中学二年〜、続く甲子園への道
――中学二年、秋。公園での再会から数日後。
「え、部活辞めたの!?」
放課後、小南に退部報告をすると、驚きの声が返ってくる。
「そりゃ辞めるだろ。これ以上あの監督のところでやっててもしょうがないし。練習小学校でやってたんだろ?俺もお願いすれば練習させてくれるよな?」
「……それは大丈夫だと思うけど」
小南はまだ何かを言いたそうにしたが、言葉を噤む。
「なんだよ、言いたい事があるならハッキリ言えよな」
俺がそう言うと、小南はジッと眉を寄せて怪訝な顔で俺を見る。
「言うと怒るじゃん。嫉妬だなんだって」
「それはごめん。もう二度と言わない。で、なに?」
この数か月が嘘みたいに今まで通りに話せる幸福。今までと違うのは、隣を歩く小南の髪が伸び、肌が白い事くらいだ。些細なようで大きな違い。
「いくらいい動画がたくさんあるからって、練習相手も指導者もいない環境での自主トレには限界があるんじゃない?そんなに甲子園は甘くないと思うけど」
小南がそう言うので俺は『何言ってんだ、こいつ?』とばかりに首を傾げる。
「……なに?」
「いや、指導者そこにいるじゃん」
人差し指を小南に向けると、小南は驚いた顔で自分を指さして声を上げる。
「あたし!?」
「あぁ。実績、知識、技術。申し分ないだろうが。それに――」
俺は少し迷って言葉を続ける。照れくさいけれど、こう言うのは直球でないと伝わらないともう知っているから。
「お前が教えて俺が投げる、そして甲子園。それなら、……二人で甲子園に行ったって言えるんじゃないか?」
俺の真っすぐストレートに、小南は目を丸くして口をぎゅっと結ぶ。俺はそれを見て挑発的な薄笑いで追撃をかける。
「あれ?まさか、『あたしを甲子園に連れてって!』とか思ってた感じ?」
「はぁ!?そんな訳ないでしょ!いいわ、あたしがピッチングを叩き込んで……、翔都を甲子園に連れて行ってあげるから」
変わらず負けず嫌いな小南が見られて、つい口元が弛んでしまう。
「よろしく頼むぜ、師匠」
――その日から、形を変えた俺たちのキャッチボールが始まった。
小学校の最終下校時刻が過ぎてから毎日グラウンドで、練習をして指導を受ける。土日はかつて俺たちが所属した少年野球チームの指導についたりしながら練習をする。小遣いは全てバッティングセンターに費やす。それを父が知ると、不思議と小遣いが増えた。
練習中、小南は長い髪を後ろで結んでポニーテール。真面目な顔でタブレットを見て撮影した俺の投球動画を眺める。
「……うん、リリースの角度かな。あと指。もっと球離れ遅くできるよ。ギリギリまでやってみて」
そういって小南は右手にキャッチャーミットをつけて構える。
「よし、じゃあそれを踏まえて5球だけ。1球1球ちゃんと頭使っていこ」
「うっす」
一度目を瞑り、イメージを固める。俺の思う最強のピッチャーのイメージ。それはやっぱり小南しかいない。今まで右翼の守備位置から嫌という程見続けてきた最強の背中。
俺の手を離れた球は、ズドンと鈍い音を立てて小南のミットに収まる。
「いい球っ」
普通であればキャッチャーは投げて返球をする。だが、小南は捕った球を傍らのかごに入れる。小南はボールが投げられないから。
「危ないからプロテクター着けろよ」
「ん?全部捕るから平気。でも、まぁ……、ぶつけたら責任とってよね」
そう言って小南はクスリと笑う。
そんな風に俺たちは毎日練習を続ける。休みの日はどちらかの家で野球関連の動画を見て知識を蓄える。
ランニングは二人で行う。小南はポニーテールを揺らしながら、必死に俺について走る。身長は、いつの間にか俺の方がだいぶ高くなっていた。
――中学三年。中学校最後の一年。
当然ながら、俺と小南は同じ高校に行く……予定。
俺と小南には多くの中学からスカウトの話があった。もし、もっといい指導者がいる中学に入っていたら――。そう考えて、今考えてもなんの意味も無い事に気が付いて考える事を止めた。
家から遠くなく、野球部があって、しっかりした指導者がいて、……あまりお金の掛からない学校。
「あと条件は?」
クルクルと俺がペンを回しながら問いかけると、小南は即座に答える。
「蛇島くんと同じところ」
「え」
キラキラした瞳で答える小南に思わず絶句して、ポトリとペンが落ちる。
「ま、まぁ確かに?君ら全国優勝バッテリーだし、……あいつは結果出してるけどさ」
嫉妬にまみれた苦笑いでそう答える俺を見て、小南は慌てて両手を振り否定。
「あっ、違う!そういう意味じゃなくて!」
小南は挑発的な微笑みを浮かべながら、両手の人差し指を立てる。おそらく、俺と、蛇島になぞらえて。
「高校になると、東京の大会は西と東に分かれるでしょ?だから、蛇島くんと同じエリア、って事」
小南の描く、絵空事のような未来図が伝わり、俺もぶるっと身震いしてしまう。
「そういう事ね。望むところだよ」
蛇島に勝って、甲子園。それが、俺たち二人の未来予想図。
「小南、蛇島の連絡先知ってる?」
「うん、知ってるよ」
俺は当然知らないし、知りたくもない。小南に掛けるように促すと、プルルル、となり始めてすぐに待機音は止まる。
『はっ、ハイ!蛇島です!……こっ、小南さん?」
緊張に上ずった声の蛇島。キャッチャーミットを構えた時に堂々とした姿からは全く想像もできない。
「うん、小南です。元気?すっごい活躍だね~」
「見ててくれたんだ!?まぁ、ピッチャーが君なら、もっと――」
「ちょっと、電話代わるね」
そう言って小南は俺にスマホを渡す。
「おう、蛇島。久しぶり」
俺の声を聴いて蛇島は露骨に嫌な顔をする。顔は見えないが、声でわかる。
「あぁ?なんだ、雑魚か。気安く話しかけるなよ。切るぞ」
「まぁまぁ、蛇島は高校エスカレーターだよな?」
「だからどうした?お前には関係ないだろ」
「ん?宣戦布告しとこうと思って。高校に上がったら、お前らを倒して俺たちが甲子園に行く。以上」
相手の返事を待たずに通話を終える。俺はスマホを小南に渡しながら肩を落とし、大きく息をはく。
「言っちゃったね」
小南はそれを見てクスクスと笑う。
「言っちまったよ」
もう後戻りはできない。もとより、するつもりもない。
――中学三年、夏。
蛇島率いるチームは大会三連覇。そのうえ都大会も制覇して全国大会へと出場を決める。一応言っておくと、俺たちの所属した野球部は一回戦敗退で夏を終えたようだ。何も気にならない俺たちはきっと薄情ものなんだろう。
夏休み、小学校のグラウンドの片隅を借りていつも通りの練習。少年野球チームの皆も、休憩中に俺たちの練習を眺めに来る。
俺が一球投げる度に、『おぉ~』とか、『速ぇ~』と歓声が上がる。正直言っていい気持ちだ。
「小南さんはもう投げないんですか?」
六年生の男子が小南に問いかける。俺たちと三歳差。全国優勝した時は小学三年。当然、あの熱い夏を覚えている。
「うん、肩やっちゃって。みんなも気を付けてね」
右手で左肩に触れながら、小南は寂しそうに笑う。
俺は小南に歩み寄ると、グラブで頭をボフっと叩き、六年男子に、この場の全員に聞こえる様に声を上げる。
「こいつはな、女で初めて甲子園で投げるはずだったんだよ。……ケガしちまったけど、しなければそのくらいすごいピッチャーだったんだ!甲子園に行って、プロになるはずだった。だから!代わりに弟子のこの俺が、こいつがすごい事を教えてやるから。来年、楽しみにしてろよな!」
この場の全員に、なんなら世界中の全員に届くように、俺は声を上げる。
「……あはは、ばっかじゃないの」
そう言った小南は嬉しそうに笑う。頬を伝うのは、きっと汗だろう。




