World3-6「明かされた理由。」
「……クソッ」
悪態を吐きながら、飛び込むようにしてベッドへ寝そべり、英輔は大きく溜め息を吐いた。
意地になっているだけだと、自分でもわかっている。今父親に対して敵意をむき出しにする必要はないし、そもそも折角帰ってきてくれているのにこんな風に邪険に扱うのは、実の父に対する態度としてでなくても間違っている。そうわかってはいるが、どうしても英輔の中に父に対する「許せない」という思いが色濃く残っている。
母が、鏡子が家を出たのは父のせいではない。それがわかっているのだから、これ以上父に対して怒りを覚える意味など少しもないというのに、どうしてか素直になれないまま英輔は父への怒りを募らせていた。
「何でこう、うまくいかねーかな……」
一度身体を起こしてから頭をポリポリとかき、そうぼやいて英輔はもう一度ベッドへ身を委ねた。
英輔が立ち去った後、静かに始まった食事は沈黙が保たれたまま続いていた。
誰も特に何かを言うこともなく、やや暗い面持ちのまま食事を口に運んでいる。
「……何で英輔は、晃さんのこと避けるんだろ……」
そんな中、唐突に声を発したのは永久だった。
「家を空け過ぎたからなぁ……」
極まり悪そうに晃がそう言うと、その傍でプチ鏡子はうつむかせていた。
「俺が各地を飛び回って仕事してたのは、鏡子を境界から連れ戻す方法を探すためでもある」
「ちなみに仕事っていうのは?」
「ん、ああ……退魔師っつーかなんつーか、悪魔やら何やらのバケモン退治みたいなモンだ」
頭をポリポリとかきながら、問うてきた永久に適当に説明すると、晃は言葉を続けた。
「まあ何だ、いくら鏡子のためとは言え、こうも長いこと留守にしてりゃ……英輔もああなるわな。それに、今に始まったことじゃない」
小さく溜め息を吐き、晃は物憂げに階段の方へ視線を向ける。
「……私が、元々この世界の人間だったって話はしたわよね?」
不意に口を開いたプチ鏡子に、永久と由愛は小さく首を縦に振る。
「私が境界の管理という義務を課せられたのは、この世の理を捻じ曲げた罰なのよ」
腹の音が鳴ったのと、英輔が寝返りを打って天井と向き合ったのはほぼ同時だった。
「腹……減ったなぁ……」
英輔が部屋にこもってから、どのくらい経ったのかはわからないが、空腹のままここでボンヤリしているのはどうにも馬鹿らしい。これと言ってやっておかなければならない宿題があるわけでもなく、かといってゲームをするような気分でもない。意地を張り過ぎて立っていた腹も「減り」には勝てないのか、ここは変な意地を張らずに下の階に戻って普通に麻婆豆腐を食べた方が良いんじゃないかという気もしてきている。
父に非はない。非があるのは間違いなく英輔で、英輔自身もそれは自覚している。変な意地を張るのは、出来ればもうやめにしたい。そう思っていても、やはり父を前にすると素直になれずに意地を張ることになるのだろう。
すぐには無理だとしても、少しずつでも解きほぐせれば良い。
「謝るか……」
小さく溜め息を吐いて、英輔はゆっくりと身体を起こした。
やや重い足取りで英輔が階段を降りていると、下の方から晃達の話声が聞こえてくる。何やら真剣な声音で、今英輔が出て行くと会話を遮ってしまって邪魔になってしまいそうな雰囲気である。
静かに英輔は足を止め、あまり褒められた行為ではない、と自覚しつつもそっと聞き耳を立てた。
「私が境界の管理という義務を課せられたのは、この世の理を捻じ曲げた罰なのよ」
聞き耳を立てて、最初に聞こえたのは母、鏡子の声だった。
鏡子が境界の管理を任せられている理由を、英輔はまだ聞いていない。無理に聞くのが躊躇われ、鏡子が自分から話してくれるのを待っているつもりだったのだが……雰囲気から察するに、どうやらこれからそのことを話すらしい。
ゴクリと。生唾を飲み下す。
本来なら聞いているハズのない会話を耳にしている、その背徳感からか、英輔の額にジットリとした汗が浮き出てくる。
「私は、禁呪を使って一度死んだ英輔を蘇らせた」
一瞬、心臓が止まったかのような錯覚を覚えた。
「え……なッ……」
――――一度……死んだ……?
まるで生きていることを確認するかのように、鼓動の高まり始めた胸にそっと手を当てる。いつもと変わらずに感じる心拍に、英輔は思わず安堵の溜め息を吐いた。
「私が境界の管理、という義務を課せられているのはその罰……。一種の呪いみたいなものよ。百年に渡る境界の管理は、呪いであり、そして贖い。この世の理を捻じ曲げるということは、そういうことなの」
淡々と語られる鏡子の言葉に、何か言葉を返す者はいなかった。ただただ静寂だけが場に敷き詰められ、その中で英輔は驚愕に染め上げられた顔をピクピクと痙攣させるようにひきつらせていた。
「俺の……」
たった独りであの薄暗い路地裏の中、境界の管理という義務を課せられた鏡子。
理由は知らなかったし、考えてもわからなかった。
何かきっと理不尽な理由で、誰も何も悪くないような理由で、無理矢理境界の管理をさせられているのだと……今まで英輔はそういう風に考え続けていた。
「俺の……ッ」
――――私は、禁呪を使って一度死んだ英輔を蘇らせた。
鏡子は、英輔を蘇らせてこの世の理を捻じ曲げたことで境界の管理を課せられた、と話していた。それはつまり、英輔を蘇らせてしまったせいで境界の管理を課せられた、ということになる。
鏡子が十年近く境界の中で孤独を味わっているのも、晃が家庭を放置してまで世界を飛び回っているのも全て――
「俺の……せいじゃねぇか……ッ」
気が付けば、自然と走り出していた。
ドタドタと走るような足音が聞こえて、永久はビクンと肩をびくつかせた。
「今のって……」
「まさか……英輔……?」
永久の言葉を継ぐようにしてそう言って、プチ鏡子は悲しげに目を伏せた。
「出来れば、あの子には聞いて欲しくなかったのだけど……」
「甘やかし過ぎなんじゃないの?」
ツンとした態度でそんなことをのたまう由愛に、永久は何か言おうとして口を開きかけるが、それを遮るようにして口を開いたのは、黙ったままだった晃だった。
「いずれ伝えなきゃならんかったことだし……仕方ないだろ」
晃がそう言って嘆息した……その時だった。
不意にびくりと肩をびくつかせ、伏せたままだった目を開くと、プチ鏡子は険しい表情を浮かべる。
「プチ鏡子さん?」
「魔力よ」
プチ鏡子が言葉を言い切るよりも、晃が勢いよく立ち上がる方が早かった。
「昨晩と同じものだわ……」
「じゃあ、あの公園の……?」
すぐに永久はプチ鏡子を肩に乗せると、既に飛び出して行ってしまった晃を由愛と共に追いかけた。
わき目も振らずに駆け出して、しばらく走った後、ここが自分の住む住宅街のどの辺に位置するのかもよくわからないまま一度英輔は立ち止まった。
額からジットリと垂れてくる汗を右手で拭い、英輔は歯噛みする。
まだ、信じられずにいる。
自分が一度死んでいたこと、鏡子に課せられた罰も、晃が世界を飛び回っているのも、自分のせいだということも。
こぼれそうになる感情を必死で抑え込み、英輔は右手で瞼を拭うが、拭ったものが本当に汗だったのかどうか、英輔自身にも定かではなかった。
「親父に……謝らねえと……」
いつまでもこうしていたところで詮方ない。晃だけではなく、鏡子や永久達とも非常に顔を合わせ辛いが、だからと言っていつまでも逃げているわけにはいかない。
――――帰ってこねえ、連絡も寄越さねえ、そんな親にクソ付けて何が悪いってんだよ!
「は……何言ってんだよ俺……」
自嘲めいた笑みをこぼし、静かに英輔は右手で顔を覆う。
「クソは……俺の方じゃねえか」
英輔がそう呟いたのと、目の前に一人の女性が降り立ったのはほとんど同時だった。
「――ッ!?」
飛び降りてきた、のではない、降り立ったのだ。まるでそこに立つまで空でも飛んでいたかのように、その女は英輔の前に降り立ち、小さく笑みを浮かべた。
「あら、密度の高い魔力ですこと……」
長い髪を夜風に揺らしつつ、切れ長の瞳で英輔を見据えると、女はそう言ってペロリと舌なめずりをしてみせた。
人ではない、というのは直感でわかる。放つ雰囲気も感じる魔力もおよそ人とは思えぬもので、彼女はリンカやアクネスと同じ――悪魔や妖怪の類に属する存在だ。
「これほどの魔力を吸い尽くせばあのお方も……」
「吸う……? あのお方? お前……まさかッ」
――――私達がこの町に戻ったのは、最近活動を始めたその悪魔達を私達の世界に強制送還させるためですの。
脳裏を過るアクネスの言葉。
恐らくこの悪魔が……
「ここ一連の事件の犯人ってわけかよ」
素早く女から距離を取り、英輔が身構えると女はあら、と小さく声を上げた。
「威勢の良いこと」
不敵に笑った女の指先には、微かな炎が灯っていた。