World1-1「砂漠と芋虫」
夢を見た
不思議な夢
帰れない夢
戻れない夢
覚めない夢
瞳に映る世界
それは見慣れた世界じゃない
ここはどこ?
帰して
ここから、帰して
覚めない、夢
美奈
最初に視界に入ったのは、ギラギラと照りつける太陽の光だった。あまりの眩しさに思わず一度目を閉じ、顔をそむけてからもう一度目を開ける。
足元には水気のない砂が広大に広がっており、ここが砂漠である、という判断を永久が下すのには一秒もかからなかった。
「あ、あっつぅ……」
思わず、口をついて出たのはそんな言葉だった。
永久はしばらく周囲をキョロキョロと見回したが、視界に入るのは砂ばかりで、特にこれと言って特別なものは見当たらない。
「あつぅ……」
既に、額にはジワリと汗が滲んでいた。
それを袖で拭い、自分の着ている制服が長袖にロングスカートという、この状況下では凶悪なまでの威力で持って暑さを増幅する服装であることに気が付き、思わず溜め息を吐いた。
自慢に思っていた長い黒髪も、この状況下ではただただ暑くて邪魔にしか思えない。何か結ぶものでも持っていれば良かったのだが、生憎永久のポケットの中にはゴムはおろかヘアピンすら入っていなかった。
「暑い……暑いってばー! もー!」
誰に言うでもなく声を荒げると、永久は何故か湧き上がる怒りに任せて両手をブンブンと振り回す。が、その行為のせいで更に暑さが増すことに気が付き、永久は両手をピタリと止めて項垂れた。
「もー……暑いー……」
暑いの苦手、だとかそもそも私は暑い場所で生活出来るように体が適応していない、だとかわけのわからない言い訳をボソボソと呟き、暑苦しそうに永久が髪をかき上げていると、不意に足元から声が聞こえた。
「いつまで暑い暑い言ってるつもりなの?」
やや茶化した風なその言葉に、永久が声のした方へ視線を向けると、そこには全長十五センチ程……手の平におさまりそうな大きさに見える人形が立っていた。
その姿は、この世界に来る前に会った女性、桧山鏡子によく似ており、多少のデフォルメはされているものの、人目で彼女だと判断出来る姿だ。どうやら喋ったのはこの人形らしく、永久を見上げて笑みを浮かべている。
「え、えっと……えっ」
困惑した様子を見せる永久に、人形はフフ、と笑みをこぼす。
「私よ、桧山鏡子。この人形は境界から私が遠隔操作してるのよ」
「遠隔操作って……」
「言ったでしょう。私はあそこから出られないわ。だから貴女をサポートするためにこの魔具を使うから、この人形も連れてって頂戴」
鏡子の話によると、魔具というのは魔術や魔法がかけられ、特殊な力を持った道具のことであり、今永久の目の前で鏡子として喋っている人形もその一つらしい。使用者そっくりの姿形に変化し、使用者の思い通りに遠隔操作出来る上、魔具の見ている視界を使用者へ送ってくれるらしく、鏡子はこの魔具で永久をサポートしてくれるらしい。
「へー……かわいいー」
説明を聞いて納得するやいなや、先程までの困惑した態度とは打って変わって、好奇心に満ちた顔で人形を拾い上げてジロジロと眺め始める。
「プチ鏡子さん……。うん、プチ鏡子さんって呼ぶね」
人形を手の平の上に乗せたまま、一人納得したかのようにうんうんと頷く永久に、プチ鏡子はやや呆れたような様子だったが、すぐにその表情を真剣なものへと切り替える。
「欠片がこの世界のどこかにあるのは確かなハズだけど、詳しい位置まではわからないわ……。悪いけど、この広い砂漠の中を自分の足で探してもらうことになるわね……」
「うっわ……暑いけど頑張るしかないよね……」
ちなみにプチ鏡子の方は、共有しているのは視界だけのようで、暑そうに汗を拭っている永久を涼しげな表情で見ている。
「でもまあ、欠片って元々私の一部だしある程度近づいたら何かわかるかも」
「そうね。それに、欠片そのものが力を持っているから、もしこの世界に異変が起こっていればそれは高確率で欠片が原因のハズよ。この広い砂漠の中で探すのはちょっと難しいけれど、まずは異変を探してみてはどうかしら?」
プチ鏡子のその言葉に、永久は異変、ねえ……と考え込むような仕草を見せたが、やがてすぐに暑い、と呟いて手の平で頬を仰ぎ始めた。
暑そうに頬を手で仰ぎながらも、プチ鏡子を肩に乗せて永久は少しずつ歩を進める。が、見えるのは一面砂ばかりで、これと言って景色に変化は見受けられない。五分程永久が歩いた頃には、異変どころか砂以外のものさえ見つからないこの世界は、もしかすると砂だけの世界なんじゃないかとさえ考え始めていた。
そんな時だった。
モソリと。足元の砂が動いた。
「っ!」
それに気が付いて、やっとか! と言わんばかりの表情で永久は砂の中で蠢いているものへと視線を向ける。
砂の中のソレはモソモソとしばらく動き、一度ピタリと動きを止めた後、不意に勢いよく砂の中からその姿を現した。
「えっ……あ……」
砂の中から姿を現し、鎌首をもたげたソレを凝視し、永久は言葉にならない声を短く上げて硬直する。
「あら、オルゴイ・コルコイかしら」
まるで映画でも見ているかのようなテンションでそんなことをのたまうプチ鏡子をチラリと見、永久は再び目の前のソレ……巨大芋虫へと目を向けた。
まるで柱のように太い身体の先には、凶悪な歯の並んだ円形の口がついており、それを永久の方へ向けたまま巨大芋虫は動こうとしない。芋虫の身体には数本の触手がついており、それらはウネウネと蠢いていた。
「……っ……っ……!」
悲鳴を必死に呑み込んで、永久は芋虫から後ずさりするが、その足取りはどこか覚束ない。
やがてにゅるりと、巨大芋虫の触手が永久の足元へと伸びた。咄嗟に永久がそれを避けようとするよりも、触手が永久の右足に巻きつく方が早く、ハイソックスごしに永久はぬめっとした感覚を味わった。
「ひっ」
そこでついに永久は、短いながらも悲鳴を上げた。
それに同調するかのように、目の前の巨大芋虫は奇声を上げると、巻きつけた触手で永久の身体を宙吊りにする。と、同時に永久の肩に乗っていたプチ鏡子は呆気なく地面へと落下した。
裾がめくれないよう咄嗟に両手で永久がスカートを前から押さえるのと、巨大芋虫の口のドアップが永久の目に映るのはほぼ同時だった。
「いやーっ!」
そこで限界がきたらしく、悲鳴を上げた後永久の意識がフッと遠のき始める。これから食べられるんじゃないか、ということよりも、目の前に巨大な芋虫がいる、という恐怖が勝ってしまったらしく、永久が意識を手放しかけていた――その時だった。
「ストーップ!」
少女のものと思しき大声が聞こえ、永久は失いかけていた意識を取り戻す。その時には既に、どういうわけか永久は巨大芋虫の触手を逃れて地面へと落下していた。
触手の巻き付いていた足を見れば、どうやら触手は切断されたらしく、永久の右足に巻き付いたまま切られた触手が体液を流しつつピクピクと蠢いていた。
永久と巨大芋虫の間には、両刃の大剣を握った一人の少女が立っていた。どうやら触手をその大剣で切ったらしく、大剣には巨大芋虫のものと思しき体液が付着している。
彼女の服装は、永久と同じセーラー服ではあるものの色は白で、半袖に丈の短いスカートという夏服のような涼しげな恰好だ。髪型は永久とは正反対の、明るいブラウンのショートカットで、その涼しそうな髪型が今の永久からすれば少し羨ましい。
「まだ何かする? モンゴルさん!」
「も、モンゴルさん……?」
多分、モンゴリアンデスワーム(ゴビ砂漠周辺に生息すると言われている巨大芋虫)のことを言いたいのだろう。
モンゴルさんこと巨大芋虫は、再び奇声を上げた後、逃げるようにして砂の中へ潜っていく。それからしばらく地面がもそもそと動いていたが、巨大芋虫は逃げたらしく、やがてそれも止まった。
「ふぅ……大丈夫だった?」
「う、うん……」
セーラー服の少女は永久の方を振り向き、永久の無事を確認すると屈託なく笑った。