婚約破棄された公爵令嬢、王太子の不正を暴いたら王太女になってました
煌びやかなシャンデリアが、皮肉なほど美しく会場を照らしていた。今宵の主役であるはずの私は、その光の下で静かに宣告を待つ。
「セラフィナ・ウィンドフェル。冷厳な貴様との婚約は、本日この時を以て破棄する!」
王太子、アルベルトの声がホールに響き渡った。楽団の手が止まり、息詰まるような静寂が広がる。
――キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!
心の中で、私は前世の記憶と共にガッツポーズを決めていた。
そう、私は転生者だ。
前世はブラック企業で働くアラサーOL。残業月100時間超(もちろん違法)、休日出勤当たり前、上司のパワハラ付きという三重苦を背負いながら、唯一の心のオアシスが乙女ゲームと異世界転生もの小説だった。そんな私が気づいたら、異世界の公爵令嬢に転生していた。
――で、まぁ、王太子の婚約者になって、今こうして婚約破棄されてるわけですが。
内心でツッコミを入れながらも、表情は完璧に制御する。これでも前世の理不尽なクレーム対応で鍛えた「無表情スキル」がある。
陛下が立ち上がった。珍しく焦りが表情に出てしまっている。
――やっぱり、陛下も知らなかったパターンね。
このままでは、婚約破棄自体がなかったことにされる恐れもある。私は無表情を保ちつつ、即返答した。
「……承知いたしました、アルベルト様」
私は膝を折り、完璧な所作で一礼した。
――お、周囲がざわついてる。やっぱり泣き崩れると思ってたのね?
甘いわ。前世で上司に「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われ続けた私にとって、これくらいの罵倒は挨拶レベルだ。
私はセラフィナ・ウィンドフェル。臣籍降下した王弟を祖に持つ、ウィンドフェル公爵家の一人娘。要するに、「王族に最も近い貴族」っていう微妙なポジションだ。
転生して17年。この世界が乙女ゲームなのか、ネット小説なのか、それとも全く別の何かなのか。散々調べたけど、私の知ってる作品には該当しなかった。
どの世界かは分からないけれど、今の世界が私の現実。だから私は真面目に「公爵令嬢」として生きてきた。王太子妃教育も頑張ったし、社交界でも完璧に振る舞った。
――だって、前世みたいに過労死したくないし。ちゃんと役割果たしてれば、それなりに快適な生活が送れるもの。
「セラフィナ、貴様のような冷徹な女は王妃にふさわしくない。彼女こそが、私の真実の愛だ」
アルベルトは、可憐に震える金髪の令嬢――リリエット・フェザーリットの手を取り、高らかに宣言した。
――真実の愛(笑)。
私は必死で吹き出すのを堪えた。
――マジで言ってんの? お約束の言葉をここで聞くことになるとはね。
リリエットは、辺境伯の庶子。確かに美しいが、政治的後ろ盾はほぼない。社交に不慣れな指が、彼の腕に縋りついている。柔らかい金髪が揺れ、蜂蜜色の瞳が不安に揺れている。
――あー。可憐系ヒロインね。わかる。
金髪に水色の瞳のアルベルトと並ぶと美しい絵画のようだった。
その光景を眺めながら、私は事務的に、目の前の男を評価した。
――この王子様。状況が何も見えてない。
アルベルトには、弱点があった。彼の母は正妃ではなく、側妃。しかも、子爵家出身という高くない身分。貴族派閥の支持は不安定で、後ろ盾も弱かった。だからこそ、「王家の血を引く公爵令嬢を正妃に据える」必要があった。
彼が王家の菫色の瞳を継いでいなかったこともある。
子どもの頃は、公爵家の一人娘だから王子の婚約者にはならないだろうと油断していた。
なんとなく、王子の婚約者になるのは良くない気がして、「嫌です」と両親に言って困らせてしまった。
当時、前世の記憶ははっきり戻ってなかったけれど、王太子の婚約者は碌なもんじゃないと薄々気づいていたのだ。
でも、私の希望なんて通るわけがない。
私の瞳は菫色だった。
つまり私は、完全に政治の道具だったわけだけど、それは理解していた。前世だって、会社の歯車として働いていた。むしろ、歯車として機能してれば給料(生活の安定)が貰えるなら、それでいいと割り切っていた。
――恋愛感情? そんなもん最初からないわよ。これ政略結婚だし。
でも、アルベルトに歩み寄ろうとしても拒絶され続けて、少し心が折れかけていたのは事実。
銀髪と瞳の色が冷たく感じられたのだろうか。冷淡だの冷酷だのと散々言われた。
――宣言するときも冷厳と冷徹って言ってたわ。無駄な語彙力発揮して、ムカつく。
婚約破棄は私にとっても都合が良かったのだ。
大勢の面前で婚約破棄を叫び、私の了承の返事も聞かれている。これが覆ることはないだろう。
アルベルトと私の間の子に公爵家を継がせる予定だったが、父はまだ若いから、その子が成人するまで当主を続ける予定だった。つまり、今、私が公爵家に戻ってもなんの問題もない。
――アルベルト。土台が弱くなっちゃったけど、勝手に頑張ってね。
控室に戻ると、侍女のクレアが涙を流し始めた。
「セラフィナ様、よろしいのですか」
「大丈夫よ、クレア」
私は彼女の頭を優しく撫でた。
――この子、いい子なのよね。前世の同僚にこんな子いたら、もっと働きやすかったのに。
「私は平気だから」
私は心の中で、静かに幕を引いた。
――さて、これで自由の身だ。やったぜ!
翌朝、私は自邸の書斎で、鍵のかかった引き出しを開けていた。取り出したのは、何重にも綴じられた書類の束。
「……やっぱり、これ怪しいのよね」
アルベルトが持っていた書類。彼が決裁する書類に目を通すことが、婚約者としての私の仕事の一つだった。
要するに秘書業務だ。前世と変わらない。ある日この書類を目にしたとき、アルベルトが「これは君には関係ない」と私の手から素早く奪った。
――あー、これ絶対怪しいやつだ。
ブラック企業で培った「ヤバい書類を嗅ぎ分けるスキル」が、全力で警告を発していた。前世で何度見たことか。
「従業員には見せられない書類」
「会計監査の時だけ隠される書類」
「なぜか社長室の金庫に入ってる書類」
――このパターン、絶対アウトなやつ!
「真実の愛(笑)」の噂が広がり始めたころ、私は書類の控えを整理するふりをして、その写しを自邸に持ち帰った。
――コピー機ないから手書きで写すの大変だったわ……。
皮肉なことに、王太子の婚約者でなくなった私には、調べるための時間が生まれた。残業もないし、社交界にも出なくていい。ちょっと気になることを確認しておこう、そんな気持ちだった。
中の書類に目を通していく。一見すると、ただの事務手続きの書類だ。でも……。私の目が、ある数字に止まった。
「……この金額、おかしくない?」
北方諸国との貿易に関する書類。関税の税率が、明らかに低すぎる。
――待って待って。これ、普通に計算したら国庫の損失ヤバくない?
前世で経理部とやり取りしてた経験が、ここで活きた。昼夜を問わず、たまには飲食さえも忘れて没頭する私を、両親も使用人も心配していた。だが、止めるわけにはいかなかった。
――だって、これ……。
浮かび上がったのは、アルベルトの不正だった。北方諸国との不当な密約。関税を不当に引き下げる約束の代わりに、アルベルトの派閥に流れ込んだ巨額の政治資金。さらには、数年前の大洪水で消えたはずの復興費の流用先。一つ一つは巧妙に隠蔽されていたが、線を繋げば地獄の地図が出来上がる。
「……前世の会社より悪質じゃん」
思わず素の声が出た。
――前の会社は残業代未払いとかパワハラとかだったけど、こっちは国家レベルの横領だよ?
窓の外には、朝日に輝く王都の街並みが広がっている。安価な輸入品が流入すれば、国内の職人たちはどうなるか。そして、復興の進まない被災地では、今も民が泥を啜っている。
「……これ、放置できないわ」
私は前世でブラック企業に勤めていたが、国民として、納税者として、「会社が違法なことをしてたら通報する」のは当然だと思っていた。
――労基に駆け込む勇気はなかったけどね……。
でも、今は違う。
「これは復讐ではないわ……この国を救うための、外科手術よ」
――カッコつけて言ってみたけど、要するに内部告発よね。
私は作成した調査記録と書類をクレアに手渡した。
「これを、王城監査局の筆頭理事へ。直接手渡してちょうだい」
「セラフィナ様……これは?」
「内容については教えられないわ。あなたを信頼しているから託すの」
「必ず渡して参ります!」
クレアはキリっとした顔をして、部屋を出て行った。
事態の進展は、私の予想を遥かに超える速さだった。
――早くない? まだ三日しか経ってないんですけど?
王太子の不正は白日の下に晒され、彼を支持していた貴族たちは一晩で手のひらを返した。
――うわぁ、露骨。前世の会社で不祥事起きた時と同じ反応だわ。
アルベルトは王位継承権を剥奪され、幽閉の身となった。王城の廊下は、異様なほど静まり返っていた。皆が何かを察し、しかし誰も口にしない――そんな空気だった。
数日後、私は父と共に国王陛下との謁見に臨んでいた。
「セラフィナ。……お前の通報により、国は最悪の事態を免れた」
国王陛下は、数日で十年も老け込んだような顔で私を見つめた。
「アルベルトを王にするわけにはいかない。だが、今の王室には彼に代わる柱がいない。王弟は病に伏し、他の親族はあまりに幼い」
陛下はゆっくりと、玉座から立ち上がった。
――え、なに? まさか……。
「セラフィナ・ウィンドフェル。お前こそが、国を最優先に考え、情に流されず決断を下せる唯一の者だ。……お前を王太女にする」
「――は?」
完全に素が出た。
――ちょ、ちょっと待って! 私、内部告発しただけなんですけど!?
驚きで父を見れば、父は静かに目を伏せ、ただ一言こう言った。
「お前は、誰よりもこの国を愛している。……そうだろう?」
――こんな展開、聞いたことないんですけど! 婚約破棄されたら追放か修道院送りでしょ、普通! なんで王位継承者に!?
幽閉される前のアルベルトに面会を申し入れた。これは情ではない、私なりのけじめ。
「……君は、最初からこうなるつもりだったのか」
「いいえ」
私は静かに首を振る。
「殿下が、自らすべてを手放したのです」
彼は黙ったままだった。
――っていうか、真実の愛(笑)とか言って婚約破棄したの、そっちじゃん。私だって意外過ぎるんですけど?
後ろ盾が弱いから、お金でなんとかしたかったのだろうか……。
結局彼が何を考えていたのか、私には分からなかった。
修道院に入ることになったリリエットのことを気遣う言葉もなかった。
流された彼女も気の毒だけど、責任は取らなければいけない。
――それでも、彼女が自分の人生を自分で選ぶ前に、終わってしまったのだと思うと、胸の奥に小さな痛みが残った。
同情はしない。ただ、少しだけ苦かった。
二ヶ月後。私は、各国の使節が集う謁見の間で、異例の早さで王太女として披露されていた。
――これ、私のお見合いも兼ねてるんじゃない?
使節という名目だが、来ているのは隣国の第二王子、第三王子などが含まれている。北方諸国との密約にまつわる一件は表には出ていないが、後処理の都合上、国内ではなく他国と縁を結ぶ必要があるのだろう。
披露パーティは、父にエスコートされて参加した。私が陛下の養子になることは決まっているが、まだ親子だ。こうして、一緒にいられる時間もなくなるかと思うと、寂しくなる。
パーティでは様々な男性に取り巻かれて、疲れてしまった。
――正直、前世も今世も男の人には慣れてないのよね。
でも、王太女になったからには早急に婚約者を決めないといけないだろう。
なんとなく会場を見渡すと、黒い髪が目に入った。黒髪はこの国では珍しい。前世が日本人だったからか、気になってしまう。
私の視線を感じたのか、男性が近づいてきた。
「実に面白い国ですね」
隣国アズリア王国の第二王子のカイルだった。年齢は私の一つ下。
「婚約破棄された令嬢が、王位継承者。――物語の主人公みたいじゃないですか」
「からかっているの?」
「いいや。羨ましがっています」
彼は肩をすくめる。
「僕は第二王子です。何も決められず、何も背負わされず、自由な代わりに無力」
「……自由は、必ずしも幸福じゃないわ」
「同感ですね」
彼は真っ直ぐに私を見た。
「だから興味があります。自ら檻に入ることを選んだ君に」
ざわり、と空気が揺れる。周囲の貴族たちが注視しているのが分かった。
「失礼ね。私は逃げなかっただけよ」
「それが一番難しい」
カイルは一歩近づき、声を落とす。
「隣国として、ではなく、一人の男として話す機会をいただけませんか」
「それは……外交? それとも?」
「両方です」
微笑みは軽やかだが、蒼い瞳は真剣だった。
――ああ、これは厄介だ。
でも同時に、胸の奥が久しぶりに騒いだ。
――恋愛フラグって、こういう感覚なのかも。
結論から言うと、婚約者はカイルになった。
国外、国内のバランスも考えると彼が最適だったのだが、私との相性が良さそうだというのも決め手だったらしい。
――黒髪が懐かしくて見てたなんて言えないよね。
手紙のやり取りでも、彼は面白いことを書いて、私を笑わせてくれる。どうも、素がバレているような気がする。
驚いたけど、彼も日本からの転生者だった。
この世界どうなってるのだろう?
なんか、私の行動が日本人っぽいって思って気になってアプローチをかけたんだって。
「食事のときに小声で『いただきます』って言ってたよね。僕の国にも君の国にも、食前に祈る習慣はないよ」
――いつ? 気を付けてたのに。やってしまった。
文通をしつつ、彼が私の国に訪ねてくる形で、交流を続けている。
夜風が心地いいテラス。
「君、笑うとちゃんと年相応だね」
ワイングラスを傾けながら、カイルが言った。
「失礼ね。私はいつも真剣よ」
「それが問題」
彼は楽しそうに肩をすくめる。
「ここでは、ただのセラフィナでいいよ」
私はしばらく黙って夜空を見上げた。
「……それは、ずるい誘いね」
「承知してる」
カイルは近づきすぎない距離を保つ。
「必要になったら、また呼んで」
「自覚あるタラシは嫌いよ」
「光栄だ」
彼は笑い、軽く一礼した。
「あなたが選ぶ道を、僕は邪魔しない」
甘い逃げ道はある。でも、私は戻る場所を知っている。
それも、いいかも。
私は夜の王都を見下ろした。
「……本当に、皮肉なものね」
王太子妃になるための教育を受けてきた私が、今度は王になろうとしている。
――いや、マジでどうしてこうなった。
手にした扇を握りしめる。これから歩む道は、王太子妃としての日々よりも、遥かに険しく孤独なものになるだろう。
――前世は社畜、今世は女王……。どっちも激務じゃん! 異世界転生したのに、なんでブラック人生なの!?
「でも、……やってみせるわ」
――前世で、上司に「お前の代わりなんていくらでもいる」って言われ続けた私が、「代わりがいない」って言われる日が来るとはね。
私は家族を、生まれ育った国を愛している。
カイルへの気持ちはまだ愛と呼ぶのは気恥ずかしいけど……、きっと良いものになる。
私は私自身の意思で、この国の未来を背負う。
遠く瞬く街の灯り。そこで眠る数多の民。その一人ひとりの生活を守るために。
「私は、王になる」
夜空を見上げながら、私は密かに決意した。
――女王になったら、まず労働環境改善から始めるわ。
前世でできなかったこと、今度こそやり遂げるために。




