World8-2「それが自身の存在意義だとでも言わんばかりに」
開け放たれたままになっている窓からは少しだけ風が吹いていて、花瓶に植えられたローズマリーが小さく揺れる。白いベッドは夕日で赤く染まっており、そこに眠る少女はその赤の中に沈み込んだまま安らかな表情を浮かべていた。
夕日とローズマリーだけが見守っていた個室の病室に、ノックの音が転がって、中へ入ってきたのは一人の少年、柚原翔と二人の少女――永久と由愛だった。
「入れ違いで奏が来てたみたいだな……」
言いつつ、翔は開けっ放しになっていた窓を閉めて小さく息を吐いた。
「奏?」
「ああ、俺の妹だよ。アイツ窓開けっぱのまま帰りやがったな……」
翔がそう答えると、永久は納得したようになるほど、と小さく頷いた。
ベッドの中で眠り続けている少女の名は、西原詩帆という。見れば、翔が蘿蔔学園の正門前で永久を詩帆と見間違えたのも納得出来る程、彼女の容姿は永久と似通った点が多かった。やや彼女の方が幼く見えるが、顔は永久と少し似ているため、彼女が永久の妹だと言えば大抵の人間は信じて疑わないだろう。何より、永久と同じくらいの長さの黒髪が、翔に勘違いさせる大きな要因になったのだろう。
「二ヶ月だ」
詩帆の寝顔を見つめるためにうつむけられた翔の口から、唐突にそんな言葉が落ちる。
「二ヶ月って……何がよ?」
「西原が……眠り続けて、もう二ヶ月になる」
その翔の言葉に、永久も由愛もハッと息を呑む。うつむいたままの翔の表情は、二人にはうかがうことが出来なかった。
「交通事故でな……。蘿蔔峠って知ってるか? 事故の多いとこなんだけど、そこで西原の乗ってた車が脆くなったガードレールに突っ込んでな……運転手の男は死んで、西原はなんとか一命を取り留めたけど……」
そこで一度言葉を切って、翔はそっと詩帆の頬に右手を優しく乗せた。
「西原はこうして、意識不明のまま眠り続けてる」
「それであの時……」
――――良かった、目が覚めたんだな……!
永久を詩帆と勘違いしたまま、いてもたってもいられなくなってしまうくらい、それくらい翔は彼女が目を覚ますのを待っている。永久や由愛にとって、その二ヶ月は言葉の上での二ヶ月でしかないけれど、きっと翔にとっては二ヶ月だなんてものじゃなくて、言葉では収まり切らない程待っているような感覚なのだろう。察することしか出来なかったが、悲しげに永久は目を伏せた。
「ごめんな、勘違いしたりして……」
「あ、ううん。大丈夫だよ気にしなくて。私だって同じ立場だったら、同じようにするハズだから……」
そう言って、永久は自分に似た少女に目を向けた。
まるでドッペルゲンガーのようにそっくりだった刹那に慣れていたせいで驚かなかったが、こうして見ると十分に永久と詩帆は似ているように思える。刹那に比べれば似ていない方ではあるが、それは永久と刹那が異常なだけであり、一般レベルで考えれば十二分に永久と詩帆は似ていた。
「……っ!」
「どうかしたの?」
不意に永久が目を見開いたことに気がついて、由愛はそう問うた。
「もしかしたら、この子のこと、欠片と関係あるかも知れない」
「わかるの……?」
「なんとなく……ね」
微弱な気配ではあるが、確かに永久は詩帆から欠片の気配を感じていた。恐らく詩帆と欠片が直接関係あるのではなく、間接的に関係しているのだろうと推察するが、憶測の域は出ない。それよりも永久が驚いたのは、もう自分のアンリミテッドとしての力がこんなに戻ってきている、ということだった。
人気のない場所、というのがパッと思いつかず、結局英輔は図書館付近から移動せず、駐輪場で少女と話すことにした。幸い自転車は放置されているものばかりで、どれも蜘蛛の巣が張っており、チェーンも錆びているように見える。図書館は既に閉館時間を過ぎているためか誰かが通りかかる気配もなかった。
「ごめんなさい、取り乱してしまって……」
「ああ、良いってそれは気にしなくても」
いきなり飛びついてしまったことが恥ずかしかったのか、少女は頬を赤らめつつ顔をうつむかせる。
「初めてだったんです、その……私のこと、見える人に会えたのって」
そう言って顔をあげた少女は、ひどく悲しげな顔をしていた。
「その……なんだ、えっと……いつから、そんなことに?」
死、という直接的な表現を避けつつ、しどろもどろに英輔はそう問う。彼女は悪霊の類のようには見えなかったが、下手に刺激することは避けたいと思ったし、何より死んでいるという事実を、わざわざ英輔の口から彼女へ突きつけるのは少々酷なことにように思えた。
「あんまり覚えてないんですけど、多分もう結構経ってると思います……」
「結構、か……。理由とか覚えてないか?」
そんな英輔の問いに、少女は怯えたような表情を見せる。
「あ、いや、その……悪い、思い出したくなかったら――」
「すごく、怖かったんです……私、あの人に無理矢理――」
少女が言いかけた時ふわりと、唐突に後ろで放置されていた自転車が宙に浮いた。それに気づかないまま少女へ視線を向けていた英輔だったが、少女が何かに気づいたかのようにハッと目を見開いた瞬間、英輔は少女の後ろで自転車が独りでに浮いていることに気がついて、すぐさま少女を庇うようにして押し倒した。
「危ねェ!」
倒れ込んだ英輔の背中を通り過ぎ、英輔目掛けて飛んできた自転車はガシャンと大きな音を立てて英輔の後方で落下する。
「あ、あの、私大丈夫です、ああいうの触れないし、すり抜けるので……」
「え、あ、そっか……ご、ごめん!」
一気に恥ずかしくなって英輔は立ち上がると、顔を真赤に染めながら少女から目を背けた。
「そ、その……今のは、一体……」
「わかりません……でもいつも、私を監視しているような気配があるんです……さっきも、その気配を感じた途端に自転車が貴方に……」
ゆっくりと立ち上がりながらそう言って、少女は悲しげに目を伏せた後、英輔に背を向けた。
「ごめんなさい。多分、私に近づいたから……」
「そうと決まったわけじゃないし、気にしなくても……っておい!」
英輔が言葉を言い切るよりも、少女がその場から走り去る方が早かった。すぐに英輔は後を追いかけたが、図書館の敷地から出た辺りで完全に見失ってしまい、英輔は両膝に手をついて小さく溜息を吐いた。
地の利がない英輔には、どこに行ったのかもわからない少女をこの町の中で捜すのは困難だろう。諦める他ないと判断して、英輔はもう一度溜息を吐いた。
永久達と英輔が合流した頃には既にすっかり日は落ちていた。二手に分かれる前に探しておいた適当なビジネスホテルで落ち合い、チェックインするとすぐに永久達は一つの部屋に集まった。
「女の子の幽霊、かぁ……。そんなに私に似てた?」
「いや、そう言われると微妙だな……ちょっと似てるくらい……かも」
そう英輔が言葉を濁すと、由愛はお手上げとでも言わんばかりに肩をすくめた。
「また永久のそっくりさん? これで似たような人が永久を含めて三人もいるわけだけど、明日は何人見つかるのかしらね」
「また? そっちでも何かあったのか?」
「アンタには関係ないでしょ。ねぇ永久」
「あのな、関係ないってこたねェだろ……」
呆れ顔で嘆息する英輔に、永久は申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせた。
「こっちでも、病院で私そっくりな人に会ったんだけど、その人もう二ヶ月も眠ったままらしいの。交通事故にあって意識不明の重体になったそうなんだけど……」
「交通事故?」
そう問い返した英輔に、永久が蘿蔔学園の正門前で出会った柚原翔のこと、そして西原詩帆という永久に似た少女が眠っている病院でのことを話すと、英輔は一人で納得したような表情で何度か小さく頷いた。
「なるほどな……。多分、俺が会ったのって、その西原って子だと思う」
「でも、英輔が会ったのは幽霊じゃなかったっけ? あの子まだ、死んでないハズなんだけど……」
「生霊ってことも、考えれるわよ」
そう言って話の中に割って入ったのは、今まで黙って机の上に座っていたプチ鏡子だった。
「それに永久、病院で欠片のことが関係あるかも知れないって言ったわよね?」
「うん。ちょっとだけだけど、欠片の感じがしたから……」
「ということは、欠片が原因で肉体は生きたまま精神だけが抜け出している状態――ちょっとした幽体離脱みたいなことが起きてる可能性は高いと思うわ。もしかすると、それがあの子が昏睡状態に陥っている原因かも知れないしね」
プチ鏡子のその言葉に、永久はなるほど、と納得した様子で頷いた。
「ってことはじゃあ、アイツは死んでないってことか!」
「何よ、やけに嬉しそうじゃない?」
顔をパッと明るくして声のボリュームを大きくした英輔に、やや面白くなさそうな表情で由愛は視線を向けた。
「なんかかわいそうでさ。詳しい理由はまだ聞いてないんだけど、あの子無理矢理事故に巻き込まれた感じのこと言ってたんだ。そんなわけわかんねーまま死んで霊になってずっと彷徨ってたらしいから、まだ生きてて、元に戻れるって知ったら喜ぶだろうなって思ってな……」
「ふーん何それ。今日会ったばかりの子に随分お熱じゃない? 大体アンタ元の世界にリンカって子がいるんじゃなかったの?」
「あのな、それとこれとは関係ねーだろ!」
そんな言い合いを始める二人を微笑ましげに見た後、永久はそっと窓の外へ視線を移した。ホテルの窓から見える街は眠っておらず、点々とした明かりが所々に点いている。
微弱ではあるものの、欠片の気配はずっと感じ続けている。微弱すぎて位置を特定することは出来ないが、絶えず欠片の力を使い続けていることは何となく永久にはわかった。
欠片の力が西原詩帆を昏睡状態に陥らせているかも知れない。その結果が翔や周囲の人を悲しませていて、詩帆本人も苦しめているのであれば、一刻も早く欠片を見つけ出さなければならない。
まるでそれが自身の存在意義だとでも言わんばかりに、永久は胸に硬く決意した。