小学一年・春、彼女は夢を語り、俺はゲームがやりたい。
――小学一年の春、五月。
俺、立花翔都はせっかくの土曜日にもかかわらず学校の校庭に整列されられている。家には昨日買ってもらったばかりの新型ゲーム機が待っているのに、なぜ俺はこんな事をしているのか?
答えは一つ。野球大好きな親父が、俺に野球をやらせる為に奮発して買ってくれたからだ。ゲームをする条件は一つ。野球チームに入る事。練習をさぼった時点で没収。リサイクルショップ行きとなる。
そんなわけで、運動神経には自信があった俺は、イヤイヤながら地元の少年野球チームに入る事となったのだ。
土日の練習さえ乗り切れば、あとはゲームがやり放題。
「――小学校、一年二組・立花翔都です。好きな事はゲームです!よろしくお願いしまーす」
新たにチームに入る5人が並んでいて、俺に続いてほかのやつらも挨拶を続ける。背の高いやつ、低いやつ、太ったいかにもキャッチャー体型のやつ。それに続いて最後の一人――。
「――小学校、一年一組・小南陽菜です!甲子園で優勝して、プロ野球選手になりたいです!」
まっすぐな瞳で、一切の照れも迷いもなく、小南はそう宣言した。俺はぽかんとした顔で、声の主を――小南を見て間の抜けた声を漏らした。
「……お、女?」
監督やコーチ、それから選手の親。大人たちはニコニコと微笑ましく笑みを浮かべて、小南の夢に拍手で答えた。――きっと、このグラウンドの中で、小南以外の誰一人その夢が叶うと思っている人間はいなかったのだろう。
なぜなら、小南は女だから。
野球に興味のない俺でも知っている。女のプロ野球選手は一人もいないと言う事を。
小南はとにかく野球が好きで、本気で野球選手を目指しているみたいだった。うちとは対照的に小南の親父は野球にまったく興味がなく、せっかく仕事が休みの土日にもかかわらず、朝からグラウンドに引っ張り出されているようだった。うちの親と交換すればいいバランスなのにな、と思った。
「ねぇ、立花くん!あたしたち家近いんだね。帰りキャッチボールしようよ!」
小南は俺より少し背が高く、髪の短いボーイッシュな女子だった。何回目かの練習が終わり、ユニフォームから着替えたその私服は、女の子のそれというよりもまるっきり少年のようだ。
「え、やだよ。帰ったらゲームしなきゃいけないんだから。お前の父ちゃんとやればいいだろ」
にべもなく誘いを断ると、小南は眉を寄せて不満げに声を上げる。
「えー、やだよ。パパ下手なんだもん。立花くん上手いしさ。いいじゃん。やろっ?」
そんなに野球をやる気はないものの、『上手い』と言われればついその気になってしまう己の単純さよ。
「まぁ、そこまで言うならしょうがないな。やってやるよ」
そう答えると、小南はその整った顔にまるでゲーム機でも買ってもらったみたいな満面の笑顔を見せて、『本当!?やったぁ』と喜び両手を挙げた。
その日から、俺たちのキャッチボールは始まった。そこから何年も、何年も続く、俺たち二人のキャッチボール。
小南の言うように、俺たちの家は思ったより近く、ボール遊びが禁止されていない大きな公園を挟んでちょうど反対側で、歩いて5、6分と言った距離だった。
それから俺たちは、毎日の様にキャッチボールをする様になった。本当は、土日以外は野球なんかやりたくなかったし、平日は早く帰ってゲームがやりたかった。今の俺たちのはやりは四人で戦う大乱闘ゲーム。
「……はぁ、なーんで俺こんなとこでこんな事してんだろ。あいつらはもう始めてんだろうな~」
ぼやきを乗せた俺のボールは小南の元へ飛んでいく。
「何か言ったー?」
少し上に抜けたボールを小南は飛び上がってキャッチする。少年のような外見通り、小南は運動神経がよかった。まぁ、当然俺ほどじゃないんだけど。
小南が投げたボールが俺に帰ってくる。きれいに胸の前でキャッチ。さすが俺。ぼやきながらでも、やる気がなくても、毎度見事にキャッチする。
平日は、いったん家に帰り、ランドセルを置いてグローブを持つ。そして、公園に集合の毎日。野球があまり好きでもない俺も、なぜか毎日付き合ってしまう。
一か月も過ぎて、キャッチボールの距離も少しずつ長くなり、素人から初心者くらいには成長したある日、俺はある事に気が付く。
「おっけー、いい球っ」
俺の投げたボールを左に身体を伸ばしてキャッチした小南の元気な声に遅れて、白いボールが俺に返ってくる。胸元ピタリ。
「当然。天才だからな、俺は」
口ではそう言いながら気が付いてしまった。(……あれ?こいつの投げる球、いつも同じ場所に返ってきてない?)
少し身体を使ってボールを投げる。スパン、と小気味のいい音を立ててボールは小南のグローブに収まる。
「ナイスボール!」
小南が投げたボールは、まるで糸でつながっているみたいに、正確に俺の胸元に返る。
「え、すごくね?」
思わず無意識に呟いてしまう。
「何か言ったー?」
「いや、何にも」
少し離れた距離。聞こえない程度の呟きに少しほっとする。
負けず嫌いな自覚はある。この日から、親父から借りたタブレットで柄にもなくキャッチボールの動画を見るようになってしまい、少しゲームの時間が減ってしまう。野球好きの親父は一緒にタブレットを見ながら、嬉々として解説してくれる。
動画を見て、家の中で投げる真似をする。足はクラスで一番早い。運動神経には自信がある。
――もう、負けない。と思ってしまい、慌てて自分で否定した。
「あいつ、本気でプロ野球選手になるつもりなのかな?」
動画を見ながら親父に問う。名前は出さなかったけど、当然小南の事だと伝わった。
「そうだと思うよ。陽菜ちゃん本当に野球好きみたいだからなぁ。今のうちにサイン貰っておくかな」
親父はそう言って笑う。
「はぁー?俺の方が上手いし。あいつがなるなら俺のほうが先になれるわ」
俺が白い目を向けてそう言うと、親父はキラキラした瞳を俺に向けてくる。
「え……、翔都。プロ……目指すの?父さん、応援しちゃう……」
「やめろ、気持ち悪い」