World6-4「悪魔が降り立った日」
表示されていた数値が、不意に大きく変動する。これまでに類を見ない速度で跳ね上がる数値を見つめながら女は――下美奈子はゾクリとした寒気を感じていた。
つい先日感じたばかりの怖気が、まるで体内で蛇か何かがのたうつかのように美奈子の中で暴れ始める。
右腕に装着された次元歪曲システムに表示された高い数値は、アンリミテッドクラスの何者かが力を使っている証拠であり、まだこの世界のどこかに潜伏しているあのアンリミテッドクイーンが、何らかに対して力を行使している、ということになる。システムを操作し、この世界全体の地図を表示して力の強まっている地点を検索する。すると、力の密度の高まっている場所は一箇所ではあるものの、力を発している存在を示す赤い点滅は、同じ場所に二つ存在していた。
「やはり……」
ビジネスホテルの一室の窓から外へ目をやりつつ、美奈子はそう呟く。
まるで豹変したかのような先日のクイーンの様子。アンリミテッドと思しき存在を現す二つの点滅。美奈子が坂崎永久=先日のクイーンではない、という結論に達するのに、それらの証拠は十分過ぎた。
「だとすれば、伝えなくてはなりません」
クイーンに、坂崎永久に。
美奈子はすぐに身支度を整えると、戸締りをして早足に部屋を出てホテルの外へと向かう。
「勝てません……今の貴女では、あのクイーンには勝てません」
強く拳を握りしめ、美奈子は小さくそう呟いた。
数秒の鍔迫り合いの果て、弾かれたのは永久の方だった。
「くっ……!」
数歩後ずさりつつ、永久は再び刹那へ切りかかるが、刹那は事も無げにそれをショートソードで受け止める。間髪入れずに永久は一振り、二振りとショートソードで刹那に切りかかるが、そのどれもがいとも容易く受け止められてしまう。
まるで遊ばれているかのようだった。
「じゃあ、これならっ!」
刹那から数歩距離を取ると同時に、永久の身体を眩い光が包み込む。光を纏ったまま永久は刹那へと接近し、その二つの剣を同時に刹那へと振り下ろした。
「元気ね」
光が収まり、二本のショーテルを手にしたツインテールの永久が姿を現す。しかし、それに対して刹那はただの少しも驚くような様子を見せない。
「どうだっ!」
瞬間、永久の両手が目にも留まらぬ速度でショーテルを繰り出し始める。
「どーもこーも、ねぇ」
これまでの数倍以上の速度でショーテルを振るう永久だったが、どういうわけか一撃足りとも刹那へ浴びせられた気配もない。それどころか、振ったショーテルから返ってくるのは虚しい金属音ばかりだった。
「――っ!?」
「どーもしないわ」
いつの間にか刹那の手には、二本のショーテルが……それも永久の持つショーテルと寸分違わぬものが握られており、絶え間なく振られる永久のショーテルを受け続けていた。
動きこそ刹那も永久に合わせて素早いものの、その表情は依然として悠然としており、永久に焦燥感を抱かせるばかりだった。
「そんなっ……!」
永久の剣が、全くと言って良い程通用していない。一太刀浴びせるどころか、刹那の方は今にも欠伸でもしそうな表情で永久の剣を受け続けている。
「そ、それなら……!」
素早く永久が刹那から距離を取ると、再びその身体は光へ包まれる。
「あら、まるでファッションショーね。綺麗よ永久」
光が収まり、甲冑姿になった永久を見やり、刹那はそんなことをのたまった。
「――はぁっ!」
力強い掛け声と共に、永久は両手で持った大剣を勢い良く刹那へと薙ぐ。すると、白い衝撃波が、刹那目掛けて放たれた。
「意外ね」
しかし、永久の耳に届いたのは余裕めいた刹那の言葉だった。
「な……あっ……」
そこにあったのは、身の丈程の……永久の持つ大剣と全く同じ大剣で衝撃波を防ぐ、刹那の姿だった。
「思ったよりやるじゃない」
そう言って、刹那は片手で大剣を永久へと薙ぐ。すると、永久の放ったものとは正反対なドス黒い衝撃波が放たれ、永久へと飛来する。
慌てて永久はその衝撃波を大剣で防ぐが、防ぎ切れなかったのか勢い良く後ろへ弾かれ、ガシャリと鈍重な音を立てながらその場へ仰向けに倒れた。
「かっ……はっ……!」
甲冑越しでも十分にわかる程の衝撃を背中から受け、永久は呻き声を漏らしたが、ややよろめきながらもすぐに立ち上がり、刹那を見据えた。
「な……ら……っ!」
再び、永久の身体を光が包む。しかし今度は、刹那はそれを悠長に待ったりはしなかった。
「無駄よ無駄! 無駄無駄!」
きゃははと甲高い笑い声を上げながら、刹那は素早く永久との距離を詰める。
「――っ!」
光が収まると同時に、永久は手にした日本刀を身構えた――が、
「無駄なの」
次の瞬間には、振りぬかれた刹那の日本刀によって、永久の刀は両断されていた。
「えっ……」
唖然とした表情で地面に落ちた刀身を見つめる永久の首を、刹那は勢い良く右手で掴むと、そのまま永久を持ち上げ、刀の切っ先を永久の顔へ向ける。その時には既に、永久は袴姿からいつものセーラー服姿へと戻ってしまっていた。
「く……あっ……」
苦悶に歪む永久の表情を眼前に、刹那は恍惚とした笑みを浮かべた。
「どーしよっかなー、どーにでも出来るんだけどなー……あっ!」
わざとらしく語尾に力を込め、それと同時に永久の首を握った右手に更なる力を加える。
「アイ……ツ……!」
しばらく蹲ったままだったが、どうにか落ち着いたらしく、弘人は顔を上げると強く刹那を睨みつけ、駆け出そうと身を乗り出したが、それはシロの右手に制止された。
「な、何で止めるんだ!」
「無理。私達じゃ」
そう言ったシロの表情が、どこか悔しそうだったことに気がついたのか、弘人は悔しそうに歯噛みした後、そっと後ろへ引いた。
「でもあのままじゃ……!」
弘人が拳を強く握りしめた――その時だった。
「……あら」
チラリと刹那が永久から視線を外すと、気がつけば周囲の家の窓や玄関から、何事かと言わんばかりの表情で人々が刹那達へと視線を向けていた。
「何だ! 何をやっているんだ! 殺すつもりか!?」
一人が刹那に向かってそう叫んだのをきっかけに、ほぼ全員が刹那に対して何らかの野次を飛ばし始めたが、刹那の方へ駆け寄って止めようとしたものはいない。よく見れば、その誰もがどこか怯えたような表情で、震え声とも取れるような野次を刹那へ飛ばしているのだ。
刹那からすればそれは、弱い犬の威嚇か何かにしか聞こえない。
「邪魔ね」
乱雑に永久から手を離すと同時に、刹那の持っていた日本刀は大剣へと変わる。それを見て、永久は一瞬にして刹那が何をしようとしているのか理解出来た。
「や、やめ……」
咳き込みながらも必死に言葉を紡ぐが、刹那がそれを聞き入れる様子はない。
「やめてっ!」
「ピーチクパーチクと……やかましいのよ!」
次の瞬間、大剣は振られていた。
まず、玄関から顔を覗かせていた中年女性が、ドアごと跡形もなく姿を消した。
次に、窓から顔を出していた青年が、窓から離れる前に窓ごとその場で大破した。
その次に、刹那のすぐ隣の家で窓から顔を覗かせていた幼い兄弟が、窓ごとその場で崩れた。
更に、窓から離れて逃げ出した中年男性の家そのものが、衝撃波を直接受けてまるで大地震でも起きたかのように崩れた。
一人、また一人と消されていき、偶然その場を通りかかり、道の真ん中に立っている刹那に対して警笛を鳴らした青い軽自動車が大破した所で、やっと刹那は動きを止めた。
そのどれも、永久は止めることが出来なかった。何度止めようと飛びかかっても、刹那は大剣を振る片手間に永久を弾き飛ばしてしまう。結局、刹那が大剣を振るのを止めることは一度も出来なかった。
「これで静かになったわね」
「なんて……なんて、こと……」
辺り一面に広がる凄惨な光景が、永久の表情を絶望に染め上げる。
「て……テメエエエエエエッ!」
シロの制止を振り払い、激昂した弘人が刹那へと駆け出したが、刹那は意に介していないかのように振舞い、永久へ視線を向けた。
「ねえ、あの子永久の友達っぽいからほっといてあげたんだけど、うるさいから――」
大剣が、再び持ち上げられる。
「やめて……やめてよっ!」
永久の悲痛な叫びも届かぬまま、刹那の大剣が振られようとした――その時だった。
「――――っ!」
瞬間、刹那の左腕を弾丸が撃ち抜き、鈍重な音を立てて大剣がその場へ落ちる。
「えっ……!?」
永久が驚愕の声を上げたのと同時に弘人も動きを止め、その場にいた全員が同じ方向へ視線を向けた。
「誰かと思えば……」
「これ以上の破壊はさせません、アンリミテッドクイーン!」
黒い、ライダースーツに似たぴっちりとした服に身を包み、刹那へと銃を構えているその女性は、紛れもなく下美奈子だった。
「永久! 大丈夫!?」
「無事か!?」
更に、美奈子の後ろから聞こえる永久の安否を問う声。見れば、そこにいたのは別行動を取っていたハズの由愛と英輔だった。
「勝てないから仲間を連れてきたってワケ? 賢明だと思うわ」
美奈子、由愛、英輔の三人へ目を向け、クスリと刹那は嘲るような笑みをこぼした。