小学四年・秋、真剣勝負の秋
――小学四年、秋。
「小南ッ、9.3!」
「はいっ!」
夏の大会を終え、六年生は実質引退。五年以下で組まれる秋季大会に向けてメンバーの選考が固まってくる。今は50メートルのタイムを測っている。小南は9.3秒。これは小四女子としてはかなりいいタイムだ。
「蛇島ッ、11.5!」
「ハイっす!」
俺たちと同学年の蛇島竜太郎。背は俺や小南よりも高いが、その分横にも大きい。見ての通り鈍足だが、こいつは既にキャッチャーとしての評価を固めており、おそらくこの秋季大会からレギュラーに名を連ねるだろう。悔しいが、俺だってまだわからない。とにかく監督にアピール。野球ゲームの育成モードと同じだ。
「立花ッ、……8.9!」
俺のタイムにチームメイトや大人たちがどよめく。正直言って、運動神経には自信がある。
「負けたー」
地面に座る小南が悔しそうに天を仰ぎ、俺は息を切らせつつもそれを得意げに見下ろす。悪い気はしない。
「ふはは、相手が悪かったな」
「……フン、ちょっと足が速いからって偉そうに」
俺と小南のやり取りを聞いて、近くにいた蛇島がこれ見よがしに俺に聞こえるように呟く。
「ん?なんか言ったか?」
別に『ドン亀』とか「のろま」とか罵ってもよかったんだけど、相手と同じレベルになりたくなかったし、走力以外での蛇島の貢献を知っているので、あえて言葉は飲み込んだ。
蛇島自身は決してそんなに悪い奴じゃない。ただ、俺にだけ当たりがキツい。――それは、多分こいつが小南の事を好きだからだろう。それで、特別仲のいい(風に見える)俺に対して対抗心を燃やしているのだと推測する。
そして、次は打撃テスト。俺も小南もバッティングは得意。内外に散らして投げられた10球を小気味よく打ち返していく。
「翔都何本?」
「7本。お前は?」
「へへ~、8本。今度はあたしの勝ちっ」
小南は勝利のVサインを向けてくる。いつの間にか、小南が俺を呼ぶ呼び名が、『立花』から『翔都』に変わる。そういえば、一番最初は『立花くん』と呼ばれた様な気がする。小南は覚えているんだろうか?
――キィッンッ!
俺たちの会話をつんざくような金属音が切り裂く。白球は高く上がり、数秒後にフェンス際にポトリと落ちる。
バッターボックスを見ると、打者は蛇島。重量級のその身体からは学年を超えた飛距離が生まれる。
蛇島は俺と目が合うと、不適ににやりと笑う。
「くっそ……」
そして、守備テストを経て最後は投球テスト。これは全員でなく、投手希望者と監督から指名された人のみ。例えば、蛇島はキャッチャーで確定しているのでこのテストは受けない。そして、俺も小南もピッチャー志望だ。
チームのエースには背番号1番が渡される。控えのピッチャーは11番。
「1番、あたしが貰うから」
「ん?11番。どうぞどうぞ」
俺たちは対抗心をバチバチに燃やしながらテストを迎える。
ズドン、と音を立てて俺の放った球はキャッチャーミットに収まる。付近で見ている保護者の皆さんから『おぉ』と小さく歓声があがり、気持ちが揚がる。球速には自信がある。
監督はキャッチャーの後ろに腕を組んで立ち、球筋を見極める。
次の一球、サインは内角低め。振りかぶって、――投げる。
投げた球は大きく外れ、さすがに蛇島もそれは取れず後ろに逸らす。
「次、小南ッ」
「はいっ!」
マウントに小南が立つ。一度帽子を取り、ペコリと監督とキャッチャーに一礼をする。
そして、振りかぶらずにセットポジションで投げる。小南は左利き。
剛速球とは言えないその球はボスッとミットに収まる。その一球を見て監督の様子が変わる。
続くサインは俺と同じ内角低め。
投球フォームに入った小南、片足を上げても微動だにせず、体幹の強さがここからでも見て取れる。そして、少し特徴的な、腕の出どころが見えづらいフォームで、滑らかな体重移動で、その指先から球が放たれる。
その球は、いつものキャッチボールのように、まるで最初からそうなる事が決まっているみたいに内角低めに構えられたミットに寸分狂わずボスっと収まる。
それは、外角高めだろうと、低めだろうと、同様に繰り返された。
監督はチームメイトたちを見渡して、俺に声を掛ける。
「立花、お前ちょっと打ってみろ」
「俺っすか?別にいいっすけど、なんで……」
突然の指名にぶつくさ言いながら準備をすると、監督は『お前当てるのうまいだろ?』と言った。なるほど、最終試験官か。悪い気はしない。
ヘルメットを被り、バッティンググローブを付けて、バットを持ち打席に入る。
「よろしくおねがいしまーっす!」
元気に小南に宣戦布告をすると、小南は16メートル先のマウンドでクスリと笑う。
「それじゃあ、試合と同じ一打席形式で行くぞ」
「はいッス!」
俺にとってもこれはチャンス。ここでアピールをして、スタメンを勝ち取る!
視線の先で、小南が投球動作に入る。小一の頃から小南の球なんざ何百何千と取ってきた。この天才にかかれば、ピンポン玉も同然。
小南の指先から球が離れる。想定通り、そう速くはない。打て――。
瞬間、球はボスっとミットに収まる。
「ストライクッ」
――え?
理解するのに数秒かかる。見逃すような速い球じゃないだろ。
キャッチャー蛇島が小南に返球する。俺の動揺を察して、監督が呟く。
「あいつの直球は回転数がかなり多い。見た目より伸びるぞ」
「うっす」
わかるような、わからないような。だが、返事をする。要するに、遅いけど速いのか。なるほど、わからん。
再び、小南が足を上げる。そして、再びその左腕から球が放たれる。
角度は外角低め。打てる!
フルスイングするが、球は一瞬早くミットに収まる。
「ストライクッ、ツー!」
あっという間に追い込まれてしまう。なんとなく、監督が俺を指名した理由が分かった気がした。監督はきっと、こうなる事がわかっていた。打者が立つとどうかを見たい。でも、他の上級生なら自信を失ってしまいかねない。
――だから、天才であるこの俺に、打てと言っているんだ。
俺は一度大きく息を吐くと、バットで地面をコンコンと叩き、構える。
「次は打つ」
決して小南の球は早くない。多分小四としては普通くらい。回転?わからん。それがどうした。
小南と目が合い、少し笑った気がした。勘違いでなく、小南は楽しんでいる。だから、俺も笑ってしまう。勘違いでなく、楽しい。
集中。絶対打つ。
気を抜くと見惚れてしまう様な、小四にしてある種完成されている様なフォームから、三度ボールが放たれる。ボールをよく見る。頭を動かさない。バッティングの基本の『き』。短く持つ。小さく振る。当てるだけでいい。そうすれば、――完敗は免れる。
俺はギリっと強く奥歯を嚙みしめ、小南の投げた球に向けてバットを振る。全力で、全身で、力の限り。当てるだけ?そんなのくそくらえだ。これは俺と小南の真剣勝負なんだから。
全力で振った俺のバットはボール一つ分下で空しく空を切り、俺のヘルメットはスイングの余波で宙を舞い、グラウンドに落ちる。
「……ストライクスリー!バッターアウトッ」
フォロースルーのまま固まった俺の肩を監督はポンと叩き、呟く。
「ナイススイング」
「……いや、打ててないっすよ」
そして、秋季大会のスタメンが発表される。
「ピッチャー、背番号1番。小南陽菜」
「はいっ」
グラウンドに拍手が舞う。小南の甲子園への、プロ野球選手の夢の第一歩を俺の拍手でお祝いする。悔しい。けど、俺だってもう小四だから。低学年じゃない。
「キャッチャー、背番号2番。蛇島竜太郎」
「はいッス!」
バッテリー二人とも4年なのはかなり珍しい事らしい。監督から背番号を受け取った蛇島は、俺と目が合うと小さく背番号を見せつけてきて得意げに口元を上げる。
続いてのポジションは順当に五年生が発表される。来年になれば六年。最上級生だ。
「ショート――」
と、言われてドキリとする。よく考えたら、俺の名前ってポジションのショートと同じなんだ。……野球好きの親父の事だから、そう言う意図でつけた可能性は否定できない。
「ショート、翔都。あはは、面白くない?」
同じことを考えていた小南が小声でクスクスとささやいて笑う。
「……面白くねぇっ」
「背番号6番。幾島哲人」
監督が面白がってくれたら、ショート、立花翔都が誕生した可能性もあるのか。
俺たちの私語を咎めてか、監督がチラリとこっちを見て、俺と目が合う。
「……次、ライト。背番号7番。立花翔都」
「俺!?」
ピッチャー志望だったので、不覚にも驚きの声を出してしまい、監督は眉を寄せてそれを咎める。
「なんだ、嫌なのか。じゃあ――」
「いや!嫌じゃないです!ありがとうございます!」
パチパチ、と拍手は続く。背番号を受け取って、少し照れくさい気持ちで戻ると、小南は満面の笑顔でパチパチパチといつまでも拍手をして、まるで自分の事のように喜んだ。
「おめでと」
「どーも。次はそれもらうからな」
俺は背番号1を指さす。
こうして、俺と小南はついにレギュラーを得た。夢への第一歩だ。