World4-6「悲しみを生むモノ」
「ねぇ、もうやめてよこんなこと……」
両手で包み込むようにして携帯電話を耳にあてながら、悲しげに詩織はそう言ったが、返ってくる言葉はない。
部屋の明かりもつけないままベッドの上に座り込み、詩織は今にも泣き出しそうになりながら電話口に訴えかけるが、返ってくるのは静寂のみだった。
薄らと、雲に遮られていた月光が部屋の中に差し込む。その儚げな光に少しだけ照らされた彼女の表情は暗く、満ちた月の光とは対照的にさえ見える。
「こんなことしたって、羅門君は帰ってこない……そうでしょ……?」
ギシリと。歯軋りの音が受話器から漏れる。
それに怯えてか、詩織の肩が小さく震えた。
『わかってるよ……』
少しだけ間を置き、携帯電話の向こうで羅生は言葉を続ける。
『そんなこと、俺が一番わかってる』
「だったら――」
『だったら許せっていうのかよ!』
怒声に、肩が大きく震えた。
『羅門を殺したアイツを、俺を……』
聞こえる声に震えが混じり始めたことに気が付いて、詩織は目を背けるようにして目を伏せた。
『俺をまた独りぼっちにしたアイツを……!』
「羅生……」
独りなんかじゃない、そう伝えたくて電話をかけたハズなのに、その言葉は詩織の喉元でつっかえて出て来ない。
それを言えば、きっとその続きを言わなければならなくなる。その続きを伝えることが怖くて、詩織は喉元でつっかえている言葉を出さずに飲み下すことしか出来ずにいた。
『やっと見つけたんだ……あの女、絶対に……ッ!』
「待って羅生、貴方が復讐しようとしているあの人は――」
詩織の言葉を待たないまま、プツリと音がして電話は一方的に切られてしまう。何度も何度も繰り返しかけて、やっとのことで繋がった電話は、何も大切なことを伝えることが出来ないまま唐突に終わりを迎えてしまった。
「羅生……」
ギュッと。ベッドのシーツを掴む。伝えられなかった悔しさが、シーツを歪めた。
「独りじゃ、ないのに……」
再び雲によって隠れてしまった月はもう、詩織を照らしてはくれなかった。
「詩織ちゃん、羅生君の家まで案内してほしいんだけど、お願いしても良いかな」
永久が次元調停官に襲われた翌日の夕刻、白凪旅館へ訪れた詩織に対して、永久は改まった様子でそう言った。
「別に永久の方から行かなくたって、向こうが勝手に来るんじゃないの?」
湯呑でお茶を啜りつつ由愛がそう言うと、永久は小さく首を左右に振った。
「これは、私の方から行くべきだと思う」
「どうして? 永久は何もしてないじゃない」
「してるよ」
不満げな表情を見せる由愛に、永久は短くそう答えた後、語を継いだ。
「私はまた、取り返しのつかないこと、しちゃってたんだ……」
欠片がまた、悲しみを生んだ。
自分が欠片をまき散らしてしまったせいで、生まれなくて良かったハズの悲しみが生まれてしまった。
――――それが私のせいじゃなかったら、誰のせいだって言うの?
「だから、私が逃げたり隠れたりするのはおかしいよ」
そう言って静かに永久は立ち上がると、再び詩織へ視線を向けた。
「お願い詩織ちゃん、羅生君の家まで案内して」
「……わかった」
そう答えて、ゆっくりと詩織は立ち上がった。
詩織に案内され、永久達は羅生の家……正確には羅生が部屋を借りているアパートへと向かったのだが、どうやら今は留守にしているらしく、インターフォンを鳴らしても返事はなかった。アパートの管理人に話を聞いたところ、どうやら数分前に永久達と入れ違いにどこかへ出かけてしまったらしいのだ。
「どうする? ここで待つのか?」
「うぅん、どうしよっか……」
英輔の問いにそう答え、考え込むような仕草を永久が見せていると、不意に詩織があ、と小さく声を漏らした。
「一つ、思い当たる場所があります」
元々緑が生い茂っていたその場所は、今では平坦な大地だけになってしまっていた。
何かの建物が建つ予定だったらしいのだが、何かの事情で工事は中断され、その場所はそのまま放置されてしまっている。ブルドーザーによってならされた乾いた大地を、羅生は静かに見つめた。
昔はよくここで虫取りなんかをしたものだが、こうなってしまっては当時うじゃうじゃといたバッタやカマキリ達は見る影もない。
しかしそういう切なさよりも、今の羅生はこの場所に別の感情を強く抱いていた。
ここは、神宮羅門が消えた場所だった。
ここに来れば、もしかしたらもう一度羅門に会える気がして、羅生は何度もここを訪れているが、羅門の姿が見つかったことは一度もない。
そう言えばあの女が持って行った小さな欠片を手に入れたのも、思えばこの場所でのことだった。
何の気なしに、暇潰しがてら散歩していた途中に偶然立ち寄った場所で見つけたあの欠片を、拾ってしまったことを今では後悔している。
あの欠片さえ拾わなければ羅門には会えなかっただろう。しかし、こんな思いはきっとしなくて済んだ。
「女々しいな」
そう独りごちて、羅生はその場を立ち去ろうとしたが、どこかから足音が聞こえて羅生はピタリと足を止めた。
詩織に案内され、永久達が訪れた場所は平坦な大地の開けた場所だった。
沈みかけている夕日で朱に染まりながら、羅生はその場で一人立ち尽くしている。そんな羅生に永久が歩み寄って行くと、途中で気づいたのか羅生はゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「自分から来たか……」
羅生の言葉に、永久は答えない。
ただ悲しそうに、眉を動かすだけだった。
「羅門の仇……取らせてもらうッ!」
瞬間、身体から光を発しながら羅生は永久へと駆け出す。それをチラと見、永久が身構えると永久の身体も同じようにまた、光を放つ。
お互いの光が収まった頃には、既に羅生の腕の黒い刃と永久のショートソードはぶつかり合っていた。
欠片の力によって変質した、羅生の両腕の黒い刃は前に見た時よりもいっそう禍々しく形を変えているように見える。
「おおおおおッ!!」
雄叫びを上げながら繰り出される羅生の猛攻を、永久は何とかショートソードで受け続けている。そこに反撃しようという意思はあまり見えず、ただ羅生にされるがままになっているようにも見えた。
「永久の奴、あのままやられる気かよ……!?」
加勢しようとしてか身を乗り出す英輔を、そっと右手で由愛は制止した。
「考えがあるハズよ。馬鹿なことはしないで」
「な、お前馬鹿って……ッ」
カチンときたのか英輔が何か言い返そうとするが、由愛はそれを少しも気にしていない様子でジッと永久の方を見つめていた。
「羅生……」
胸に両手をあて、心配そうに詩織がそう呟いたのと、振り下ろされた羅生の両腕を永久が受け止めたのは、ほとんど同時だった。
欠片と、永久の中の欠片が共鳴する。そうして永久の中に、欠片の持ち主の想いが流れ込んでくる。
ずっと、独りだった。
周りに沢山人はいたし、自分のことを本当に想ってくれている人がいることもわかってはいたけれど、それでもどうしてか孤独感は拭い切れなかった。
家族は皆良くしてくれたし、本当の親みたいに感じられることは多かったのに、それでも、本当に血の繋がった家族をどこか求め続けていた。
きっと自分は捨てられた、そんな思いが自分の中の孤独感をよりいっそう強くしていた。
「貴方は……それで……っ」
そんな思いの中、拾った欠片が生み出したのが自分そっくりの弟、神宮羅門だった。
自分の分身そのものである羅門は、本当の弟どころか自分そのものだ。血の繋がり以上の繋がり、独りじゃない、羅門と一緒にいる、そんな想いを欠片が強めていた。
そうやってしばらく幸せな想いが流れてきて――
「――っ」
不意に、刹那の姿が映し出された。
目の前で殺され、倒れ伏す羅門。
――――貴方の持っているもう一つの欠片……残しておいてあげるわ。
そんな言葉を残してその場を立ち去って行く刹那の背中を、永久は羅生の記憶を通して見つめていた。
「刹……那っ……」
困惑した表情を永久が見せた瞬間、羅生によってショートソードが弾かれた。
欠片から流れ込んでくる羅生の記憶に気を取られていた永久は、羅生にショートソードを弾かれ、そのまま背中から地面に倒れ込む。羅生はすぐさま倒れた永久に対してマウントポジションを取ると、右腕の刃の刃先を永久の首筋へ向けた。
すぐにその刃を降ろされるものだと思った永久は、思わず目を閉じたが、流れたのは沈黙だった。
目を開いてみれば、羅生の右腕は小刻みに震えていた。
「ねえ」
そう言って、永久は羅生の目を真っ直ぐに見据える。
「どうして、そんな悲しそうな顔してるの?」
羅生は、その問いには答えなかった。
腕をピタリと止めたまま、ただ小刻みに震え続けるだけで、一向に腕を振り下ろそうとしない。
止めを刺すなら今この瞬間、反撃される前に刺すべきだと、羅生自身もわかっているハズなのだが……羅生はその手を、振り下ろさなかった。
「……ってんだよ……」
くぐもった声が、永久に落ちる。
「こんなことしたって何にもならねぇことなんて、最初からわかってンだよ……」
ゆっくりと降ろされた羅生の右腕の刃先は、渇いた大地にそっと細い線を描いた。
「アンタが羅門を殺した女じゃないってことも、途中から気づいてたよ」
滲んだその瞳を見て、永久は悲しげに目を伏せた。
「俺はただ、誤魔化そうとしてたんだ」
独白するようにそう言って、羅生はそっと永久の上からどき、ゆっくりと立ち上がる。
「この孤独を、悲しみを……アンタに対するお門違いな憎しみで、誤魔化そうとしてただけなんだ……」
永久が立ち上がったのを確認すると、羅生は永久と正面から向き合い、小さく頼む、と告げた。
「ごめんね……」
羅生の想いを察してか、永久がゆっくりとショートソードを構える。
「ら、羅生っ!?」
詩織の悲鳴を無視するかのように目を閉じ、永久は一思いに羅生の胸目掛けてそのショートソードを突き刺す。
ズブリと。嫌な感触がショートソードを伝って永久へと伝わる。
こぼれ落ちた血が地面に染み込んでいくのと比例するかのように、羅生はゆっくりと背中からその場へ倒れた。
羅生が倒れてから数秒と経たない内に、羅生の身体から薄く光を放つ小さな欠片がはじき出される。永久はそれをキャッチし、そっと手の中に握りこんだ。
人一人の悲しみを背負うには、あまりに小さ過ぎる欠片。
「そんな……どうしてっ!」
目にいっぱいの涙をためたまま、詩織は羅生の元へ駆け寄ると、すぐに永久をきつく睨みつけた。
「……大丈夫、無事だよ」
「え……?」
短く声を上げて詩織が羅生へ視線を戻すと、既に羅生は目を開き、身体を起こしていた。
「羅生……っ」
詩織はすぐに羅生を抱き起こすと、今まで溜め込んだ分を全て流し出すような勢いでボロボロと涙を流し始める。羅生はそんな詩織に少しだけ戸惑ったような表情を見せたが、薄く微笑んだ後、彼女の頬に流れる川を指でせき止め、拭ってみせた。
「……ごめんな」
「ごめんじゃないわよ……バカ……!」
折角拭われた涙は、またしてもボロボロとこぼれ落ちていく。そんな彼女が愛おしくて、そっと羅生はその肩を両手で抱いた。
「いるっ……から……羅門君が……いなくたって……」
その先を怖がって、ずっと言い出せなかった言葉の続き。それは嗚咽混じりだったけれど、確かに詩織の口から紡がれた。
「羅生には……あたしが、いるから……傍にいるから……」
そっと乗せられた手の温もりが、詩織の頭から全身に伝わっていく。
「あたしじゃ……ダメ……?」
そんな不安げな詩織の問いに、羅生は首を左右に振って見せた。
「だったら……だったら、もう独りだなんて言わないで……っ」
そう言った詩織を、羅生はたまらずに強く抱きしめた。
「ああ、ごめんな……もう言わねぇよ……」
いつの間にか日は落ちていた。
しかしそれでも、抱き合う二人を包んでいたのは闇ではなく、雲一つない空で儚げな光を放つ月だった。
そんな二人を見つめながら、永久はやり切れない表情を浮かべていた。
――――貴方の持っているもう一つの欠片……残しておいてあげるわ。
刹那は、わざと欠片を羅生の中に残した。
そんなものがなければ、きっと羅生と詩織の二人は永久が関わらなくたって、もっと早い内にこうして抱き合えたハズだった。
それに羅門のことだって、あんな風にしなくたって欠片を回収するだけならもっとやりようはあったハズだ。こんな、こんな悲しみを生む必要なんてなかったハズだ。
「ねえ、刹那……」
どこにいるのかもわからない妹に、届かない言葉を紡ぐ。
「どうしてこんな酷いことが出来るの……?」
問いの答えが、返るハズもなく。
羅生達のいた世界を後にして、永久達はひとまず各々の客室で休憩を取ることになった。
寝るにはちょっと眠気が足りない、ということで一度一部屋に集まって雑談でもしよう、という話になったのだが、由愛は客室の自室についた途端眠りこけてしまったらしく、永久の部屋に来ているのは英輔だけだった。
ベッドの上に座り込み、永久は一枚の写真を見つめる。
「あ、それって……」
「うん、羅生君の」
写真を指差す英輔に、永久は答えてすぐに写真へもう一度目を落とす。
――――もう俺は、羅門のことは忘れなきゃいけない。これはアンタが持っててくれないか?
そこに写っていたのは、楽しげな表情を浮かべて映る、羅生の姿だった。
隣には人一人分のスペースがあり、恐らくそこには羅門が写っていたのだということが伺える。羅門は刹那に殺された時、きっと存在そのものが消失してしまったのだろう。だから、写真からも消えている。
それでも、羅門の存在は、羅生や詩織の記憶からは消えなかった。
「もし、もしね。私達の会った羅生君達とは、別の羅生君達がいる別の世界があったとして、もしそこで羅生君と羅門君が本当の兄弟で、仲良くやってたりしたら……」
そうでないとしても、羅生と羅門、二人が一緒に楽しく笑っている世界があったとしたら――
「すっごく良いなって思う」
独りごちて、永久は薄く微笑んだ。
「……だな」
写真の中の羅生の隣に、楽しげに笑う羅生そっくりな少年が、見えた気がした。
客室での休息を終え、永久達は次の世界へ旅立つべく鏡子のいる路地裏へと集合した。
既に鏡子は門を開いており、彼女の隣には空間の裂け目が出現していた。
――――貴女の存在そのものが世界にとって害だという自覚が、貴女にはありませんか?
脳裏を過る、あの次元調停官の女性の言葉。
「……永久?」
心配そうに顔を覗き込む由愛に、永久は何でもない、と答えると裂け目の中へ一歩踏み出した。
裂け目の向こうに広がる世界は、西洋風の時計塔の建った一つの町だった。