中学一年・秋~、分かれたもう一つの道
――中学一年、秋。
翔都は夏の大会以降、一年生にして既にレギュラーとして定着した。私は他の一年生と同じ様にボール拾いと球磨き。あとはランニングの毎日。
「……立花くん、すごいよなぁ」
外野でボール拾いをしていると、チームメイトの竹田くんが呟いた。つい口元が弛み、『そうだよ、翔都はすごいんだよ』と言いそうになって慌てて顔を引き締める。
「私達も負けてられないよね」
金属音と共に打撃練習の打球が飛んできたので、何歩か下がって捕球。そしてバックホーム。
「ナイスバッティング!」
思えば、確かにこの間は少し言い過ぎたかもしれない。確かに、制球に課題はあったかもしれないけれど、中学に上がって初めての公式戦登板を翔都は無失点に抑え、三振も沢山奪った。翔都の言うように、小言より先に褒めてあげるべきだったのかも知れない。
考えながらまた打球が飛んできたので、半ば自動的に捕球して、再びボールをホームに返す。
――お前さぁ、……もしかして俺が活躍したからって嫉妬してる?
翔都は言った。もしかすると、自分では意識していないだけで、そんな気持ちもあったのかもしれない。もう何日も口をきいていないし、キャッチボールもしていない。でも、今までだってこんな喧嘩位何回だってあった。『ごめん』と私から言うのは癪だけど、今まで通り普通に話せばいいだけだ。
――けど、なぜかそれができなかった。
『翔都』と呼びかけようとするが、呼び慣れたその名前は私の口から出る事を拒み、喉の奥に留まった。この時の私は、まだ自分の気持ちの正体に気が付いていなかった。
今話掛けたら私が悪いみたいじゃん。話し掛けるなら翔都からでしょ。そんな子供みたいな言い訳を盾にして、その盾を隔たりにして、私達の距離はますます遠のいていった。そして、秋の大会で翔都が活躍すると、もう声を掛ける事なんて出来なくなっていた。
毎日練習の後、少年野球の監督にお願いして、小学校のグラウンドで一人練習をするようになった。私は翔都みたいに球が速い訳ではない。翔都みたいにホームランが打てる訳ではない。足だって女子にしては速いが、翔都の方がずっと速い。けれど、コントロールでは絶対に負けないし、変化球にも自信はある。ピッチャーとしてなら、絶対に負けない。いつか絶対にチャンスは来る。だから、その時の為に自分の武器を磨かなきゃ。
毎日練習をして、塾にも通って、動画でピッチングの勉強をする。エースナンバーを奪えば、試合で活躍をすれば、『だから言ったじゃん』と今までみたいに話せるようになれるはず。これまでもずっとそうだった。だから、今度もきっとそうに違いない。
年が明けて、他の一年生からも試合で使われる子が増えてきた。私にはまだチャンスが来ない。けれど、そこに不満を持ってもしょうがない。足りないものがたくさんあるのは事実だ。カーブの他に、スライダーも、シュートも覚えた。
「立花くんいいよね~。かっこよくない?」
「ね、もうエースなんでしょ~」
翔都は大会で活躍を続け、同級生の女子からそんな声が聞こえる事も増えた。それを聞くと、私の胸の奥がモヤモヤとする。考えるまでもない、これは嫉妬だ。『そんなのずっと前から知ってるんだけど?」そう言いたいが、そんな事言えるはずもない。そして、嫉妬を自覚することで、あの日から芽生えたもう一つの感情の正体にも気付きだす。
私達は中学二年になり、クラスは別々になった。もしかすると、もうこのまま一生話せないのかもしれない。そんな事を思うようにもなった。
野球部に新入生が入り、私達は上級生になった。この頃になると、ついに私にもボールを投げる機会が訪れた。打撃練習のバッティングピッチャーだ。けれど、腐ってはいられない。
「監督!私、カーブと、シュートとスライダーが投げられます。他にも練習中の球も――」
「そうか。まぁ、打撃の練習だからな。直球中心で打ち頃のやつ頼むぞ」
その言葉が私の闘争心に火をつける。変化球の使えない少年野球時代、ストレートだけで私は戦ってきたんだ。ごめんね、皆。打撃の練習にはならないかもね。久しぶりのマウンド。少年野球の頃から少し遠い、ホームまで18.44メートルの距離。公式戦でも何でもないけれど、私の中学野球記念すべき一投目。気が付けば、翔都の様に大きく振りかぶって、ボールは私の左手から放たれる。
キィン。ボールは金属製のバットに跳ね返され、内野を超えて外野手のミットに収まる。その次も、その次も、私の投げたボールはキャッチャーミットに収まることなく、打撃練習は進む。
気が付いていた。同級生の男子のほとんどは、もう私より背が高い事を。球速も、50メートル走も、下手すれば一年生に負けてしまう事を。言い訳に使いたくなかった。気が付きたくなかった。――私は、女だから、もう翔都には追い付けないんだ、と。
あの日から芽生えた感情の正体は、『焦燥感』だった。
その日から、私は更に投げた。放課後、部活の後、誰もいない小学校のグラウンドで。球速は勝てないかもしれない。けれど、直球の回転に磨きを掛け、変化球に磨きを掛ける事は可能だ。フォームチェックをして、暗いグラウンドで一人球を投げ続ける。
あれはただの打撃練習。打たれるのが正解だ。本気で投げていた自分をそう誤魔化すように、ただひたすらに投げ続ける。自分の武器を磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、その時を待つ。
掌が、指先が、肘が、肩が痛んでも、心が痛くても、投げ続けた。限界なんてない。必死で自分に言い聞かせた。
ある日の朝、カバンを持とうとして手を伸ばした左肩に激痛が走る。感覚的にわかってしまった。あぁ、これで終わりだ、と。
――診断は、上腕骨近位骨端線損傷。いわゆる“リトルリーガーズショルダー”と言うものだった。成長期の肩に過度の負荷がかかり続けた結果起こるケガらしい。
知識としては知っていた。これ以上無理をすれば日常生活にすら支障をきたすそうだ。手術をして、リハビリをすれば、運が良ければまた投げられるかもしれない。
『立花くん、キャッチボールしよう!』
最初に思い出したのはあの日の光景だった。
「……もうキャッチボールできないんだ」
そう呟いて、一人寂しくなってしまう。
私の夢の道はここで終わり。不思議と涙は出なかった――。




