を買っている最中でさえもしきりに申し訳無さそうに謝る志帆だったが、新品の「忘却のローズマリー」の表紙を見せると、やはり嬉しいのか申し訳無さそうだった表情が少し綻んでいた。
「ホントにごめんなさい、わざわざ買ってもらうなんて……」
「だから気にすんなって。俺だってどんな本なのか気になってたんだ、どっか喫茶店ででも読もうぜ」
詩帆の姿は他の人には見えていないため、歩道を歩きながら話している英輔の姿は、独り言を言っているようにしか見えない。しかしそれでも、英輔は構わないと思った。彼女は、西原志帆はきっと今日まで一人だった。それがどれくらいの間だったのかなんて英輔にはわからないけれど、きっと寂しかったんだと思う。人の心なんて英輔にも、誰にもわからないから察することしか出来ない。けれど、察することが出来るのなら察することが出来る範囲で何かしてあげたい、そう互いに思うことこそ思いやりなんだと英輔は思う。ずっと一人だった彼女を、二人にしてやれるのは、きっと今は自分だけだと思うから、だからこそ出来る限りのことはしてやりたかった。
出会って間もない、よく知らない彼女だけど、英輔は放っておいたりは出来なかった。
適当な喫茶店で、二人で向い合って本をめくる。今にも頭がぶつかりそうな距離のまま、二人で本の中を覗き込む。鼻孔をくすぐる彼女の香りはどこか甘く、嗅ぐ度にどこか照れ臭い。だけどそんなことよりも目は文字列を追い続ける。詩帆の方が少しだけ読むのが早く、次のページを待たせている時間がもどかしい。早くめくってやりたかったけど、普段本をそんなに読むわけではない英輔と、本好きな彼女の読むスピードにはどうしても差が生じてしまう。
そんな少しの待ち時間を、詩帆は愛おしそうに過ごしていた。読むのに必死で英輔はそんなことには気づいていなかったけれど、詩帆はもどかしそうな英輔をジッと愛おしそうに見つめていた。退屈なハズの待ち時間が、どこか愛おしい。自分のためにもどかしそうな顔する英輔を、もっと見ていたいと思った。意地悪かも知れない、もっとその顔が見ていたくて、詩帆は少しだけ普段より読むペースを早めていた。
嬉しくて嬉しくて。自分のために何かしてくれていることが、本当に嬉しかった。
「あーーーーーどうすっかこれ」
まるでゴミか何かでも扱うかのように、ぐったりした青年を路地裏に放り、男は面白くもなさそうに呟く。
喫茶店の前で歯軋りをしていたあの青年が妙に力を持っていたので憂さ晴らしにと殺してはみたものの、元々死んでいたらしくもう死にようがなかった。
微弱ではあるがアンリミテッドに似た力を持った青年は、ほんの少しもその力を使いこなせていなかったし、そもそも男の相手になるような器ではなかった。あのままクイーンと遊んでいた方が何十倍も楽しかっただろうと後悔するが、今更どうしようもない。
どうやら青年の中にはコアの欠片があるらしく、抜き出そうと思えばすぐに抜き出せるのだが、ただ抜いてもつまらないだろう。クイーンと違ってコアの欠片にはあまり興味がない。こんな欠片程度の力を増やしたところで大して面白くもないし、そうまでして欲する程力に飢えていない。
これがクイーンの欠片だということは間違いないだろう。ならばあのクイーンは間違いなくこの欠片でおびき寄せられるハズだった。
「ちょっくら細工でもしとくかね、その方が多分面白ェや」
そう言うやいなや、男は青年の頭部にそっと手をかざす。薄ぼんやりとした光が放たれて、その光が少しずつ青年の身体を満たして行った。
「あのクイーンならこのくらいしねェと面白くねェだろよォ~~ッ……ちょっとしたサービスってやつだ、面白かろ?」
誰に言うでもなくそう言って、ニヤリと笑みを浮かべた後、男は青年をその場に放ったらかしたままどこかへと去って行った。