小学六年、逆襲の夏
一年前のあの日、都大会の決勝で俺たちは負けた。小南は唯一の失投を相手の四番に完璧に捉えられて一点を失い、そのまま1-0で俺たちは負けた。
ゲームセットの瞬間、それまで必死で堪えてきた何かが切れたように小南は人目をはばからずに声を押し殺して涙を流した。俺も、蛇島も泣けなかった。『あたしのせいで、ごめんなさい』と小南は泣いた。
ふざけんな。
それから、俺たちは必死でバットを振った。小遣いは全部バッティングセンター。家が金持ちな蛇島が親におねだりしてピッチングマシンも導入され、とにかく俺たちはバットを振った。あたしのせいで?お前はきっちり仕事してんだろうが。仕事ができなかったのは、俺たちだ。『投手戦』。俺たち野手は戦いに上がれてなかったんだから。
俺も、蛇島も、他の同級生も、なんなら下級生たちも。俺たちは、もう二度と小南を泣かせないようにと、手の皮が剥けようとバットを振るった。それに加えてピッチングの練習。あの局面で安心して、信頼して声が掛かるように。真のエースが誰かと言う事を知らしめなければならない。
努力は実るとは限らない。けれども、俺たちのそれは実を結ぶ。
「バッターアウト、ゲームセット!」
まるでデジャブみたいな6月初旬の暑い日。ゲームセットの瞬間、小南はライトの俺を指さし、ニッと笑った。
5-0。一年前のあの日から、徹底的にバットを振った俺たちは、小南のピッチングが霞むくらいの打撃チームに変貌を遂げていた。
都大会優勝、そして、全国大会出場。
小南と俺と交互に先発をこなし、7-0、9-4、3-0、6-5と破竹の勢いで大会を勝ち進んでいった。
――小学6年、8月中旬。
夏の長い日も落ちた、近所の公園。
水銀灯の白い灯りに照らされて、俺と小南は今日もキャッチボールをしている。
「いよいよ明日だね~」
小南がワクワクを抑えきれないと言った様子で投げたボールは、バスッと俺のグラブに吸い込まれていく。
「だな。緊張してるなら代わってやってもいいけど」
言葉とボールを投げ返すと、小南はクスリと笑う。
「そう?じゃあお言葉に甘えて7回ツーアウトで代わって貰おうかな。一点差とかで。ふふっ、満塁だったらごめんね」
小学生の野球は大人のそれと違い7回が最終回。その7回裏、ツーアウト満塁。一点差。一打逆転の痺れるような場面。想像しただけで動悸がして手が震えてくる。
「おっ、おう!望むところだ!うあっ!」
力みが伝わりボールは左の方に逸れる。だが、小南はひらりと軽く一跳びして涼しい顔で難なくボールをグラブに収めた。
「冗談だってば。マウンドは譲らないから。翔都は後ろでしっかり見守っててよ。……あたしが胴上げ投手になるところをさ」
勝ち誇ったような不適な笑みに思わずカチンと来る。
「やっぱ俺が投げる!」
「残念、明日の先発はあたしです~」
俺と小南の小一の頃からずっと続く日常。白球と言葉のキャッチボール。明日は、全国大会、決勝。決戦前夜だとしてもそれは変わらない。
◇◇◇
「スタァライッ、バターアウッ!ゲェィム、セッ!」
身振りを付けながらの少し癖のあるコールで主審は試合終了を告げ、少し遅れて俺達は歓喜の声をあげる。決戦の舞台は神宮。少年野球の全国大会、決勝戦。決勝戦に勝ったと言う事は俺たちは、全国大会に優勝したと言う事だ。
内野陣がマウンドに駆け寄る中で俺は守備位置のライトで腕を組みながら優勝の余韻に浸りつつその光景を眺めている。マウンドの中央で皆に囲まれた小南はチラリとこちらを見ると、にっと笑いながら小さく左手の指を二本立ててみせる。多分、ピースサインではなくブイサイン。その背中には背番号一番。
認めたくはないが、現状うちのチームのエースは小南だ。
球速は全然大したことない。俺のほうがずっと速い。だが、とにかく小南はコントロールが良い。小南が投げる白球は、いつだってキャッチャーがグラブを構えた場所にピタリと寸分違わず収まるのだ。
そして回転数の関係なのかなんなのかは分からないが、スピードガンの速度以上にノビを感じさせる直球は死屍累々凡打と三振の山を築いた。
力こそ少々足りないが、バットコントロールも良く守備も良い。一言で済ませるなら天才の部類だ。しかもタチが悪い事に努力する天才。
小南をもう泣かせないように。誰も口にはしなかったが、俺たちは全員その為に一年間鬼のようにキツイ練習を耐えて、加えてバットを振る。その成果は見事に実り、今マウンドで小南は泣いている。うれし涙はもちろんノーカウント。
「翔都、雑誌もう見た?」
全国制覇後、しばらくしたある日。小南は俺に問いかける。
「雑誌?あぁ、今週号はまだ読んでねぇや。あのマンガどうなった?流石にもう敵倒したよな?ずっと戦ってんだもん。流石に卒業するまでにはボス戦終わるよな?」
月曜発売の週刊少年マンガ雑誌の話かと思いきや違ったようで、小南は不満げに眉を寄せて俺の肩を軽く叩く。
「違う。そっちじゃなくてヤキュマガ。野球マガジンの方」
「あぁ、そっちか。もしかして特集組まれてる?ふふん、まぁそれも当然か。なんたって全国制覇だもんな。俺のホームラン載ってる?」
「まぁ見ればわかるよ」
「まじ?」
にやにやと含み笑いを浮かべながら小南は雑誌を俺に差し出してくる。期待に胸を高鳴らせつつパラパラと雑誌を捲る。すると、そこには優勝旗を掲げる我らチームの集合写真。そしてその左のページには大きく小南の笑顔と特集記事。曰わく、『精密無比の元気少女』。あまりの動揺に手からばさりと雑誌を落とす。
「ずりぃぞお前だけ!いつの間に!」
「あはは、エースだもん。勿論勝ったのはみんなの力だけどね」
「……くそっ。本当ならここには俺が載るはずだったのに。次は絶対俺が取るからな、一番!」
ぶつぶつとぼやく俺を見て、小南は嬉しそうに笑う。一番とは背番号一番。所謂エースの背番号。
「うん、負けないけど。あっ、でもでもあたしが登板しない日は宜しくね?投げないで負けるなんて悔しすぎるから」
「あぁ!?こっちのセリフだバーカ!」
珍しく練習の無い放課後、公園で軽くキャッチボールをしながら俺達はいつも通りそんなやりとりをした。
「一緒に甲子園行こうね」
構えたグラブに小南の投げた球がスパンと収まる。もしかすると目を瞑っていても捕れるのではないか?とすら思える正確に。俺はその球を小南に返す。
「はぁ……、目標ちっさ。行くだけでいいのかよ。せっかく行くならさ、目指すは優勝だろ?」
少し上に抜けた球を上手く捕球して小南は笑う。
「ふふ、そっか。そうだねぇ。でも優勝目指すならノーコン治しなよ。せっかく球は速いんだから」
「ノーコンじゃねぇ。荒れ球だ」
練習がある日でも、無い日でも、俺達はキャッチボールをする。言葉と共に、ボールを投げる。小学一年の頃からずっと続く習慣。九九を覚えるときも互いに一つずつ言い合って投げたっけ。
甲子園に出て、優勝する。多分、ほとんどの野球少年が抱く夢。そしてそのほとんどの夢は夢のまま終わる事だってもう知っている。もう小学六年、来年は中学なのだから。でも、全国制覇をした俺達なら、きっと夢のままで終わるはずは無い。




