小学六年秋、インターミッション
全国制覇チームの表向きエースである小南と真のエースであるこの俺。軟式とは言え幾つもの強豪中学からお誘いはあった。大きな声では言えないが、公立中にも関わらず学区外からの入学を薦めるところもあった。本当は学区内に住んでいなければ通えないのだが、世の中大概のものには抜け道と言うものがあるらしい。
当然ながら俺も小南もそんなずるみたいな真似はしない。別にしている人を非難するつもりもないけれど。俺達はしない、と言うだけの話。
「翔都、学校もう決めた?」
「ん?つーか普通にそのまま三中行くだろ。近いし」
三中と言うのは俺達の小学校の半分くらいが進学するごく普通の公立中学校だ。俺の返事を聞いて小南は安心したように微笑む。
「だよねぇ。あたしも。近いのが一番だよね」
「入学式までならまだ間に合うからどうかうちに!って学校もあったぜ。制服とかも全部用意します!ってさ」
「へぇ~。さすが隠れた影のエースだね」
「隠れてねぇ。正真正銘大エースだよ」
白い目で苦言を呈すると小南は楽しそうにクスクスと笑う。
「ごめん、ごめん。正真正銘大エースさん」
「あ、馬鹿にしてるな?」
本気で甲子園を考えるのなら硬式のクラブチームに入るべきなのは分かっていた。事実、俺も小南もお誘いはあった。でも、小南の家と違ってあまり裕福で無い我が家にそんな負担をかけられないと子供心に思い、公立中学の部活を選んだ。
それに、どんなに弱いチームだろうと野球は一点も取られずに一点取れば勝てるスポーツだ。俺と小南で一点も取られず、俺と小南で一点取る。そうすれば勝てる。子供でも分かる簡単な計算だ。
「ところで小南、お前もう変化球投げられんの?」
肘に悪いとか多分そんな理由で小学生の野球は変化球禁止だが、俺達は春から中学生。練習だけはしておかなければなるまい。備えあれば嬉しいなと言うやつだ。
「監督から投げないように言われてるじゃん。早いうちから投げすぎると肘壊すって」
「あぁ、無理なら無理って素直に言えば良いのに。わはは、俺なんてもうカーブ投げられるぜ」
安い俺の挑発に小南は目に見えてむっとする。
「無理なんて言ってないじゃん。大体ね、何度も言うけどあんたは変化球覚えるよりコントロールが先でしょ?ノーコンの投げるヘナチョコカーブなんて受けるキャッチャーがかわいそうじゃない」
「何だとこら。ヘナチョコかどうかはてめぇの目で確かめてみろや」
売り言葉に買い言葉。小南は怒りを逃がすように大きく溜め息を吐くと、ボールを俺に投げ返す。そしてしゃがんでグラブを前に出して捕球体勢を取る。
「じゃあ一球だけね。七回裏、同点でツーアウト満塁。フルカウントかつ相手は四番、右の強打者」
「おもしれぇ」
ニイッと笑ったつもりだけど多分ぎこちなく笑っているんだと思う。
目測で距離を取り少し離れる。小南のグラブは外角低め。集中。軽く投球モーションに入り、ボールは俺の指を離れる。そして明後日の方向へと弧を描いて飛んでゆく。
「ああああああっ!今のなし、今のなしっ!」
「は~い、押し出し暴投~」
己のふがいなさを嘆き跪く俺を見て小南はケラケラと楽しそうに笑いながら手を叩く。
ボールは転がり草むらの方へと消える。
「あっ、くそっ。ボールなくしたらまた鬼婆に怒られるわ」
「おばさんに言っちゃお」
「やめろ、マジで。つーかお前が投げろって言ったんだからお前も探せよな」
「はいはい、言われなくてもいつも探してるでしょ~」
そして俺達は暗い草むらへと向かう。
夏は過ぎて、秋も深まる。日が暮れるのも早く、草むらからは虫の音が聞こえてくる。俺が小南のボールを捕れない事なんてまずないので、大体いつも俺が暴投したボールを二人で探す事になる。
「あった?」
「ない」
「ちゃんと探しなよ」
「お前もな」
二人して草むらで屈みながらボールを探す。そうこうするうちに互いの頭をゴチンとぶつけてしまう。
「いてっ」
「いたっ、もうっ」
小南はふてくされた様にボフっと草むらに仰向けに寝転がる。他の女子なら到底あり得ない行動だが、こいつは割によくやる。服が汚れようが髪に草が付こうがお構いなしだ。寝転がったかと思うと急に『あっ』と短く声を上げる。
「お、見つかったか?」
チラリと小南に目をやると既に俺のボールの事なんか頭にない様子で、手を広げて大の字になって空を見ていた。
「星が見えるよ」
「お前な。星じゃなくてボールだよ、ボール」
「白い球だから同じだよ、星もボールも。つべこべ言ってないで翔都も見てみなってば。きれいだよ」
「しょうがねぇなぁ」
俺は小南ほど野生児ではないので、草むらに寝転がるのは少し抵抗がある。それでもまぁ付き合いというものもある。なにしろもうじき中学生になるのだから。いつまでも小学生な訳ではない。
ごろりと寝転がる。幾重にも折り重なった木々の葉が真っ黒な影絵の様に視界の端に映り、その中央の全てを塗りつぶす夜空は意外に真っ黒ではなく紺青色で、ところどころに星が煌めいていた。
つい、思わずほぅと息が漏れる。いつだか社会科見学で行ったプラネタリウムよりも星の光は少なかったけれど、不思議とあれよりもきれいに見えた。天を仰いで寝転がり、顔の横に草の匂いを感じる。開放感から俺も小南の様に両手を広げて投げ出してみると、手はもう一人の手に触れる。
「あ、悪い」
「いいよ、別に」
何となく、二人とも触れた手をそのまま動かさなかった。いや、小南はともかく俺は何となくって言うのは多分違う。きっとうちのチームの全員がそうだった様に、俺も小南が好きだったから――。