World3-10「繋がれた手。」
ふらりと永久の身体が揺れると同時に、永久の身体は薄らと光に包まれ、次の瞬間には髪型も服装も元に戻っていた。
「永久ッ!」
倒れかける永久へ駆け寄り、慌てて英輔が支えると永久はありがと、と小さく呟いて笑みを浮かべたが、その表情にはやはり疲労の色が伺える。先程の戦いでかなり体力を消耗したらしく、その額や首筋には汗が滲んでいた。
「それにしてもまた変身? 何かもう出鱈目ね……」
呆れたような口調ではあったが、どこか嬉しそうにそう言うと、永久は袖で額の汗を拭いつつ笑ったが、その表情はすぐに険しく歪められる。
「まだ終わらせない……終わらせるもんですか……っ」
永久の視線の先には、傷ついた身体を引きずりながら倒れたキルエラの元へ向かう、つい先程倒したばかりのハズだったプリセラの姿だった。
「アレって……!」
そしてそのプリセラの手に握られていたのは、紛れもなく永久の探しているコアの「欠片」だった。
「もう一つあったってことね……」
永久のポケットから顔を出し、険しい表情でプチ鏡子が呟く頃には、既にプリセラはキルエラのすぐ傍まで辿り着いていた。
「させるかッ!」
何をしようとしているのかはわからないが、欠片を取り出したプリセラをこのままにして良いハズがない。英輔はすかさずプリセラ目がけて駆け出したが、その英輔へとプリセラは右手をかざす――すると、凄まじい突風が英輔へ吹きつけ、英輔の身体を無理矢理後退させた。
「な――ッ」
どうやら今ので最後の魔力を振り絞ったらしく、肩で息をしながらふらつくプリセラの姿からは相当な疲労を察することが出来た。
「大悪魔ルシファー様……どうか我らの肉体と人間共のエネルギー……そしてこの『力を持つ欠片』を糧に……!」
瞬間、ぐにゃりと世界が曲がった、歪んだ。
まるで陽炎のように揺れる視界が、永久の中にあの夜の記憶を呼び起こさせる。世界が、歪む感触。
「まずいわ……この世界の中のもう一つの世界……『あちら側の世界』と、欠片の力で繋がってしまっているわ……!」
「『あちら側の世界』って……それじゃ――」
英輔が言いかける頃には既に周囲はぐにゃぐにゃに歪んでしまっており、空も地面も何もかもが青紫で埋め尽くされてしまっていた。
「――――っ!?」
そして轟音と共にプリセラ達の背後へ現れたのは、驚く程に巨大な鉄の扉だった。
やや錆びたその巨大な鉄扉は英輔の軽く四倍はあり、全長はおよそ八メートル近くといったところだろうか。
「今こそ……復活を……!」
まるで祈りでも捧げるかのようにプリセラが両手を合わせると、薄らと光を放ちながら欠片は鉄扉へと飛んでいき、まるで中に溶けるかのようにして消えていく。
そんな様子を、永久達が固唾を飲んで見守っていると、鈍重な音を立ててゆっくりと鉄扉が開き――
「ルシファーさ――」
中から伸びた巨大な腕が、プリセラとキルエラの身体を鷲掴みにして鉄扉の奥へと引っ込んで行った。
そこで一度扉は閉じると、扉の向こうからクチャクチャと不愉快な音が漏れる。何かを捕食しているかのようなその音に永久達が表情を歪めていると、次の瞬間には凄まじい破壊音と共に鉄扉が破壊され、その向こうの黒々とした空間が露わになった。
「嘘……何これ……」
最初に怯えたような声を上げたのは、以外にも日頃気丈に振る舞っている由愛だった。
「なんつーサイズだよ……」
驚愕に満ちた表情でソレを見上げる英輔もまた、どこか怯えているようにも見える。
「アレが……」
ソレを指差す永久の右手は震えており、欠片のせいで頭が痛むのか左手は頭に添えられている。
「不完全ではあるけど、アレが大悪魔……ルシファーよ」
永久の語を継ぐようにしてそう言ったプチ鏡子が指差したのは、全長およそ十メートルはあるであろう、闇の中から這い出てきた人型の化け物だった。
そのギラついた赤い目は、間違いなく永久達を捕えており、禍々しく伸びる頭部のねじれた角が、永久達へ恐怖を視覚的に叩きつける。
「ルオオオオオオオオッッッ!!!」
そしてその咆哮が、永久達の耳を劈いた。
「こんな化け物どうしろっつーんだよ……ッ!」
既に永久の体力は、プリセラとの戦いでかなり消耗されている。英輔と由愛はまだ戦えはするが、決してキルエラとの戦いで消耗がなかったわけではなく、この場にいる誰もがベストな状態とはお世辞にも言えない。仮にベストな状態だったとしても厳しそうなこの目の前の化け物を、現状でどうにかするのはかなり絶望的と言える。他の誰かに援軍を求められればまた話は変わるのだが、そんなことをする暇などないだろうし、この歪んでしまっている世界から元の世界へSOSを送れるかどうかすら怪しい。どれだけ思考を巡らせた所で、状況が絶望的なことに変わりはなかった。
「オオオオォォォォォォッッ」
「避けてっ!」
ルシファーの雄叫びとワンテンポずれて永久の声が聞こえて、三人は同時にその場を飛び退く。すると次の瞬間には、ルシファーの巨大な拳が轟音を立てて地面へ突き立てられていた。
「マジで不完全みてぇだな……」
過去に英輔が戦ったルシファーは、人間以上の知性を持っているように思えた。饒舌で威圧的、そして圧倒的なまでの己の強さへの自負……英輔をすくみ上らせたそれらは、今のルシファーからは少しも感じられない。あの時のルシファーに比べれば、不完全なこちらのルシファーは随分と弱体化しているようにも思える……が、だからと言って勝てるとも思えない。
何よりもこの絶望的なサイズ差をどうにかする方法が、今の英輔には思いつかない。
「多分アレ、欠片の力で動いてるんだと思う!」
「欠片の力で……? じゃあ、欠片をどうにかすりゃ倒せるってことなのか!?」
再び振り下ろされるルシファーの拳を、永久とは別方向に避けながら英輔がそう問うと、永久はコクリと頷いた。
「でも、こんな大きいの……どうすれば……!」
永久を踏みつぶさんとして踏み込まれた足を、何とか横っ飛びに回避しながら、永久は改めて現状が絶望的であることを理解する。
欠片をどうにかすれば倒せる、そうは言ったがだからと言って欠片をどうにか出来るわけではない。今の自分達の戦力では、欠片どころかルシファーに決定的なダメージを与えることすら難しいとさえ言える。
せめてもう少し力が残っていれば……と、永久が歯噛みしたその時だった。
「アレ見て!」
由愛が指差したのは、永久達の上空だった。
「光……?」
見れば、永久達の頭上を小さな光の塊が飛び回っていた。
それがやがて英輔の目の前でピタリと止まり、そのまま英輔の足元へと落下する。
「こ、これって……ッ」
分厚い、緑色の表紙をしたハードカバーの本だった。
英輔の知るどの言葉とも違う文字が羅列されたその表紙は突然開き、パラパラと勝手にめくれていく。そして真ん中辺りでピタリと止まると、その本は眩い光を発し始めた。
「まさか……ッ」
期待と驚嘆の入り混じった表情。
思わず閉じた目を開いたそこには、懐かしい背中が見えた。
「私はリンカ……」
なびく金髪。
華奢な体躯。
英輔と頭二つ分近く違う身長。
ずっと会いたかった、ずっと待っていた、そんな彼女が今――
「お前に、災厄をもたらしに来たっ!」
リンカが、英輔の目の前にいた。
状況を飲み込めない永久や由愛をよそに、英輔は必死に涙をこらえてリンカの背中を見つめる。そんな視線に気づいたのか、長い金髪を舞わせて彼女は――リンカは英輔の方へ振り向き、不敵な笑みを浮かべた。
赤い瞳が、涙ぐむ英輔を捕えた。
「フン、見ない間に随分へたれたな……英輔」
「……うっせ」
ごしごしと涙を拭く英輔に、リンカは小さく息を吐いた後、安堵したかのような笑みを浮かべた。
「私達が向こうで封印したルシファーを、再び復活させようとしている輩がいると聞いてな……慌ててこちらに来て見ればこの様か。お前がいながら何だ」
「悪かったな、へたれててよ」
そんな英輔の言葉に、リンカはフン、と鼻を鳴らすとすぐにルシファーへ視線を向けた。
「やれるな、英輔」
「おうッ!」
ガッシリと掴んだその左手からは、燃え上がるような魔力が英輔の中に伝わってくる。炎の系統を持つリンカの魔力は、キルエラなんかの魔力とは比べ物にならない。その懐かしく力強い力が、英輔の中を満たしていく。
混じり合う雷と炎。英輔とリンカの二人が纏う魔力が重なり合い、そのどれとも違う魔力が元の魔力の数倍にも膨れ上がって生み出されていく。
「ルォォォォォォォォォォォォッッッ!!」
それは、雄叫びすらかき消す程に。
「私が!」
「俺が!」
二つの声が重なって、重ねられた二つの手が、ルシファーへと突き出される。
「「お前にッ! 災厄をもたらしてやるッッッ!!」」
放たれたのは、雷と炎の入り混じった巨大な魔力の塊だった。
まるで極太のレーザーのように英輔達の手から伸びるソレは、凄まじい勢いでルシファーへと伸びて行き、その胸部へと直撃する。
「ゴォォオオオオオオオッ!!」
悲鳴にも似た叫び声を上げ、ルシファーの巨体が揺らぐ。その瞬間を、永久は見逃さなかった。
「永久、今だッ!」
「うん!」
よろめいたルシファー目がけて素早く駆け、勢いよく跳躍する。常人のソレを遥かに越えた跳躍でルシファーの眼前まで迫ると、永久はショートソードを出現させた。
「はぁぁぁぁぁぁっ!」
掛け声と共に振り下ろされたショートソードが、ルシファーの身体を真っ二つに切り裂く。
「ゴッ……ァッ……」
巨体が、崩れる。
轟音を立ててその場に倒れたルシファーの身体から飛び出した欠片を、永久は素早くキャッチし、そっとその手の中に握り込んだ。
身体の中に、力が戻る感覚。
永久が安堵の溜め息を吐いた頃には、既にルシファーはその場から消滅していた。
プチ鏡子が晃の死を知ったのは、ルシファーとの戦いが終わってからすぐのことだった。
永久達の前で涙こそ見せなかったが、それからしばらくプチ鏡子がプツリと文字通り糸の切れた人形のように動かなくなったことから察するに、きっとしばらく鏡子はあの路地裏で泣いていたのだろう。
何やらまだ向こうでやっておかなければならないことがあるらしく、リンカはあの後すぐにまた「あちら側の世界」へと帰って行った。いずれ必ず英輔の元へ戻る、という伝言を残す彼女の表情は、どこか気恥ずかしそうだった。
そして事件は、不完全な状態で復活したルシファーの消滅、という形で幕を閉じ、英輔達の世界で起きていた奇怪な事件はそれ以来パタリと起きなくなった。
この世界にあった欠片はキルエラとプリセラの持っていたものだけだったらしく、三日程桧山家に滞在した後、永久達は再び次の欠片を探す旅へ戻ることになったのだが……
「本当に良いの?」
世界と世界を繋ぐ境界、路地裏で生身の鏡子がそう問うと、少年はコクリと頷いた。
「ああ、決めたんだ……親父の意志は、俺が継ぐって」
固い決意。真っ直ぐに鏡子を見つめていたのは、その実の息子である桧山英輔だった。
「母さんを助ける方法が見つかるまで、俺も一緒に連れてってくれ……」
改まった様子でそう頼む英輔に、永久はニコリと屈託なく微笑んだ。
「うん、勿論良いよ! これからよろしくね、英輔」
「おう」
親愛の印、とでも言わんばかりに握手を交わす二人を、つまらなさそうに眺めながら由愛は小さく溜め息を吐いてみせる。
「私はまだアンタのこと、認めたわけじゃないから」
「そうかい」
フン、と英輔に対してそっぽを向く由愛に、英輔は軽くそう答えた後、再び鏡子へと視線を戻した。
既に裂け目は出現しており、次の世界への入り口は開通している。
裂け目の向こうに見えるのは平凡な住宅街の風景だったが、その中で二人のよく似た少年が並んで歩いている。
「行こう」
永久の言葉に由愛と英輔の二人が頷いたのを確認すると、永久はゆっくりと次の世界への第一歩を踏み出した。