高校二年、キャッチボールは終わらない。
最終話 高校二年、キャッチボールは終わらない。
――高校二年、春。
新入部員は25名。去年の躍進を見てか、小南の存在かまたはその両方か、かなり多い。
小南を含めてマネージャーは4人。部員は合計43名。なかなかの大所帯となる。
小南の立ち位置はコーチ寄りの記録員兼マネージャーと言ったところか。他のマネージャーからの不満が出ないように、特別扱いはされないようにうまく立ち回りながら、忙しそうにやっている。
25人も入れば、中にはキラリと輝くダイヤの原石も潜んでいる。他力本願というわけでは無い。野球は相手を0に抑えて1点取れば勝てるゲーム。俺が0点に抑えて、俺がホームランで1点を取れば勝てる――、小学校の頃は本気でそんな事を思っていた。けれど、現実問題俺は全部の試合を全力で投げられる訳では無い。それに、野球とはチームでやるスポーツだ。
練習する一人ひとりをじっと眺めて、その長所や課題をボードに記していく小南。本当は自分もこの中に入りたいのだろう悔しさが時折口の端に滲んでいるけど、きっと俺以外気が付いていないだろう。
――放課後、夜のグラウンド・小学校。
「今日は紅白戦で投げたから、イメージ固めで5球だけね」
いつも通り右手にキャッチャーミットを付けて小南は構える。制服の下にジャージを履いているが、相変わらずプロテクターは付けていない。
投げられるのは5球だけ。イメージをしっかり持ち、身体の使い方をしっかりと意識して無駄なく投げる。
振りかぶらないセットポジションから、小南の構える内角高めへ、ボールを放つ。ドンッ、と打ち上げ花火の様な音と共にボールはミットに収まる。
「ナイピ。いい音っ」
小南はボールを返球せずに、傍らのかごに入れる。小南はボールが投げられないから。
「師匠、音がボールより遅れて来るにはどうしたらいいっすか?」
「んー、球速1200キロは必要じゃないかな?」
そう言って小南はクスクスと笑う。
「今日、ずいぶん羨ましそうに一年生見てたな」
俺がそう言うと、小南はいたずらがばれた子供の様にバツが悪そうに笑う。
「あ、わかっちゃった?」
「あいにく目がいいもんでね」
「そりゃあ、少しはね。あたしも皆と一緒に出来たらなぁ……って少しくらいは思うよ。けど、思ったほどじゃないかな。だってさ――」
小南のミットが俺を指す。
「あたしもそこにいるんでしょ?」
月明りが、グラウンドを、小南を照らす。
「だから、悔しくはないよ」
そう言って小南は満面の笑顔を見せた。
不覚にも、俺はグローブで顔を隠す。
「泣いてる?」
「うるせぇな。泣いてねぇよ」
そうして、俺たちは夏を目指す。
――高校二年、夏。
「立花、本当に背番号それでいいのか?」
三年生の先輩が背番号1を手に困惑した様子で俺を見る。俺の手には背番号11番。
「いいんすよ。俺11番好きなんで。ほら、将谷王平も日本時代11番だったでしょ」
そう言って俺はケラケラと笑う。
「そんな事より、先輩。先発頼んますよ」
ポンポンと先輩の肩をグラブで軽く叩く。
「任せろ。甲子園、行こうな」
先輩は決意を秘めた顔でコクリと頷いた。
一回戦、先発は先輩。俺はライト。負けたら終わりの一発勝負。夏が始まる。
記録員はベンチ入りができる。だから、小南はベンチにいる。いつもの様に、ボードを片手に真剣な表情でグラウンドを見つめている。
8回を終えて4-1で3点リード。九回の表相手の攻撃、ツーアウトランナー1塁。
ベンチから伝令が走り、ピッチャー交代。
『――に代わりまして、ピッチャー・立花くん。背番号11」
俺はライトから小走りにマウンドに向かう。
「頼んだ」
「頼まれました!」
短いやり取りでグラブを合わせ、ボールを受け取る。先輩は俺の代わりにライトへと移動。
俺は一度天を仰いで大きく息を吐く。7月の青空。白い入道雲は視界の端で青を縁取る。
ベンチに目をやり、小南を見る。小南は口パクで『ファイト』と呟く。俺は目がいいから余裕で見える。
一球、二球と投球練習。これで十分。
「さて、行きますか」
大きく振りかぶり、白球は俺の指を離れる。俺と小南が作り上げた二人のボールは、ドンッと音を立て、空気と歓声を切り裂きミットに収まる。
一瞬、シンと静まり返った後で歓声が上がる。
そこから、あの時の様に俺たちの快進撃は続く。
2回戦5-0、3回戦7-3、4回戦2-0、そして5回戦……4-2。俺たちは準決勝進出を決めた。
「見ろよ、スポーツ欄に俺たち載ってるぞ!」
部活前、部室で三年の先輩がスポーツ新聞を広げて声を上げる。西東京大会4強。その一角が俺たちの高校。そしてもう一角は蛇島の学校。
『美少女マネージャーは元・球児』そんな見出しの下、小南の特集が組まれていた。小学生の頃全国大会で優勝したが、肩を壊して野球を辞めて、マネージャーに転身したらしい。その新聞が言うには、そうらしい。そして、チームのエースである立花翔都っていう人と、敵チームの蛇島竜太郎と同じチームだったと書いてある。新聞に書いてあるんだから事実なんだろうな、うん。
「立花、なんか怒ってる?」
先輩が俺を見てそう問いかける。怒ってないと言うのも芸がないので、紙面を指さす。
「それ。小南は元・球児じゃねーっすよ」
そう言うと、先輩は真面目な顔で同意する。
「それな。勝手に辞めさすなよな。次勝って文句言おうぜ」
「そっすね」
短く答えたが、実際のところ少し涙腺がやばい。いいチームに入ったな、と本当に思った。
そして、練習前のチームミーティング。いつも通り、監督に続いてボードを持った小南が口を開く。
「えっと、あたし実は元・球児の美少女マネージャーみたいです」
困惑した様子で小南がそう言うと、チームは爆笑に包まれる。
「ケガは本当ですけど、まだ球児のつもりです。次も頑張っていきましょう!」
狭いミーティングルームに地鳴りの様な返事が返ってくる。
準決勝、4-0。
次は決勝戦。勝てば甲子園出場が決まる大一番。
――決勝を翌日に控えたある日の夜。いつもの小学校のグラウンド。
「いよいよ明日だね」
最終確認を終え、後片付けをしながら小南はワクワクを隠し切れないといった様子で呟く。
「いつかも聞いたな、そんなセリフ」
「あはは、そうだっけ」
小南は人懐っこそうな笑顔で笑う。練習中はポニーテール。いつもは髪をおろしている。
「……でも、翔都はやっぱりすごいよね。本当にここまで来ちゃうんだから」
その言葉がカチンと来たので、グローブで頭をボスっと叩く。
「いたっ!?なにすんの!」
「他人事みたいに言ってるからだよ。俺がすげぇって事はお前の方がすごいって事だろ?自虐風自慢ってやつか?」
「違うってば。じゃあもう言わないっ」
「おう、言うな言うな」
俺はケラケラと笑い、小南はあきれ顔で俺を見る。
「なぁ」
転がるボールを一つ拾い、ぼふっとグラブに収め、小南を見る。
「キャチボールしようぜ。一球だけ」
その言葉に小南は困惑する。
「え?……知ってるでしょ?あたし、投げられないんだよ?」
「悪い。でも一球だけでいい。俺はもうあの日とは違う。絶対にどんな球でも取ってみせるから」
ふざけて言っている訳ではない。それが通じて、小南は俺のバッグから左利き用のグローブを取り出し、俺と距離をとる。
「……知らないよ?」
俺は小南にボールを投げてニッと笑う。
「知ってる」
小南は一度大きく息を吐くと、覚悟を決め、投球動作に入る。流麗な、見惚れるような美しいモーション。途中、痛みに顔を歪ませながらも、白球は小南の手を離れる。
かつての精密無比なコントールはそこにはなく、あの日と同じ様に力なく上がる白球を満月が照らした。小南が全力で放ったそのボールは、ふらふらと、弱弱しく、地面へと引かれ落ちていく。
俺は全力で走り、ボールを追いかける。脳裏には、あの冬の日の公園が浮かぶ。痛みに歪んだ小南の顔。転々と転がるボール。情けなく呆然と立ち尽くす間抜けな俺。小学一年から始まった、俺と小南のキャッチボール、あれで終わりになんて絶対にしたくない――。
「翔都!?」
俺は走り、そして滑り込む。満月の月明りが舞う土煙を照らす中、掲げた俺のグローブの中には、月に似た白い球。
俺は得意げにニヤリと笑う。
「キャッチボール成功だな」
「……明日試合だよ?ケガしたらどうするのよ」
そう言いながらも、小南は嬉しそうに笑う。
「明日、勝つから」
俺がそう言うと、小南は自信に満ちた顔で頷いた。
「うん、知ってる」
――翌日。
甲子園大会予選、西東京大会・決勝。
「よう、雑魚」
試合前、偶然か顔を合わせた蛇島は俺を見るなりそう言った。今や蛇島は強肩強打で配球も評価されるキャッチャーであり、秋のドラフトでの指名すら確実視される存在になっている。ぽっと出の俺を雑魚呼ばわりするのも当然だ。
「その割には雑魚に絡んでくんのな。ビビってんの?」
「はぁ?誰がお前なんかに。やんのか、チビが」
「まぁまぁ、二人とも」
小南が苦笑いで俺と蛇島に割って入る。俺も高い方だが、蛇島は更に背が高く、二人の間に入る小南はだいぶ小さく見える。
俺と蛇島を引き離した小南は蛇島を見上げてニコリと笑う。
「戦うのは野球でね」
その気迫に気おされてか、蛇島はチっと舌打ちをしながらもチームメイトの元へと立ち去る。
小南は胸を押さえてふぅと小さく息を吐くと、自身の頭の上に手を伸ばして蛇島の身長を表す。
「蛇島くん、すっごい大きくなってたね……」
言いたい事が伝わって来たので、グラブで小南の頭をポフポフと叩く。
「へいへい、ピッチャービビってる~」
「ビビッてない!」
ハエを払うように頭の上の俺のグローブを払う。
「まぁ、大丈夫。勝つよ」
自信でも慢心でも過信でもない。自然とそんな言葉が出てきた。
――そして、ベンチ入り。
先攻の俺たちは守備練習を終えてベンチに戻る。グラウンドでは蛇島たちの守備練習。相変わらず、抜群の肩にはさらに磨きがかかっている。先輩たちは神妙な面持ちで敵チームの練習を見つめている。
「……今日勝てなかったら、俺はもう甲子園行けないんだよな」
先輩がボソリと呟く。――弱気は伝播する。
だが、それより早く小南が口を開く。
「そしたら、プロになって甲子園に行きましょう!」
両手を握り、輝く瞳で、力強く言い放つその言葉は冗談でも何でもない、紛れもない小南の本心。
勝利の女神の激励に、俺たちにもつい自然と笑みが漏れる。
仮にここで負けても終わりじゃない。来年負けても終わりじゃない。夢は、形を変えても自分を照らしてくれると言う事を、きっと小南は知っている。
相手チームの守備練習が終わり、球場を試合開始のサイレンが包む。
「整列、行ってくるわ」
チラリと振り返ると、小南が左手を伸ばす。
「勝ってこい、相棒」
「まかせろ、相棒」
俺は小南の左手にグラブを合わせる。
――そして、翌日のスポーツ新聞の一面には、『完封!幼馴染との絆、怪物誕生!』の文字が躍る事になる。
俺たちのキャッチボールは、まだまだ終わらない――。
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