エピローグ
何をするでもなく、ただボーッと桧山英輔は居間でくつろいでいた。本当に何もしないまま、つきっぱなしのテレビをただ見つめている。
「だらしない顔ね……完全に気が抜けきってるって感じよ」
そんな英輔に、洗い物を終えて台所から居間に出てきた鏡子が呆れ顔でそんなことを言う。
「……仕方ねーだろ。なんかまだ、日常に現実味がわかねーんだよ」
「まあ、それもそうね」
永久と刹那の戦いが終わった後、英輔と鏡子は自分達の世界へと戻った。
境界の龍は約束通り鏡子を解放し、英輔も鏡子も元の世界で平和な日常を送ることが出来ている。
龍衣を使った後遺症により、英輔はほとんど魔術が使えなくなっていた。しかし平和が戻った今、英輔にとって魔力はあまり必要のないものなのかも知れない。
まるであの長い旅が嘘だったかのように、英輔も鏡子も平和な日々を送っている。時々あの旅が懐かしくなることもあるが、今はこの平和を目一杯享受したい。
「おい、英輔! 早く来い!」
不意に階段の向こうからそんな声が聞こえて、英輔は肩をびくつかせる。
「ほら、呼んでるわよ」
「……ああ。今行くよ、リンカ!」
上の部屋から英輔を呼び続けるリンカにそう応え、英輔は足早に階段を駆け上っていった。
「……ふぅ」
食堂で一息吐き、下美奈子はコーヒーを口にする。ある程度通常の業務が行える程度には回復したものの、アンリミテッドによって破壊された次元管理局が完全に復活するにはまだまだ時間と労力がかかる。下切子が亡くなった後、副局長だった者が順当に局長にはなり、美奈子は今その補佐役として管理局の運営と復興のために働いている。
「よう、今日もロックだね」
そんなことをのたまいながら、美奈子の座っている席の反対側に座ったのは、ハンチング帽をかぶった中年の男――――ブレットだった。
「ふふ、今日もロックですね」
「お、とうとうロックのわかる女になったかィ!」
軽口を叩きながら、ブレットはその場で豪快に笑って見せる。管理局が一度崩壊した後、極度の人材不足に陥った管理局立て直すために美奈子はブレットを局へ呼び戻したのだ。勿論局の中で反発はあったものの、とにかく人手が足りないこともあってかブレットは無事次元管理局へ舞い戻ることになったのだ。
ここのところ平和な日々が続いている。今までは次元調停官として様々な世界を飛び回っていた美奈子だったが、今は管理局に腰を据えてデスクワークばかり行っている。特に目立った事件はどこの世界でも起きていないようで、束の間かも知れないもののゆったりとした平和が訪れていた。
「あいつら今頃、どうしてンだろな」
あいつら? と問い返そうとして、美奈子はすぐに誰のことだか理解して一度口を紡ぐ。もうひどく遠い出来事のようにも思えるし、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる記憶でもある。
懐かしい顔に思いを馳せながら、美奈子は小さく笑みをこぼす。
「さあ、どうでしょうね。きっとまた、どこかの世界を旅しているのでは?」
足元には、乾いた砂だけが広がっている。ギラギラと照りつける太陽はやたらと眩しかったし、暑すぎる気温はサウナを凌駕しているようにさえ思えた。
そう、所謂砂漠である。
そんな砂漠の中を、二人の少女が歩いている。一人は紺色のセーラー服の少女で、この暑い中冬服なのか長袖とロングスカート姿であり、暑そうに手で顔を仰いでいる。彼女の長い黒髪は更に暑さを助長しているようで、顔には汗が浮かんでいる。
もう一人は白髪の少女だ。白いワンピースを着込んでおり、黒髪の少女に比べればかなり涼しそうに見える。背中までの長い髪をポニーテールに結っており、その点も黒髪の少女より涼しそうではあったが、やはり暑いのかぐったりした表情をしている。
「あっつい……何でこんなとこに……!」
うんざりした表情でそうぼやく白髪の少女に、黒髪の少女は隣で苦笑する。
「仕方ないよ……。だってここには“欠片”があるんだし」
坂崎永久と由愛は、旅を続けていた。
あの時無限破七刀の一撃を受けた刹那のコアは、粉々に砕け散ってかつての永久と同じようにいくつもの世界へと散らばっていってしまったのだ。今永久と由愛は、その欠片を探すための旅を続けている。別に理由は何だって良かった。また一緒に旅が出来るなら、それで。
由愛はあれから背も伸びて、永久を意識しているのか随分と髪も伸びた。普段は永久と同じようにおろしているのだが、今は状況が状況なので結んでいる。
刹那の欠片を探す旅は、簡単には終わりそうもない。かつてのようにアンリミテッド達が立ちはだかるようなことはなくても、きっと長い旅になるのだろう。しかしそれがどれだけ途方のない旅路になろうとも、永久は必ず刹那を見つけ出す。
「よし、じゃあもう一頑張り! きっともうすぐオアシスとか、人のいるとことか、見つかるよ!」
「お、おー……」
力なく答えて右拳を上げる由愛に苦笑した後、永久は真っ直ぐに前を見る。一歩一歩、少しずつでも良いから前に進んでいこう。果てしない旅の終わりは、小さな一歩の積み重ねだから。
きっと見つけるよ、刹那。例えどれだけかかったって。そしたら今度は、私と刹那と、由愛と、三人で歩いていこう、旅をしよう。
ねえ刹那。刹那の言う通り、世界には何も意味なんてないのかも知れない。
だけど、だからこそ人はそこに意味を見出だせる。見つけ出せるんだと思う。
きっと、私達だって見つけられるよ。
だから探そう刹那、今度は一緒に……私達が生きる意味を。
もしかしたらその旅こそが、私達の生きる意味かも知れないよ?
その旅路がどうか、光に、希望に溢れていますように。
Fin