World2-9「別離」
「浅木ッ!」
光が収まった後、すぐに優の傍へ駆け寄ったのは真だった。
「おい! しっかりしろ!」
優を抱き起こし、しばらく真が揺さぶっていると、優はゆっくりと閉じていた瞼を開き、悲しげな目で真を見つめた。その瞳にはもう、先程までのような鋭さや禍々しさはない。
「ごめん……ね……」
ポツリとそう言って、優は李那の方へ目を向ける。
「山本さん……ごめんね……」
優のその言葉に、李那が悲しそうに目を伏せて首を振ったのを見た後、優は真へと視線を戻した。
「山木君も……ごめんね、いっぱい迷惑、かけちゃったね……」
「浅木……」
何と声をかければ良いのかわからず、真は静かにそう呟くことしか出来ずにいた。
「私ね……殺しちゃった……殺しちゃったよ……」
どんな理由があろうとも、欠片の力のせいだとしても、浅木優がクラスメイト達を殺害した、という事実は変わらない。彼女がどれだけ償おうと、どれだけ悔もうと、失われたものは、戻らない。取り返しなどつかないその現実は、容赦なくその場にいる少年少女達の心を握り潰す。
「山木君……私、好き。山木君のことが」
伸ばされた右手が、真の頬に触れる。それを否定することも、肯定することもせず、ただ真は口を閉じたまま優を見つめる。
しばしの静寂。
「……ごめん」
ようやく開けられた真の口から吐き出されたのは、そんな言葉だった。
一瞬、泣き出しそうな表情を見せた後、優はチラリとだけ李那を見、すぐに真へ目を戻して無理に口元を釣り上げて見せた。
「うん、知ってた。私こそ、ごめん」
そっと力なく降ろされた右手は、小刻みに震えていた。
事件は、犯人である浅木優の自首、という形で幕を閉じた。
優の部屋は捜索され、様々な物的証拠が発見された。事件現場からも検証を繰り返す内に浅木優が犯人である、という証拠になり得るものがいくつも発見され、それらの証拠によって浅木優が犯人である、ということが立証されたようだった。
事件については学校側から公式に発表されたが、浅木優が犯人である、という点については生徒達には伝えられず、優は都合により転校という扱いで学校を去ることになり、それと同時に南白高校は休校となった。
優の持つ欠片を回収したため、永久達にこの世界へいる理由はなくなった。鏡子が調べてみたところ、この世界にあった欠片は優の持っていたものだけだったらしく、この世界からはもう欠片の力を感じない、とのことだった。
こうして永久と由愛は、この世界を去ることになった。
親が永久と由愛の二人を急に実家へ呼び戻した、という何だかあやふやな理由ではあったが、学校側に伝えたところ、永久も由愛も転校の申し出は受理された。
「というわけで、かんぱーい!」
李那の陽気な声と一緒に、永久と由愛の部屋の中にカチャン、という音が広がっていく。壁には「坂崎さん送別会」と書かれた帯が貼ってあり、机の上にはお菓子やジュースが沢山並べられている。送別会、とは言っても部屋の中にいるのは本人を含めてたった四人だけで、その内の一人はベッドの上に寝転がったまま、乾杯する三人へ冷めた視線を送っていた。
「寂しくなるね……」
乾杯を終えた後、しゅんと肩をおろしながら言う李那に、永久はありがとう、と微笑んで見せる。
「ホントだよな……転校してきたばっかだってのに」
そう言いつつ、真はグイとグラスの中のオレンジジュースを飲み干す。どうやら気になっていた前髪はこの間切ったようで、彼の前髪をつつく癖は少し大人しくなったようだった。
「そうだよねー、もっといれば良いのに」
不満げにプクッと頬を膨らませる李那を見て、永久は小さく微笑む。出会ったばかりの頃の李那からは想像もつかないようなその仕草は、彼女の心の中に余裕が生まれていることを示していた。もう、いじめられることもないだろう。
「坂崎さん、本当にありがとう」
不意にそう言った李那に、永久は静かに首を左右に振った。
「俺と李那が今こうしてられるのは、坂崎のおかげだ。俺からも礼を言わせてくれ」
「私は、大したこと……してないよ」
そう言って目を伏せた永久の脳裏を過ったのは、浅木優の顔だった。
――――私が……私が、欠片なんか飛び散らせなかったら……。
奇声を上げ、憎悪を、嫉妬を、隠していた感情を曝け出しながら醜くその姿を変えていく優を思い出す度に、永久は突き刺されたような痛みを感じていた。
欠片が、欠片がなければ、浅木優は犯行に至らなかった。欠片の力がなければ、優が人の命を奪ってしまうことなど、なかったハズだった。
――――浅木さんの人生は、私が……殺したんだ。
殺人犯として逮捕された彼女のこの先の人生は、想像するだけでも辛い。人を、それも友達を殺した、という罪を背負うことの重さは明確にはわからないが、途方もなく重いのだろう、ということだけは永久にもわかる。そんな重荷を背に、浅木優はこの先生きて行く。殺したことを、奪ったことを、潰したことを、悔やみながら、償いながら生きて行く。考えただけでも胸が痛くなる事実に、永久は事件の解決を手放しで喜ぶことが出来ずにいた。
「そんな暗い顔すんなよ……浅木なら、またいつか会えるさ」
そう言ってポンと肩を叩く真に、永久はいつの間にかうつむかせていた顔を少しだけ上げ、ありがとう、と答えた。
「あ……そうだ!」
唐突にそう言って、李那はツインテールの片方からリボンを解くと、それをそっと永久へ差し出した。
「はい、これ」
「え?」
屈託のない笑顔で差し出されたリボンに永久が首を傾げると、李那は受け取って、と永久の右手を掴み、リボンの上へそっと乗せた。
「記念に……ね? 坂崎さんに持っててもらいたいの」
「でもこれって、山木君の……」
「良いよね、真?」
真へ視線を向け、李那がそう問うと、真はああ、と微笑みながら頷いて見せた。
「どこへ行ったって、友達だよ」
ゆっくりと李那の手からリボンを受け取り、永久はそれをそっと握りしめた。あの時欠片で怪我をした部分に、まるで癒すかのように柔らかな布の感触が広がっていく。
「ありがとう……!」
そう言った永久に、二人はニコリと微笑んで見せた。
降り注ぐ、少しだけ濁ったしずくの中に、赤が混じった。
地面に滴り落ちたソレはジワリと広がっていき、足元を染めていく。
首を覆う程度の長さのショートボブを雨に濡らしながら、少女はニヤリと笑みを浮かべて引き抜いたショートソードからしたたる血を見つめた。
彼女の足元には一人の少年が倒れており、彼の身体は薄らと光を放っている。その光は徐々に彼の胸元へと収束していき、やがてそこから小さな光の塊――欠片が弾かれるようにして飛び出す。
それを、少女は左手でキャッチし、再び口角を釣り上げた。
「う……ぅ……」
数秒して、倒れていた少年が目を覚ましたのと、少女が「神広」と名前の書かれた少年の制服の胸元を踏みつけたのはほぼ同時だった。
「うッ……」
呻き声を上げた少年に、少女は嗜虐的な笑みを浮かべた後、何の躊躇いもなくショートソードを少年の首元へ突き刺した。
血しぶきのシャワーを顔いっぱいに浴びた後、それを雨で洗い流すかのように顔を上げ、少女はクスクスと笑みをこぼした。
「感じるわ……感じるわ、永久……」
少年から足を降ろし、少女が素早くショートソードを抜くと、すぐにショートソードはその場から姿を消す。そしてチラリと少女は少年の死体を一瞥した後、静かに背を向けた。
「欠片集め、お互い頑張りましょう……?」
誰に言うでもなく呟いて、少女は――坂崎刹那は、足元で雨水を跳ねさせながらゆっくりとその場を去って行った。
真や李那のいる世界を去った後、客室でしっかりと休息を取った永久と由愛は、再び鏡子のいる境界の路地裏に集まっていた。
次の欠片の場所がわかったらしく、既に鏡子の傍には次の世界へ入るための大きな裂け目が出現していた。
「ここは……」
裂け目の向こうを見つめ、鏡子は少し戸惑ったような表情を見せていた。
「鏡子さん……?」
裂け目の向こうに映っているのは平凡な住宅街だったが、何故か塀の傍には分厚い本が落ちている。
そんな様子を、鏡子は胸元へ手をあてながらジッと見つめていた。
「英輔……」
鏡子の口から小さく漏れたその名前が誰のものなのかは、永久も由愛も知らない。