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死んだ妹そっくりの平民の所為で婚約破棄と勘当を言い渡されたけど片腹痛いわ!

第一話


 男爵令嬢アメリア・フュームは静かに笑った。


 彼女には十四歳という若さで亡くなったマリアという妹がいた。マリアは人々の前では天使、姉アメリアの前では悪魔……つまり妹は生まれついての詐欺師だったのである。だから妹そっくりの詐欺師が屋敷を訪れた時、アメリアは唇を歪めて笑った。詐欺師たる妹を詐欺師が演じるとは洒落が利いている。


「あのね、あのね、マリアはお菓子が欲しいのよ?」


 平民ベラ・ヘイは小首を傾げてお願いした。


 するとアメリアの婚約者である子爵令息ロイドがお茶を零し、アメリアの両親であるフューム男爵夫妻が大口を開けて震えた。三人はたったそれだけで、骨抜きにされてしまったのである。


 ロイドも男爵夫妻も、生前からマリアを盲愛していた。だからこそ、怪しい平民を“愛しいマリアの魂が宿った娘”と思い込んでしまったのだ。ただひとりアメリアだけが、ベラが詐欺師であることを見抜いていた。


「ね、ね、マリアは綺麗なドレスが欲しいのよ?」

「買ってあげるとも、マリア! どんな色のドレスだい?」

「赤! 赤がいいわぁ!」


(馬鹿ね。マリアの好きな色はベビーピンクよ。調査不足だわ)


「うんとね、うんとね、マリアは男爵家の子供よね?」

「勿論よ、マリア! すぐにでも養子に迎えましょう!」

「うふふ! パパ、ママ、愛してるわ!」


(我が男爵家が借金を抱えてるってこと、知らないのね)


「ロイド様ぁ? マリアのこと、ぎゅっとして?」

「マ、マリア……! 可愛い君を抱き締められるなんて……!」

「えへへ、気持ち良いよぉ」


(二人が男女の仲になるのも、時間の問題かしら)


 アメリアはベラの演技を眺めては、薄ら笑いを浮かべていた。







 一方、ベラはアメリアの態度に苛立っていた。なぜこの姉は自分の演技に惑わされないのだろう。折角、魔道の力を使用した整形手術と入念な聞き込みによりマリア・フュームになり切ったのに……ベラは歯噛みする。


 もしこのまま姉と暮らしていたら、いつかマリアとの違いを指摘され、追い出されるかもしれない。早急に手を打たなければ。


 ベラはすぐさま行動を始めた。まず、買ってもらった物を壊し、アメリアにやられたと男爵夫妻へ訴える。しかし涙を浮かべて「お姉様を許してあげて」と懇願する。これを何度も何度も繰り返す。


 次に、ベラはロイドを誘惑した。純真無垢を装ったスキンシップを重ね、ベッドへと雪崩れ込む。生前のマリアと思いを遂げられなかったロイドはベラを掻き抱きながら「マリア! マリア! やっと僕の物になった!」と腰を振っていた。


 そして運命の日が訪れる。


「アメリア、君との婚約を破棄する。僕とマリアは愛し合っているんだ。大輪の薔薇であるマリアの前じゃ、君はその辺に生えるぺんぺん草でしかない」


 ロイドの言葉に続き、男爵夫妻も冷たく言い放った。


「アメリア、お前は勘当だ。可愛いマリアを陰湿にいじめたのは知っている。今日中に荷物を纏めて、屋敷から出てけ。そして平民として生きていくがいい」

「あなたはもう私達の娘じゃないわ。娘はマリアだけよ」


 婚約破棄と勘当を言い渡されたアメリアは俯いた。両肩をわなわなと震わし、両手を握り締める。そのまま何も言わず、立ち尽すばかりである。どうせ惨めたらしく泣いているのだろうと、ロイドも男爵夫妻も思った。


 それを見たベラは内心で狂喜した。


 流石アタシだわ! アタシは天才なのよ! アタシって死んだマリアより、マリアの才能があるんじゃない? “大天使”って呼ばれてたらしいけど、実は大したことなかったんじゃない? きっと騙されたロイドも男爵夫妻もドエムの大馬鹿者なのよ……ベラはそう考えて、ほくそ笑んだ。


 その時、アメリアが顔を上げた。


「わっ、かりましたぁ……! 婚約破棄でもぉ、勘当でもぉ、何なりと受け入れてあげますぅ……うふふふふふふ、あはははははははははっ!」


 ベラも、ロイドも、男爵夫妻も、目を瞠る。

 泣いているように見えたアメリアは、大爆笑を堪えていたのだ――

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第二話


「あぁははっ! あはっ! あはははははは……失礼致しました」


 アメリアは笑いを止めると、礼儀正しくお辞儀する。


 それを見るなり、ベラとロイドと男爵夫妻は当惑の色を浮かべた。最初、笑い狂うアメリアを目にした四人は「こいつ、ショックで気が触れたな」と目配せし合っていた。しかし謝罪とお辞儀をして見せたアメリアは正常そのものだったのである。


 狼狽える四人を見詰め、アメリアは微笑んだ。


「皆様のお気持ちはよく分かります。ロイド様はマリアが大好きでしたものね。私の心と体を攻撃し、“マリアの姉だから結婚してやるんだ、感謝しろ”とよく仰ってましたね。お父様とお母様も、マリアを溺愛していましたものね。私のことは放置するか虐待するかのどちらかでしたね。助けてくれたのは執事のロブだけでした。では、私は荷造りをして参りますので、少々お待ちを――」


 そしてアメリアは部屋から出ていった。

 残された四人は顔を突き合わせ、沈黙していた。


 やがて気持ちが落ち着くにつれ、ロイドも男爵夫妻も怒り始める。婚約者になってやったのに、あの物言いは失敬だ。育ててやったのに、あの物言いは無礼だ。三人はアメリアが戻ってきたら、罵声を浴びせてやろうと考えていた。


 しかし一時間後――侍女が血相を変えて駆け込んできた。


「……だ、旦那様! 大変です!」

「どうした? 何が起きたというのだ?」

「キャンピオン侯爵家のマイルズ様がいらしております!」


 その言葉に、場は騒然となった。キャンピオン侯爵家と言えば、国でも有数の金持ちである。しかもその次男マイルズは多くの事業を手掛ける大実業家だ。なぜそんな上位貴族が下位貴族の屋敷を訪れたのか、男爵は首を捻った。


 兎にも角にも、待たせては不味い。

 男爵はすぐに部屋へ通すように命じた。







「――マイルズ・キャンピオンだ。連絡もなく訪れたにもかかわらず、会ってくれたことに感謝する。早速だが、今日は男爵家の娘をもらい受けにやって来た」


 美しき青年マイルズは開口一番に言った。


 それを聞くなり、ベラは喜びのあまり失神しかけた。子爵令息と婚約しただけでも不足はなかったのに、まさか美貌の侯爵令息が求婚してくれるなんて……もしかして自分は神の愛し子か? 特別な人間なのか? ベラは満面の笑みで叫んだ。


「嬉しい! 未来の侯爵様に娶ってもらえるなんて、マリア嬉しいのよ!」

「そ、そんな……! 僕というものがありながら……!」

「おぉ、良かったなぁ! マリア!」

「マリアには侯爵家が相応しいわ!」


 その声にマイルズは眉を顰める。


「何を言っている? 俺がもらい受けるのは養女のベラではない。長女アメリアだ。俺は彼女と結婚して、侯爵家の家督を継ぐ」


 ベラも、ロイドも、男爵夫妻も、衝撃に震えた。


「は……!? マリアではなく、アメリアを娶るのですか……!?」

「うむ、その通りだ。アメリアほど、慎ましく、優しく、賢い女性は滅多にいない。しかしここにいる者達は婚約破棄と勘当を言い渡したそうだな。後で返して欲しいと泣いて頼んでも、決して渡さないからな」


 マイルズが魅惑的な唇を歪め、にやりと笑った。

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第三話


「く……くくく……はははははは! これは傑作ですな!」

「ふっはは……マ、マイルズ様ったら、御冗談を……!」

「あはっ、あはあはっ! マリア、お腹が痛いのよ!」


 男爵夫妻も、ロイドも、ベラも笑い転げる。アメリアに対して少しの価値も感じていない四人はマイルズの言葉を冗談として捉えた。それにしても、アメリアみたいなひっつめ髪に瓶底眼鏡の根暗女と結婚したいなんて、頭がおかしいのか? 趣味が悪いのか? いいや、見る目がないのだろうな……と、全員がマイルズを見下した。


 一方、マイルズは憮然として答える。


「俺は冗談など言っていないが?」

「ええっ、信じられないっ! 今すぐ目を覚ましてほしいのっ!」


 ベラはマイルズへ近寄り、くるりと一回転してポーズを取った。そして上目遣いに相手を見ると、わざとらしいほどの猫なで声を出した。


「ねぇん、マイルズ様ぁ。マリアをお嫁さんにしてぇん?」

「……は?」

「だってマリアはね、マリアはね、お姉様より可愛いのよ?」

「……は?」

「マ、マリアはっ! マリアはねっ! 可愛いでしょぉっ!?」

「……は?」


 マイルズは仏頂面のまま冷ややかに見下す。そんな態度に焦ったベラは可愛らしく微笑み、ウィンクを投げかける。するとマイルズは苦虫を噛み潰したかのような表情をして後退っていった。


 その反応に、ベラは衝撃を受ける。この顔に整形してマリアを演じてからというもの、男に不自由したことはなかったのに――


 事実、ベラは美少女だ。しかしその顔には魔道整形特有の不自然さが刻まれている。しかも完璧にマリアとなった訳ではなく、よく似た少女といった程度である。さらに“大天使”と呼ばれたマリアの性格は“馬鹿”と紙一重であり、非常に難易度が高いのであった。ベラの演技は明らかに馬鹿に傾いていた。


 ベラが屈辱に震えていると、部屋の扉がノックされた。


「む、誰だ? 何の用だ?」

「……アメリアです。荷造りが終わりました」

「ふん、お前か。ぐずぐずしてないで入ってきなさい。そして婚約無効の書類と戸籍から抜ける書類にサインしなさい」


 するとアメリアは掠れた声で言った。


「……それは勿論致します。でもついさっき大変なことが起きたのです。私が自室で荷造りをしていると、死んだマリアが天国から戻ってきたのです」


 ベラとロイドと男爵夫妻は唖然とし、そして溜息を吐いた。ああ、やっぱりこいつは狂っていたのだ。最早、夢と現の区別もつかず、こんなことを言っている。きっとマイルズ様との結婚もなくなるだろう……四人はそう考えて苦笑した。


「分かった分かった。それではマリアを連れてきなさい」

「……はい、分かりました」

「まったく。最後まで困った娘だな」


 四人は嘲りの表情をして待っていた。扉の向こう側にマリアなどいない。狂ったアメリアがひとり立っているだけだ。やがて扉は開き、マリアが生前着ていた服の生地が覗く。ベビーピンクのフリルワンピースはマリアのトレードマークだった。


 そして扉は完全に開き切った。

 そこにはマリアそのものの少女が立っていた。


「マ、マリ……――」

「あ……? あぁ……?」

「マリ、ア……? マリ……――」


 男爵夫妻とロイドの思考が停止した。


 直後、細かく巻かれた滝のようなブロンドが揺れ、少女が歩き出した。天使を彷彿とさせるその少女は、心から幸せそうに近づいてくる。そして男爵夫妻とロイドの前に立つと、無邪気に笑った。


 弾みをつけて歩くこの仕草はマリアだと、男爵は気づく。

 人の心を踊らせるこの笑顔はマリアだと、男爵夫人は涙する。

 希望を宿して輝くこの碧眼はマリアだと、ロイドは嗚咽を漏らす。


 そして少女は目を細め、花のように微笑んだ。


「パパ、ママ、ロイド様! マリアはね、マリアはね、天国から戻ってきたのよ! また皆とお話できるなんて、マリアは幸せ者なの! えっへへ!」


 男爵夫妻とロイドが、恍惚のあまり意識を失いかける。ああ、幸福だ。至福の時が訪れた。神は我々に奇跡をお見せになったのだ……――







 するとマリアに扮した#アメリア__・__#は冷酷に言い放った。


「……なぁんちゃって、嘘でした! マリアが天国から戻ってきたなんて嘘です! 私は姉のアメリアです! うふふ、残念でしたねぇ?」

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第四話


“マリアが天国から戻ってきたなんて嘘です! 私は姉のアメリアです!”


 その発言に、男爵夫妻とロイドは戦慄く。この可愛らしいマリアが、可愛さの欠片もないアメリアの扮装だなんて信じられない。そうだ、きっと天使になったマリアが我々に試練を与えているのだ。もしここでアメリアだと認めてしまえば、マリアは天国へ戻ってしまう……三人はそう思い込んだ。


「嘘だ嘘だ嘘だ! お前はマリアだ!」

「そうよ! あなたはマリアじゃない!?」

「その通りだ! マリアはマリアでしかない!」


 するとアメリアは冷たい目をして溜息を吐いた。

 途端、三人の全身に悲哀と恐怖が走った。


「マ、マリア、そんな冷たい目を向けないでくれぇ……!」

「いやあぁぁぁ……! マリアにそんな目で見られるなんてぇ……!」

「うおおおぁ……!? どうして、睨むんだぁ……!?」


 嘆き悲しむ面々を無視し、アメリアはマイルズの元へ向かう。彼だけはアメリアの扮装にも、豹変する態度にも、まるで驚いていない。アメリアは大好きなマイルズへ微笑みかけると、その広い胸に飛び込んだ。


「マイルズ様、すぐ駆けつけて下さったのですね?」

「愛しいお前のためだ。何だってする」

「ああ……私もあなた様のためなら、何だって致します……」


 アメリアはしばらく幸せに浸り、やがて男爵達へ向き直った。


「皆様、色々と尋ねたいことがあるでしょう。それを説明するために昔話をしますので、どうぞご静聴願います。……大人しく聞いてね?」


 最後だけマリアの口調で念を押す。

 すると男爵夫妻とロイドは押し黙った。


「……私は幼い頃から、マリアに虐げられてきました。精神的に追い詰められ、肉体的に痛めつけられ、地獄の日々を送ってきました。お父様も、お母様も、ロイド様もそれに気づいていませんでしたね。それほどまでにマリアは狡猾だったのです。悪魔だったのです。詐欺師だったのです」


 その言い様に三人は唖然とするが、アメリアは話を止めない。


「しかし私にとって、マリアは勝利の象徴でした。妹のようになれば、好かれる。妹のようになれば、愛される。そう思い、全身全霊でマリアを模倣したのです。マリアの一挙手一投足を目に焼きつけ、真似しました。マリアの手練手管を見抜き、記憶しました。そしていつしか、私はマリアになり切れるようになったのです」


 そこまで聞くと、男爵は口を開いた。


「それでは、お前はアメリアなのか……?」

「ええ、その通りです。私はアメリアですよ、お父様」


 すると男爵夫人も尋ねる。


「でもあなたとマリアは違う顔のはずでしょう……?」

「いいえ、元々似ていました。髪型と眼鏡とノーメイクの所為で、かけ離れた容貌に見えていただけです。メイクと髪と服装を整えれば完璧なマリアになれます」


 そしてロイドが聞いた。


「なぜマリアになり切れることを黙っていたのだ……?」

「そんなの当然です。切り札は最後まで取っておくべきでしょう?」


 アメリアはマリアとは違った優雅な笑みを浮かべる。


 その途端、三人の表情が歪んで鬼の形相へと変じていった。まんまと騙されたこと、マリアの見た目で冷たくされたこと、死んだマリアを侮辱されたこと……その全てに激昂していた。


「ふざけるなッ! 貴様、自分が何をしたのか分かっているのかッ!? お前は天使のマリアを否定し、我々を騙したのだぞッ! 死んで償え!」

「そうよッ! あなたはもう人間ではないわッ! だって天使のマリアを、悪魔だの詐欺師だのと罵ったんだものッ! 地獄へ堕ちなさいッ!」

「二人の言う通りだッ! お前みたいな女狐は見たことがないッ! さっさとくたばって、あの世で自分の愚かさを悔いるがいいッ!」


 三人がアメリアへ掴みかかろうとする、が――




「いやぁあああッ! 怖いわッ! 怖いのよッ! マリアに何をするのッ!」




 アメリアはマリアとして叫ぶ。

 それは最早、演技の域を越えていた。


「うおおおぉぉぉッ! マリアッ! すまないッ……すまないぃッ……!」

「いやあああぁぁぁッ! マリアッ! 大丈夫ッ……大丈夫よッ……!」

「うわあああぁぁぁッ! マリアッ! ごッ……ごめんよぉッ……!」


 男爵夫妻とロイドは床に伏して、許しを請う。


 相手はアメリアだと頭では理解しているのだが、実際にマリアを演じられると抵抗できない。ただひたすら相手の言動に振り回されるばかりだ。もしマリアの姿をしたアメリアに靴を舐めろと命じられたら、従ってしまうに違いない。


 そして三人は最も重要なことに気づき始める。もしかして自分達の心は……いや、自分達の生殺与奪の権はアメリアに握られているのではないか、と――

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第五話


「ふっ……うふふ……あはははははは……くっくくく……――」


 男爵夫妻とロイドの頭上に、アメリアの笑い声が降り注ぐ。それを耳にするなり、三人は激しい憎悪に駆られた。この馬鹿にするような笑い方はアメリア以外の何者でもない。我らが愛するマリアでは決してないのだ。早く、早くしなければ。またマリアを演じられてしまう前に手を打つのだ……三人は勢いよく顔を上げる。


「――パパ、ママ、ロイド様? どぉしたのぉ?」


 しかしそこにあったのはマリアの優しい笑顔だった。


「あのね、怖かったけど、もう大丈夫なのよ! だってマリアはね、“大天使”って呼ばれてたのよ? 強い子なんだから! それにマリアがそう呼ばれたのはパパとママとロイド様が立派に育ててくれた証なのよ? えっへへ、ありがとねぇ!」


 相手はアメリアだと分かっている。女狐だと分かっている。しかし天真爛漫なマリアを演じられると、男爵夫妻とロイドは涙を流すしかない。


「あぁ、そうだな、そうだな、マリア……」

「うふふ、その通りだわ、マリア……」

「可愛い、可愛いよ、マリア……」


 そんな三人へアメリアは追い打ちをかける。

 眉、目、頬、唇の動きを計算し尽くして微笑む。


 それはマリアが最も愛らしく見える極上の笑み。まさに天使の顕現。マリア本人も知らなかった最強の武器である。それに対し、模倣に命を懸けたアメリアが、その笑みを知らないはずがなかった。アメリアは客観的にマリアの魅力を把握した上で、完璧に演じることができる。それ故、妹のカリスマを越えることが可能だったのだ。


 これにより、男爵夫妻とロイドの心は完全に掌握された――







「な……何よ何よ何よッ! ふざけんなッ!」


 その時、ベラが悪態を吐いた。

 彼女はスカートを握って震えている。


「アメリアあんたッ! このアタシに恥をかかせたわねッ!? こうなることが全部分かった上で、泳がせてたのねッ! 内心でアタシのことを嘲笑っていたのねッ!? 最低の雌犬だわッ!」


 ベラは涙と汗を滲ませて激怒した。そのため化粧は崩れてしまい、マリアの顔立ちから遠ざかっている。その状態で本性剥き出しの喋り方をしてしまえば、ただの別人でしかなかった。アメリアはそんな相手へいつもの薄ら笑いを浮かべると、マリアの演技を続けた。


「だぁれ? この子、誰なの?」 


 その態度に怒りを抑えられなくなったベラは靴を鳴らしてアメリアに近づく。腹立たしいまでに美しい顔を醜く腫らしてやると、平手を振り上げる。するとアメリアは涙を零して叫んだ。


「こ、怖いよぉ……! パパァ、ママァ、ロイド様ぁ……! 助けてぇ……!」


 その途端――三人は跳ね起きた。


 男爵が、杖を振り上げてベラの胴体を叩く。

 男爵夫人が、椅子を持ち上げてベラの頭を殴る。

 ロイドが、ベラの鼻筋に向かって拳骨を叩き込む。


 ベラは血を吐いて助けを求めるが、無駄である。マリアによく似た鼻筋は妙な角度に曲がり、マリアを彷彿とさせた丸い顎は内部の詰め物がずれてしまっている。三人は床に伏した偽者を囲むと、ひたすら蹴って蹴りまくった。


 そんな中、マイルズはフューム男爵とロイドのサイン入り書類を手にする。これさえ手に入れれば、後はアメリアがサインをして手続きを終えるだけである。


 アメリアはマイルズと共に部屋を去ろうとした。

 しかし背後から悲痛な叫び声が響いた。


「ま、待ってくれッ……! どうか行かないでくれッ……!」

「お願いよッ……! また一緒に暮らしましょうッ……!」

「そうだともッ……! どうかこの僕と結婚してくれぇッ……!」


 アメリアはゆっくりと振り返る。

 その表情に慈悲は一切感じられなかった。

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第六話


 アメリアは表情を一変させ、にっこりと微笑んだ。


「どうなさいました、皆様? 先ほどそちらの方から、婚約破棄と勘当を言い渡したのではありませんか? そのための書類はきちんと手続き致しますからね?」


 その笑顔には“必ずやり抜く”という意志が感じられる。


 男爵夫妻とロイドは大いに狼狽えた。縁が切れてアメリアが侯爵夫人となれば、会うことさえ難しくなる。早く手を打たないと、またマリアを失ってしまう。何が何でも引き留めなければいけない。嘘を吐いてでも引き留めなければ。そうしなければ、自分達はおかしくなってしまう――そして三人が叫んだ。


「アメリアアアアァッ! 我が最愛の娘よッ! お前は誰よりも素晴らしいぞッ! 勘当だなんて言葉の綾だッ! ずっと父の娘でいてくれえええぇッ!」

「そうよぉ! アメリアちゃんは私の可愛い可愛い娘よッ! これまでも、これからも、アメリアちゃんだけが娘なのよぉッ! さあ、戻ってきてぇッ!」

「ああッ! 麗しきアメリアッ! 一目見た時から、愛していたよッ! 婚約破棄は君を困らせる嘘だッ! 今すぐ、僕のことを好きだと言ってくれえええッ!」


 その叫びに、アメリアは苦笑して呟く。


「軽薄な言葉ですね。何の真実も語っていない――」


 そして彼女はマリアらしい笑みを浮かべる。

 もう手加減はしないつもりであった。


「――パパ、ママ、ロイド様! お姉様へ素直な気持ちを伝えたのね! 素敵だわ! マリアもね、マリアもね、三人に素直な気持ちを届けたい! だから、生前お姉様に伝えておいた言葉を発表するわね? うふふ、マリアの本音よ?」


 そしてアメリアはマリアとして表情を歪ませる。

 それは天使の皮を被った悪魔そのものである――


 アメリアは手始めに男爵を見た。


「ほんっとパパって最低ッ! お金には汚いし、女にはだらしないし、ついにはマリアにまで手を出そうとしたのよ? “大天使”であるマリアによ? キモい猫なで声で、“マリアぁ、今夜パパのベッドへ来なさい”ですってぇ! あんな太鼓腹と寝るくらいなら、家畜と寝た方がマシなのよ! マリアはね、マリアはね、将来は王子様と婚約して、お城で暮らすんだから! あんなパパ、死刑にするわ!」


 次に、アメリアは男爵夫人を見た。


「はぁあ、ママっていつ死ぬのかなぁ? いつまでのうのうと生きてるのかなぁ? ママって臭いし、小汚いし、ババアなのよね。しかもマリアがチクチクしたハンカチを“大天使が縫った奇跡のハンカチ”って高額で売り捌いているのよ? はぁ、どっかの犯罪者がママを殺してくれると嬉しいなぁ。マリアの親衛隊がもっと強くなったら、事故を装って殺させるわぁ。あんなママ、いらなぁい!」


 最後に、アメリアはロイドを見た。


「ぷぷっ! 見た見たぁ? ロイド様のあの顔! マリアがちょっと優しくしたら、発情期の猿みたいに顔を真っ赤にしたのよ? ロイド様って、賭けてもいいけど女を知らないわよねぇ? あの歳で童貞よ、童貞! 子爵令息だとしても、女にモテない底辺男じゃ、マリアの婚約者には向いてないわよ! だからね、存在自体が恥ずかしいロイド様はお姉様にあげるのよ? お似合いなのよ? ブッフウッ!」


 それは生前のマリアが自分へ吐いた愚痴であった。

 演じ切ったアメリアは三人に殴られるのを待っていた。


 しかし何十秒経っても、三人は無表情のまま動かない。まるで命のない蝋人形のように硬直するばかりだ。そのうち、アメリアの脳内に不思議なイメージが浮かんだ。三人の皮膚の表面がひび割れ、はらはらと崩れていく光景が思い浮かぶのだ。


「……アメリア、行こう」

「ええ、マイルズ様」


 そして二人は部屋を去った。


 屋敷を出る途中、廊下で執事ロブと会ったため、挨拶をする。ロブは陰ながらアメリアを助けてくれた恩人だった。事情を話すと彼は涙を流し、アメリア様の幸せを心から願います、いつか必ずお力になります、と誓って深くお辞儀をした。


 そしてアメリアとマイルズは屋敷を出た。

 しかし馬車に乗り込もうとした時、絶叫が聞こえた。


『……旦那様あああぁッ! 落ち着いて下さいッ!……』


 それはさっきまで会話していたロブの声だった。

 直後、ダン、ダン、ダン、ダンと四つの銃声が鳴った。


 マイルズはすぐさま従者に見に行かせ、アメリアを馬車へ避難させる。やがて従者はロブと共に戻ってきた。二人の話によると、銃を持った男爵が夫人とロイドとベラを撃ち殺し、その直後に自殺したという。


 アメリアは目の前が真っ暗になり、破滅を覚悟した。


 直接的に唆した訳ではないが、自分の発言により四人が死んだ。しかも最後の罵りは大声だったから、使用人の誰かが聞いていたはずだ。聞き取りをすれば、いずれ全てが明らかになって自分は糾弾されるだろう。そうなれば、マイルズとの結婚も破談となり、殺人犯として蔑まれるに違いない……アメリアは深い絶望に沈む。




 だが、その予想は大きく外れたのである――

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第七話


 フューム男爵の凶行から一週間後――

 キャンピオン家の屋敷にて、アメリアはほっと息を吐いた。


「アメリア、大丈夫か? まだ動揺しているだろう?」

「はい、マイルズ様……。でも随分、落ち着いてきました……」


 アメリアとマイルズは部屋の中でお茶をしていた。給仕するというメイドの申し出を断り、二人きりのお茶会を開く。ここでなら何を話したとしても、他人に聞かれることはない。


 マイルズはティーカップに口をつけ、呟いた。


「それにしても、執事ロブは本当にアメリアの味方だったのだな」

「ええ、ロブは幼い頃から虐げられてきた私を、心から憐れんでくれていたのです。彼にはいくら感謝してもしきれません」


 男爵の犯罪とアメリアは無関係である――そう証言したのは執事ロブだった。幸運なことにアメリアの罵り声は廊下にいたロブにしか聞こえていなかった。しかも彼はその罵りを決して口外することなく、アメリアに有利な嘘を吐いた。


“男爵様は数日前から様子がおかしかったのです。そして犯行の日、アメリア様へ勘当を言い渡し、ベラ様へ殴る蹴るの暴行を働き、傷ついた彼女と奥様とロイド様と自分を銃で撃ったのです。余程、頭がおかしくなっていたのでしょう”


 その発言は信用され、アメリアは疑われることもなかった。むしろ命を失いかけた被害者として同情されている。しかもロブは執事として一切を取り仕切り、男爵家の後片付けをしてくれている。その仕事が終わったら、すぐにでもこの侯爵家へ来てもらう予定だ。


「ふむ、俺の両親も結婚には賛成だし、行き先は明るいな」

「そうですね。侯爵様と奥様にも深く感謝しています」


 あんなに凄惨な事件があったというのに、侯爵夫妻は前向きだ。喪が明けたらすぐに結婚しなさい、そう言ってくれている。何と心優しい両親なのだろうとアメリアは感動したが、こっそりと親子関係を観察した限りでは、どうやら侯爵夫妻はマイルズに頭が上がらない様子だった。


 なぜマイルズに強く出れないのか、不思議である。


 しかしそれ以上に不思議なのは婚約者マイルズである。

 なぜ四人を死へ導いた恐ろしい自分を、愛してくれるのか。


 アメリアはその疑問を口にできなかった――




「……それにしても、こうして美しく装ったお前を見ていると、出会った時のことを思い出すな。お前は妹になり切り、言い寄る男達を片っ端から袖にしていた」

「そ、それを言うのはお止め下さい! あれは恥ずかしい過去です!」


 突然の言葉に、アメリアは頬を赤らめて動揺する。


 マリアの死後、アメリアは精神に変調をきたした。そのため、彼女はマリアが行かないような社交場に顔を出し、男達を手玉に取っていたのである。破滅的な気分で妹を演じていたアメリアだったが、そこで運命の相手と出会うことになったのだ。


「そう慌てるな。俺はお前がどうあろうと、愛おしい」


 マイルズはティーカップを置き、アメリアの手を取る。

 そして真剣な目をして、彼女を見詰めた。


「あの時、俺はすぐに分かった。彼女の振る舞いは演技だと。本当の彼女は物静かな優しい少女なのだと見抜いた。お前は心で泣きながら、妹を演じていたのだ」


 アメリアは思わず息を飲む。

 マイルズはそんな彼女の手に口づけた。


「どうして……」

「ん? 何だ?」

「どうして見抜けたのですか……? マイルズ様はどうして私が演技をしていると、見抜けたのです……?」


 するとマイルズは悲しげに笑った。


「俺も同じだからだ。俺もお前と同じなんだ、アメリア」

「どう言うことです……?」


 するとマイルズはアメリアの手を離し、椅子に背中を預けた。その表情は暗く沈み、痛々しいほどだった。


「俺には完璧な兄がいた。しかし十五歳の時に病死してしまった。嘆き悲しんだ両親は、弟の俺に死んだ兄を演じることを望んだ。両親は今では優しいが、長男の死によって心が荒んでいた時は悪魔と呼べるほどだった。俺は死によって美化された兄を演じさせられ、気が狂いそうだった。俺自身も悪魔と化し、両親を殺める計画を立てていた。本気で殺してやるつもりだった――」


 マイルズは遠くを睨みながら続ける。


「しかし状況は一変した。死ぬ気で兄を演じた結果、俺は仕事で成功を収めたのだ。そうしたら、両親が目を覚ましてくれた。涙を流して謝ってくれたよ。それ以降、反省した両親は俺に頭が上がらなくなり、そして俺はようやく自分自身に戻れたのだ」


 そう言って、マイルズは深く溜息を吐いた。


 まだ心の整理のついていない過去を口にしたのは、アメリアを励ましたい気持ちからだった。アメリアは意図せず家族と婚約者を殺してしまったが、自分も状況が揃えば同じことをしたと伝えずにはいられなかった。


 その時、テーブルに雫が滴り落ちた。

 アメリアの目から、大粒の涙が零れている。


「マ……マイルズ様、それは本当ですか……?」

「ああ、本当だよ、アメリア」


 頷くマイルズを見て、アメリアはさらに泣いた。肩を震わせて、手を握り締めて、涙する。彼女はなぜマイルズが変わらぬ愛情を示してくれるのか、理解したのだ。


 似た経験をしてきたからこそ、マイルズは自分を愛した。狂おしいほどの苦痛を知っているが故、同じ苦痛の中にいる相手へ変わらぬ愛を貫けたのだ。マイルズは自分と同じだ、マイルズは同じ地獄を知っている……アメリアは震える。そして喜び以上に激しい同情心が沸き起こっていた。


 彼女はマイルズの元へ駆け寄ると、強い力で抱き締めた。


「マイルズ様も……ずっと悲しかったのですね……? 耐えてきたのですね……? でもこれからは私がいますから……! 私がマイルズ様をお守りしますから……! アメリアは生涯をかけて、マイルズ様の心を癒すと誓いますからね……!」


 愛しい相手の誓いに、マイルズは目頭が熱くなった。


「それは俺が言おうとしていた台詞だ――」


 そしてアメリアとマイルズは顔を寄せ、泣き笑う。


 一年後、二人は永遠の愛を誓い合い、夫婦となった。

 それからは仲睦まじく、比翼の鳥の如く生涯を共にした。




―END―

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