World2-6「焦燥」
まるで悲鳴が、そのまま頭蓋骨に響いているかのような頭痛に、永久は思わず頭を押さえた。
「どうした!?」
悲鳴と立て続けに起こった異常に、真は不安げに永久へ近寄るが、永久は大丈夫、と真を右手で制した後、すぐに立ち上がる。
――――欠片だ……!
この頭痛は、間違いなく欠片の力が使われた時に起こる頭痛だ。そして頭痛が起こる前に聞こえた悲鳴……恐らく、すぐ近くで誰かが欠片を持った事件の犯人に襲われている。
そう判断するやいなや、永久は欠片の気配を濃く感じる方へと駆け出した。
「あ、おい!」
その背中を真が呼び止めても、永久は構わず教室の外へと飛び出していく。開け放たれたままのドアを数秒眺めた後、やや躊躇いながらも真は永久の後を追った。
「――――っ!」
永久が辿り着いた先は、すぐ近くの女子トイレだった。
女子トイレの入り口に広がっている光景は実に無残なもので、見るに堪えない。思わず、永久は一度目をそらした。
「ひっ……ひぐっ……」
返り血で真っ赤に染まったまま、ペタンとその場に座り込んだまま、その女子生徒はしゃくりあげている。丁寧に結われた黒いツインテールには、ベッタリとした血が付着しており、それは制服や顔も同様だった。
「り、李那……ッ」
永久より数秒遅れてその場へ辿り着いた真が最初に発したのは、そんな言葉だった。
あまりにも凄惨なその光景に、永久の隣で真は足をすくませ、その場へへたり込む。永久はそれをチラリと見た後、すぐに女子トイレの中へ目を戻す。
血と涙を拭いながらしゃくりあげる李那。それを取り囲むようにして転がっているのは、三人の女子生徒の死体だった。
そのどれもが、これまでの事件と同じよう、野犬か何かに食い荒らされたかのような状態になっており、辛うじて顔はわかるものの、胸より下は原型を留めていない。
李那の足元には、吐瀉物と思しきものが広がっており、女子トイレの中には血と吐瀉物の入り混じった異臭が立ち込めている。それに当てられたのか、永久の隣で真は口元を押さえていた。
胃の中から逆流してきそうな昼食を、永久は何とか飲み込んだものの、この状況はまだ呑み込めない。
ただ立ち尽くし、事態の凄惨さに唖然とすることしか出来ずにいた。
寮の部屋へ永久が戻ると、由愛が面倒そうに漢字ドリルを見ながら漢字をノートに書き写していた。
「ただいまー」
「あ、永久おかえりー」
鉛筆を止めず、由愛は漢字を書き写しながら永久へそう返した後、小さく溜め息を吐く。
「あーもう! 何で私がこんなことしなきゃなんないのよー!」
永久が鞄を机に置いたのと、由愛が癇癪を起こしたかのようにノートと漢字ドリルを天井へと投げたのはほとんど同じタイミングだった。
「大っ体! こんな基礎、今更やって何になるっていうの!」
パサリと、二段ベッドの二段目に落ちるノートとドリルをチラリと見、永久は小さく笑みをこぼした。
「でも、基本って大事だよ?」
「じゃあ永久はクリアしたゲームの説明書読むの?」
「え、私説明書読まないけど」
「読みなさいよ! 基本大事でしょ!」
「じゃあ由愛も宿題ちゃんとやろ? 基本、大事でしょー」
「揚げ足を取るなー!」
などと言いつつも、由愛はベッドの上に落ちたノートとドリルを回収しに行く。それを後目に見ながら、永久はポケットからプチ鏡子出して机の上へ乗せた。
「大変だったわね……お疲れ様」
大変だった、というのは女子トイレで起きた騒動のことだろう。永久はそれにうん、と答えた後、言葉を続けた。
「プチ鏡子さんはどう思う? アレ……」
「どうって……犯人のことかしら?」
コクリと永久が頷くと、プチ鏡子はそうねぇ、と唇へ人差し指を当てて考え込むような動作を見せる。
「大方、貴女と同じ考えだけど……まだ確証はないわね」
「それに、もしそうだとしたら……また犯人の手掛かりなくなっちゃうし……」
端的に言うと、永久とプチ鏡子の二人は事件の犯人を「山本李那」だと仮定していた。最初の被害者である小坂淳子も、二人目の被害者の園部佑香も、李那へ対する所謂「いじめ」の主なメンバーで、いじめの中心人物である浅木優と近しい関係だったからだ。
しかし今回、一度に三人の女子生徒が殺害されるこの事件では、李那は犯人を直接目撃している。事件から一時間近く経ち、落ち着きを取り戻した李那の話では、女子トイレで三人と話をしていたら、黒い人型の影が突然窓から現れて三人を食い殺した、とのことであり、李那の様子からして嘘を吐いているようには見えなかった。
そもそも永久には、李那がそんな嘘を吐くような人間には見えない。かと言って、犯人として最も有力なのはやはり山本李那である、ということには変わりがない。
「終わったー!」
そんなことを永久が考えている内に、漢字ドリルの書き写しが終わったらしい由愛が嬉しそうにノートとドリルを閉じていた。
「いじめの復讐、なら辻褄が合うのよね……」
そう呟いたプチ鏡子に、由愛はピクリと反応を示した。
「それって、こないだ話してた山本って人の話?」
「うん。やっぱり山本さんって、いじめに遭ってたみたいで……。その復讐で欠片の力を……ってことなら辻褄が合うんだけど、犯人が山本さんだと思えないよ……私」
「ふぅん……浅木って言ったっけ、いじめの主犯っぽい人」
由愛の言葉に永久が頷くと、由愛は少し考え込むような仕草を見せた後、ふぅん、とやや含みのある表情を見せた。
「とにかく、もう少し様子を見ないとわからないわね……」
「うん。でも、早く止めないと……」
トイレの中で見た惨状を思い出し、永久は顔をうつむかせた。
「こんなことは、続いちゃダメだよ……」
小さく呟き、永久は拳を握りしめた。
自分でもどうして? って思えるくらい馬鹿。
何で信じられるの、何できっと大丈夫って思えるの?
何度自問したところで答えは一緒で、答えを出す度に馬鹿だなって思って。
待っているのは白馬の王子様みたいなもので、叶うハズのないものだってわかっているのに、馬鹿みたいに牢屋の中で待ち続けてる。
白馬に乗った王子様か、はたまたドラゴンやペガサスに乗った勇者様か、待っているのはそんな幻想的でぼんやりとしたもの。
口約束なんかには、強制力も法的拘束力もないのに。まだ、信じてる。
だからウソツキだなんて言葉、簡単に口から洩れそうになる。
でも、約束したもん。
きっと助けてくれる。
きっと迎えにきてくれる。
まだ、信じてる。
ばーか。
事件のあった女子トイレは使用禁止になっていたものの、一応休校にはならなかったが、午後から教員全員参加の会議が行われる、ということで授業は午前のみ、とのことだった。
結局犯人について考え過ぎたせいで今日も寝不足な永久は、売店で買ったガムでなんとか眠気を噛み殺しながら教室へと向かった。
どこから話が漏れたのか、教室中が昨日起こった事件の話で持ち切りになっており、中には被害者の友人らしき生徒が涙を流している姿もあった。
そんな様子に胸を痛めつつ、永久は自分の席につき、小さく溜め息を吐いた。
気持ちばかりが急いて、何も掴めない。焦ったところで意味がないのは重々理解しているが、それでも現状を見ると焦らずにはいられない。
早く、早く何とかしなければ。
それは、罪悪感からくる感情だったか。
噛んでいるガムの味がなくなってきたところで、HR開始を知らせるチャイムが鳴り、教室の中へ榊が入ってくる。それをチラと見た後、永久は隣の席へ目を向けて目を見開いた。
浅木優の席は、空席のままだった。