中学一年・秋、すれ違い
――中学一年、夏。
夏の大会、俺達はベンチ入りすら出来なかった。俺達のチームは二回戦敗退の結果となり、それ以降はかつてのチームメイトやライバルたちの活躍を指をくわえて眺めるだけとなる。都大会を優勝したチームの四番は、かつて小南とバッテリーを組んでいた元チームメイトの蛇島竜太郎だった。彼は一年にして三年生エースを見事にリードして、攻守ともに大活躍を遂げる。
正直、すげぇ悔しい。
俺と小南は観客席で決勝戦を眺めていて、蛇島も俺達に気が付いた様で、俺と目が合うと勝ち誇った様に微かに笑った。多分気のせいじゃない。
きっと小南の事が好きだった蛇島は、いつだって俺にあたりがきつかった。
とにかく、それから俺たちは『打倒蛇島』を合言葉に練習に励んだ。
夏休みになる頃には漸く打撃練習やポジション別の練習にも加われる様になった。あくまでも『加われる様になった』だけなので、今まで通り球拾いやら整地やらも俺たち一年坊やの仕事だ。毎日暗くなるまで練習して、練習が終わると小南と軽くキャッチボールをする。夏休みの宿題は小南の家で七月の内に終わらせた。曰く、『その方が練習に集中できるでしょ?』との事。慧眼と言う他ない。
そして夏休み最後の練習日、引退する三年生チーム対一、二年選抜の壮行試合が行われる。
「ライト、立花翔都!」
「はいっ!」
二年の先輩たちに続き、一年で唯一呼ばれたのが俺の名前だった。さぞ悔しそうにしているかと思いチラリと小南を見ると、目が合った小南はニコリと微笑み小さく拍手の真似をした。胸の奥で微かに感じた違和感の正体は、この時はまだ気が付かなかった。或いは、気が付いてはいたが認められなかったのかもしれない。
結局試合は七対一で三年生チームが有終の美を飾ったが、代打で出場した俺は八回にタイムリーヒットを打ちチーム唯一の打点を上げ、そのまま登板した九回表は見事三者三振に切って落とした。小南はチームの誰よりも大きな声で俺達のチームの応援をしていた。
「初ヒットおめでと」
帰り道、小南は自分の事の様に嬉しそうにニコニコとそう言った。
「まぁ、俺にとっては当然の通過点過ぎて祝うまでもないな。あ、一応正確に言うと初打点と初三振もだけど」
「あはは、当然とか言っておいて随分細かいじゃん」
その日から俺は一年で唯一レギュラー組に上がることになる。コントロールは悪かったが、自慢の速球が監督の目に留まったようだった。走り込みの成果なのかどうか分からないが、以前より球速は上がり打球も飛ぶようになった。
秋の大会では五番ライトを任されるようになる。三回戦目で二年のエースがメッタ打ちにあい、七回の途中でライトの俺と交代。
七回の表、七対二、ワンアウトなおも二、三塁。ピッチャー俺。
中学に入って公式戦初マウンド。地区大会の三回戦、当然観客なんて関係者だけだ。
「ファイトーっ!」
小南の応援の声。チラリとスタンドに目をやると拳を握り、何度も大きな声を上げている。
俺は大きく振りかぶる。監督にはあとで怒られるかもしれない。でも、中学最初の一球だ。小さくセットポジションでなんて投げられるものか。
大きく振りかぶってからの一球は、キャッチャーミットのど真ん中に真っ直ぐ吸い込まれる。
ズドン。
ストライクのコール。わっと沸き起こる歓声。
試合は負けはしたが、俺は無失点だった。監督は上機嫌で何度も俺の背中を叩き、その手からは確かな期待を感じた。
小学生時代、ピッチャーとしてはずっと小南の控えだった。勿論あいつがすごいのはわかっている。でも、どれだけ練習しても差は縮まらず寧ろ開いているとすら感じていた。虚勢を張って食らいついてはいたけれど、悔しさも、ふがいなさもあった。俺って才能無いのかなと何度自問した事か。
でも、監督に認められて、ハリボテの虚勢は少しずつ自信に変わりつつあった。ハリボテの虚勢と、意地と歪な自信の集合住宅。
「やっぱり勿体ないよ。せっかくの速球、もう少しコントロールがあればもっと活きるのに」
「うるせぇな。無失点だからいいだろ」
試合後もいつもの流れで軽くキャッチボール。確かに外れた球は多かったが無失点。文句を付けられる謂われはない。だが小南のお小言は続く。
「それは結果でしょ?そもそもそんなに強くないチーム相手だったんだから。もっと上を目指すなら絶対改善すべきよ」
いつもならなんとも思わないだろうやり取り。だけど、この日は妙に腹が立った。
「お前さぁ、……もしかして俺が活躍したからって嫉妬してる?」
小南の投げたボールは、珍しく俺の構えたグラブから遠い柵へと飛んでいく。
「あっ、おい!」
ボールはコロコロと公園の外まで転がっていくが、小南は追うこともせずジッと俺を見て立ち尽くす。
夕暮れの公園。赤く染まった小南の顔は眉を寄せ、俺を睨む様に見つめる。何かを抑える様に一度口を結び、瞳に僅かに涙を浮かばせて、震える口を開いた。
「本当にそんな事思ってると思う?」
本当は、ただ一言ここで『ごめん』と言えればよかったのだろう。そんな事ないと継げられればよかったのだろう。
本当はそんな事思っていなかった。今にして思えば、ただ一言小南に『すごい』って言って欲しかったんだと思う。『おめでとう』って言って欲しかったんだと思う。それより先に小言を言われたからへそを曲げてしまったんだ。度し難くバカで、信じられないくらいガキで、情けないほどに愚かだ。
そして愚か者は愚かにも言葉を重ねる。恥の下塗り、上塗り、重ね塗りだ。小南の表情で、彼女の心情をなんとなく察しながらも、悪いと思いながらも、その罪悪感を黒く塗りつぶすような言葉を。
「だ……、だってそうだろ!?いつもならそんな事言わないのに、俺が活躍したときに限ってそんな事言うなんて。自分が選ばれなくて俺が――」
「もういい」
俺の言葉を遮ると小南はギュッと口を結び、目に力を入れて、眉間にしわを寄せ、睨むように暫く俺を見据えてから吐き捨てるように言った。
「バカ!」
そのままくるりと振り返り、小南は帰路に就いた。
「……何だよ、あいつ」
そう言って、本当は自分の放った言葉の重さに気づいてたんだろう。けれど、認められなかったのだろう。
今までだって喧嘩くらい何度もした。次の日は『絶対口きいてやらねぇ』って思いながらもいつの間にか話していたりした。今回も、最初は意地を張って話し掛けなかった。二日続き、三日目になってようやく『これはおかしいぞ』と思い始めたが、一週間を過ぎる頃にはもう自分から話し掛ける事が出来なくなってしまった。
そして俺達は、今までが嘘のように一言も会話をしなくなった――。