World1-7「さよならとよろしく」
暗くて真っ黒。
私と正反対の色をしたその世界は、私の大事なお友達。
弾かれ、煙たがられ、恐れられ、私が辿り着いたのは真っ暗な部屋だった。
人は、異端を排斥したがる。自分と違うものを、輪からはみ出たものを、排斥する。
異端は排斥されて然るべき、そう言わんばかりに彼らは形だけの正論で武装して、自分にとって気に入らないものを排斥する。
或いは恐怖。
或いは嫉妬。
或いは侮蔑。
排斥され、否定されて私は、消された。彼らの中から、私は消されていた。
何がいけなかったのか、何が彼らの気に食わなかったのか、私には最初よくわからなかったけれど、きっと私の持ってる力がダメだったんだと思う。
異能は人を遠ざけ、私を傷つけた。
暗い部屋で眠るように消えて、辿り着いたその先に、私の欲しかった場所はなかった。作ることも叶わなかった。
居場所なんて、最初からない。生まれた時から、多分ずっと。
孤児じゃなくて、ちゃんとお父さんとお母さんがいれば、私にも居場所はあったの?
答えはまだ、わからない。
「もう、良いよ。消して。消えたいの」
ゆっくりと、静かに色づいていく景色の中、仰向けに倒れたまま由愛は自嘲気味にそう言った。
「どこにももう、居場所なんてないんだから……」
そう言った由愛の顔に、もう先程までの余裕はなく、欠片を失ったためかあまり力も感じられない。いつの間にか彼女の出現させていた黒い二つの影は姿を消しているのも、力を失ってしまった証拠だろう。
まだ白いままの地面に、彼女の白い髪は溶けているかのように広がっていた。
「消えたいって、ホントに思う?」
いつの間に戻ったのか、元のセーラー服姿に戻っている永久がそう問うと、由愛は赤い瞳を小さくそらした。
「いなくなりたいって、思う?」
赤が、滲む。
目尻を伝っていったソレを、白いままの地面は吸い取ってはくれなかった。
「……だ……」
永久が、スカートの裾を掴まれていることに気が付いたのは、由愛が視線を永久に戻していることに気が付いた後だった。
「まだ……まだ、やだ……よ……」
嗚咽混じりに吐き出されたその言葉は、年相応の少女のものだった。
「欲しいよ……私にも……居場所、欲しいよぉ…………っ」
涙でグズグズになったその両目を、覗き込むようにして永久は身を屈めると、そっと右手の親指で涙を拭った。
「じゃあ、探そう? きっとあるよ、居場所」
え、と小さく声を上げた由愛に、永久は静かに微笑んで見せた。
「そんなの……あるの? 探せるの?」
「うん、探せる。私と一緒に行こう? きっと見つけられるよ」
打算も何もない。永久が、真っ直ぐな気持ちでそう言っていて、疑う余地なんてないことは由愛にもすぐにわかった。
「嘘吐いたら……嫌だよ……? 絶対、絶対私の居場所……見つけられる……?」
「うん、大丈夫。だからもう――」
消えたいだなんて、言わないで。
それは、肯定だった。
泣きじゃくりながら抱き着く小さな女の子と、それを抱きとめて優しく髪をなでる少女。そんな微笑ましい光景が生まれる頃には、既に世界は色づいていた。
由愛によって行われかけた、現実世界と夢幻世界の融合は止められた。
欠片の力で暴走し、由愛に操られていた美奈に刺されたシーラは一命を取り留めたらしく、今は塔の中でティラによって手厚く看護されているらしい。
「正直、すまないと思っている」
渋く響く重低音。机の上にいるその主を、美奈と要、そしてミントはギロリと睨みつけていた。
由愛との戦いの翌日、打ち上げという名目でグリーンレッドの酒場の一席を永久達は囲んでいたのだが、その輪の中に由愛との戦いに参加していなかった人物が、一人。
「だが……いたしかたない、とは思わんかね?」
尚もにらみつける三人から視線をそらしつつ、その「小さな」初老の男はそう言ったが、美奈達は一向に睨むのをやめようとしない。
「あのな。お前のいない間俺達はメッチャクチャ大変だったんだよ! 俺は暴れるわ俺は操られるわ俺は刺されるわで――」
「何だ、ほとんど美奈か。ならさほど問題なかろう」
瞬間、バシャリと上からかけられた水が、男の灰色のロングコートとやや白髪の混じった短髪を濡らした。
「すまん」
「ま、まあまあ……この辺でベルゼブのことは許してあげたら……?」
苦笑しつつそう言った要に、美奈は顔をしかめたままではあったものの、机の上でビショビショになっている男――ベルゼブをにらみつけるのはやめた。
この男ベルゼブは、美奈の夢幻世界でのパートナーである。
要にミントというパートナーがいるのと同じで、美奈にもベルゼブというパートナーがいたようなのだ。
何故ベルゼブが今更姿を現し、こうして美奈に怒られているかというと、どうも彼は美奈が欠片で暴走してすぐに、美奈の元を離れて別行動(という名の逃走)を取っていたらしいのだ。そして美奈が元に戻ったとわかってすぐに美奈の元へ戻ったわけだが……。
「まあ何にせよ、夢幻世界は救われたのだ。今はそれを祝うとしよう」
「お前が言うなっ!」
今にも殴りかからんばかりの勢いで怒鳴る美奈を、どうどうと眺める要とミントを眺めて、永久は小さく笑みをこぼした。
「でもホントに良かった。皆無事だったってことだし、夢幻世界も助かったわけだし」
先程運ばれてきた料理に手をつけつつ、永久がそう言うと、要はうん、と屈託のない笑顔を浮かべた。
「美奈ちゃんもベルゼブも無事だったし、由愛の目的も阻止出来たし……これであたし達、帰れるんだよね」
「おお、そういやそうだよな」
さっきまでの怒りはどこへやら。料理を口に運びながら言う美奈の表情にもまた、屈託はなかった。
「これで旅も終わりってわけね」
せいせいしたわ、などと付け足しながらも、ミントは寂しげな表情を浮かべていた。
「私達はまだまだこれから、だよね」
「そうね」
永久の肩の上に乗っていたプチ鏡子は、永久の言葉にそう答えた後、そういえば……と話を切り出した。
「永久、貴女が由愛と戦った時に見せたアレ、なんだったの?」
「アレって……どれ?」
「途中で姿が変わったやつのことか?」
美奈のその言葉を聞くと同時に、永久の脳裏をあの時のことが蘇る。
姿と武器が同時に変わり、見切れなかった由愛の黒い弾が見切れるようになったこと。
「うーん。何だろ。コアの一部が戻って、力が戻った……ってことなのかも」
永久の中で薄らと思い出されるのは、武器を瞬時に切り替えて戦う自分の姿だった。
いつの記憶なのかわからない。夢の記憶のようにボンヤリとし過ぎていて、本当にあったことなのかどうかもわからない。しかしその記憶の中の永久自身は、ショートソードや刀、いくつもの武器を瞬時に切り替えて何かと戦っていた。
永久のアンリミテッドとしての記憶は、ほんの少しずつではあるが蘇りつつある。欠片で紛い物のアンリミテッドとなった人間が、一度死ななければ元に戻れないことを知っていたのも、薄らと蘇っていた記憶のせいだろう。
「由愛の出してくる黒い弾が速過ぎて見えなくて、それを何とかして見てやるー! って思ったら、なんかいける気がして……こうパァッとなってフワッとした感じがしてそれで―――」
「……良いわ。とにかく少し力が戻ったってことね」
両手を広げながら、身振り手振りで説明しようとしている永久に対して苦笑しつつ、プチ鏡子はそう言った後、考え込むような表情を見せて黙り込んだ。
打ち上げの後、永久とプチ鏡子はここで美奈達と別れることを決めた。鏡子の調べによると、もうこの夢幻世界にコアの欠片はないようで、永久達にはもう、この世界に用がない。
美奈達には永久は現実世界から夢幻世界へきた、という風に伝えているため、一緒に現実世界へ帰らないか、と誘われたが、まだここでやることがある、とその誘いを永久は断った。
事実、永久にはまだやることがいくつもある。
「世話んなったな」
「ありがとね、永久ちゃん」
グリーンレッドの入り口で、律儀に礼を言う二人に、永久は気にしないで、と微笑みながら返した。
「こちらこそありがとう。色々助けてもらっちゃったね」
「それこそ気にしないでよ」
そう言った要と顔を見合わせて、永久は小さく笑みをこぼした。
「それじゃ、これで」
「あ、ちょい待ってくれ」
片手で手を振り、背を向けようとする永久を呼び止めると、美奈はやや焦った様子でポケットの中を漁り始める。そして何かを取り出すと、永久の方へ投げてよこした。
「これは……」
永久が右手で受け取ったソレは、一枚のカード――美奈の学生証だった。
真顔で映っている美奈の写真の傍に、生年月日や出席番号が記されている。それを不思議そうに永久が眺めていると、美奈は照れ臭そうに笑った。
「悪い、そんなんしかなかったけど……記念に、な」
何か、残したかった。永久との間に、美奈はきっと何かを残したかった。そんな思いを理解すると、永久はその学生証を大事そうに握りしめた。
「うん、ありがとう。大事にする」
永久の言葉に、美奈が満足気な表情を見せたのを確認すると、永久は二人へ背を向け、振り向かずに右手を上げると、小さく振った。
「さよなら」
ドアの向こうは既に、鏡子の手によって例の路地裏へと繋がっていた。
しかし路地裏へ戻り、最初に永久が案内されたのは、次の欠片のある世界ではなかった。
「っと……ここは……?」
まるでホテルの一室のようなその場所で、永久は小首を傾げていた。
シャワールームにクローゼット、小さな棚に机と椅子、冷蔵庫、そして大き目のベッドが置かれたその部屋は、窓こそないもののホテルの一室のようだった。
「客室よ。ここだけで一つの簡易世界だから、好きに使って良いわ。門は路地裏からであればいつでも繋いであげる。あ、ちなみに冷蔵庫の中には食べ物や飲み物があるから勝手にして良いわよ」
プチ鏡子の説明に、電気や水はどこから……? と問いかけそうになったが、永久はそんなことよりも自分が思ったより疲れていることに気が付き、とりあえずベッドの上へ倒れ込んだ。
「ちゃんとあの子にも用意してあるわ。今はベッドでグッスリ眠ってるわよ」
「そっか……良かった」
柔軟剤でも使ったのか布団は柔らかく、鼻いっぱいに洗剤のものと思しき匂いが広がっていく。
「細かいことは、いっか」
今はただ、休みたい。
欲求に従い、永久は静かに目を閉じた。
「それじゃ、用意は良いわね?」
例の路地裏で、鏡子の問いに、二人はコクリと頷いた。
鏡子がスッと手をかざすと、そこに大きな空間の裂け目が現れる。
「次はこの世界よ」
裂け目の向こうの世界の景色は、学校とその中へ入っていく何人もの生徒達だった。その光景に、永久は懐かしげに目を細めた。
「じゃ、行こうか……由愛」
「……うん」
永久の言葉に、隣で由愛が小さく頷いたのを確認すると、永久は裂け目の中へと一歩踏み出す。それを追うようにして、由愛もまた、裂け目の中へと一歩踏み出した。
居場所を、探して。