World3-5「やり切れぬ思い。」
「あ、あの……あんまりジロジロ……見ないで欲しいのだけど……」
食卓の上にちょこんと立った全長十五センチ程度のプチ鏡子は、いつもの余裕のある態度からは想像も出来ないような表情を浮かべ、モジモジと恥ずかしげに顔をうつむかせている。先程から彼女は何度も「ジロジロ見ないで欲しい」と懇願しているのだが、その申し出は受け入れられず、晃はまじまじとプチ鏡子を見つめていた。
「なんつーかこう……萌えたわ」
一しきりプチ鏡子を眺めた後、無精髭をさすりながら満足げにそう言った晃に、プチ鏡子はやや呆れたように嘆息して見せた。
中々晃の前に出たがらないプチ鏡子を、何とか晃と対面させるのに手間取ったものの、何とか永久は夫婦の感動の再会を目の当たりにすることが出来た。
今でこそ萌えただの何だのと和やかな会話をしているが、最初の内はただただ驚くばかりで、予期せぬ再会に晃は涙さえ浮かべていた。
しばらく経って、落ち着いた晃へ何とか永久達の事情を説明し、何故鏡子がプチ鏡子としてここにいるのか、何故永久達がこの桧山家に寝泊まりすることになったのか、などの事情を晃が把握し、そして現在に至る。
「それより、貴方はどうしてここに?」
まだどこか恥ずかしそうにしつつ、プチ鏡子が晃へ問うと、晃は頭をポリポリとかきながらどうしてって……と言い淀んだが、すぐに口を開いた。
「まあその、何だ……久々に休みが取れたから英輔の顔でも見ようと思って……な」
さっき逃げられちまったけど、と付け足し、晃は誤魔化すように笑みをこぼす。
「ただ、ここへ来る途中どうも不穏なものを見ちまってな……」
「不穏なもの?」
晃の言葉をそのまま繰り返しつつ首を傾げる永久に、晃はああ、と小さく頷いた。
「ルシファー?」
場所は街道から変わって、とあるカフェ。ボックス席でアクネス、アルビーの二人と向かい合うようにして座り、英輔は先程運ばれてきたコーヒーを口にしつつ、訝しげな表情を見せいていた。
「ええ。かつて私達の世界に、破壊の限りを尽くした大悪魔ですわ」
大悪魔、ルシファー、などとこの場には似つかわしくない単語ばかりで、それこそそこだけ聞けば漫画やアニメの話だと思われても仕方がないような会話だったが、英輔を含む当人達の目は真剣そのものである。特にアクネスとアルビーは一刻を争う、といった様子で、二人の言葉はとても嘘や冗談のようには聞こえない。
しかしその「ルシファー」という名前は、英輔にとっては聞き返さずにはいられない名前だった。
「でもルシファーは、あの時リンカが再封印したハズじゃ……」
英輔のその言葉に、アクネスはコクリと頷く。
過去に、リンカという少女がいた。
今英輔がいる世界とは別に存在する「あちら側の世界」から、魔導書を通じて現れ、「あちら側の世界」から英輔達の世界へ渡り、人間へ危害を加えていた……俗に言う悪魔や妖怪と呼ばれる者達から人間達を守るために、英輔の協力を得つつ戦っていた少女――リンカ。彼女は、星屑を名乗る悪魔達の集団のボスであり、彼女の兄であるクレスの中に封印されていたルシファーが復活した際、再封印するために「あちら側の世界」へルシファー共々帰還していたのだが、その後のことを英輔は知らない。ただ、あれから平穏無事に過ごせていることから、恐らくリンカはルシファーの再封印に成功したのだろう、と英輔は高をくくっていたのだが、違うのかも知れない。
「いいえ、確かにルシファーはリンカ達によって封印されていますわ」
「今この町に現れているのは過去、ルシファーに傾倒していた悪魔です」
アクネスの言葉に続いて、アルビーはそう言って静かにコーヒーを飲み下す。
「私達がこの町に戻ったのは、最近活動を始めたその悪魔達を私達の世界に強制送還させるためですの」
ルシファーに傾倒していた悪魔……そう聞いて、昨晩公園で見た光景が英輔の脳裏を過る。
「じゃあアレって、あいつらが……?」
だとすれば、アクネス達に話せば何かわかるかも知れない。
残っていたコーヒーを飲み干し、英輔はアクネス達にここ最近この町で起きている事件について、知っている限りのことを話した。
「晃さんが見た『不穏なもの』って、昨夜の公園のこと?」
晃の話を一通り聞いた後、永久がそう問うと晃は静かに頷いた。
「惨いモンだったよ……とても人間の仕業とは思えねえ」
「何かを吸い尽くされてる……って感じ……」
「ああ、ありゃ生気を吸い尽くされてるな」
永久にそう答え、晃はそのまま言葉を続けた。
「いくら生気を吸い取って力を得るタイプの悪魔……まあ妖怪かも知れんが、どちらにしろあの量じゃ腹がパンパンになっちまう」
悪魔や妖怪の基準など永久にはわからないが、複数人の生気とやらを吸い尽くしたとなれば、それがどれ程の量かはボンヤリとではあるものの想像出来ないこともない。
「何か、別の目的があるのかも知れんな……」
「別の、目的……」
晃の言葉を繰り返し、永久は思考を巡らせた。
夕暮れの路地裏に男が一人、横たわっていた。既に男は事切れており、ピクリとも動かない。奇妙なのはその姿で、まるで餓死でもしたかのように痩せ細っているのだ。骨と皮だけになったかのようなその姿はまるでミイラか何かのようで、本来ならなり得ない姿である。
そんな死体を足元に転がしたまま、一人の女がスーツ姿の男を抱き寄せていた。抱き寄せられている男はぐったりとしたままピクリとも動かず、女にされるがままになっている。
「それじゃ……いただくわね」
口角を釣り上げ、女は妖艶に笑うと、男の首筋にそっと唇を寄せた。
「んっ」
小さく声を漏らしつつ、女は身悶えた。そしてビクン、と男の身体が動いたかと思うと、そのまま凄まじい勢いで男の身体は痩せ細っていく。やがて男が足元に転がっている死体と同じような姿になった所で、女は食べかすでも捨てるかのように痩せ細った男の身体をその場へ放り、意味もなく男の腕を踏みつけた。
骨の折れる、厭な音がした。
「プリセラ」
不意に、路地裏に声が響いた。
「あら……」
それに答えるように女――プリセラが呟くと同時に、プリセラの前に一人の女がトンと音を立てて着地した。
「キルエラ」
キルエラ、と呼ばれたその女は、プリセラの足元に転がる二つの死体へ一瞥をくれると、小さく笑みをこぼした。
「準備は……順調ね」
キルエラのその言葉に、プリセラはええ、と短く答える。
「あの方が復活なさる日は近いわ……」
キルエラは頷いて見せると、そっとどこかから小さな欠片を取り出す。まるでビー玉の破片のような欠片だが、薄らと力強い光を放っている。それを見、プリセラもキルエラが持っているものと同じような欠片を取り出し、ニヤリと笑みを浮かべた。
「この欠片の力があれば、ね」
薄らと輝くその二つの欠片は、間違いなく永久の探している「欠片」だった。
結局アクネス達から新しい情報を得ることは出来ず、お互い何かわかったら連絡し合う、ということになった。そしてアクネス達と別れた後、友人の家で適当に時間を潰し、日が沈み始めた頃に英輔は自宅へと戻った。
まだ少し何とも言えない感情は渦巻いているものの、だからと言って客人である永久達を放っておいたまま家出状態になるのも忍びないし、そもそも何だか父親から自分が逃げているように感じて嫌だった。
気は進まないものの、ただいま、と呟きながら家のドアを開ける。それと同時に鼻孔へ広がった匂いに、英輔は自然と自分の腹が鳴る音を耳にする。
恐らく永久が何か作ってくれたのだろう、と考えて居間へ向かう頃には、漂っているその匂いが自分の得意料理の一つである麻婆豆腐のものだと気付く、胸を躍らせた。
――――永久が昨日のお礼とかそんな感じで作ってくれたんじゃねーかな。
純粋に空腹で何か食べたかったのと、家に帰ると女の子の手料理、というシチュエーションがたまらなく嬉しくて、思わず英輔は口元を緩めてしまっていた。
「お帰りー」
今へ入ると、真っ先に永久の声が聞こえた。
「おう、ただいま。悪いな、留守にしちゃって……」
「うぅん、大丈夫。それよりご飯出来てるよー」
机の上には大きな更に盛られた麻婆豆腐が用意してあり、英輔がいつも作っているものよりも少し本格的な雰囲気を醸し出している。永久も由愛も既に机についており、永久は空腹なのか「早く早く」と箸を握りしめたまま英輔を急かしている。
「おう、帰ったか英輔」
不意に、台所から顔を出したのはエプロン姿の晃だった。
「な……ッ」
「悪いな、勝手に材料使って作っちまったぞ」
「え、な……」
エプロンを外して机につくと、晃は嬉しげに英輔を手招きする。
「うまいかどうかは怪しいが、一応俺が作ったモンだ。食え食え」
そんな晃の様子とは裏腹に、英輔は拳をギュッと握りしめ、睨むような視線を晃へ向けた。
「何で……何でお前が料理なんか作ってんだよ!」
「何でってそりゃ、たまには親らしいことの一つでも……なぁ?」
無精髭をなでつつ、机の上にちょこんと座っているプチ鏡子へ晃はやりにくそうに視線を投げる。
「ごめんなさい、私が作りたかったんだけど今の私じゃ作れないから……」
「まあまあ細かいことは気にしないで食べようよー。ほら良い匂いするよー」
とにかく早く食べたいのか、嬉しげに英輔を急かす永久だったが、英輔は一向に机につこうとはしない。それどころか、肩をいからせたまま、憤懣やるかたない、とでも言わんばかりの表情を浮かべていた。
「誰が……誰が食うかよッ!」
それだけ吐き捨てて、英輔は逃げるようにして自室へと駆け込んで行った。
「怒らせちまったか……」
英輔が立ち去った後、嘆息しつつ晃は呟いた。
そんな晃の様子をチラと見た後、プチ鏡子は英輔が上って行った階段を見つめ、悲しげに目を伏せた。
「いただきます」
唐突に、今まで何も言わなかった由愛はそう言うやいなや皿に盛られた麻婆豆腐をレンゲで自分の皿へよそう。温かく湯気を立てる麻婆豆腐を丁寧に箸で掴んで口へ運ぶと、薄らと顔をほころばせた。
「贅沢な奴……」
箸を置き、由愛が一瞥したのは先程英輔が駆け上がって行った階段だった。
「余計気に入らないわ」
吐き捨てるようにそう言って、由愛はフン、と鼻を鳴らした。