World7-2「In a forest」
由愛が白髪の少年に案内されたのは、木で作られた煙突のある小さな小屋のような家だった。
小屋の前には薪割り用の物と思しき切り株があり、周囲には薪用の木の破片が散らばっている。
「あ、アンタ……ここに住んでるの?」
「わりーかよ」
「悪いなんて言ってないでしょ! 何なのよもう!」
ぶっきらぼうな少年の態度に、由愛はそう声を上げたが今はこの少年くらいしか頼るあてがない。あまり印象を悪くするのは良くないだろうと思い直し、釣り上げていた眉を落ち着かせる。
「珍しいな、こんなとこに迷い込むなんてよ。それに見ねェ格好だ、他所のモンか?」
「え、ええ、まあ……」
異世界からきているので他所も他所、大他所の人間なのだが流石に異世界から来ましたなどと言うわけにもいかず、由愛は言葉を濁す。
「まあ良いか、上がれよ。自力で森から出る気になるまでは泊めてやっても良いぜ」
「自力でって……。外まで案内をお願いしたかったんだけどダメなの?」
由愛の言葉に、少年はしばらく答えにくそうに口を閉じていたが、やがて小さく首を左右に振った。
「俺は、この森を出るつもりはない」
ニシルとミラルはこの島、テイテス島に住んでいる人間だった。彼らの住む場所はこの海岸と森よりもう少し向こうにあるらしいのだが、二人はある人物を捜すためにこの森を訪れたとのことだった。
「チリーって言って、ボサボサの白い長髪でちょっと目つきの悪い奴で、こんな腕飾りをつけてる奴、この辺で見てないかな?」
そう言ってニシルが右手首を見せると、そこには貝殻を繋いだ腕飾りがつけられており、見れば、ミラルも同じものを右手につけている。
「ううん、見てないよ。そもそもここで私達以外の人にあったのは二人が始めてだし……」
「むしろそっちは、白い髪の女の子見なかったか?」
会話に割り込むようにして英輔がそう問うたが、ニシルもミラルも同じように首を左右に振る。
「どうもこの森の中で迷ったみたいなんだ。由愛ってんだけど、俺達はその子を捜してる」
「だったら目的は一緒だね。僕らも丁度今からチリー捜しを始めるつもりだったから、一緒に捜そうよ」
ニシルの提案に、永久も英輔も大きく頷いた。
「うん、私達この辺のことはよくわかってないし、そうしてもらえると助かるよ」
「じゃ、決まりだね。良いよねミラル?」
ニコリと微笑んでそう言ったニシルに、ミラルも微笑みながら頷いた。
ドアを開けて最初に目についたのは中央の机と、それを挟むように置かれた二つの椅子、そして最奥にある暖炉だった。玄関はなく、部屋も恐らくここしかないのだろう。窓は一つだけあるが、由愛のイメージするガラスの窓ではなく鎧戸になっている。部屋の右端には所々破けてはいるものの人が一人寝られるサイズの布が広げてあり、その上にはくしゃくしゃになっている毛布らしきものもある。恐らくそこが寝床で、布はあまり綺麗ではないが布団なのだろう。左端にはぐちゃぐちゃに丸められた布と毛布があり、恐らく今は使っていない布団なのだろう。他には食器等が入れてある棚が一つと、水の入った大きめの桶もある。
小屋の中の臭いはお世辞にも良いとは言えなかったが、泊めてもらえる手前文句を言うわけにもいかず、冗談じゃないわ、と言いかけた口を鼻と一緒につまんだ。
「これからさっきの猪を捌くんだが……見るか?」
少年の問いに、由愛が小刻みに首を振ると、少年はそうか、と大して興味もなさそうに呟いてから外へと出て行った。
しばらく由愛は立ったまま落ち着かずにキョロキョロとしていたが、やがて小さく溜息を付いて椅子へ座る。椅子も机もあまり綺麗とは言えなかったが、土足で上がっている床の上に座るよりは間違いなくマシだった。
これからどうなるのかまるで想像が出来ない。今となってはあの時英輔と口喧嘩してしまったことを先程以上に後悔しているのだが、後悔先に立たずとはよく言ったもので、いくら悔やんでも仕方がない。とりあえず今はあの少年に頼るしかなかったが、あの少年がこの先由愛に対してこのまま友好的に接してくれるとは断言出来ない。いつ身包みを剥がれたり性的な暴行を受けたりしたらと考えると震えが止まらなくなる。ある程度戦える自信は由愛にもあるが、とにかく今は心細かった。
「昔は、当たり前だったのにな……」
心細いのはいつものことで、そもそも心細いだなんて思うようなことはなかったハズだった。
「おい」
不意にドアが開き、ナイフを持った少年が顔を出す。
「肉、食うか?」
そう言って少年が由愛に見せたのは、ついさっき捌いたのであろう猪の肉だった。
「水もちょっとならやれる」
「……肉は遠慮しとくわ。お水は……頂戴」
「あいよ」
そう答え、少年は再び外へと戻った。
案の定、少年が用意した水は桶の中の水だった。水が清潔である保証はなかったし、そもそもこの小屋の有様から察するに恐らく水も綺麗ではないのだろう。しかし一人で森の中を歩き続けたり、思いがけない遭遇があったせいで緊張していたらしく、由愛の口の中はカラカラに乾いている。しばらく躊躇ったままコップと睨めっこしていたが、やがて由愛は一気に水を飲み干した。
「……あれ、まずくない……?」
「ンだよ、泥水だとでも思ったか?」
「そうじゃないんだけど……」
汚い水かと思った、といつもの由愛なら言ってしまうところなのだが、一人になって心細いのかいつもの毒は口から出ない。今にも出そうなのは溜息と弱音くらいのものだった。
暖炉には薪がくべてあり、先程火打石でカチカチやっていたからか既に火はついている。骨が付いたままの生肉の塊を右手で暖炉の火で炙りつつ、少年は左手のコップの水を一気に飲み干す。
「自己紹介がまだだったな。俺はチリーだ」
チリー、と名乗った白髪の少年は、生肉から由愛へ視線を移してからややぶっきらぼうにそう言った。
「私は……由愛」
「ユメ? 聞かねー名前だな」
不思議そうな顔をしつつそう言った後、再びチリーは暖炉で焼いている生肉へ視線を戻す。
「で、お前は何でこんなとこで迷ってンだよ」
「わ、私は……仲間とはぐれただけよ……」
その言葉に、チリーはどこか寂しそうな表情をしたが顔が暖炉の方へ向いているせいで由愛には見えない。
「アンタは、何でこの森に住んでるのよ? それに出るつもりはないって……」
「出るつもりがないっつーか、出ちゃいけねーし出る意味なんてねェんだ」
そう言ったチリーの背中が寂しそうに見えて、思わず由愛は言葉を失う。
「あそこは、俺のいて良い場所じゃねェよ」
チリーの言葉が、過去の自分の言葉と重なって聞こえた。
四人で森の中を捜し回ったが、由愛もチリーも一向に見つからない。ただただ野生の王国とでも言わんばかりの光景が続いており、物珍しくて景色はどれだけ見渡しても飽きないが事はまるで進展していない。
「もう島中を捜し始めて一ヶ月は経つんだけどねぇ……」
小さく溜息を吐き、ニシルがうんざりしたような表情でぼやく。
「無事だと良いんだけど……」
「大丈夫だって、アイツなら絶対死んでないよ」
不安げにそう呟いてうつむいてしまったミラルの肩を叩きつつニシルはそう言ったが、ミラルの表情は暗いままだった。
「そのチリーって人、どうしていなくなっちゃったの?」
「ちょっと色々あってね……。アイツ、多分僕らと顔合わせ辛いんだと思う」
「喧嘩でもしたのか?」
英輔がそう会話に割って入ったが、ニシルは小さく首を左右に振る。
「そういうわけじゃないんだけどね……」
そう答えて、ニシルもミラルと同じように顔をうつむかせた。
「アイツさ、メチャクチャ力強いんだ。本気出したら僕らじゃ叶わないくらい。それでアイツ、その力で人をボコボコにしちゃったんだよ……」
「……人を、素手で?」
永久の問いに、ニシルは小さく頷く。
「僕とミラルと、チリーとで一緒にいた時にね、つっかかってきたチンピラがいたんだよ。たまたま僕の肩がぶつかっちゃってさ……」
「じゃあそのチリーって奴がボコボコにしたのって……」
「うん、そのチンピラ」
英輔の語を継ぐようにして、ニシルはそう答えた。
「チリーは、私達を助けようとしてくれたのよ……。チリーは、悪くないのに……」
そのチリーという少年は、つっかかってきたチンピラを完膚なきまでに叩きのめしてニシルとミラルと助けた、そこまでは良かったのだが、圧倒的なまでの力の差を見せつけられたチンピラは、チリーのことを「化け物だ」と島中で吹聴して回ったらしいのだ。実際チリーの力の強さは島では有名だったし、チリー自身少し気にしていたこともあってか、すぐに島中で「チリーは化け物」という認識が広まり――
「チリーは、お前らと一緒にはいられないって、どこかに消えちゃったんだ」
責任を感じているのか、ニシルとミラルの表情は先程よりも更に暗く見える。そんな二人の表情を見た後、永久は静かに自身の右手を見つめる。
「化け物、か……」
化け物、その言葉がまるで自身に向けられた言葉であるかのように、永久の中で重く沈み込んでいった。
「もしかしたらチリー、神力使いだったのかも知れないね」
「……神力使い?」
怪訝そうな表情でニシルの言葉を繰り返す英輔に、ニシルは知らないの? と不思議そうな表情を見せた。
「東にはいないのかな、神力使いって」
「ああ、うん、そうなの、そうそう!」
頬に人差し指をあてて首を傾げるミラルに、慌てて永久はそう答える。
「私達も詳しく知ってるわけじゃないんだけど、普通の人にはない能力を持っている人のことで、まるで神様の奇跡みたいだから『神力』っていうらしいの」
「えっと、超能力みたいなもの?」
「東ではそういうの?」
「あー……そう、そう、そうなの、うん」
辿々しく取り繕う永久に、英輔は若干呆れたような表情を見せていたが、ミラルやニシルは然程疑っていないらしくふーん、と頷いていた。
「でもチリーってそういう感じ全然しないけどなぁ……」
テイテス城は、テイテス島の中央に位置する島最大の建造物だが、他国の城に比べるとあまり大きくはない。このテイテス島が独立した国だった頃は王族がこの城に住まい、島を統治していたのだが、何十年か前に大陸の大国であるゲルビア帝国の支配下に置かれて以来王族の力は一気に衰退し、現在この城に住んでいるのはゲルビアからきたテイテスの領主とその臣下達だった。
前の領主が病死したため、テイテスにはゲルビアから新たな領主が送られてきた。ヴラドレン・アレンスキーと言うその男は、代々……テイテスがゲルビアの支配下に置かれる前からこの城に仕えていたガル家の人間、アグライ・ガルからすれば、あくまで主観による印象だが貴族らしくない、という言葉がよく似合っていた。
テイテスの領主はこのテイテス城の主としてこの城で暮らし、まるで王であるかのように振る舞うのだが、このヴラドレンという男程玉座の似合わない領主を、アグライは記憶の中にもこれまで見た歴代領主の絵画の中にも知らない。
「この椅子の座り心地は……」
目の前で跪くアグライにチラリと視線を向け、ヴラドレンはそこで一度言葉を切り、
「まあまあだな。スラムの地べたよりは良い」
吐き捨てるようにそう言葉を続けた。
「ご期待に添えず、心苦しゅうございます」
「そう心にもないことを言うな。貧民街上がりに媚び諂うのは気に入らんとでも言わんばかりの目だぞ」
「け、決してそのようなことは……」
言いつつも、まるでアグライの心の中を見透かしたかのようなヴラドレンの言葉に、ゾクリとした寒気を覚える。
「良い良い、俺はそういう貴族共の顔を“上から”見るのが好きだからな」
ククク、と笑みをこぼし、ヴラドレンはわざとらしくアグライを見下ろした。
「時にアグライよ。この島に妙なガキは流れ着いていないか?」
「妙なガキ、と言いますと?」
「一人でこの島に流れ着いたガキが、ここ数年の間でいないかと聞いている」
「はぁ……一度記録を確認させてもらってもよろしいでしょうか? 何分この老体、記憶力も年々弱まっておりまして……」
「良いだろう。それ程急いでいるわけでもないからな」
そう言って、ヴラドレンは肩にかかった長い金髪を右手で後ろへ流した。