World5-2「瞳孔」
下美奈子。まるで機械のように淡々と喋り、淡々と永久を殺さんとして襲いかかってきていた彼女の瞳は今、これまでの彼女からはおよそ想像もつかない程に強い感情が宿されていた。
「アンリミテッドに……殺された……?」
美奈子の言葉を繰り返す永久に、美奈子ははい、と短く答えた後、右手の機器を素早く操作し、背後に空間の裂け目を出現させると、その中へ両手を突っ込み、新たな武器を取り出した。
「私は次元調停官としてだけではなく、下美奈子という一人の人間として貴女達アンリミテッドを生かしておくわけにはいきません」
右手に握られているのはコンバットナイフ、左手に握られているのは回転式拳銃だった。近接武器と遠距離武器を同時に取り出した美奈子に、永久は困惑の色を隠せなかったが、それに構わず美奈子はコンバットナイフを逆手に構えると、永久目掛けて全速力で駈け出した。
「――っ!」
これまでの美奈子が銃器ばかり使っていたせいで想像もつかなかったが、美奈子が永久の首筋へと薙いだナイフは想像以上に早かった。
はらりと。ナイフに切り裂かれた数本の黒髪が永久の目の前で舞う。どうにか紙一重で回避出来たものの、後少しでも反応が遅れていれば確実に美奈子のナイフは永久の首を切り裂いていたことだろう。
左手の銃は使わないまま、美奈子は凄まじい速度で永久へとナイフを繰り出していく。どうにか回避し続けているが、懐ギリギリまで接近されているせいで圧迫感だけで言うなら銃口を向けられている時よりも強く感じられた。
「だけど――見えるっ!」
美奈子のナイフ捌きは速い。が、銃弾の軌道さえ見える今の永久にとってはそれを見切ることなど造作も無い。振られた美奈子のナイフを、永久は日本刀で受け止める。
カチリと。引き金を引く音。
「そこです」
小さく、美奈子がそう呟いた時には既に、銃口は永久へと向けられていた。
「しまっ――――」
言葉を言い切るよりも、もう一度カチリという音がして、放たれた弾丸が永久の右肩を貫く方が早かった。
「この距離なら、流石の貴女も避けられない」
白い胴衣の右肩の部分が、真っ赤に染め上げられていく。思わず刀を取り落とし、永久は呻き声を上げながら右肩を左手で押さえた。
「終わりです、アンリミテッドクイーン」
躊躇なく、弾丸はもう一度放たれた。
ダブルアクション。引き金を二度引くことで撃鉄が落ち、弾丸が発射されるタイプの回転式拳銃を、永久は知らない。ダブルアクション式には永久のイメージする回転式拳銃の、撃鉄を主導で起こす動作(デコッキング)が存在しないため、美奈子が素早く二発目を撃ったせいで永久がそれを回避する余裕はなかった。
「かっ……っ……!」
左手を貫き、再び同じ場所に弾丸がめり込み、永久の右肩から鮮血を舞わせる。
よろめく永久に対して、美奈子は顔色一つ変えずその顔目掛けて引き金を二度引いたが、その弾丸が貫いたのは永久の右胸だった。
「ぐっ……!」
永久の身体を光が包み、そして収まっていく。光が収まった時には既に、永久は元のセーラー服姿に戻っていた。
「往生際が悪いですね」
そう言って、美奈子は永久の眼前まで迫って勢い良く蹴り倒し、為す術もないままその場に倒れた永久へ跨ると、その心臓部へ銃を突きつけ、引き金を引く。
「お別れです、アンリミテッドクイーン」
「――――っ!」
開かれた永久の口から言葉が発せられる前に、もう一度カチリと美奈子は引き金を引いた。
銃声と、硝煙。
ゆっくりと、永久の瞳孔が開いた。
茶をすする音が、室内に響く。
「欠片に、異世界……ねぇ」
ゆったりとした所作で湯呑みを机の上へ置き、巫女は――出雲詩祢は小さく息を吐いた。
「疑うつもりはないけれど、そのまま鵜呑みにするにはちょっと突飛ね」
由愛と英輔の二人は、出会った巫女――出雲詩祢に連れられて、彼女の神社の社務所の一室へ案内されていた。
畳の部屋で机を挟み、向かい合うように座った状態で、由愛と英輔は自分達がこの世界の人間ではないこと、この世界に飛び散った「欠片」と呼ばれるものを回収しに来たことを詩祢に説明したのだが、詩祢はあまり驚く様子を見せなかった。
「詩祢さん、お菓子、これで良かったですか?」
障子を開けて中に入ってきたのは、盆に乗せられたお菓子を両手で持った着物姿の少女だった。
「良いわ、そこに置いてくれるかしら」
詩祢がそう言うと、少女ははい、と答えて盆を机の上に置いた後、詩祢達に一礼してその場を立ち去ろうとしたが、詩祢に呼び止められて動きを止めた。
「菊……貴女はどう思う? 異世界って」
菊、と呼ばれた少女は詩祢の突飛な質問に、数瞬キョトンとした表情を見せていたが、しばらくするとパァッと顔を明るくさせて良いんじゃないですか? と胸の前で両手を叩いた。
「こことは違う別の世界って、想像しただけで何だかワクワクしますよね!」
ややはしゃいだ様子でそう言った菊を眺めて微笑を浮かべた後、詩祢は由愛達の方へ視線を戻す。
「だ、そうよ」
「だ、そうよって何が……」
会話の流れについていけず、思わず英輔はそんな言葉を漏らす。見れば、隣では由愛もついていけてないのか唖然とした表情を浮かべていた。
「正直私もワクワクしたし、とりあえず信じてみるわ、その話」
「ワクワクしたって……ンな適当な……」
呆れた表情を浮かべる英輔に、詩祢はクスリと笑みをこぼした後、それで、と話を切り出す。
「この世界に、貴方達の探している『欠片』っていうのがあるのね?」
「ええ。欠片の力は必ず何らかの影響を及ぼしているハズなんだけど……最近何か異変は起こってない?」
由愛の問いに詩祢は少しだけ考え込むような表情を見せたが、やがて何かを思い出したかのようにあ、と小さく声を上げた。
「そういえばあったわね……異変」
そう言って詩祢が視線を向けたのは、障子の方だった。
磔にされていた。
両手足は縛られ、目には目隠し、口には猿轡をはめられ、身動きが出来ないまま様々な感情をぶつけられていた。
恐怖。憎悪。悪意。敵意。殺意。憐憫。怯え。視界こそ塞がれていたものの、生々しい感情はまるで身体の芯へ直接叩きつけられているかのように感じることが出来る。
やろうと思えば出来ないことはない。どんなもので縛られているのかはわからないが、両手両足を拘束するものなど破壊しようと思えばいつでも出来たし、視界が塞がれていた所で彼らと戦うにはあまり不自由しない。ハンデとしてさえ不十分に感じられる程でもある。
あえてそれをしないのは、きっと諦めてしまっていたから。
希望を持つことを、捨ててしまっていたから。
絶望すれば楽になる。中途半端な希望を持つことこそ絶望にも勝る苦痛に他ならない。もしかしたらこうかも知れないだとか、いつかはこうなるかも知れない、だとかそんなことを考えれば考える程、ソレとは程遠い現実を直視して目を焼かれ涙を流すはめになる。
もう幾度も繰り返されてしまったソレを、繰り返そうとは思わない。
持つのが辛い希望なら、あえて持つ必要などない。
絶望してしまった方が幾分か楽なことにように思えた。
熱を感じて、これから炙られるのだと察して笑みをこぼす。そんなことで殺せるのだと思っているおめでたい彼らの頭が、おかしくて仕方がない。猿轡さえはめられていなければ、すぐにでも声を上げて笑い出したい程だった。
笑みを浮べていることに気づかれたのか、彼らの内一人が小さく悲鳴を上げる。これから火炙りにされるというのに、笑みを浮べているのが不気味なのだろう。
ならばもう少し、相応しい表情をしてやった方が良いのかも知れない。
奥底の、黒ずんだ思い。
猿轡が軋む。
黒く支配された思考が、動くまいと止めていた身体を動かしかける。それを何とか御しながら、彼らから逃れた所で希望はない、と自分に言い聞かせつつ、目隠しごしに彼らを強く睨みつけた。
許さない。
頭から爪先まで、メーターピッタリに憎悪が満たされた。
「行き倒れか……?」
ふわふわと宙に浮きながら、黒い学生服の少年は訝しげな表情でそんな言葉を漏らした。
ツンツンに立った黒髪に、切れ長の目、一見ただの男子高校生ではあるのだが、どういうわけか少年の身体は半透明で、向こうの景色が透けて見えていた。
少年の足元には、一人の少女が倒れている。
長い黒髪と紺のセーラー服のスカートを地面に広げ、仰向けに倒れているその少女の服には、血の痕がある。銃で撃たれたと思しきその傷跡に、少年は訝しげに歪めた表情を更に歪めた。
「……ったく、最近わけわかんねぇな……」
ポリポリと頭をかきつつ、少女へ顔を近づける。すると、微かではあるものの少女が息をしているのが、"既に死んでいる"この少年にも理解出来た。
「どれ、ちょっとそこまで運んでやるか」
そう言って、少年はその半透明の身体をそっと倒れている少女へと重ねる。すると、溶け込むようにして少年の姿が少女の中へと入り込んでいき、やがて少女はパチリと目を開けた。
「……っと、何だ、傷のわりに全然痛くねぇんだな」
言いつつ、少女は突然立ち上がるとすぐに服についたゴミや土を払った後、すぐさまどこかへと歩いて行ってしまった。




