小学三年・夏、ゲームとキャッチボール
――小学三年の夏、7月。
蝉の声をかき消すように、練習中の俺たちは声を出す。
「ファイットー」
「あいとー」
グローブを拳でパシパシと叩きながら俺が掛け声を上げると、近くにいた小南はキッと俺を睨みつける。
「立花、ちゃんと声出ししなよ」
「してるしてる。あいっとー」
そんなやり取りをしていると、キンと金属バットの小気味よい音が響き、俺の元へボールが飛んでくる。
「おーらい」
捕球を宣言し、ボールはバシッと俺のグローブに収まる。当然。俺は天才なのだから。
捕ったボールは、ホームベース付近にいるコーチまで返球。小学校のグラウンドとは言え、外野からホームまでは割と距離がある。小学三年に届く距離ではない。――ただし、俺以外。
俺はニッと笑い、大きく身体を使って振りかぶると、そのまま勢いよくダイナミックなフォームで返球する。
投げたボールは照り付ける日光を受けながらまっすぐに飛んでいく。――明後日の方向へ。
「立花ァー!どこ投げてんだ、カッコつけんな!」
「さーせんっ」
コーチの怒声が飛び、俺は帽子を取って詫びを入れる。だが、その距離を見て俺は内心ご満悦。方向はともかく、距離はホームよりもはるかに飛んでいる。
「すっごい飛んだね」
小南が少し嬉しそうにヒソヒソ声で話しかけてくる。
「まぁね、当然」
「ノーコンだけど」
「あ?」
小南は悪戯そうに笑う。
再び、キンとボールが飛ぶ音。今度は小南の番だ。
「オーライっ」
小南は身軽な動きで落下地点に向かい、ボールを捕る。ぱすっと優しい音がしてボールは小南のグラブに収まる。そして、流れるようなフォームでホームへと返球。球はセカンドを過ぎたあたりで地面につき、バウンドした後でコロコロと転がり、ゴルフのパターのような正確さでコーチのもとにたどり着く。
「小南ィー、ナイスボールっ!」
「ありがとうございまーす!」
声をあげてからチラリと俺を見て、得意満面のどや顔を向けてくる。
(……この野郎)
――練習後。夏の練習は最悪だが、練習後のスポドリは最高にうまい。
「さっき話してたの聞いたんだけど、立花あのゲーム買ったの?将谷選手出てるやつ」
――将谷王平。野球をやっていない人でも知らない人はいない、メジャーで本塁打王を取るピッチャー。二刀流の生きる伝説。
「おう。野球関連だったら余裕で父ちゃんが買ってくれるんだ」
得意げにそう答えると、小南はキラキラとした瞳で顔を寄せてくる。
「いいなぁ!やりたい!今日立花の家に行っていい!?」
「まぁいいけど、お前ゲームとかできんの?」
小南は楽しそうにピースサインを向けてくる。
「もちろん。前のやつはもってるから。ふっふっふ、あたし強いよ?」
「はいはい、絶対俺の方が強いから」
この日、小南が初めてうちに来る。夏の昼間はあまりに暑い。この日から、野球ゲームをしてから、キャッチボールの流れができてしまう。――要するに、小南はこの後夏休みの間ほぼ毎日うちに来るようになってしまった。
ゲームでの仮想対決。俺対小南。
先行は俺。現在9回裏5-3で俺のリード。
「わはは、やっぱり俺の勝ちみたいだな。明日なんかおかし持って来いよな」
小南はコントローラーを手に真剣な眼差しで、横目に俺を見る。
「まだ。野球は九回ツーアウトからだよ」
カウントは3ボール2ストライク、ワンアウト。俺のピッチャーが投げた球は!マークと共に暴投。――フォアボール。ランナーは一塁、二塁。
「あ、くっそ。このノーコンめ」
「あはは、自分に言ってる?」
「うるせぇ」
そして、小南のバッターは将谷王平。
なんとなく嫌な予感。
だが、俺のピッチャーは抑えの剛速球選手。将谷を抑えて俺の勝ちだ。
豪快に振りかぶって投げる。――次の瞬間。小南の操る将谷選手のバットは、見事に球を捉え、白球は深い緑の壁の更に向こうへと消えてゆく。
「逆転サヨナラほーむらーんっ」
小南は両手をパチパチと叩きながら嬉しそうに笑うと、隣でがっくりと落ち込む俺を見て微笑む。
「なんだっけ?明日お菓子持ってきてくれるんだっけ?」
「はい、そうですね」
一勝負終えると、外は少し日も傾いている。暑いは暑いが、直射日光がない分だいぶ違う。
「さて、そろそろキャッチボール行こっか」
「……毎日飽きずによくやるよ」
それは、小南に向けた言葉か、自分に向けた言葉か。
家を出て、公園まで一緒に歩く。俺はキャップのつばを後ろに被り、小南は普通に被る。
「立花夏休みどこか行くの?」
「んー、じいちゃんち行くかな。新潟」
「にいがた。へ~」
「小南は?」
「あたしお爺ちゃんこっちだから。あ、野球見に行くよ。パパと」
「また野球かよ」
俺は思わず苦笑い。小南の生活は本当に野球を中心に回っている。
公園について、まずは準備運動。それから距離を取りキャッチボールを始める。
「なんでそんなに野球好きなの?」
ボールを投げる。言葉を乗せて。
「ん?だって面白いじゃん」
ボールが返ってくる。言葉が乗って。
「面白いって……。なんかきっかけとかないの?」
ボールを投げる、と珍しく小南は俺の球を後ろに逸らす。
「あ、わり」
「ううん、今のはあたし。……えへへ」
珍しい照れ笑いを浮かべながら小南はボールを拾い、グラブに収める。小南は左利き。だからグラブも左利き用のものを使っている。
「きっかけ、ね。……笑わない?」
グローブの中でボールを触りながら、男女みたいな小南は言葉を濁す。
「多分笑うと思うけど、なに?」
「笑うなら言わない!」
小南の反応はまぁ当然。俺も軽く笑いながらグローブを挙げて謝る。
「うそうそ。笑わないから」
小南はむっと頬を膨らませながら、一度ボールをグラブにパンと入れる。
「じゃあ、教えるけど。……将谷選手が、カッコよくて」
照れながらも、それを隠すように、小南はボールを投げる。それはやっぱり正確無比に、俺の胸元へパシンと収まる。
そして、一瞬遅れて小南の言葉を思い出してつい笑う。
「将谷って……、意外とミーハーなんだなぁ」
「あ、笑った!笑わないって言ったのに!」
顔を真っ赤にして怒りながら小南は俺に詰め寄る。野球でいえば乱闘のような構図。
「いや、てっきり『野球から生まれた野球太郎』かと思ってたから、少しびっくりしてつい」
「誰が野球太郎よ」
そして、小南がゲームに食いついてきた理由を思い出した。
「あー、だからあのゲームやりたがったのか。将谷王平出てるから」
「……いいじゃん、別に。それは、それでしょ」
――口に出すのもおこがましいが、きっとこの日、俺の中で将谷選手が目標になったんだ。