World3-4「残された思い。」
「……親に対してクソとは何だクソとは……」
カップラーメンの汁を飲み干し、満足げに口元を拭った後、男は呆れたようにそう言って英輔へ視線を向けた。
「帰ってこねえ、連絡も寄越さねえ、そんな親にクソ付けて何が悪いってんだよ!」
英輔のその言葉に、男はしばらく答えにくそうに口を閉じたまま黙り込んでいたがやがてすまない、と呟くような声音で頭を下げた。
「すまんな、寂しい思いをさせて……」
その言葉を、待っていたのではなかったのか。
素直に謝罪の意を示す男に、英輔が感じたのは喜びでも悲しみでもなく、怒りだった。
耳たぶが熱くなるのが自分でもわかる。握っていた拳が更に強く握り込まれ、少し伸び気味の爪が手の平に刺さるのがわかった。
「うるせえ……うるせえッ!」
言い捨てるようにそう叫ぶと、英輔は男に背を向けると、そのまま家を飛び出して行ってしまった。
そんな英輔の背中を見つめつつ、男は切なげに溜め息を吐くと、空になったカップラーメンの容器をゴミ箱の中へ適当に放った。
「難しいモンだな……」
そう、男が呟いたのと、上の階から階段を降りる音が聞こえたのはほぼ同時だった。
下の階から怒声が聞こえて、眠っていた永久は慌てて飛び起きた。
この世界に来て桧山家に泊めてもらうことになり、英輔の妹である麗華の部屋に由愛やプチ鏡子と共に眠って現在に至るのだが、早朝、下の階から突然聞こえてきたのは英輔の怒声だった。
「英輔……?」
まだ開き切っていない瞼をこすりながら永久が呟くと、どうやら同じく怒声に気付いたらしい由愛が眠そうに欠伸をしていた。
「何なのよ朝っぱらから……」
不機嫌そうに身体を起こし悪態を吐きつつ、由愛は口に手をあてつつもう一度欠伸をする。
「何かあったのかな……」
手で長い髪をなでつつそう言って、永久はベッドから降り、パジャマからいつものセーラー服へと着替え始める。
英輔の妹、麗華のパジャマを借りていたのだが、やはりサイズはあまり合わない。伸縮性のある素材とはいえ、やはり窮屈さは否めなかった。なるべく早くいつもの制服に着替えて落ち着きたい、というのが永久の本音である。
逆に由愛の方は、麗華が小さかった頃の服が残っていたらしくあまり窮屈そうには見えないし、由愛自身もあまりまんざらでもなさそうな様子である。
「とりあえず降りてみよっか」
永久のその言葉に、枕元で座っていたプチ鏡子が頷いたのを確認すると、永久はプチ鏡子を肩の上へ乗せる。
「由愛は?」
「行くー……」
まだまだ目が覚めている、とは言えないような表情のままだったが、由愛はベッドから降りて部屋を後にする永久の後ろをついて行った。
永久達が階段を降り始めると、玄関の方でバタン、と勢いよくドアが閉められる音が聞こえてくる。その音に訝しげな表情を見せつつ永久が下の階へ降りると、食卓で一人の男がカップラーメンの容器をゴミ箱へと放っていた。
「――っ!?」
途端、永久の肩に乗っていたプチ鏡子が表情を一変させると同時に、永久のスカートのポケットの中へ滑り込むようにして逃げ込んで行った。
「え、あ……えっ?」
プチ鏡子の慌てた様子に戸惑う永久だったが、プチ鏡子はポケットの中に潜り込んだまま何も言おうとしない。ポケットを見つめて首を傾げる永久だったが、男が永久達に視線を向けていることに気付き、永久は男の方へ目をやった。
「麗華……じゃないな」
男は無精髭をさすりつつ永久へそう言うと、すぐに由愛の方へ目を向ける。
しばらく男が険しい表情で由愛を見ていると、不機嫌そうに由愛は何よ? と男を睨んだ。
「いや、何でもない。知り合いに似てたモンでな……」
「あの、貴方は――」
「英輔の友達か?」
永久が言葉を言い切るよりも、男が永久達へそう問う方が早かった。
「えっと、まあ……そんなところ……」
なるほど、と頷いた後、男は永久達へニコリと微笑んだ。
「俺は桧山晃、英輔の……父親だ」
晃、と名乗ったその男の言葉に、永久も由愛も驚きを隠せなかった。
「鏡子さん、何で出てこないの?」
場所は変わってトイレの中、永久はポケットの中から一向に出ようとしないプチ鏡子を手の平に乗せてそう問うていた。
「だ、だって……」
顔を永久からそむけつつ、珍しく言葉を濁すプチ鏡子。
「あの人……鏡子さんの夫……だよね?」
顔をそむけたままではあったが、プチ鏡子は永久の問いに小さく頷いて見せる。
「で、出られないわよ……だって……こんな格好……」
恥ずかしげにそう言ったプチ鏡子の様子に、永久はやっとのことでプチ鏡子が晃の前に出たがらない理由を理解する、と同時に手の平の上で恥ずかしそうに顔を背けているプチ鏡子がたまらなくかわいく見え、思わず永久はプチ鏡子の小さな身体を両手で抱きしめていた。
「ああもう何これ超かわいい!」
プチ鏡子が永久から解放されたのは、中々戻ってこない永久を心配して由愛がトイレのドアをノックした後だった。
勢いで家を飛び出してしまったが、別段行先などない。かと言って飛び出した手前家に戻ることも出来ず、英輔はぶらぶらと街道を歩いていた。
「あの……クソ親父……」
独りごちて、手持無沙汰だった両手をポケットの中に突っ込む。久しぶりに見た父親の顔を思い出すと段々腹が立ってきて、英輔はポケットの中で拳を握りしめた。
父が家に中々帰らないのは、何も今に始まったことではない。英輔が物心ついた時には、既に父は仕事の都合で家を空けていることの方が多かった。
昔はそのことに対して怒りなど沸かなかったし、父が家に帰ってくるのをいつも楽しみにしていたくらいだったのだが……母、桧山鏡子が手紙を残して消息を絶ったあの日から、英輔の父に対する感情は憎しみへと変わっていっていた。
鏡子の手紙には父が帰ってこないため実家に戻る、という旨の文章が書かれており、当時は酷く父を憎んだものだった。父が家を空けるから母が消息を絶ち、英輔も妹の麗華も寂しい思いをさせられたのだと、英輔はずっとそう思っていた。
しかし実際は父に責任はなく、母が姿を消したのは境界と呼ばれる世界と世界の境界線を管理するためであり、英輔が父に対して憤る理由はなくなった……ハズだったのだが、父に対する不信感や怒りは、まだしこりのように胸の中に残っている。今まで父は全く家に帰って来なかったわけではないし、帰って来れば今まではぶっきらぼうではあるもののそれなりに対応し、今日のように怒りを露わにして家を飛び出すようなことは一度もしなかった。
モヤモヤとした感情が漏れ出して、抑え切れない。
自分が父に対してどうしたいのかわからない。
「こんな急に帰って来なくても……」
ボソリと呟いて、小さく英輔が息を吐いた時だった。英輔の隣の車道で、一台の黒い車が突然停止する。それに対して英輔が驚く間もないままに、後部座席のドアが開かれ、中から飛び出した少女が英輔目がけて両手を広げて飛びついてくる。
「おわッ」
「お久しぶりですわっ!」
鼻孔に広がる甘い匂いに戸惑いつつ、間近に迫った少女の顔を見、英輔は驚嘆の声を上げた。
「あ……アクネス!?」
黄色い声を上げながら英輔へすり寄るその少女――アクネスは、興奮しているのか英輔の言葉には答えない。
「お久しぶりです」
アクネスに続いて、運転席から顔を見せたのは細身の男だった。
「アルビー……? 二人共、何でこんなとこに……?」
抱き着くアクネスを何とか引き離そうとしつつ、英輔は二人へそう問うた。アルビーが答えるかと思っていたのだが、意外にも英輔の問いへ答えたのはアクネスだった。
「たまたま英輔様をお見かけしたので、ついつい抱き着きに来ちゃったのですわー!」
「……そうなの?」
呆れ顔で英輔がそう言うと、アルビーは小さく首を左右に振る。
「いえ、ご報告が……」
「報告?」
英輔がアルビーの言葉を繰り返すと、アルビーははい、と真剣な面持ちで頷いた。
「悪魔に、関することでございます」
アルビーのその言葉に、英輔は驚きを隠せずにはいられなかった。