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中学二年・冬、再会のキャッチボール

 『翔都があたしの全力を込めたボールを捕れたならね。そうしたら、……また一緒に野球しよ』――そう言った小南の目に涙が滲んでいた理由を知るのは、もう少しあとの事になる。


 不意に天から一本伸びた蜘蛛の糸に、俺の身体はぶるりと一度身震いする。


「あ……、あぁ!望むところだ!百六十キロの豪速球だろうと高速ナックルだろうと、どんな球でも絶対捕ってやる!あっ、左利きグラブはバッグに入ってるからな!使えよ!」


 急に元気になりいそいそとスポーツバッグから小南用のグラブを取り出して手渡すと、小南はクスリと笑う。

「ありがと。準備いいね」


「まぁな!」


 その返事が適切かは分からない。とにかく嬉しい。また小南と野球ができるかもしれない。そもそもキャッチボールができる時点でもう口元が緩んでしまう。俺と同じ学年で、同じ野球チームに入っていて、家が近所で、ライバルであり、親友みたいな俺の初恋の相手。


 距離を取り、入念にストレッチを行いながら、思い出した様に彼女は口を開く。


「もう一つだけ条件出していい?」


「あぁ、何でも来い。一つと言わず二つでも三つでもな」


 どんな条件だっていい。また小南と野球ができるなら。甲子園だって、プロだって、メジャーにだって行ってみせる。


「ううん、一つだけでいい。どっちが勝っても絶対に言って欲しくない言葉があるの。それを言ったら無条件で翔都の負け。いい?」


 意図は分からないが、一年と少し前、大会の後の不用意な言葉で小南を傷つけてしまった事を思えば当たり前とも言える条件だ。


「オッケー。その言葉は?」

「それは秘密。いい?いやならやめるけど」

「心理戦?」

「あはは、かもね。ささやき戦術ってやつ?」


 往年の名捕手がバッターの集中力を削ぐために打席でぼそぼそと何かをささやくと言う盤外戦術。でも、性格的に小南はきっとそんな事はしない。


 どのみち俺に選択肢は無い。チャンスを貰えるだけ感謝だ。


 コクリと頷いてから腰を落として捕球体勢を取る。ふーっと一度大きく息を吐く。その言葉とは何だろう?『俺の方がすげぇ』か?『それが本気か』か?それとも『お前には勝てないな』とかだろうか?まさか単純に『すげぇ』ってことは無いだろうと思う。そんな言葉狩りみたいなハメで勝負を付ける様なやつではない。


 そう考えて、そもそも捕れなければその時点で負けな事に思い至る。


「いくよ」

「おう」


 その時初めて、キャッチャーをやっていれば良かったなぁと思ってしまった。


 コースの指定は無い。当然ながら小南は試合さながらの真剣な面もちで真っ直ぐに俺を見て、大きく振りかぶる。流麗、そのフォームを一言で言えばそんな言葉だろうか。


 小南は腕を振る。ボールは彼女の手を離れる。独特の回転をしたボールは、スパンと小気味良い音を立てて狂いなくグラブに収まる、――はずだった。


 だが、彼女の手を離れた白球は、18.44メートルよりも遥か手前をてんてんと転がる。


 一瞬、何が起こったのかよくわからなかった。


 驚いた顔で小南を見ると、小南は眉を寄せながら、今にも泣き出しそうな顔で笑顔を繕っていた。グラブをはめた右手は左肩を押さえているように見える。


「ごめん。これが今のあたしの全力なんだ」


 小南は全力で投げて、俺はその球を捕れなかった。起きた結果を並べるなら勝負は俺の負けだ。俺はもう小南と野球が出来ない。


 でも、もうそんな事はどうでもいい。


 ゆっくりと、途中でボールを拾いつつ小南に歩み寄る。


「……治る、よな?」


 恐らく、肩の故障だ。いつから?一緒に練習しているときはそんなもの一度も聞いた事がない。結局監督は一度も小南に試合で投げさせはしなかった。公式戦だけでなく練習試合や紅白戦ですらも。だから、きっと小南は練習を続けたのだろう。試合に出して貰うために。甲子園に行くために。プロ野球選手になるために。俺と喧嘩をしてからずっと。部活に来なくなるまでずっと。


 俺と野球が出来なくてもいい。本当はイヤだけど別にいい。あんなに野球が好きだった小南が、野球を出来なくなるよりはずっといい。


 だが、俺の身勝手な願いをかき消すように小南は首を横に振る。

「手術して何年か経てば日常生活には支障は無いって。あはは、ちょっと練習しすぎちゃった。ケガしないのも才能だよねぇ。……結局、あたしには才能は無かったって事だよ」


 ――お前に才能が無かったら、誰にそんなもんあるんだよ!?

 もう喉の途中まで出かかったその言葉を必死に飲み込む。

 「翔都は才能あるんだからさ、絶対に甲子園……行ってよね」

 言いながら、涙を抑える様に時折口をつぐむ。


 俺が小南と喧嘩なんてしなければ、小南はオーバーワークにならずにすんだだろうか?また一緒に、まだ一緒に、野球をする事が出来ただろうか?


 そこまで考えて、小南が言って欲しくない言葉に気が付いた。

 

 だから、絶対に言わない。『俺のせいだ』、とかそんな下らない事を言ってももう何も変わらないから。



 袖で乱暴に目元を拭い、小南の左手を取る。

「……それじゃ約束が違う」


 二人で甲子園に行くと言う幼き日の約束。俺一人で行ったとしてそれに何の意味があるというのか。


「二人で行く約束だろ!?甲子園!」

「ごめん」

 俺は小南の左手を握り、力強く首を横に振る。

「……一人で行ったって、そんなのなんも面白くねぇだろ」


 もう涙を抑えるのも止めて、手を握りながら声を震わせる。


「……ごめんね」


 俺は顔を上げて、涙に濡れた目で小南を睨む。

「ごめんごめん、うるさい。似合わないんだよ、お前に」


 小南はいつだって勝ち気で、自信たっぷりで、いつも楽しそうに笑っていて、誰よりもかわいい。勝手な幻想かもしれない。けれど、そうあって欲しい。


「ごめん。もう言わないね……、あっ!」

 涙声で一人驚いた声を出した後で小南はクスリと笑い、俺も笑った。そして涙で濡れたジト目を俺に向けてくる。

「いいの?本当にもう言わないからね?喧嘩したって、あたしが悪くたって。大人になったって、お婆ちゃんになったって」

 俺はコクリと頷く。そんなの望むところだ。 




 そして、次の日俺は部活を辞めた。再び、小南と野球を始めるために――。

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