World14-3「……おかしな奴だ」
「……なんだそれは」
仏頂面でそう言ったダンに、スカーレットは笑顔のまま摘んできた花を突き出す。ダンはしばらく困惑した様子だったが、やがてスカーレットから花を受け取った。
「花、知らないの?」
「そういうことを言っているんじゃない。何故俺に花なんて持ってくるんだ」
「花って綺麗でしょ?」
ダンは何も答えなかったが、スカーレットはその沈黙を肯定ととらえてそのまま言葉を続ける。
「綺麗な花を見ると優しい気持ちになるでしょ? だから、ダンも気持ちが優しくなるかなって」
「……どうだろうな。俺は戦うために生きてきた改造兵士だ。優しい気持ちなど、はなから持っていないかも知れん」
「そう? さっきより表情がほぐれたけど」
スカーレットに言われて初めて気がついたのか、ダンはハッとなるが、やがて小さくかぶりを振る。
「私ね、いつか世界中がお花でいっぱいになれば良いなって思う」
「それは良い。世界がお花畑なら戦争をするのも馬鹿馬鹿しくなる」
ダンは皮肉のつもりでそう口にしたが、ダンの予想に反してスカーレットは満面の笑みを浮かべた。
「でしょう? そしたら皆が優しい気持ちになって、世界が幸せになるかなぁって」
何てことのない、幼い少女の夢物語だ。大人になればいつか忘れてしまうような、甘くて青い夢だった。それをあり得ないと否定してしまうのは簡単だったが、ダンは黙ってスカーレットの話を聞いていた。
ああ、そうなれば良い。その方が良い。あり得ないことはわかっていたが、たまにはそんな夢物語に思いを馳せるのも良いだろう。
そう思ってダンがほんの少しだけ微笑んだのを見て、スカーレットは笑みをこぼした。
「ほら、笑った!」
由愛、英輔、美奈子、鏡子の四人が永久の元へ辿り着いた時には既に事は終わっており、うなだれるダンと立ち尽くす永久だけがそこに残されていた。
ダンは半ば放心状態となっており、これまでの経緯はほぼ全て永久が説明する形となった。
「そのスカーレットって子が話の通り首相の娘だって言うなら、それってかなりまずいんじゃない?」
深刻な表情で言う由愛に頷いたのは、当事者であるダンではなく鏡子だった。
「そうね。黒幕の目的はわからないけれど、悪用する手段はいくらでもあるもの」
「それも欠片が関係しているとなれば……無視は出来ませんね」
同意を求めるように美奈子が言うと、永久はうん、と短く答えて言葉を続ける。
「でもあの人、欠片をあんまり使ってないみたい。気配も薄いし、ハッキリ場所がわかんないから……何か手がかりが欲しいんだけど」
「なぁアンタ、何か心当たりとかねえのかよ?」
英輔が問うと、うなだれていたダンが静かに顔を上げた。
「……プルケー・シュトゥルケー……」
ダンの呟くような言葉に、その場にいた全員が耳を傾ける。
「かつてトルベリアの将校だった男だ。奴は俺を、改造兵士を利用したがっていた」
「利用?」
ダンの言葉を繰り返す永久に、ダンはコクリと頷いた。
「奴は改造兵士を使って、この国を乗っ取ろうとしている」
イスタによって両手を縛られ、スカーレットはイスタの主――――プルケー・シュトゥルケーの書斎へと連れてこられていた。デスクでコーヒーを飲みながら読書するプルケーを、スカーレットは視界に入れた瞬間キッと睨みつけた。
「おや、お嬢様らしからぬ怖い顔だ。令嬢なら令嬢らしく優雅に振る舞うよう、父上に教わらなかったかな」
「あなたに作法や振る舞いのことを言われる筋合いなんてないわ! 一体何が目的よ!」
「別に大したことはない。あなたを取って喰うわけでもない。ただ少し、人質にでもなっていただこうかな、と」
「なんですって……!?」
更にきつく睨みつけるスカーレットだったが、プルケーはそれを意に介さぬ様子でコーヒーを口にする。
「駒は一つでも多い方が良い。特にあなたのように多少でも影響力のある方は、ね」
プルケーを睨みつけながら、スカーレットは何かに気づいたように表情をピクリと動かした。
「……その軍服、見たことあるわ」
「むしろ知らんとは言わせんよ。貴様らリリグアに支配された母国の軍服をな」
「なっ……!」
この国、リリグアはかつてトルベリアという隣国と戦争をしていた。トルベリアは軍事国家で、これまで強引に領土を伸ばしながら国力を蓄えていた国で、数年前ついにリリグアへも攻め込んできたのだ。最初こそトルベリアに苦戦したリリグアだったが、その戦争は何百人もの改造兵士の投入によってリリグアの勝利という形で終結する。そして武力を取り上げられ、トルベリアは事実上リリグアの植民地となったのだった。
階級まではわからないがこのプルケーという男、どうやら元トルベリアの軍人らしい。
「……あなた達の目的ってなんなの? 私や改造兵士の人達を使って、一体何をするつもりなの?」
「知る必要はない」
にべもなくそう言うと、プルケーはイスタに顎で指示を出す。すると、イスタは一礼した後もがくスカーレットを連れて書斎の外へと去っていった。
その背中をしばらく見つめた後、プルケーはカップの中のコーヒーを飲み干して一息吐く。
リリグア政府を倒して今一度トルベリアを取り戻す。それがプルケーの目的だ。イスタ・レスタやマシモフ・アシモフのような改造兵士を味方につけ、少しずつ兵力を蓄えて国家転覆を図る。スカーレットは父親との交渉材料にも使えるだろうが、プルケーの真の目的はダン・ウリアだ。
「ふむ……やはり改造兵士の中で最も高い戦闘能力を持つのはダン・ウリアか」
もう何度確認したともわからない、改造兵士に関する資料をパラパラとめくりながらプルケーはそう呟く。今まで何度引き入れようとしても首を縦に振らなかったダンだが、スカーレットを人質に使えば嫌でもこちら側につこうとするだろう。
ニヤリと品のない笑みを浮かべて、プルケーはそっと資料を閉じた。
プルケーに関する話を一通りした後、ダンは一人にしてくれ、とテントの中にこもり始めてしまった。プルケーはかつてこの国、リリグアと戦争をしていたトルベリアの将校だった男で、今はこの国のしがない役人の一人だという。それなりに大きな屋敷が近くにあるらしく、スカーレットをさらったのがプルケーだと仮定するならすぐにでも助けに行けるようだった。
しかしダンは、助けに行こうという永久の提案を拒否した。
「……一々構ってる暇なんかないわよ。相手が欠片を持ってるなら、さっさと行った方が良いと思うけど」
由愛の言うことは正論だったが、永久はどうしてもダンを連れて行きたいらしくかぶりを振る。
「そうね。由愛の言う通りあまり時間はないわ。私達には、もうあまり油を売っている時間はないと思うわよ?」
「ってもなぁ。俺は全然事情わかんねえけど、確かにこのままあのダンって奴をほっとくってのも違う気がすンだよな」
頭をポリポリとかきながら、英輔はやんわりと由愛と鏡子に反対意見を述べる。永久はしばらく黙って聞いていたが、しばらくすると意を決したかのようにテントの方を向く。
「私、もう一回ダンと話して見る!」
「……坂崎永久」
ダンの元へ向かおうとする永久の背中を、不意に美奈子が呼び止める。
「美奈子さん?」
「安心しました。やはり今のあなたの方があなたらしいように思います」
そう言って微笑む美奈子をしばらく呆然と見つめた後、永久は屈託のない笑顔を顔いっぱいに広げて見せた。
「うん、私もそう思う!」
黒髪とスカート、セーラー服の襟をはためかせながら永久はダンのいるテントの方へと駆けて行った。
テントの中で、ダンは花瓶に生けられた花をジッと見つめていた。この花は前にスカーレットがダンにくれた花で、この花を見ていると嫌でもスカーレットの笑顔を思い出してしまう。
そうして花を見つめたまま時を過ごしていると、不意にテントの中へ一人の少女が顔を突っ込んできた。
「あ、あの……」
少し遠慮気味にそう言いながら少女、坂崎永久はゆっくりとテントの中へ身を乗り出してくる。
「……何だ。用があるなら入って良い」
「あ、それじゃお言葉に甘えて……」
テントの中で、永久とダンは向き合うようにして座る。永久はすぐに本題に入ろうとしたが、ダンの後ろに置いてある木で出来た台の方へ視線を向ける。そしてその台に乗っている花瓶に生けられた小さな花をしばらく見た後、ダンへ視線を戻した。
「あの花、あなたが?」
「いや、摘んできたのはスカーレットだ。面倒だが捨てる気にもならないのでな」
口調は淡々としていたが、表情はどこか柔らかい。そんなダンの様子に少しだけ微笑みながらも、永久は話を切り出した。
「ねえ、どうしてスカーレットちゃんを助けに行かないの?」
永久がそのことを話すであろうことは想定したのか、ダンは特別動揺するような様子はない。数秒黙りこんだ後、ダンは嘆息してから言葉を紡ぎ始めた。
「……俺にはどうすれば良いのかわからない。スカーレットを助けて、それで何になる?」
そこで一度言葉を区切り、ダンは永久の返答を待たずに語を継ぐ。
「イスタが言っていただろう。俺達は改造兵士だ。所詮兵器の俺達の居場所は、戦いの中にしかない」
――――戦うために生まれた俺達に平和は必要ない。所詮俺達は兵器だ、戦うことでしか生きられない。
永久とダンの脳裏を、先程のイスタの言葉が過る。
「俺にはわからない。イスタの言う通り、戦いの中に身を置くことでしか生きられないなら、俺のいるべき場所はイスタのいる場所だ……。今まで忘れていた……いや、見ないフリをしていただけだ。改造兵士には、もう未来がない。戦争が終わった今、俺達に先はないんだ」
口調こそ淡々としてはいたが、その一言一言にダンの悲しみが込められている。国のために戦い、命を賭し、平和を勝ち取った先にあったのは虚無だけだった。強過ぎる力を疎まれ、顔につけられた消えない刻印が、兵器であることを自身にも他者にも思い知らせてしまう。
永久はしばらく黙り込んでいた。反論するでも、肯定するでもなく、相槌すら打たないまま黙ってダンの話を聞いていた。
そのまま、テントの中に沈黙が充満する。互いに黙ったまま静かに時が過ぎていたが、やがて永久がゆっくりと口を開いて沈黙を破った。
「それで、ダンはどうしたいの?」
「どうしたい?」
問い返すダンに、永久は頷く。
「ダンはスカーレットちゃんのこと、助けたいんでしょ?」
永久の問いに、ダンは唇を結んだが、すぐに小さく頷いた。
「だったら簡単だよ! 助ければ良い。細かいことなんて考えないでさ、行こうよ?」
それはあまりにも単純明快な解答だった。何も考えていないとさえ取れる言葉だったが、ダンはまるで冷水でもかけられたかのように返答に困っていた。
「未来がないなら探せば良い、見つければ良い、私も今、その途中なんだ。だから動こう? 大丈夫、最初の一歩は私が手を引いてあげるから!」
そうして差し出された白く細い手を、ダンは目を丸くしたまま見つめる。見かけは年端もいかない少女だが、永久の言葉にはどこか重みがあるように感じられた。
彼女なら、彼女なら本当に最初の一歩を助けてくれる……そんな気がした。
「……おかしな奴だ。少し信じてみたくなる」
「うん、よく言われる」
そう答えて笑う永久の手を、ダンはそっと取る。戦いがなければ何もない、未来も、先もない、そう思っていた。しかし彼女は、いとも簡単に単純明快な答えをダンへ指し示したのだ。
いや、きっと簡単じゃなかったのだろう。色んな出来事や思いがあって、やっと彼女が見つけた答えがそうなのかも知れない。永久の事情をダンは知らないが、永久が永久なりに苦労してここまで歩いてきたのであろうことを何となく察していた。
「どうする?」
少し茶化すように問う永久に、ダンは小さく笑みをこぼして見せる。
「手を貸してくれ。彼女を、スカーレットを救いたい」
永久を真っ直ぐに見据えてそう答えたダンに、永久はよろこんで、と笑顔で答えた。